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渚がフロアに戻り、テーブルには優一郎と紫と天輝、多輝の四人が残された。
「……ねえ。あんたたちって一応、きっちりまとまったんじゃないの?」
改めて椅子に腰掛けながら天輝が言う。その隣に腰掛けながら紫がため息をつく。
「見ての通り、相変わらずだよ」
そう言う時の紫の表情はどこか切なそうだ。ふうん、と呟いて多輝は何気なく優一郎を見た。
「どうしたんだい?」
多輝の視線を受けて優一郎が訊ねる。多輝はしばし考えてから疑問を口に乗せた。
「何で優一郎がそんな顔してるんだ?」
すると優一郎は素早く頬を押さえた。両方の頬を手で包んで少し俯いてからぱっと顔を上げる。その時にはもう、優一郎の表情は元に戻っていた。くすくすと笑って優一郎がテーブルに広げていた紙を畳み始める。何だよもう、と呟いて多輝は残っていた紙を畳むのを手伝った。
そうしている間に奈月が注文したホットレモンを運んできてくれる。多輝はありがたくそれを受け取って一口、飲んで硬直した。
「なっなっなんで」
裏返った声で言った多輝の言葉を途中で優一郎がさらう。
「こんなに美味しいんだろう? かい?」
多輝は無言で何度も頷いた。料理といいお茶といい、全てがすこぶる美味いというのはどういうことだ。感動に声をなくしていた多輝の横で天輝があっ、と声を上げる。
「あたし、何も注文してなかったっ! ……って、は! しまった、お金がない!」
早口でまくし立てて天輝が唐突に紫に向き直る。顔の前で手を組み合わせ、目を潤ませた天輝に紫が苦笑する。
「判った。奢るよ」
そう言って紫が何にする? と問う。すると天輝はぱっと嬉しそうな顔をして言った。
「ええっとね! クランベリーパイと紅茶! クリームたっぷりつけてねっ」
笑顔で言う天輝に頷いて紫はカウンターに向かっていった。奈月と紫が話しこんでいる隙に素早く天輝がテーブルに乗り出す。
「ところで相談なんだけどさ。白銀、どーにかしてくんない?」
潜めた声で天輝が言う。多輝は思わず優一郎と顔を見合わせた。何でここで白銀の名が出てくるのだろう。
「彼女、何かしでかしましたか?」
「違うわよっ。とっとと覚醒させてちゃっちゃと天空に来させてよっ。暇で暇で暇で暇でしょうがないのよっ」
しかめ面で天輝が言う。多輝は眉を寄せて天輝に訊ねた。
「天空ってなんだ? 何で白銀が関係してるんだ?」
「はー!? あんたばか!? 白銀は馬なのよっ。ペガサスって知らない!? でっかい羽根がついてる変な馬、いるでしょ!?」
潜めながらも天輝は荒い口調で言う。多輝はむう、と唸って腕組みをした。もしかして白銀のカードで呼び出されるあの翼は、天使じゃなくて馬のものなのだろうか。何となく嫌な気分で多輝は顔をめいっぱいにしかめた。
「覚醒させろといっても、本人の問題ですし……」
困惑気味に優一郎が言う。すると天輝がえー、と不服の声を上げる。
「今回だって白を説き伏せるの大変だったんだから! あいつが居れば城を抜け出すのも楽になるし! ほらっ、メンテナンスだってらくら」
「……何の話をしているの? 天輝」
テーブルに身を乗り出していた天輝の後ろから紫がにっこりと笑って言う。すると天輝は引きつって身体を元の位置に戻した。
「い、嫌ねえ! 世間話よっ」
そう言って天輝がおほほほほほ、とぎこちなく笑う。そう、と微笑んで紫はトレイを手にしたまま踵を返した。
「折角持ってきて上げたけれど要らないよね、これは」
「ああっ、卑怯な!」
待ってよ、と言いながら天輝が涙ぐむ。よほど腹が減っているのだろうか。そんなことを思いながら多輝はふとテーブルに目を落とした。残っていたホットレモンを大事に少しずつ啜る。
「ううー。判ったわよっ」
無理言ってごめんなさい、と天輝が優一郎に頭を下げる。するとそこでようやく紫は天輝の前にパイの乗った皿と紅茶とを置いた。
「母上。今、幸せですか?」
天輝が嬉しそうにパイを食べ始め、紫が席についたところで優一郎がそう訊ねる。すると紫は優しい微笑みを浮かべて頷いた。
「毎日楽しいよ。ありがとう」
多輝は思わず手を止めてぼんやりと紫を見つめた。紫の微笑みは前のものとは印象がやはり違う。そのことをはっきりと感じ取って多輝は口許に笑みを浮かべた。
「父上が護りたかったあなたは、あなたなんです。例え、立城さんで無くなっても、あなたはあなたです」
忘れないで下さい。優一郎は静かに告げて紫を真っ直ぐに見つめた。紫は微笑を浮かべたままで頷く。その横でパイと格闘していた天輝があー、と声を上げた。
「そいえば忘れてたわ」
そう言って天輝がごそごそとスカートのポケットを探る。天輝は引っ張り出したそれをテーブルに乗せた。ビー玉を思わせる小さな紫色の玉が光を反射して煌く。
「あのね、それね。白から預かってきたのよ。何だっけ、ええと……」
眉を寄せて天井を仰ぎつつ天輝が行儀悪くフォークの先を振る。難しい言葉は嫌いなのよね、と言ってから天輝は顔を戻した。
「王の欠片とか何とか? ええっと……もう、白の言い回しって古すぎて難解なのよねー……じだいのおうがどーとかこーとか言ってて」
そこまで言って天輝がまあいいか、と自己完結する。何が言いたいんだ。そう呟いてから多輝は何気なく優一郎を見た。優一郎が吸い込まれるようにしてその玉を凝視している。目を移すと紫も同じように玉を見つめていることが判った。
「母上。どうぞ」
「いや、でも多分君のほうが」
優一郎が言えば紫がそう言う。互いに譲り合う二人を交互に眺めて多輝は首を捻った。
「多輝。行こう。天輝さんは、こちらでの用が済みましたら地下鉄でいらしてください」
それでは、と言って優一郎が腰を上げる。多輝は戸惑いながら立ち上がった。戸惑いの目で紫が優一郎を見つめている。多輝は不思議に思って何気なくテーブルに乗せられていたその玉を取り上げた。何の変哲もないごく普通の玉に見える。手の中でそれを転がそうとした瞬間、多輝は唐突に襲ってきた衝撃にその場に尻餅をついた。いたたた、と声を漏らしてぶつけた尻をさする。そこで多輝は手の中の玉がいつの間にかなくなっていることに気がついた。
「あれ?」
玉を持っていた筈の手を握ったり開いたりしてみる。それから多輝は恐る恐る顔を上げた。テーブルの傍にいた三人がじっと多輝を見つめている。
「……あたし、しーらないっと」
真っ先に天輝がそう言って中途まで切り崩していたパイに再度とりかかる。
「なるほど。そういう手もあったのか」
何度も頷きながら優一郎がくすくすと笑う。一人、紫だけが唖然とした顔で多輝を見つめていた。
「それでは母上、水輝さんに対してはもっと自己主張したほうがいいですよ」
渚さんくらいまで徹底してやれとはいいませんけど。そう言って優一郎が多輝に手を差し伸べる。多輝は素直にその手につかまって腰を上げた。
「あ、ええと、そうなの?」
それまで呆気に取られたように多輝を見つめていた紫が瞬きを何度かしてから言う。多輝は促されてドアに向かって歩き出した。渚に差し出されたコートをそれぞれが取る。何がどうなっているのか今ひとつよく判らない。が、手を振る紫は微笑んでいるし、奈月もいつものようににこやかに笑っている。きっと大丈夫だろう。何となくそう思いながら多輝は優一郎と共に店を出た。
「多輝。僕らもそのうち子供作ろうか?」
「へっ!?」
一緒に歩きながら優一郎が言ったことに多輝は思わず素っ頓狂な声を返した。
「なっ、なっ、何でいきなり!?」
子供って子供って子供って。そう言いながら多輝は真っ赤になった。
「いやかい?」
真顔で問われて多輝は力いっぱい首を横に振った。嫌なはずはない。だが嬉しいと思う反面、無理なのではないかという思いもある。多輝は出された優一郎の腕に捕まって歩きながらふと空を見上げた。
曇った空から雪が降ってくる。道理で寒いと思った、と多輝はぽつりと呟いた。
「姉さん、また何かやってるな」
優一郎がしかめ面で空を見上げて呟く。多輝はああ、と呟いて空に手を掲げた。雲、飛ばせばいいんだろ? そう言って多輝は何気なく力を放った。天に駆け上った紺色の光が雲を突き破る。季節はずれの雪をもたらしていた雲は光の撃った場所を中心に徐々に晴れていった。
「多輝。これから、変動の時代が来る」
広がり始めた青空を見つめて優一郎が呟くように言う。多輝も同じように空を見上げてそうなのか? と訊ねた。
「地震。みたいなものかな? 蓄積された歪みは臨界点に達して、今、滑りはじめている」
「歪み……って、こないだみたいなやつか?」
多輝は以前に感じ取った不気味な気配のことを思い出して訊ねた。あの時は酷く気持ちの悪い感じがした。
「あれは、まあ言ってみれば亡霊のような存在に過ぎない。歪みの蓄積の根源ではあるけど」
彼の予測と現実のずれ。それこそが歪みなんだけどね。そう続けて優一郎はひっそりと笑った。多輝は首を傾げて顔を戻し、促されるままに歩き出した。
「思うんだけどさ。予測し得ない事態が発生するから、現実って面白いんじゃないか? ま、おれはいっつも予想外のことばっか起こってるけど」
何となく多輝はそう口にした。すると優一郎が多輝の肩に手を回して小さく笑う。
「そうだね。確かにそうだ。あれに選ばれ、選びとった君が言うと凄く説得力があるよ」
「は?」
言われた意味が判らず、多輝は眉を寄せてそう返した。だが優一郎はくすくすと笑って答えてくれない。
しばし笑った後、優一郎が多輝を見つめる。
「これからも、一緒に、行こう」
「ああ」
ためらいなく頷き、多輝は微笑みを浮かべた。永遠はありえないと思っていた。自分よりきっと優一郎は先にいなくなってしまうとあの頃思っていた。だが現実に優一郎は龍神として覚醒した。これからもずっと共に行ける。その喜びを噛みしめながら多輝は優一郎と共に帰るべき場所へと歩いて行った。
最後までお付き合いくださってありがとうございます。
この後、登場人物の紹介をちょっとつけようと思います。