「でもそろそろ飽きただろ。もらうぞ」
そう言いながら透はバルコニーに置き去りにされていた雪だるまを一つ、手の中に引き寄せた。次いで明音に手を伸ばす。明音はそんな透をにやにやと笑って眺めている。透は明音に差し伸べた左手にその魂を引き寄せた。続いて雪だるまの中に静かに魂を移し変える。するとそれまで微動もしなかった雪だるまがくしゅん、とくしゃみをした。
「あーあ。折角、楽しかったのに」
明音がくすくすと笑って雪だるまを見る。雪だるまは辺りを懸命に見てから明音を見止めると慌てたように透にしがみついた。
「さてと、ここから本番だ。お前は、あられ、霰だ」
優しく囁きながら透は雪だるまを軽く掲げた。すると手の中で雪だるまが真っ白な光を帯びる。次いで雪だるまは弾けてその姿を変えた。手のひらに乗るサイズの小さな妖精のようなものが現れる。それは透の手の中で跪き、深々と頭を垂れた。背中には透明な羽根がついている。
「お見事。さっすが、絵美佳ちゃん」
だらしない笑みを浮かべて明音が煙草をふかす。その声を聞き取ったのか、透の手に乗っかっていた霰がぎくりと肩を竦めて震えだす。どうやら使い魔になっても記憶は少しは残っているらしい。
「凍矢」
「お呼びでしょうか」
透の呼びかけに答えて凍矢がすぐに姿を現す。透は手の中の霰を凍矢に差し出した。
「こいつにまあ、なんだ、新人研修みたいなことをやっておいてくれ」
「畏まりました。それでは失礼致します」
恭しく礼をしてから凍矢が透の手からそっと霰を取り上げる。霰はすぐさま凍矢の胸に飛び込んだ。よほど明音のことが怖いらしい。凍矢の胸にしがみついて震えている。それを見たのだろう。明音が呑気に声を上げて笑う。
「そつないねえ、絵美佳ちゃん。この子もキミが作ったの?」
にやにやと笑って明音が凍矢を指差す。凍矢は主人の命がないからだろう。じっと黙ったままだ。
「下がれ。アホ菌が伝染るぞ」
「承知致しました」
一礼して凍矢がさっさと姿を消す。それを見ながら明音が苦笑する。
「アホ菌って、人をばい菌みたいにさぁ」
ぼやきながら明音が頭をかく。透はそんな明音を見て小さく笑った。魂が不在の状態では器を維持しにくいのだろう。既に明音の身体は少しずつ透け始めている。
「まあ判っているとは思うが、俺の物には手を出すな。何かあった時に協力のために力を貸させるのは状況次第ではかまわないが」
俺の物をお前の愉しみのために差し出すつもりはない。そう続けて透はティカップを取った。はいはい、と明音が苦笑する。
「オレは別にキミのモノを取るつもりはないよん。あの子はまあ、あれでいんじゃないの? ちょっと不遇な人生だったみたいだしね」
そう言いながら明音がまだ長さのある煙草を灰皿に押し付ける。テーブルに身を乗り出したまま、明音は困ったように笑った。
「まあ、生きてたのは良かった。一応、心配はしてやったんだぞ」
ありがたく思えと透は明音に言った。すると明音がうん、と頷く。
「ありがと。絵美佳ちゃんが居てくれて助かったよ。オレ、まだやることあるしね」
歯切れ良く言って明音がソファを飛び降りる。それから明音はまたショルダーバッグを探り始めた。今度は小さな黒いカードを取り出す。
「なんだ?」
「死亡予定時刻と名前と場所。……ちっ。今度は男か」
心底嫌そうに明音が言う。透は訝りに眉を寄せて立ち上がった。テーブル脇に立つ明音に近付き、小さな手の中のカードを覗き込んでみる。だが、透の目にはカードは黒いままで何かが書かれているようには見えない。
「男なら俺は文句は言わないぞ」
笑って透はそう言った。すると明音が嫌そうに顔をしかめたまま、透を見上げる。
「いいもん。すぐに乗り換えるからー」
間延びした声で言ってから明音が右手を軽く差し伸べる。その手の上に黒い宝珠が現れる。それを見た透の心臓が大きく跳ねる。反射的にあの夜のことを思い出してしまったのだ。
「元の身体に戻る気はないのか?」
胸をさりげなく押さえて透はそう訊ねた。すると突然、明音の喋り方が曖昧になる。
「あー……うん、まあ……今はちょっと、ね」
それを聞いた透はため息をついて肩を竦めた。そうしている間にも明音の身体が少しずつ透けていく。
「ま、気が向いたら戻って来い。その間は俺が好き勝手しておいてやるから安心しろ」
「なんか怖いなあ」
そう言いながら笑って明音が頷く。明音は右手を軽く振って宝珠を鎌の形に変えた。器は変わっていても鎌のサイズは違わない。明音の方が鎌に引きずられているようにも見える。明音は軽々と鎌を持ち上げ、肩に乗せてから透を見上げた。
「とーるクン。キミの戸籍っていまどうなってる?」
不意に真顔で明音が問う。透はしばし考えてから肩を竦めた。そんなことを気にしたことはない。
「そういえば、このなりで吉良絵美佳だと主張するには無理がありすぎるな」
「もしさ」
そう言ってから明音が透に向き直る。自分の格好をまじまじと見下ろしていた透はふと気付いた。そういえば透という名を明音に名乗った覚えはない。なのにどうして明音はその名を知っているのだろう。
「キミが良かったらさ。オレの子供にならない?」
「ああ。そのほうがいろいろ都合がいいだろうしな」
透は軽く頷いて言った。明音がにっこりと笑って手を叩く。
「んじゃ、そう書き換えておくね。ま、実際、書き換えるのは優一郎くんなんだけどさ」
あはは、と笑って明音が唐突に姿を消す。おい、と言いながら透は手を伸ばした。だがその手は空しく何もない場所を薙ぐ。透はため息をついて頭をかいた。
任された優一郎が大変なだけという……w