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「なっ、何でこんなに美味いんだっ」
おれが幾ら頑張ってもこんなに美味く出来ないのに。多輝は思わず人がいる場所ということも忘れ、素のままで言った。渚に言われた通りに茶をいれながら水輝がふふふ、と笑う。
「参ったか」
「くそー。レシピ寄越せっ」
「誰がやるか」
舌を出して水輝が勝ち誇ったように笑う。畜生、と呟いて多輝は大口を開けてプリンをかきこんだ。
「まあ、多輝。これから精進すればいいじゃない」
「おうっ。苺の名にかけて!」
やけくそで言ってから多輝はプリンの最後の欠片を口に放り込んだ。おかわり、と硝子の器を水輝に突き出す。すると水輝はへえへえ、と笑って多輝の器に二つ目のプリンを盛り付けた。
ふと、客のざわめきが静まる。何事だろう、とスプーンを咥えたままフロアの奥を覗き込んだ多輝は目を丸くした。バイオリンを持った紫が一礼して椅子に腰掛ける。ほどなく紫の弾くバイオリンの音色が店内を満たした。柔らかな旋律に耳を澄まして多輝は静かに身体を戻した。どうやら紫の生演奏を目当てに来ている客も多いようだ。バイオリンを奏でる紫の方を向き、客は静かに曲に聴き入っている。
「芸能プロダクションから妙な誘いがあったりしたらしいんだけどね」
小さな声で言って優一郎が苦笑する。へえ、と頷いて多輝は何となく水輝を見た。いつの間にか水輝は機嫌良さそうに笑っている。
「早い者勝ちでリクエストも可能だぞ。何ならチャレンジしてみるか? 苺」
笑いながら水輝が空っぽになっていた多輝のカップに紅茶を注いでくれる。どうも、と小声で言って多輝はぼんやりと紫を見つめた。バイオリンを弾く紫はとても楽しそうだ。
「どうしたんだい? 多輝」
そう言って優一郎がにっこりと笑う。多輝はああ、と呟いて前を向いた。
「前の紫ってさ。ほら……何ていうのかな。切りつけるみたいなイメージあったじゃん。優しい顔してる癖にどっかとっつきにくいっていうか」
思ったことを言葉にする難しさに顔をしかめながら多輝は小声で言った。水輝は無言で微笑みを浮かべ、グラスを磨いている。
「今は違う?」
そう訊ねて優一郎が首を傾げる。多輝は天井を見上げてしばし考えてから頷いた。
「ああ。違うと思う。丸くなったっていうかさ。なんか……」
そこまで言って多輝はちらりと水輝を見た。水輝は視線に気づいたのだろうが、知らん顔をしている。多輝は眉を寄せて小声で続きを言った。
「幸せそうな感じ? っていうのかな」
そう言って多輝はあー、難しいとぼやいた。水輝の入れてくれた紅茶を音を立てないように啜る。流れる曲は緩やかなものから明るいテンポの速いものへと移り変わっている。
「そうだよね」
にこやかな笑みを浮かべて優一郎が頷く。
前も今も立城は穏やかな笑みを浮かべている。だが前のそれより今の笑みの方が優しく見える。何となく良かったなと思えるような柔らかな表情をしているのだ。それも恐らく客にこの店が人気がある原因ではないだろうか。
「でも、紫ってバイオリンなんて弾けたんだな」
「バイオリンだけじゃなくて、他の楽器もいけるんだよー?」
曲の邪魔をしない程度の小さな声が背後から聞こえる。多輝はその声に慌てて振り返った。多輝と優一郎の後ろにはいつの間にか一人の青年が立っていた。見覚えのある顔に多輝は唖然とした。サングラス越しに笑ったのは順だ。
「また来たのか。日参するのは止めろっつったろ」
呆れたように水輝が言う。順は小さな声で笑ってからさりげなく多輝の隣に腰を下ろした。なぜか順の後ろには見慣れない青年が立っている。大きなものを背中に担いだその青年を多輝はまじまじと見た。
「何だ。今日はぼんくらも一緒か」
水輝が淡々と言ってカウンターについた二人の前にグラスを置く。すると順の向こうで青年がもの凄く嫌そうに顔をしかめた。
「黒田さん、お久しぶりです」
多輝の横で優一郎がにっこりと笑って言う。すると順の向こうに座っていた青年が仏頂面で頷いた。どうやら青年の名は黒田というらしい。こんにちは、と何となく頭を下げてから多輝はまじまじと黒田を見た。
「クロチャンはコーヒーだっけ? オレはココアねー」
「誰がクロチャンだ」
順が告げるとすぐさま黒田がそう切り返す。へえへえ、と笑って水輝が二人の注文したコーヒーとココアを入れ始める。
「ちょっとあそんでこよ」
そう言いながら順がよいしょ、と腰を上げる。何をするのかと思ったら、順は店内をのんびりと歩いて紫の傍にあったピアノに寄った。気配に気づいたのだろう。紫が順を振り返って苦笑する。当り前の顔でピアノの前に座った順はバイオリンに合わせて伴奏を入れ始めた。
「……あいつ、ピアノなんて弾けたのか」
呆然とした面持ちで多輝は告げた。何の打ち合わせもしていないだろうに、順は紫に合わせてピアノを弾いている。客はピアノの飛び入りに喜んで曲が終わるたびに感嘆の声を漏らして手を叩いている。
「そういえば、多輝は楽器は?」
「うっ」
カップを唇につけようとしていた多輝は思わず呻き声を上げた。すると水輝が呆れたように多輝の顔を覗きこむ。
「もしかして駄目なのか?」
そういえば清陵は選択科目だから音楽はやらなくてもいいのか。そんなことを言いながら水輝が屈めていた身体を起こす。出されたコーヒーを啜っていた黒田が低い声で言う。
「何事にも例外はあるからな」
平坦な声で言われて多輝は真っ赤になった。小学生の頃、リコーダーを振り回して喧嘩をしていた折、たまたま相手の振っていたリコーダーが股間を直撃してからトラウマになっているのだ。以来、楽器と名のつくものは出来るだけ触らないようにしてきた。
例外な多輝w