あ、エロシーンはありません。
エレベーターホールで立城がぼんやりした顔で佇んでいる。優一郎はにこやかに挨拶しようとして声を飲み込んだ。気配に気付いたのか、立城が慌てたように袖で顔を拭って笑みを浮かべた。
「こんにちは」
そう言って立城が軽く頭を下げる。優一郎は白衣のポケットに手を突っ込み、足を止めて斜めに立城を眺めた。今日も立城の身体は変わっていない。どうやら想像以上にあの時に力を消耗したようだ。肉の器を散らされた時に比べれば段違いに軽傷だが、それでも力の回復には若干の時間がかかるかも知れない。
「母上、こんにちは」
「忙しそうだね」
微笑みを浮かべて言って立城が優一郎の白衣のポケットを目で示す。どうやら何が入っているのかはばれているらしい。苦笑してから優一郎は肩を竦めてみせた。
「あ、そういえば、僕ちょっと出かけようと思うんだけど」
さっきまでの消沈した面持ちが嘘のように明るい笑顔で立城が言う。少し思案してから優一郎は立城の様子を注意深く伺いながら告げた。
「母上、大丈夫ですか? まだ回復していらっしゃらないのでは?」
だがそんな優一郎の心配を気にする風でもなく、立城がにこにこと笑いながら首を傾げる。
「事も一応は収束したようだし。気分転換にいいかと思って」
そう言いながら立城が歩き出す。何とはなく、優一郎はそれについて歩いた。来た道を逆戻りする格好で立城の部屋の前に辿り着く。立城はバッグから一枚のカードキーを取り上げて客室の鍵を開けた。お茶でも飲む? と促されて優一郎も立城に続いて静かに入室した。
ええと、と考えるような顔をしてから立城が肩を竦める。手にしていたバッグをベッドに放り、立城は指を鳴らした。すると空中に大きなスーツケースが現れる。それはゆっくりと宙を滑り、床に降りた。スーツケースを開いた立城がクローゼットに向かって歩き出す。優一郎は不思議に思いながらベッドの縁に腰掛けた。
「あ、そうだ。先にお茶をいれるね」
そう告げた立城がコースを変えてキッチンに向かう。歩く立城に合わせて揺れる髪は今日は珍しく濃い茶色に染まっている。
「外に出られるから、髪の色を調整されたのですか?」
「あ、うん。これはちょっと」
言葉を濁してから立城がキッチンに消える。優一郎は首を捻って腕組みをした。ここのところ、立城との接点は少なく、その様子は部屋に仕掛けたカメラを介してしか見てはいない。だが納められた画像に特に問題があった風でもなかった。
考え込む優一郎の元に立城が戻ってくる。小さなテーブルを引き寄せてその上にどうぞ、とティカップを乗せてから立城はまたクローゼットに向かっていった。
「母上。ちょうど正月休みだったことと、如月老が対応してくださっているので、吉良瀬系企業の動揺は最低限に抑えられています」
ですけど。そう呟いて優一郎はじっと立城の背中を見つめた。立城がそうだね、と小声で言って振り返る。両手にいっぱいの服を抱えて立城は開いたスーツケースのところに戻った。膝をついて一枚ずつ丁寧に服をたたんでスーツケースにしまいこんでいく。
「伝達用に一人、使い魔を残しておくから」
そう言ってから立城は軽く指を鳴らした。すると立城の傍らの空気が揺らぎ、一人の幼い少女が現れる。長く柔らかそうな髪は淡い桜色をしている。困惑顔で立城と少女を見つめ、優一郎は息を潜めた。
「お初にお目にかかります。わたくしは桜と申します」
以後お見知りおきを。桜と名乗った少女がそう言って深々と優一郎にお辞儀をする。喋っている言葉と容姿がまるでそぐっていない。
「吉良優一郎です。こちらこそ、よろしく御願い致します」
優一郎は妙な違和感を覚えつつも桜にそう挨拶した。桜は再度、優一郎に軽く頭を下げてから立城の傍に膝をついて座った。
「立城さま。わたくしが準備致しますので」
「あ、じゃあこっちはお願いするね。僕は下着を取ってくるから」
にこやかに言って立城が腰を上げる。はい、と頷いた桜が生真面目な面持ちでスーツケースに服を納めていく。桜の容姿は小学生低学年程度にしか見えない。あどけない面立ちに身体つきも随分と華奢だ。真紅の目が白い肌の中で異様に浮いて見える。確かにこれでは対外用には使えないだろう。奇抜さを狙うならともかくとして、他企業などを相手に交渉をする役には到底就けない筈だ。
「これくらいあったら足りるかな」
そう言って首を傾げながら立城が桜の元に戻る。その手には大量の下着が抱えられていた。
「かなり、長い間出られるのですか?」
優一郎は寂しそうな表情で告げた。すると立城が困ったように笑う。
「大丈夫。僕も自分の世話くらいは何とかするから。……桜。それはこっちに寄せた方が入りやすいよ」
まるで親子か歳の離れた姉妹のようだ。立城と桜のやり取りをぼんやりと眺めながら優一郎は胸中でそう呟いた。桜ははい、と立城の言葉に頷いて言われた通りにスーツケースの中身を動かす。立城に差し出された下着の一枚一枚を丁寧に畳み、桜は手際よくそれをスーツケースに詰め込んでいった。
「母上。それでは留守はお任せください」
優一郎は決意を込めて頷きながら告げた。すると立城がそんな優一郎を見て酷く寂しそうに微笑む。それから立城は小物をスーツケースに納めながら言った。
「……何事もないと思うよ。今は水輝も大人しいしね」
ぽつりと呟かれた言葉に優一郎はぴくりと眉を上げた。化粧品は出先で買えばいいよね、と立城が呟く。桜はそんな立城にはい、と頷いてみせた。
「衣類は旅先でホテルのクリーニングをご利用になるといいかと思います。化粧品などの消耗品もご希望であればホテルで都合をつけてもらえるかと」
滑らかな口調で桜が語る。うん、そうだよね。桜に頷いてから立城は腰を上げた。優一郎は出された茶を啜りつつ、立城の様子を注意深く見た。だが思惟は完全にシャットアウトされていて欠片すら見ることは出来ない。見た目には立城の様子はいつもとそう大差なく思える。
「あの、母上。機体のままで、本当に大丈夫ですか?」
「うん。多少の修復は自分で出来るし、ストレスが溜まったらその辺の人を捕まえるから」
さらりと答えながら立城がベッドの上に放り出されていたバッグを取り上げる。スーツケースのところに戻り、立城がバッグを桜に預ける。その後、スーツケースの蓋を閉めかけたところで立城が困ったように笑った。
「ちょっと詰めすぎたね」
そう言って立城が桜を抱え上げる。スーツケースの上に下ろされた桜が正座して座る。すると桜の重みの分だけ、スーツケースの蓋が閉じた。立城がそこで蓋を強引に押さえて留め金を嵌める。
「母上。やっぱり、許可できません」
考え抜いた末に優一郎は静かな声で告げた。スーツケースから桜を抱えて下ろしながら立城が何故、と微笑む。
「心配しなくても平気だよ。自分の世話はちゃんとするし」
言いながら立城がスーツケースを引き起こす。
「では、言い方を変えましょう。マスターとして命じます。部室外への外出を禁じます」
「どうして?」
立城は不思議そうな面持ちで優一郎を見ながら首を傾げた。その傍らに立つ桜が赤い目でじっと優一郎を見つめている。その目や顔にはどんな感情も浮かんでいないように見える。機械の身体をしている立城より、桜の方が随分と生身から離れた雰囲気をしているのだ。優一郎は目の前に立つ二人を見比べてため息をついた。
「力が充分回復なさっていれば、機体でない宿体を構成できるはずです。機体で無くなれば僕のマスターとしての命令は立城さんを縛りません」
「うん、そうだろうね」
微笑みを浮かべて立城が頷く。
「でも、力が必要な事態は発生しないと思うよ。もし万が一、何かがあったら桜を通して報せるし、問題はないでしょ?」
だからお願い。そう言って立城がにっこりと笑う。その横に立っていた桜が優一郎に深々と頭を下げる。
「わたくしからもお願いいたします。どうか、立城さまに外出の許可をください」
淡々とした声で言ってから桜が頭を上げる。そんな桜の頭を立城は優しく撫でた。よく出来たね、と微笑みながら桜の頭を撫でる立城の手つきは、とても優しい。
「わかりました。その代わり、報告は内蔵通信機を用いて毎日お願いします」
「ああ、これかな」
そう言って立城がスカートの中に手を入れる。直後、優一郎のシャツのポケットに入っていた携帯端末が鳴った。ちゃんと通じてるね。そう微笑んでから立城がスカートの中で少し手を動かす。すると小さな電子音は途切れた。
「それでは、わたくしは立城さまのお見送りに行っても宜しいでしょうか?」
あくまでも生真面目な顔で桜が優一郎に問う。
「はい……。母上、いってらっしゃいませ。お気をつけて」
「うん。さよなら。頑張ってね」
立城が柔らかな笑みを浮かべて優一郎に告げ、静かに歩き出す。立城に手を引かれる格好で桜が後に続く。ベッドに座ったままそれを見送った優一郎は、誰もいなくなった部屋で深々とため息をついた。
焦ってるのでもしかしたら改行ミスとかあるかも……。
すみませんです。