「母上。いったん母上の部屋に移動しましょう」
「あ、うん」
慌てたように立城が頷いて両手にスーツケースを持ち直す。左手で押さえられていた立城の首筋には赤い痕が残っている。それを見止めた優一郎は訝りに眉を寄せた。立城が率先して優一郎の部屋のドアを抜ける。優一郎は黙って立城の後をついて歩いた。
鍵を開けた立城が客室に入る。続いて入室してから優一郎はドアをそっと閉じた。スーツケースをベッドに乗せた立城が深い息を吐く。
「母上、情報はどこまでご存知ですか?」
言いながら優一郎は手近なベッドに腰を下ろした。スーツケースの蓋を開けた立城が困惑顔で首を傾げる。
「とりあえず僕が婚約したって話が飛び交っているってところかな。一体、誰だろうね。そんなばかばかしい話を流したのは」
疲れたため息を吐きながら立城がスーツケースの中を探る。
「情報の出所は吉良瀬系の情報機関です」
淡々と告げた優一郎を立城が驚いた顔で凝視し、手を止める。
「は!?」
僅かに遅れて立城は裏返った声を上げた。それからまさか、と笑ってスーツケースの中から紙で包まれた箱を取り上げる。はい、お土産。そう差し出されて優一郎は大人しくそれを受け取った。
「食堂、というコードネームで呼ばれている組織はご存知ですか?」
今回の件があるまで、僕は知らなかったんですけどね。にっこりと笑ってそう付け足して優一郎は立城を見つめた。すると立城が目を見張って何度か瞬きをする。
「い、いや、それは……あの」
騙してるつもりはなかったんだけど。立城がそう言って俯く。スーツケースに寄りかかっている立城のブラウスの襟元には幾つかの赤い染みがある。優一郎はそれをじっと見つめてから立城の手に目をやった。袖の長いブラウスに隠れてはいるが、手首には赤い跡が見え隠れしている。もしかしたら立城はここに帰る途中、誰かに乱暴されたのではないだろうか。
「その組織にコンタクトをとろうとしたんですが、基本的に母上の、しかも女性体の母上が直轄する組織だとの事で、拒否されました」
「え!? 今はもう、笹原さんが組織をまとめているんでしょ?」
驚いた声を上げて立城が顔を上げる。本当は立城が不要と判断した時点で組織は解体されることに決まっていたらしい。が、それは惜しいと言い出した人物が丸ごと、その組織を引き受けることになったのだ。立城は焦った声で口早にそう説明してみせた。
「あくまで、組織の責任者は神崎紫さんという女性になっているそうです」
「そんな……だって僕はあれからずっとあの組織は放置してて」
困惑しきった顔で言ってから立城がその場にへたり込む。どうして、と力なく呟いてから立城はため息を吐いた。
「あと、誓約上でもそうです。白鳥琴美さんという方はご存知ですか?」
優一郎は静かな声で告げた。ああ、と頷いて立城が立ち上がる。スーツケースを床に退けた立城は力なくベッドに腰を下ろした。その横顔は憔悴している。
「彼女とはいつも喧嘩をしていてね。そうか、琴美さんはまだ組織にいるのか」
気をつけないといけないと言っておいたんだけど、聞いてくれてるかな。立城がそう呟く。優一郎は僅かに目を細め、手の中の箱に目を落とした。
「琴美さんは既に故人になられたそうです。葬儀の連絡は無視されたそうですね」
「え!?」
驚きの声を上げて立城が首を横に振る。
「僕、そんな話、聞いてないよ!」
引っくり返った声で言って立城が優一郎の手首を握る。
「いつ!?」
「一昨年だそうです」
静かな声で優一郎が告げると立城はそっと手を離した。そうか、と呟いて俯く。
「それ、水輝は知ってるのかな」
彼女、水輝のことが好きだったんだよ。立城がそう呟いてため息を吐く。優一郎はしばし黙って立城を見つめてから告げた。
「誓約は、あなたへの想いに紐づいています。言うまでも無いことですが、故人が相手とはいえ、誓約は有効ですので」
そう優一郎が言った途端、立城が慌てたように顔を上げる。
「は!? なに言ってるの。琴美さんは水輝を好きだったんだよ? 僕とはいつも喧嘩をしていて」
そこまで言ってから立城が唇を引き結ぶ。立城が嘘を言っている様子はない。が、恐らく立城自身も今の優一郎の言葉で何となくは察したのだろう。困惑した面持ちで視線を彷徨わせる。
「とりあえず、なぜこういう状況になっているか、組織にどのような意図があるのかは僕には不明です。しかし煽られたマスコミを放置しておくわけにもいきませんので、緊急対処をとりました」
戸籍の書き換えや記者会見の設定の約束等の件について優一郎は端的に説明した。それを聞いた立城がうん、と頷く。
「判った。ごめんね、色々と手数をかけて」
そう言って立城が頭を下げる。それから立城はふと気付いたように優一郎を見つめた。
白鳥琴美というキャラクタは名前だけ出てきます。
えーとー……別の話があるんですけどー(汗)
原稿がー(汗)
そのうち公開出来るようになればします……(汗)