※この作品はR-18です。

俺の知らない私がシた事   作:あかん子を説法

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メインキャラお品書き

・秋原蒼司(あきはらそうじ) 主人公 TSっ娘

元デカくて有望だった早熟球児。中学の時期にTS病発症。
今は見る影もなく、ショートヘアーにしようがボーイッシュスタイルにしようがどう足掻いてもちっちゃくて可愛い少女。ちっぱい安産型。
体型とか親友の事とか、最近気になる事がいっぱい。性格は元は朗らかガキ大将だったけど今はナイーブでゲロ重。

・木村太一(きむらたいち) 親友

蒼司とは幼い頃からの付き合いで現役高校球児(三軍)。子犬系男子。だが最近は成長期で大型犬になりつつある。
ポジションはセカンドでそこそこ守れるけど死ぬ程打てない。
めっちゃいいやつだけど、何か隠してる……?


前編

 

 

 

 中学二年の春、俺こと秋原蒼司(あきはらそうじ)の身体は女子になった。

 始まりは、確か部活のランニングで直ぐに息が上がってしまう事からだったか。

 体力が落ちて、身長が縮み始めて、身体の節々が痛みだしてからは早かった。

 

 金玉が外に出なくなって、信じられない様な激痛が下腹部を襲った。

 高熱が出て、病院に運ばれて、それでも良くならなくて。

 丸々三ヶ月。病室のベッドで意識が朦朧としている間に、骨格から何から変わり果ててしまった。

 

 

 

 医者曰く原因不明の病、TS病。世界的に症例の少ない奇病で根治不可。

 180cm近かった背丈は150cm代を割り込むまで縮んで、同年代で一番広かった肩幅は一番狭く華奢に。

 これまで鍛え上げてきた筋肉の全ては張りを失って、細く柔く、丸くなった。

 

 命に直接関わる病気じゃなかったんだから幸いだ。

 可愛くなれて良かったじゃないか。

 

 「え、お前あの蒼司⁉︎ ……か、かわいー」

 

 慰めの様に皆が言った。

 

 確かに、普通のガンとかで苦しみながら痩せ細って死んでいくよりはマシかもしれない。他人から見たらメリットがある様にも見えただろう。

 けれど、俺にとっては違う。寝込んでいた間に失った物は、殆ど命と同じだった。

 

 「はぁっ……はぁっ……!」

 「ちょっと! 秋原ちゃ……くん! オーバーワークですよ⁉︎」

 

 プロを目指してやっていたんだ。

 巷じゃ才能があると言われてたし、活躍出来れば親にも褒められて弟にも尊敬されて、何より楽しかったから。

 これまでの人生の大半の時間を野球に注いでいたのに。それが完膚無きまでに失われてしまった。

 

 まだ若いんだから大丈夫だ。悲観するな。

 分からず屋の大人達は悉くそう返した。

 でも、十年だ。身体と技術を鍛える為に費やした決して短くない時間、それも大事な子供の期間を、命と呼ばずして何と呼べば良いだろう。

 

 「先生! 秋原さん? くん? がまた倒れて……!」

 

 最初は他人の手助けが無いとトイレにも満足に行けやしなかった。

 出る位置の変わった小便の抑えが効かないせいで、何度屈辱を味わったか。

 

 歩く事も、立ち上がる事も出来なくて、それを何とかする為のリハビリでまた三ヶ月。必死に取り戻した所で、絶望した。

 それだけの時間頑張っても50メートルも全力で走れなくて、縄跳びも満足に飛べやしなかったのだ。

 

 身長は縮んだまま、伸びる事はない。

 筋肉もどれだけ鍛えたとしても前と同じ様には付かない。

 

 普通の怪我や病気でダメになったのと一緒。場合によっては失った物は、二度と元に戻る事はない。

 

 一緒。そう、一緒。

 そんな訳がない。義足のランナーを始めとした五体不満足の人間の活躍を見て、思ってしまった。向こうの方が遥かにマシじゃないかと。

 

 「大丈夫だよ! 秋原くんは頑張り屋さんだから、きっと他の事で何か……」

 「可愛いしタレントさんとか目指そうぜ! ほら! 珍しい病気だし」

 

 脆くなった心身に集まった安い同情と好奇の視線は、確実に俺の人生にトドメを刺した。

 

 

 

 俺、これ以上生きていても仕方が無いじゃん。

 

 

 

 分かった瞬間ふっと身体が軽くなった気がして、いつの間にか曇天模様の河川敷にいた。

 過程をよく覚えていないけれど、多分そのまま川に入って死のうとしていたんだと思う。

 

 何も無くなったから。自信も生きる目的も、何もかも。

 

 

 

 「いや、ソージはソージだろ」

 

 しかし、幸運な事に。

 唯一そう言ってくれる親友が残っていた。

 

 名前は木村太一(きむらたいち)。幼少の頃から近所で付き合いがあって、少年野球から中学での野球部までチームも共にしていた、当時は細くて小さい、猫みたいに人懐っこい人柄の幼馴染の男子だ。

 

 「えっ……」

 

 どうしてそこに居たのか、どうしてその言葉が投げ掛けられたのか。

 茫然としていたせいでこれまたよく覚えてない。

 けれど、事実彼だけは。

 

 「性別が変わっただけ、野球が出来なくなっただけで疎遠になるとか……そんなの寂しいじゃん」

 

 彼だけは、自分を好奇の目で見ずに元のまま、接し続けてくれた。

 

 「でも、もうなんにも……」

 「何にも無くたっていいっしょ! 俺はソージが居なくなったら寂しいって言ったの! あー恥ずかしい!」

 「キャッチボールとかだって……」

 「ここにゲームがあるじゃろ? ふっふっふ、野球ばっかりだったから分からんのか?」

 「っ……!」

 

 真っ直ぐ言ってのけてはにかんだ、その顔は今でも忘れない。

 

 「取り敢えず一緒に遊ぼうぜ!」

 

 

 

 お陰で一時期どん底まで堕ちた人生は少しだけマシになった。

 当然勉強とかで凄まじく苦労したり、相変わらずな周囲の人間の茶々に悩んだりもしたけれど。得難い物を得ていた幸運な自分はそれらを乗り越えて、今では元気に高校にも通えている。

 

 「ありがとな太一。お前は俺の一生の親友だ」

 「お、おう……」

 「むっ、照れないでくれよ、こっちまで照れるじゃねーか! にひひ」

 

 そう。一度終わった人生で、彼は唯一残された救いだった。

 

 

 

 しかし、いつからだろう。その親友の様子がおかしくなったのは。

 

 

 

 時期は分からない。ただ視線を合わせると、何故か不自然によく逸らされる様になった。前までこんな事無かったのに。

 

 直ぐに可能性が過った。異性として意識し始めたんだろうか、と。

 仕方ないとは思う。身体は歳を追うごとに女性らしさを増して、肋の浮いていた胸には慎ましやかにも膨らみが出来たり、背は伸びていないのにズボンの尻周りがキツかったり、分かり易く変化し続けている。

 高校からは制服もスカートだし、リボンが付いて見てくれだけはすっかり可愛いJKだ。自分が彼の立場なら、意識してしまう気がする。

 

 そもそも、幾ら親友とはいえ、特別な感情無しにここまで助けてくれるなんてあり得るのか。

 

 「ほんと物好きだよなお前……こんなのと何で一緒にいられるんだ?」

 「自分をこんなの呼ばわりするなよ。一緒にいた方が楽しい、それだけじゃ悪いのか?」

 

 家で一緒に遊んでいる時にさり気なく聞いた何とも嬉しい言葉だけれど、その本音がこうだったら。

 

 異性として好きになってしまった。だから親身になった。

 

 そこにショックを受けずにいられる自身は無い。隠しているだけで、彼も他の人間と同じになってしまっていた、なんて。

 

 そんな最悪の未来を何度も考えた。考えるだけで気分が悪くなった。

 

 そうだったとして、誰が責められる?

 動機がどうであれ、もう恩恵に預かっている。それを悪くは言えない。

 自分勝手な落胆は胸にしまって押し殺して、何とか円満に断るべきだ。

 

 俺は元男だ。未だに性的対象は女性で、男子を異性として見られない。

 周りの目もある。こんな自分と恋愛するなんて、不幸になるだけだ。

 

 太一は、こんな自分とは違う。俺には勿体無い位いい奴だ。

 彼が不幸になるなんて耐えられない。普通の女性と幸せになって欲しい。

 

 「彼女出来ないぞ、いいのか」

 「別にまだ要らないし……そもそもモテないからな!」

 「んな事ないだろ、だってお前……」

 「えっ、何? 女子がなんか噂してた?」

 「……いやいい、教えない」

 「そんな殺生な!」

 

 知る事によって、断る事によって関係は壊れてしまうかもしれない。

 でも、準備はした。だから大丈夫。何があっても、疎遠になったとしても、彼は永遠の親友だ。

 

 そのスタンスは、何があっても変わらない────

 

 ────筈だった。

 

 けれど違った。変わらない物なんて有りはしない。

 気付かない内に、俺と太一の関係は狂い始めていた。

 

 これは、そんな馬鹿な俺が、どうしようもない自分に気付いてただ無様に破綻するまでの話。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 はっきりとした異変を感じ始めたのは、高校二年。七月に入ったばかりの、茹だる様な暑い日の事。

 その日は朝から何故か気分が悪くて、お腹が痛かった。

 

 風邪かな、下痢が出るのかな。

 

 そう思いトイレに駆け込んで、初めての血の海を見た。

 

 改めて突き付けられる、自分が女になったという決定的事実。

 立ち込める血生臭さ。吐き気が迫り上がって、耳鳴りが劈く。

 

 ショックと体調不良で、少しの間口元を手で押さえたまま、立ち上がれなかった。

 

 そう言えば医者が言ってた……普通に生殖機能があるとか何とか。別に要らないのに。

 今後は毎月これに悩まされるのか。生理用品とか買わなきゃダメなのかな。どうやって処理すれば良いんだこれ。

 色々考えたらもう更に憂鬱で、俺は頭を抱えて項垂れる。

 

 熱っぽくて重怠い。動ける気

 がしないし、学校も休も

 うと思った。

 

 けれど、休めばもしかしたら母親に悟られるかも。

 

 ちくり、心に棘が刺さる。

 別に隠す必要なんて無い筈なのに。寧ろ助けを求めて然るべきなのに。

 恥ずかしさと妙な罪悪感が胸に渦巻いて、バレたくないと思ってしまった。

 

 

 

 最初はそんな、本当に振り返ってみればそうかな、という程度の些細な違和感だった。

 大きな出来事に際して起こった、考えている事と気持ちと行動、それぞれの歯車が何となくズレた感覚。

 とてもじゃないけれど、当時は気にする事なんて出来やしなかった。

 

 

 

 (うー、がさもそする……)

 

 座っていると、フィット感の無い男物下着の中の折り畳まれたトイレットペーパーが気になって仕方なくて身動ぎしてしまう。

 

 「太一くん、今日朝練だって」

 「……へー、珍しい」

 

 そういえば昨日、そんな事言ってたな。大会前だからとか何とか。

 

 よりにもよってか……。

 

 一人での登校は尚更億劫だ。太一が一緒じゃないと、女性専用車両に乗る羽目になる。

 席が空きやすいのは良いけど、どうしても女性だけの空間は居心地が悪い。

 かといって、彼無しで乗ると────

 

 「あら、あんた顔色悪いんじゃない?」

 「悪くない、っ……ご馳走様、行ってきます」

 

 結局俺は母さんとの会話も、朝食もおざなりに学校へ向かった。

 

 「おはよう」

 「あぁ、おはよう……」

 「……どうした? 体調悪いのか?」

 「っ、ちょっとな……」

 

 日頃よく顔を合わせる母親が気付く程度、だなんて過小評価していた。余程酷い顔をしていたのだろう。教室で会うなり、朝練帰りの太一が声を掛けて来た。

 出来れば隠したかったけれど、難しかったか。

 

 「顔色悪いぞ、それに、なんかちょっと……」

 「たっ、太一くん! ちょっと!」

 

 クラスメイトの女子が遮った時点で恐らく、完全にバレた。

 どうしても血生臭かったのだ。自分でも分かる。股の方から魚市場みたいなニオイがしていた。

 

 なんて恥ずかしい。太一にだけはバレたく無かったのに──

 

 と、その時だ。眩暈がしてふらついたかと思えば景色が回って、その末衝撃と共に暗転した。

 

 

 

 次に目を覚ましたのは保健室のベッドの上。

 薄目を開けると、目の前にはツンツンした頭髪の色と同じ、少し茶色がかった、芝犬みたいな眉を顰めるよく見知った顔があった。

 

 「…………ん、あれ、太一……?」

 「っ! 戻ったのか……?」

 「はは、大袈裟だぞ……っ?」

 

 この時身体に妙な違和感があった。

 下っ腹の方、鈍痛の内側から火照る様なもどかしさが、きゅううっと暴れる感じの妙な生々しさ。

 舌の先にもじーんと痺れが残っていて、口惜しい様な、切ない様な。如何とも表現し辛い、快とも不快とも呼べる感覚だった。

 

 「……?」

 「……じ、じゃあ、俺は授業戻らなきゃ、だからさ」

 「おう……?」

 

 首を傾げている間に、彼は逃げる様にそそくさと去って行ってしまった。

 

 なんだ、そそっかしいな。

 ……まあでも、こんなんだし、仕方ないか。

 

 「おや、起きたかい」

 「あっ、先生……」

 

 一抹の寂しさの後、入れ替わる様に当学校名物、グラマー体型に白衣を着たステレオタイプな保健室の先生が来て話してくれたので、大方何が起こったのかは把握出来た。

 自分が貧血で倒れた事と、それを太一がここまで運んで来てくれた事。あと男物下着インザトイペという処置の甘さへのお叱り等々。

 此方の事情を知っていた様で、態々道具の提供から生理中の注意点までレクチャーしてくれた。

 

 「生理中は今日みたいに貧血起こしやすいから、鉄分摂る事心掛けた方がいいよ」

 「はい、有り難う御座います」

 「宜しい。じゃあ授業戻る? 早退する?」

 

 鈍痛は酷いし少しふらつく。でも我慢出来ない程じゃ無い。

 一人で帰るのも怖い。

 迷った末、決断した。

 

 「うーん、せっかくなんで、頑張ります」

 「そ、じゃあ頑張って」

 

 太一にしっかり御礼を言わないと。

 ああでも、教室……気まずいなぁ。

 

 案の定、生暖かい目で迎えられた。

 一年の下積みで既に築かれている。良く会話を共にしているだけで、周り的には太一と自分は公認のカップルらしい。

 口出しし易い女子達は、こぞって様子を伺って来た。

 

 「秋原さん、その、どうだった?」

 「大丈夫だよ。ありがとう」

 「あおちゃんあおちゃん!」

 「ありがとう」

 

 秋原蒼(あきはらあお)。それが外での、今の自分の名前。

 高校の皆は、自分が元々男だった事を知らない。だから単純に、特別仲の良さそうな男女ペアとして、意識して囃し立てる。

 

 一時期はこれが嫌で、学校でだけでも疎遠になろうとした事もあった。

 しかし、一人でいると何かとトラブルの多い自分を見兼ねたのだろう。彼は普通にしとけ、と言って人前でも付き合いを止めようとはしなかった。

 

 ────でも、俺とカップル扱いなんて……。

 ──別にどうだって良いだろ、そう思わせておけばいいじゃん。その方が変なトラブルは減るだろうし。

 

 煩わしいだろうに、本当に頭が上がらない。

 

 いつもの窓際の彼の隣に着席後、日頃の感謝も込めて、出来る限り普通に、おかしくないように俺は礼を言った。

 

 「あー、太一! その、ありがとな! 態々運んでくれて!」

 「……いいって、気にすんな」

 

 彼はまた、一度も目を合わせてくれなかった。

 

 

 

 シャワーが滑らかな肌を打つ。

 お湯はべたつく汗や血生臭さを流してくれる。けれど、肝心の内側の方。臍下の不快感や胸の内のどろどろをさらってはくれない。

 

 心の準備は出来ていたつもりだった。

 つもりに、なっていた。

 

 ただ一歩踏み込んで、彼の本心を尋ねる。

 聞き出して、勘違いならそれで終わり。違うなら────

 

 そこでどうしても思考が止まってしまう。

 その先を想像出来なくて、したくなくて。

 歯車に異物が放り投げられたみたいに引っ掛かって、動かなくなってしまう。

 

 蛇口を締めて、鏡の中の自分を覗いた。

 水の滴る黒髪短髪。男子と大差ない髪型にも関わらず、色が薄くて少し厚い唇や細く嫋やかな顔の輪郭のせいで、あどけない女子供に見える。

 引いて全身を確認すれば、より酷薄だ。体毛一つ無い華奢な裸体には、微かな胸の山と腰回りの膨らみでしっかりとくびれたラインが出来ていて、鼠蹊部の線で出来た逆さ山の頂点は、一本の筋だけを残しつるんとしてしまっている。

 

 また、尻ばっかに肉が……。

 

 数年前は姿見に収まり切らなくなった自身の身体に喜んでいたのに。

 

 今では収まって余りある程すっかり小さく成り果てた。

 柔らかくてすべすべの、可愛がられるだけで何も出来ない弱い身体に。

 

 「……はぁ」

 

 深い溜め息と一緒に、不愉快な気分を吐き出した。

 

 気持ち悪い。

 

 暗い喜びを覚える自分がいる。鏡の向こうの可愛い女の子に、欲情する俺が。

 けれども興奮して勃つ逸物はなくて、代わりに豆みたいに小さな突起が張り詰める。

 

 「ぅっ……」

 

 股間を包む様に掌を当てた。そのつるんとした起伏の無さを実感させられて、張った部分に触れば痛む。

 

 本当に酷い。痛いばっかりだ。

 

 それで冷める。鏡の中の女子が、自分だと気付く。

 

 「はぁっ、はぁっ、っ……!」

 

 呼吸が荒くなって、頭がじんと痺れる。居ても立っても居られず、風呂場を飛び出した。

 

 「うおっ!」

 

 一瞬触れた大きなユニフォームから懐かしい土混じりの汗臭いニオイが香る。

 顔を上げれば、そこにあるのは昔の自分にそっくりな風貌。

 弟と鉢合わせてしまった。

 

 何で……もう帰ってきて……。

 

 「……なんだ、いたのかよ」

 

 突き放す様な視線が、いつもの如く冷たく見下ろす。

 見逃せなかった。その中に一瞬灯った、恥の混じった邪な熱を。

 

 「っ〜〜〜〜!」

 「お、おい!」

 

 身体も拭かず、服も着ず。何度か転びながら二階に駆け上がって、自分の部屋に入って鍵を掛けた。

 

 「ふーーっ! ふーーっ! ふーーっ、っ……!」

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い────

 

 膝を抱えて小さく丸まって、荒ぶる激情を抑え込む。そうでもしないと、嫌悪で皮膚が裏返りそうだ。

 細腕を跡が付く程握り締める。それでも震えが止まらない。

 目頭が痛んで、熱い液体が頬を伝う。

 

 「ふぅっ……ふぐっ……!」

 

 泣くな。気持ち悪い。やめろ。泣くな。

 落ち着け。落

 ち着

 け。

 

 

 …………。

 

 ……大丈夫。

 明日になればまた太一に会える。大丈夫。またいつも通りだ。大丈夫、ダイジョウブ────

 

 

 

 「……い、おい!」

 「……ん?」

 

 月日は過ぎて、夏休み前最後の授業の日。教室で太一の声が呼び掛ける。

 

 「何ぼーっとしてんの?」

 

 そうだ、今、帰りのHRが終わったんだった。

 

 「帰らねえのか?」

 「そっちこそ、部活は?」

 「……今日はサボりだ」

 「も、でしょ。まあどーせ太一レギュラーは無理だしねぇ」

 

 毎日忙しそうな弟とは違う。万年三軍の彼の立ち位置は実質幽霊部員で、同好会同然である。

 同じ立場のメンツと暇な時、気が合った時だけ顔を出し、好き勝手に小さめのグラウンドで野球を楽しむのだという。

 何ともまあ、羨ましい立場だ。自分も、せめてこんな身体じゃなければ。

 

 「うっせ! 意地悪言う奴は置いてくぞ!」

 「あ、ごめんてっ、ちょい待ってっ!」

 

 照り返すアスファルト。揺れる蜃気楼と、騒々しい蝉の声。

 強烈な陽射しの中、二人並んで通学路を歩く。

 

 「あぢー……太一仰いでー……」

 「嫌だよ、俺もあちい」

 「じゃあ俺がお前仰ぐからさー……」

 「お前の風弱過ぎて届かねえよ」

 「う゛ー……」

 

 また、身長差が開いた気がする。

 頭一つ分くらいだろうか。目線が肩に当たる。一歩の幅も全然違って、相手が合わせてくれているのが分かる。

 

 「なー、また背ー伸びたぁ?」

 「……身長の話はタブーじゃ無かったのか?」

 

 勿論、あまり良い気分じゃない。

 男子はどんどん大きくなったり、声が低くなったり。

 自分以外皆そうで、置いて行かれた様な気分になる。

 ただそれでも知りたい事があって、会話を途切れさせたく無くて、無理にでも話を振った。

 

 「対象が俺じゃ無ければ良い」

 「んだそれ……まぁ、多分伸びたなー、今176位か?」

 「はっ、なんだ昔の俺の方がデカいじゃん」

 「おいおい成長期だぜ俺は。今に抜く」

 「……なんか悔しいから、成長止まる様に今の内に膝の骨端線を削るキックをお見舞いしてやる」

 「やめてくれ、180cmは欲しいんだっ」

 

 ……やっぱり。

 

 心なしか、会話からぎこちなさが取れている様な。

 もしかして、考え過ぎだったか?

 ちょっとしたすれ違いが時間で解消した、なんて事も全く経験に無い訳じゃ無い。有り得る話だ。

 

 「そだ、今日久々にお前んちでス○ブラやらね?」

 

 何気なく、彼の顔を覗き込んで尋ねた。

 

 「俺ん家ならまあ、大丈夫だ」

 

 目を逸らさずの二つ返事だった。

 この提案、異性として意識しているなら、何かしらの兆候があって然るべき。

 それが無いという事は────

 

 ……なぁーんだ、気のせいだよな、そうだよな!

 

 快晴の空。今の天気の如く、心の靄が晴れた気がした。

 

 これで何の憂いも無し。その日その後はそう言わんばかりに、彼の部屋でこれまで通り、いつも通り。

 

 「ふっ、ひひっ! めっちゃ跳ねてるっ! あははははは!」

 

 身体の性別は関係無く、お互い同性として。一番気が合う友人としての時間を満喫した。

 

 「そうだ明日から夏休みじゃん! 次何して遊ぶ?」

 「慌てんなって、時間が合った時にその都度決めていけばいいだろ」

 「えぇ〜、計画性の無い奴め」

 「夏休みの宿題毎年一夜漬けの人間がそれを言うか?」

 「ぐっ……今年こそは、余裕をもって終わらせます……」

 「言ったな? 覚えておくからな」

 「忘れろ忘れろー、じゃあなー」

 「……じゃあな」

 

 別れ際の玄関での会話も、子供の頃と変わらない。

 危ないから送っていこうか? なんてキザなセリフも言わない。

 それが安心する……まあ、自分の家まで徒歩一分とかだからってのもあるだろうけど。

 

 名残惜しさを感じながらも、今後の楽しみに胸を躍らせ帰宅した。

 

 「ただいまー」

 「おかえりなさい……随分ご機嫌ね」

 

 母親の出迎えで一気に熱が冷める。

 門限、ちょっと遅れたか。

 

 「っ、べつに、そんな事ないし!」

 「また太一くん家?」

 「そうだよ、何か悪い?」

 「迷惑掛けてなければ、別に良いけど……」

 「だったら突っ掛かんないでよ!」

 

 足音を俄かに苛立たせ、「あっ……もうすぐご飯だからねー」という声を振り切って、向かった先の浴室に閉じ籠った。

 

 ……はーあ、やだやだ。

 

 女子になってからというもの、兄弟だけじゃない。両親との仲も何処となくギクシャクしたままだったりする。

 

 男の頃は、お母さん、こんなに小煩い感じじゃ無かったのにな。

 

 向こうも扱いに困っているのだろう。心配してくれているのは伝わって来るけれど、どうしても腫れ物扱いだ。

 

 父も、母も、弟も。

 凄く仲が良かったのに。

 

 家に居場所は無く、居心地は年々悪くなるばかり。

 家族が居るのに、その輪の中で孤独を感じる様になっていた。

 

 とはいえ今の自分に一人で生きていく能力は無いから、頼らざるを得ない訳で。

 渋々、その日も食事を共にする。

 

 『天気は明日も晴れ。最高気温も上がって蒸し暑く────』

 

 今日も父の帰宅は遅く、夕飯の食卓を囲うのは母と弟と自分だけ。

 テレビの音が虚しく流れるだけで、そこに会話は無い。

 

 「…………」

 

 隣の弟に、何やら言いたげな視線を感じる。

 前までは意識的に疎外していた感じだったけれど、やはりあの時取り乱したのが良くなかったんだろうか。

 

 「……ご馳走様でした」

 

 居た堪れず、早めに食べ終えた俺はそそくさと席を立って食器を台所に下げる。

 すると母親がまた小煩く声を掛けて来た。

 

 「そうちゃん、あんたもう食べ終わったの?」

 「うん」

 「ちゃんとよく噛んでないでしょ? 身体に悪いよ」

 「知らないよ……自分の部屋行ってるね」

 「あんたねぇっ、っもう……」

 

 言葉を交わすと、どうしてもこうなってしまう。そんなつもりはないのに。

 構って欲しくない訳じゃない。けれど、無理に構われるのは嫌だ。

 そんな我儘な理由で不機嫌を振り撒いて、階段を上がり自室に戻った。

 

 ドアを開ければ、ふわり。男子っぽい部屋の模様にそぐわない甘いミルクみたいな香りに出迎えられる。

 

 「……はぁ」

 

 冷静になって改めて嗅いだそれが不意に気になってしまって、深くため息を吐いた。

 これもそうだ。男子の頃はこんな匂いじゃなかった筈だ。

 

 もう差異を思い出せない自分に苛立ちながら、ベッドの上に乱暴に腰を下ろした。

 

 …………どうすればいいんだろう。

 

 どれだけ自問しても、良い答えは返って来ない。

 あても無く、自室をただぼーっと見渡す。

 

 大概の物が変わってしまっている中、唯一この部屋の模様だけはあまり変わっていない。

 壁に掛けられたままの、ファンだった有名なプロ野球選手のユニフォーム。

 打席でスイングする瞬間が切り取られた画像が印象的な、四年前の四月のカレンダー。

 勉強机の上に飾られっぱなしのサインボール。

 

 見ると胸がずきりと痛む。

 でも決して片付けられない。部屋の模様まで変えてしまったら、本当に自分が変わってしまう気がするから。

 

 その机の横に立て掛けられたもう振れないバットも、もうサイズの合わないグローブも────

 

 …………あれ?

 

 無くなっている。仕舞った覚えなんて無いのに。

 というかよく見たら、あちこちに何処か違和感を感じる。

 衣類の入った箪笥の、下着の入ってる場所が開きっぱなしだったり、ゴミ箱のティッシュがてんこ盛りで溢れていたり。

 散らかした覚えの無い場所が散らかっている気がする。

 

 誰か、別の人間が勝手に入ったみたいに────

 

 「っ……!」

 

 明白だ。勝手にこの部屋に入る様な人間なんて一人しか居ない。

 

 血が沸騰し、頭にのぼってカァーっとなる。

 息を荒げ、足音を鳴らして僕は階段を降りていく。

 向かう先は、恐らくまだ居間にいるであろう弟の所。

 

 「紅葉(クレハ)! お前僕の部屋勝手に入って何した⁉︎」

 

 ソファーの上で寛ぎながら野球観戦していた彼は、腹の底から大声を上げて怒鳴った此方へ首だけ向け、少し目を丸くしながら「は? 何言ってんだ?」とすっとぼける。

 俺はその胸ぐらを掴んで押し倒し、馬乗りになった。

 

 「ちょっ、おいっ!」

 「とぼけんなよ! 机の横のバットとグローブ何処やった⁉︎」

 「知らねえよ!」

 「ぅあっ!」

 

 しかし、体格の良い弟を抑え込むには体重も力も足りない。簡単にひっくり返される。

 バランスを崩した身体は、ごっ。背中と頭を床に打ち、鈍い音を響かせた。

 

 「っ、ぐっ……!」

 「あっ……」

 

 痛みに顔を顰めた自分を見て、弟の目が一瞬見開かれる。

 恐らく余りにも此方の身体が軽くて拍子抜けしたのだろう。

 

 「ちょっとちょっとちょっと! 二人共突然何?」

 

 母親が駆け付けて事情を尋ねた。

 弟は「いや、兄貴が急に掴み掛かって来て……」とありのまま答える。

 俺もまた意見しようとしたけれど、言葉は喉を通らない。代わりに震える涙声が咽ぶ。

 

 「ぅ゛っ……ぐすっ、ぅあっ……」

 

 あれっ? なんでだ?

 悔しくて苦しくて堪らない。感情が乱れて、全くコントロール出来ない。

 

 「そうちゃん⁉︎ くーちゃんアンタっ」

 「何だよそれ……勝手に何か疑って、勝手に転んで勝手に泣くって……」

 

 悪者にされそうな流れに、弟のバツの悪そうな困惑と蔑みが吐露される。

 そんな言い方、しなくても────

 

 「お前やっぱ兄貴なんかじゃねぇよ」

 「っ────」

 

 

 

 決して弟は悪くない。彼にだって感情がある。

 彼はスポーツ万能のカッコいい兄を尊敬し慕っていた。

 それがこうして変わり果てて、恥を晒している。そこにショックが無い訳が無い。

 

 失ったのは自分だけじゃ無かったというだけであって、あって然るべき、至極当たり前の話だ。

 けれど、その言葉は俺の心の息の根を止め兼ねない程深く抉った。

 

 

 

 ぷっつり。どん底に落ちたあの時と似た様に、そこで意識が一度完全に途絶えた。

 次に気が付いたのは、朝ではなく昼。

 

 太一の家のベッドで一人、目を覚ました時だった。

 

 「……んぁ?」

 

 彼の部屋には男の頃何度も泊まった事がある。だから自室と違う模様の天井にいきなり驚きはしなかった。

 ただ寝惚けた頭が懐かしい気分に浸った後、ずんと重くなって冷めていく。

 

 うそ、何でだ?

 

 その問いに対する答えを用意していたかの様に、するするとここに至るまでの過程が実感と共に脳裏に浮かんで来る。

 確かに今、何か途絶えてた気がしたんだけれど────

 と、そこで部屋のドアが開く。

 

 「あっ」

 

 短く声を上げて其方へ目を向けると、目の下に隈を作った親友の、少し怪訝そうな顔が覗いた。

 

 「…………」

 

 彼は暫し何も言わず、バツの悪そうな此方を観察する様に目を細めてから、「……起きたかバカソージ」と、溜め息混じりの悪態を吐く。

 その様子だけで、自分が何か迷惑をかけた気がして目を伏せて謝ってしまう。

 

 「ご、ごめん……」

 「はぁーほんとだよ。夏休みの宿題なんて、ちょっとずつやりゃこんなしんどい思いせずに一、ニ週間で終わるのに」

 

 そうだ、夏休みを満喫する為に彼と連日、徹夜して宿題を終わらせようとして────

 

 ……あれ?

 

 記憶も気持ちも、色々繋がらなかった。

 じくり。胸の先と、割れ目が痛む。よくある痛みだ。

 

 「何素っ頓狂な顔してんだ」

 

 彼が顔を覗き込んで来る。

 急いで思い出さなきゃ。

 

 「えっと……朝方こっち来て、宿題答え合わせやっと終わって……その後すぐ、寝落ちしたんだよな……?」

 「そうだよ。っ、あーっと、ああ、何でベッドで寝てんのかって? そりゃあれだ、すまん。かーちゃんがちゃんとベッドで寝かせろって」

 

 ……? 弟に転がされたあの後から、どうしてこうなったんだっけ?

 

 朝昼は彼の家で、夜は互いの部屋でビデオ通話を使って、相互監視体制で宿題を進めていった事は明瞭に思い出せる。

 ただ、肝心のあの喧嘩の顛末がすっぽり抜け落ちていて、一連の話がまるで夢の中での出来事みたいに朧げだ。

 

 無くなったバットとグローブだって見つかっていない。弟との仲も最悪のまま。

 

 ────なのに、何でだろう。何で何も解決してないのに、楽観的な感情が湧いて来るんだろう。

 

 「はー、これじゃ最終日一夜漬けとあまり変わら、無くはないか……ふあーあ」

 

 彼は一つ大欠伸をしてから、ベッドに腰を下ろして笑う。

 

 「ま、良かったな。これで心置きなく夏休みを満喫出来るぜ」

 「そう、だな」

 

 俺は気分に流されて、これからの楽しみに思いを馳せ、あまり深くは考えられなかった。

 

 

 

 いや、考えたくなかったから考えなかっただけかもしれない。

 怖くて仕方ないから、目を背けたんだきっと。

 いずれ最悪の形で向き合う事になるのに。

 

 

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