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そんな水輝が来ると優一郎は必ず一緒に地下三階の特別室に引っ込んでしまう。きっと難しい話をしているのだろうが、その時は必ず優一郎は多輝に地下三階に降りてはいけないという。多輝は素直にその言葉に従っている。だが一人、要だけがそう告げる優一郎をにやにやと笑って見ているのが少し気にかかる。一度だけ要にその理由をこっそり訊ねてみたが、よく判らない返事しかくれなかった。
「男には人には言えない複雑怪奇な事情がありますのよ!」
自分も男にはなるのだが、と多輝は消極的に言ってみたが相手にされなかった。どうやら要の目には多輝はもう男には見えなくなっているらしい。だがよく考えるとそれは当り前かも知れない。何しろ多輝は男性を纏った際は地下一階にすぐに上がってしまうからだ。その時に要と顔を合わせることは殆どない。
多輝の使っていたあのマンションは別の誰かに貸し始めたらしい。事実上、空き部屋のままになっていたその部屋にはすぐに借り手がついたようだ。その話を多輝は優一郎から聞いた。確かに開けっ放しにしておくよりは、誰かに使ってもらった方がいいだろう。多輝は素直に優一郎の言葉に頷いた。
二月も過ぎ、三月になる。多輝は評判の店があるのだと優一郎に促され、珍しく二人で連れ立って出かけた。四月からは多輝も清陵高校の生徒として学校に通うことになっている。
「そういえばこうやって歩くのって初めてじゃないか?」
多輝はのんびりと言いながらマフラーを首に巻き直した。三月になったとは言え、まだまだ外は寒い。遊歩道を共に歩く優一郎も今日は白衣ではなくコートを着ている。
「そうだっけ? ごめんね」
にこやかに笑みを浮かべて優一郎が言う。いや、別にいいんだけどさ。多輝は苦笑しながらそう告げた。
学校から伸びるなだらかな坂を降りて行くと高速道路の下にトンネルがある。そこに差し掛かった多輝は小さく笑って呟いた。
「そう言えば初めてじゃないな。あの時も一緒に歩いてたし」
多輝はそう言ってあの時のことを思い起こした。あれから一年も経っていない。なのにその日のことがやけに遠く感じられる。感慨深く呟いた多輝の肩を優一郎がさりげなく抱く。隣を歩く優一郎に微笑を向けたところで多輝はふと気付いた。
「……あれ? 優一郎。背、伸びてないか?」
目をしばたたいて多輝は訊ねた。すると優一郎が自分の頭の上に手を置く。
「そうかも。多輝の背が低くなってない限りはね」
そう言って優一郎が笑う。多輝はそんな訳ねえだろ、と苦笑して再び前を向いた。今日は学校が休みということもあって、道をゆく人の数はまばらだ。が、坂道を下るにつれてその人数は少しずつ増えてくる。
やがて二人は広々とした道に出た。舗道の車道側にさりげなく回り、優一郎が多輝の肩を再び抱く。そんな優一郎を見て多輝は何気なく言った。
「何かさ。優一郎、女の扱い妙に上手くなってねえ?」
不思議な気分で多輝は言った。すると優一郎が困ったように笑う。
「多輝が一番だけど、その他の娘も疎かにするわけにはいかないでしょ? それとも、妬いてるの?」
笑いながら言われた多輝は途端に真っ赤になった。
「そっ、そっ、そんなことないけどっ」
顔を赤くした多輝はどもりながら答え、そっぽを向いた。マフラーの先端を指でもてあそぶ多輝に優一郎が微笑みを向ける。ちらりと優一郎を伺ってから多輝は唇を尖らせた。
進むうちに次第に優一郎の目的地が見えてくる。多輝は何で今さら吉良瀬の屋敷に行くのだと思いつつも知らん顔をしていた。幼い頃、よく遊んでいた路地を曲がり、進んでいくうちに大きな屋根が見えてくる。小さな公園を横目に過ぎたところで多輝は思わず目を見張った。
「いつの間にあんなものが……」
屋敷の隣に喫茶店が出来ている。隣の屋敷に比べると喫茶店のサイズはとても小さく見える。多輝は優一郎に促されるままに木で出来た柔らかな風合いのドアをくぐった。
「いらっしゃい」
カウンターの中に立っていた女性がにこやかに笑みを浮かべて言う。それを見た多輝は目を丸くして足を止めた。当り前の顔で優一郎がカウンターのスツールに腰を下ろす。
店はこじんまりとはしているが、とても優しい印象がある。茶系でまとめられたテーブルや椅子は全て木で出来ているらしい。客もけっこう入っており、店内はとても賑やかだ。狭い敷地をフルに利用するためか、吹き抜け構造の二階のフロアまである。一階のフロアの隅には一台のピアノも置かれている。多輝はぐるりと店内を見回してから紫のいるカウンターに恐る恐る近付いた。
エプロンをかけた紫がグラスに水を注いで多輝の前に出す。どうも、と思わず礼を言ってから多輝は不安いっぱいの顔で紫を伺った。だが紫はにこにこと人好きのする笑みを浮かべている。
「コートをお預かりします」
不意に背後から声をかけられて多輝は身を竦めた。慌てて振り返ると背後にウェイトレスの格好をした一人の女性が立っていた。言われるままにコートを脱ぎ、多輝は女性にそれを手渡した。優一郎も椅子にかけていたコートを女性に渡す。
喫茶店は好きです(違