つかの間、過去の記憶に思いを馳せていた茜は、表情を引き締め直すと、出来るだけ人目を避けるようにしながら夕暮れの街を駆けた。
目的地は街外れの廃工場。
そこに怪人が出入りしている、という情報が齎されたからだ。
一年前のあの日────
ミドリから渡されたアナルビーズ……ではなく
原理を説明されても茜には理解できなかったが、あのA.N.Aは装着者の意志を感じ取ると、内部に情報化して収納されている、10億を超える数のナノマシンを即座に展開。
僅か0.2秒で、装着者の体を強靭さと軽さを併せ持ったスーツで包み込み、『ヒーロー』へと変身させることが出来るという代物だったのだ。
なぜ、そんな貴重なものが茜に預けられたのか。
それはミドリがいくつもの調査と実験を繰り返した結果、A.N.Aの適合者が女性────それも少女と言われるような年若い年齢の女性に限られ、しかも強靭な肉体と精神力を有している必要があると判明したからだった。
茜は父を失った後、まるで自らを罰するかのように心身を鍛えてきた。
もう二度と己の無力さのせいで大切な人を失わないように、護身術や武術も習ってきた。
そしてその鬼気迫る姿が、A.N.Aの候補者を探していたミドリの目に偶然止まった、というわけだ。
ミドリの期待に応え、茜は見事にA.N.Aへの適合を果たして見せた。
それ以来、茜はヒーローとして────正体不明の女性ヒーロー『ブラックキャット』として、悪の組織と戦い続けてきたのである。
だが、これまで彼女が戦ってきたのは、組織の末端である戦闘員だけであった。
今回目撃された『怪人』と呼ばれる存在は、戦闘員の上位にあたる文字通りの『怪人』である。
異形の外見を持ち、特殊な能力を持ち、その戦闘能力は戦闘員の比ではない。
もし、本当に怪人がいたとして、自分に勝てるのか……
そんな不安を抱いていたせいで、いつもであれば母や隼人にバレないように自室の窓からこっそり外に出ていたのを、今回はうっかり玄関から出ようとして隼人に見つかってしまったのだ。
強引な言い訳をして無理矢理出てきてしまったが、隼人は変に思わなかっただろうか。
もし恋人がいるとか、不特定の男と遊んでいるヤリマンだなんて思われたりしたら……
怪人と戦う不安と同じくらいに、想い人である隼人からの評価を不安に思っていると、いつの間にか、茜は目的地である廃工場へと到着していた。
「ここか……」
誰に言うともなく呟きを漏らすと、茜は一度目を閉じ、深く息を吸った。
ここに来て、迷っている暇も不安を感じている暇もない。
迷いは心を弱くし、不安は動きを鈍らせるだろう。
そんな状態で怪人に挑むなど、自殺行為もいいところだ。
そして深く息を吐き出した茜が目を開いたとき、そこにはもう、迷いも不安も存在していなかった。
「変、身……っ」
茜の決意と言葉に、A.N.Aが反応した────
説明しよう!
A.N.Aは未知の科学力によって作られているオーパーツを組み込んだ、アナルビーズ型のヒーロースーツである!
装着者の強い意志によって起動し、僅か0.2秒という時間でナノマシンによって構成されたヒーロースーツを形成するのだが、その為には装着者が体内にA.N.Aを埋め込んでいる必要がある!
もちろん、外科手術によって茜の内部に埋め込まれた訳ではない!
女には、A.N.Aを入れるのにちょうどいい穴が二つもあるのだ!
つまり、マンコとアナルである!
処女である茜が選んだのは、当然アナル!
初めては隼人のために取っておきたいので当たり前である!
そして、抜けにくいように、とアナルビーズ型に作ったミドリに罪はない。
機能性を重視したら、結果としてあの形になってしまっただけである。
────その姿を女性ヒーロー『ブラックキャット』へと変身させた茜は、音も立てずに約10mほども跳躍すると、廃工場の屋根に降り立った。
古代の超技術が組み込まれたA.N.Aには、装着者の身体能力を補助する機能も付いているのである。
気配を殺しながら、茜は────いや、ブラックキャットは、廃工場の屋根から身を乗り出して、割れた窓から内部の様子を伺った。
すると…………いた。
怪人である。
その姿は蜘蛛をモチーフとしているのか、背中からは複数の節足が放射状に生え、異形の頭部には八つの目が周囲を睥睨するように並んでいた。
怪人である以上、あの目が飾りということはないだろう。
つまり、蜘蛛型怪人に死角はないと考えた方がいい。
厄介な相手だ、とブラックキャットは内心で舌打ちをした。
ブラックキャットはパワーよりもスピードを重視した肉弾戦を得意としており、これまでの戦闘員たちとの戦いにおいても、素早い動きで相手を攪乱し、死角の外からの攻撃によって仕留めてきた。
その戦法が通じないとなれば、正面切っての実力勝負を挑むしかない。
だが、怪人との戦闘経験がない自分に、果たしてそれが出来るだろうか……
……いや、迷いは捨てたはずだ。
ブラックキャットは意を決して窓の内側に身を滑り込ませると、蜘蛛型怪人の背後に降り立った。
「…………クモッ、クモッ、クモッ……よく来たな、ブラックキャット! わざわざ、このクモンガー様の餌食になりに来たとも知らずになッ!」
そして、こちらを振り返りもせずにそう告げる蜘蛛型怪人クモンガーの言葉に、自分が罠に誘い込まれたことを悟ったのだった。