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「わかったわ。ええと……な、な、奈月、と呼べばいいのかしら?」
言い馴れないからなのか渚の口調はどこまでも怪しい。だが言われた方の奈月はぱっと顔を輝かせた。
「はい、渚さん!」
嬉しそうに笑って奈月が渚の胸に飛び込む。小さな悲鳴を上げて奈月を抱きとめ、渚が殆ど泣きそうな顔で水輝を見る。水輝は可笑しさに吹き出しながら机から飛び降りた。
「いいじゃん、別に気にしなくても。奈月は嬉しそうなんだし」
「あなた、他人事だと思ってるでしょ!?」
とびきり棘のこもった声が飛んでくる。水輝ははいはい、と苦笑しながら渚に片手を上げてみせた。嬉しそうに渚の胸に頬擦りしている奈月の頭を撫でる。次いで水輝は渚の顎に指をかけて素早く口づけした。まだ喚こうとしていたらしい渚の声が水輝の口の中に消える。
「ほら。さっさと着せてやれよ。奈月も寒いだろうし」
「性悪……」
渚がそう呟いてそっと奈月を胸から引き剥がす。それから手にしていたドレスを奈月の身体に押し当て、渚はにっこりと笑った。
「この服、どうかしら?」
「いいと思います」
嬉しそうな笑みを浮かべて奈月が頷く。渚はそれに頷き返してドレスからハンガーを外した。まずはスカートを奈月にはかせ、続いてボレロ型の上着を着せる。そうしてから渚は奈月をドレッサーのある部屋へと促した。一人、部屋に残された水輝は人の悪い笑みを浮かべて幼い頃に歌った歌を口ずさんだ。
いつもは全く手をつけない髪を後ろに撫で付け、財布やハンカチなどを用意した頃、屋敷のベルを誰かが鳴らす。急いで飛んでいこうとした奈月を制し、渚が玄関に向かう。その間に水輝は部屋に戻ってきた奈月を抱きしめた。奈月の髪は両サイドで結われ、結び目には可愛いリボンが着けられている。淡いパステルカラーのドレスと合うよう、リボンも淡い空色だ。
「凄く可愛いな」
ひとしきり奈月を抱きしめてから水輝は満足をこめて言った。すると奈月が頬を染めて恥ずかしそうに微笑む。
「渚さんのおかげです」
「そっか」
今日の奈月はうっすらと化粧もされている。水輝はうんうん、と頷いてから奈月の左手を取った。じっとその手を見下ろし、確かめるように指に触れる。それから水輝はまた一人、頷いた。
「よし、準備は出来た。あとは運転手が」
「全く、仕事中だってのになに考えて……うええ!?」
水輝の部屋に飛び込んできた学が裏返った声で喚く。学は仰天したように目を見張って水輝と奈月とを交互に指差した。
「よし、運転手到着。じゃ、行くぞ」
そう言って水輝は奈月の手を引いて歩き出した。奈月が困ったような顔で水輝と学を見比べる。学は水輝が脇を過ぎる段になってようやく正気に戻ったらしい。慌てたような声を上げて水輝の肩をつかむ。
「ちょっと待ちなさい! 運転手ってどういうことよ!」
今日の学は仕事中だということもあってか、揃いのスーツを身につけている。水輝は足を止めて学の格好を頭からつま先まで眺めて振り返った。ドアのところに立っていた渚に呼びかける。
「ちょっとどうだろ。この格好。少しミスマッチか?」
「その方のサイズなら私の服が合うと思うから、貸しましょうか?」
そう言って渚が部屋から一旦、出て行く。学は相当に驚いているのか唖然として口を開けっ放しにしている。
「はじめまして、わたし、吉良瀬奈月と申します」
そう言って奈月がドレスの裾をつまんで緩やかに頭を下げる。礼を受けた学が慌てたように手を振り回した。
「ちっ、違うわよっ! アタシよ、アタシ! 笹原学! ……って、もしかして老けちゃったから奈月ちゃんには判らないのかしら」
だとするとちょっと寂しいわね。学はそう言ってほう、とため息をついてみせた。相変わらず変わり身の早い奴。そんな感想を零した水輝を学がぎらりと睨む。
「学さん、なんですか? あの、違います。もしかしたらとは思ったんですけど、ぜんぜん変ってらっしゃらなかったから。血縁の方かと思いました」
「おほほほほ! 科学の勝利ね!」
それまで残念そうな顔をしていた学が急に元気よく笑う。天井を仰いで高笑いする学の尻を水輝は膝で蹴り上げた。
「なにが科学だ。お前の場合はあちこちせいけ」
「奈月ちゃんも可愛いわぁ! いいわね、らぶりーなドレス!」
反撃のつもりか、学が水輝の足をヒールの踵で踏みつける。水輝は声にならない声を上げて仰け反った。
「ありがとうございます」
二人の密かな戦いに気付かないのだろう。奈月がにっこりと笑ってそう答える。そんな奈月にうんうん、と頷きつつ、学がこっそりと足首を捻る。それに合わせてヒールが足にさらにめり込み、水輝は悲鳴を上げて学の足を振り払った。
「てめえ! ここぞとばかりに踏みやがって!」
「ああら、オトメの踵程度で根を上げるなんて、水輝君てば鍛え方が足りないんじゃないのぉ?」
ほほほ、と笑いながら学が横目に水輝を見る。ああ言えばこう言う、と憎々しさをこめて言ってから水輝はため息をついた。
黒ずくめの格好をさせられた学と奈月を連れて水輝は屋敷の外に出た。駐車場には学のフェラーリと黒塗りのロールスロイスが停まっている。学はもう諦めたのか、自分から進んでロールスロイスの後部席のドアを開いた。水輝と奈月が乗り込んだところでドアが静かに閉じる。運転席に乗り込んだところで学が振り返った。帽子のずれを直しながら学がうろんな目で水輝を見る。
「へい、お客さん。どこまで行きましょうかね?」
どすの利いた声で言われ、水輝は思わず吹き出した。どうやら学はタクシーの運転手の真似でもしたつもりらしい。学の着ている服と容姿と言葉が全てちぐはぐだ。ひとしきり笑った後、水輝は指を鳴らした。
「とりあえず大きな通りに出てくれ。後はまた指示する」
「りょーかい。……んとに、これで無報酬だったら怒るわよ」
ぼやきながら学が前を向く。ゆったりとシートに身を沈め、水輝は隣に座る奈月の肩を抱き寄せた。
学、踏んだり蹴ったりw