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冷ややかな感触に立城は眉を軽く寄せて薄く目を開けた。真っ白なものが目に飛び込んでくる。それが床だと気付くまでに少々時間がかかった。立城は痛む頭を押さえて小さく呻き、その場に身を起こした。ぼんやりとした目で周囲を見る。
そこは異様な広さを持つ空間だった。真っ白な床と天井は見える。だがその果てがわからない。天井には等間隔に光るものが並んでいるが、それが蛍光灯なのか、それとも別の何かなのかすら判別出来ない。立城はしばしその景色を眺めてからため息をついた。どうやらここは冥界ではないらしい。
「母上、誓約の間へようこそ」
聞きなれた優一郎の声に立城はのろのろと振り返った。清陵高校の制服に身を包んだ優一郎の横にはタキシードを身につけた水輝も立っている。立城はぼんやりとそれを眺めてからため息をついた。
「……これは何の冗談?」
掠れた声で言いながら立城は目元をそっと拭った。そこで気付く。いつの間にか立城の身体は成人女性のものへと変化していた。着ているのは見覚えのない藤色のドレスだ。腕には長く白い手袋もつけられている。
「冗談ではありません。誓約の管理者として、これより誓約の履行確認の儀を執り行わさせていただきます」
優一郎が静かな口調で告げる。立城は目を細めてじっと優一郎を見た。確かに冗談ではないようだ。この場に満ちた力は尋常な大きさではない。立城はため息をついて立ち上がった。水輝が静かに歩いて立城の目の前に立つ。
「それでは水輝さん。履行を求める誓約の申し立てをお願いいたします」
優一郎が促す。すると水輝は立城に指を伸ばした。そこでああ、と呟いてから水輝が右手の手袋を外す。それから改めて水輝は立城の胸元に指を伸ばした。右手の人差し指が立城の胸元に触れる。その瞬間、立城は顔をしかめて水輝の手を振り払った。
「触らないで」
「別に取って食いやしない。少し大人しくしろ」
水輝が特に感情のこもらない声で言ってから再度、立城の胸元に手を伸ばす。立城は歯を食いしばって水輝を睨みつけた。水輝に言われた瞬間に動けなくなってしまったのだ。
触れた場所から遠慮のない探索の力が立城の器に侵入する。水輝の力に導かれ、ずっと隠し続けていたものが器の表面に浮かび上がる。指先に引かれて現れたそれを立城は素早くつかみ取った。銀色の細いリングが立城の手の中に納まる。
「力があるからって……何でこんな……何でこんな目に合わなきゃならないんだ!」
手の中にしっかりと指輪を握って立城は叫んだ。それはかつて真也がくれた、大切な指輪だ。指輪を握った手を抱きしめるように胸に寄せた立城に水輝が疲れたように言う。
「別に取って食いやしないっつったろ。いいから貸せ」
「人の大事なものを暴いて満足? これは僕の大切な宝物なんだ。貸せと言われて貸せるわけ、ないだろう!」
差し出された水輝の手を乱暴に払って立城は声を荒らげた。すると水輝が無言で立城の手をつかむ。片手に持っていた花束を床に落とし、水輝は立城の手首をつかんで指輪を強引にもぎとった。
「こんなの内側にこめられてたんじゃ落ち着かないだろが」
しかめ面で言ってから水輝が指先につまんだ指輪を天井に向かって放り投げる。あっ、と声を上げて立城は水輝の手を振り切った。高く放られた指輪に懸命に腕を伸ばす。
不意に水輝が指を鳴らす。すると銀色の指輪は鋭い光を帯びた。次いで硝子が砕けるような音がして指輪が静かに立城の手の中に落ちてくる。水輝の力は細い鎖となり、指輪に通っていた。呆然とそれを見つめる立城の手の中から水輝が静かに指輪を取り上げる。水輝は黙って指輪のついたネックレスを立城の首にかけた。
「んじゃ、改めて」
呆然と目を見張る立城の目の前で水輝が床から花束を拾い上げる。それを立城に突き出してから水輝は言った。
「つーわけで、おれと結婚しないか?」
「……は?」
言われている意味は判ったが、その意図が理解出来ずに立城は眉を寄せた。花束と水輝をまじまじと見比べる。水輝が差し出しているのは色とりどりのコスモスの花束だ。普通、コスモスは切花としてはとてももちが悪く、花束には使わない。恐らく水輝は花の根元に力を固定しているのだ。
「何のために?」
立城は訝りをこめて水輝を睨んだ。腕組みをして眉を寄せる。水輝が花束を突き出した格好のままで顔をしかめる。
「何のためって……普通、結婚っつったら」
「権力や財産、それらのものを効率よく手に入れるためにするものだ」
戸惑ったような水輝の声に立城はきっぱりと答えた。すると水輝が面食らった顔になる。立城はため息をついて優一郎に顎をしゃくった。
「残念ながら今現在、僕にはそれらの力はない。用立てなら彼にしてもらえばいい」
「あ、あのなあ」
呆れたように言ってから水輝が頭をかく。立城は肩をすくめてから水輝を睨みつけた。
「話はそれだけ? 全く……人があえて心を読まないようにしているのに」
呻くように言ってから立城は額を指で押さえた。すると水輝が力ない声を上げて花束を振る。
「違うだろ! 結婚の一般的な目的っつったら!」
「僕には違わない」
それとも思考を読んでみせようか? 立城は剣呑な声でそう告げた。途端に水輝がぴたりと押し黙る。立城はため息をついてからちらりと優一郎を見た。優一郎は唖然とした面持ちになっている。
「君も、それから君も」
立城は水輝と優一郎を交互に指差した。
「思惟を読まれる不快さは知っているからしないだろう? 僕ももう出来るだけそういうことはしないように務めてきた。だが、それが気に入らないというのなら以前と同じ手を使うよ」
淡々と言ってから立城は水輝の持っていた花束に向かって指を鳴らした。すると根元に固定されていた力が弾け、一瞬でコスモスが散る。
ものすごい行き違いがあったのがやっと判ります。