「大丈夫だ。死んだわけじゃない。それにもし何年も寝たままだったとしても寿命から考えればたいした事は無い」
淡々と告げた透に巴がため息混じりに言う。
「そうですよね。順様ですし……」
順の髪の色は今では真紅に染まり変わっている。指で瞼を押し上げてみると瞳も同じ色に染まり変わっていることが判った。どうやら順に何事かがあったらしい。だがそれは判っても透は具体的に何があったのかを知ることは出来なかった。
判っているのは順がちょっと特殊な存在だということだけだ。龍神とも違う。かと言ってハンターでもない。あの夜、透が会った順はそのどちらとも違って見えた。髪と瞳の色は変わっていても、その本質は違わないのではないだろうか。透は考え込んで菓子を食べる手を止めた。
「ま、どーせそのうち嫌でもあいつに振り回されることになるさ」
独り言のように呟いた透の言葉にちなりが慌てたように顔を上げる。
「それってもしかして透くんが大変なの? だったらちなり、嫌だなあ」
子供のように唇を尖らせてちなりが言う。そんなちなりの肩をまあまあ、と巴が叩く。
「いや、まああいつも俺に振り回されるだろうが、あいつは自分からあえてそれを望んでいるようなところがあるからな」
「それってぇ、あの人が透くんのこと好きってこと?」
今度は一転して嬉しそうにちなりが言う。こうして見ていてもちなりの表情はころころと変わって面白い。あの日、ちなりが活動を停止してしまった日に見せた哀愁を帯びた顔つきは今はどこにもない。
「ちょっと違うな。まあ、ある意味興味はあるんだろうが」
「順様ってちょっと不思議なところがあるお方ですよね」
こちらは少しは事情を知っているからだろう。しみじみと巴が言う。透は苦笑して置いていたフォークを取り上げた。メイドにおかわり分の茶を注がせてから今度はケーキに取り掛かる。
今、木村グループと呼ばれる木村財閥の仕切る企業等を実質的に動かしているのは透だ。恐らく、順は最初からそれを目的に透に近付いたのだろう。出来る気概と度胸を見込んで、最初から透に全てを譲るつもりでいたのだ。
多分、順はあの時、本当は死ぬつもりだったのではないだろうか。そうでなければわざわざ遺言状の形で全てを遺すことはなかっただろう。だがどういった経緯で順がそうなってしまったのかを透自身は探ろうとは思わなかった。とりあえず利用出来るものはありがたく利用させてもらうことにしよう。順が例えいつか目覚めてもそのことに関してはきっと文句など言わないに違いない。
「まあ、あのアホ女との決戦も近いしな。巴、勝敗に拘らなくても別にいいからな。お前にできることをしてくれればかまわない」
「はい!」
元気良く返事して巴が微笑む。にっこりと笑って透が頷いたところで部屋のドアが鳴った。透が返事するとドアを開けた執事が一礼する。
「失礼致します。透様、順様のお見舞いをしたいという方がみえられているのですが」
いかがいたしますか。執事がそう続けて顔を上げる。
「どこのどいつかによるな」
「それが……幼い女の子で」
困ったように執事が僅かに眉を寄せる。名を訊ねたらしいが、少女は明音としか名乗らなかったのだという。しばし考えてから透は席を立った。
「会おう」
今現在、木村の研究機関では幼い子供を用いたあらゆる実験が行われている。もしかしたらかつて順の作り出した子供の一人かも知れない。執事に導かれて透は応接室に入った。ソファに腰掛けていた少女がにっこりと笑って立ち上がる。
「こんにちは、初めまして。アタシは明音っていいます」
行儀良く頭を下げて明音が言う。透はじっと明音を見てから執事に下がるように言った。執事が深々と一礼して退室する。
「あんたねー! 気持ち悪いからやめろっていったでしょ!」
執事が出て行った後、透は寒気を堪えるように腕をさすりながら明音に喚いた。すると明音がちっ、と舌打ちする。
「なんだあ、ばればれかあ」
残念、と言いながら明音が指を鳴らす。それまで纏っていた少女らしさを捨て、明音は身軽にソファに飛び乗り、足を組んだ。しばし黙してから透はため息をつきながらソファに腰掛けた。
「また、悪趣味なことを」
「いやあん。覗かれちゃった」
嬉しげに笑いながら明音が答える。間違いない。この明音は順なのだ。が、明音はどうやらわざと人間の器を纏っているらしい。しかもその方法はかなりえげつない。ざっと明音の中身を読んだ透は深々と息をついて頭をかいた。
「あのさあ。その魂、ずっと泣かせとくのか?」
野郎なら放置しとくが、子供といっても女泣かせるのはなあ。そう呟いたところで透は口をつぐんだ。茶を運んできたメイドが静かに入室し、二人の前にそれぞれ紅茶を置いてから退室する。それを見送った明音が苦笑を浮かべ、ショルダーバッグを探って煙草を取り出す。
「寂しいよう、痛いよう、助けてってずっと泣いてるんだよね。たまに相手してあげると、また可愛くてねぇ」
くすくすと笑いながら明音が煙草に火を点ける。透は顔をしかめてこめかみを押さえた。明音の言ったことは言葉通りの意味ではない。明音が取り込んだ少女の魂はさめざめと泣いている訳ではない。断末魔の悲鳴を上げつづけているのだ。
絵美佳って呼ぶ癖がついてる周囲ですw