────時間はブラックキャットとクモンガーの戦いから、少々遡る。
藤崎家の居間で茜が出て行くのを見送った隼人は、ほんの少しだけ思案した後、寝室で眠っている葵に向けて簡単な書き置きを残すと、素早く身支度をして茜の後を追った。
自問はあった。
茜も一人の人間だ、行動を束縛されたくはないだろうし、心配だからと言ってつけ回されたくはないだろう。
まだ少女とはいえ外出に保護者の付き添いが必要な年齢ではないし、軽率な行動をするような
だが、茜が去り際に見せた、緊張と不安を含んだ顔……
あの顔を見て、それを放置できる隼人では無かった。
後をつけて、何もなければそれでよし。
もし恋人と会って、その後ホテルに行くような気配であっても、相手がよほど悪そうな人種に見えない限りは立ち去るつもりであった。
その想像をしたときに、胸の奥にモヤモヤとした何かが湧き上がったが、隼人はあえてそれを無視し、茜の追跡に意識を集中した。
だが、この時点ですでに、茜の姿は隼人の視界にはない。
普通の人間であれば、GPSで追跡でもしない限り、茜の後を追うのは不可能であろう。
だが、隼人は違った。
彼は悪の組織
隼人には、いや、ペニッシャーには、チンコ以外にもいくつかの特殊な改造手術が施されている。
その中の一つが『ペニッシュスメル』だ。
ペニッシュスメルとは、簡単に言えば嗅覚によって人物を特定し、その人間を広範囲にわたって追跡するための能力である。
もともとペニッシャーは
ただし、前述した目的の為に付与された能力であるので、対象は女性限定。
しかも、覚えて識別できるのは、その女性の
こんなイカレた条件を付けた科学者は殺していい。
なので、もちろん隼人が覚えているのも、茜の性的な部分の匂いであった。
そしてこんなイカレた能力であるにも関わらず、その効果範囲は半径10キロにも及ぶ。
故に、どれだけ離れていようとも、半径10キロ圏内にいるのであれば、隼人は茜を追跡することが可能なのだ。
隼人は、鼻をヒクヒクと動かしながら、茜の匂いを追った。
そして、日が沈むにつれ、匂いがどんどん街外れに近づいて行くにつれ、最初に感じた嫌な予感が高まっていく。
ようやく隼人が追跡していた茜に追いついたのは、街に住む人間の活動範囲からは大きく外れた場所にある、寂れた廃工場であった。
いったい、茜はこんな場所に何の用があるのか……
最悪の予感に胸をざわつかせながら、隼人は見つからぬよう距離を取って、茜の様子を観察した。
すると────
「変、身……っ」
そう力強く茜が呟いた瞬間、彼女の体が一瞬で変化したのである。
それは、隼人も何度かテレビで見たことがある、女性ヒーローの姿だった。
体のラインを強調した、光沢のある薄いスーツ。
頭の上でピコピコと動く、可愛らしいネコミミ。
そして、尻の辺りから生えた長い尻尾……
なんと茜の正体は、そのエロい見た目から男性の間でオナネタとしても大活躍している正体不明の女性ヒーロー、ブラックキャットだったのだ!
かく言う隼人も、何度かブラックキャットが戦闘員に敗北する妄想で抜いたことがあり、過去の自分の行いによって地味に精神的なダメージを受けた。
そして、その隙を突くかのように、ブラックキャットは高く跳躍すると廃工場の屋根に飛び乗ってしまう。
どう見てもそれは、人間の身体能力ではあり得なかった。
隼人のように肉体を改造されたならまだ分かるが、現在のヒーロースーツにそこまで装着者を強化する性能などは無いはずだ。
さらなる混乱が隼人を硬直させている間に、ブラックキャットに変身した茜は廃工場の中に忍び込んで行ってしまった。
もはや考え込んでいる場合ではない。
隼人は素早くズボンを脱ぎ捨て、チンコを時計回りに高速回転させてペニッシャーに変身すると、ブラックキャットと同じように廃工場の屋根に飛び乗った。
そして、割れた窓から中を覗き見る。
すでに、戦闘は始まっていた。
ブラックキャットに相対するのは、蜘蛛のような頭部を持った怪人。
その胸元に輝く三本のチンコを模した意匠のバッジから、
その構成員である怪人の能力は、隼人が改造されたペニッシャーを見ても分かる通り、無駄に高い。
現に眼下の戦いは、蜘蛛男が優勢に進んでいた。
二本の腕と背部の節足を巧みに操り、ブラックキャットを確実に追い込んでいっている。
隼人は迷った。
今すぐ助けに入るかどうかをだ。
助けに入ること自体は簡単だ。
二人がかりで戦えば、蜘蛛男を倒す事は容易だろう。
だが、それが果たしてブラックキャットの────茜の意に沿うことなのかどうか……
茜が扮するブラックキャットは、一年も前から活動しているヒーローだ。
そして茜はそのことを、隼人はおろか母親の葵にすら秘密にし続けてきた。
どのような事情が、どのような覚悟が、茜にあるのかは分からない。
だが、自分が助けに入ることで、彼女の覚悟を、そして成長を邪魔してしまうのでは無いか。
そんな思考が頭を
だが────
「クモッ、クモッ、クモッ……さあ、年貢の納め時だ、ブラックキャット。
……なあに、殺しはしない。総統閣下からのご命令だからな。
しかし……これまでに散々邪魔をされた、憂さ晴らしには付き合って貰うことになるがなぁ」
────そのセリフを聞いた瞬間、隼人の中で何かが切れた。
「そこまでだッ、
気づけば、隼人は全力で叫んでいた。
今回はヘルメットの外部通話スイッチを入れ忘れていないので、ちゃんと相手にも聞こえている。
窓から工場内部にあったコンテナの上に飛び乗った隼人は、クモンガーを指さしながら睨み付けた。
お前などに、茜を好きにさせはしない。
茜は……………………オレの女なのだからっ!
自分の中の茜に対する認識が、すでに家族から別の存在になっていたことを、この時の隼人はまだ気づいていなかった。