エネミーについてなにか情報が掴めるかもしれない、と思って俺は生徒会室へ足を運んだ。だけど、そういえば。前回、俺は生徒会室を飛び出したんだっけか。しかもあれから生徒会へ顔を出していない。立華、怒っているだろうか。
あいつが怒っているところって、見たことないんだよな。怒ることあるのだろうか。俺はあれこれと考えながら、生徒会室の扉を開ける。
「桜木くん?」
と、大量の書類と向き合って、事務作業をしている立華と目が合った。
うむ。やはり、怒っている様子はない。立華は怒らない女の子だ。
「立華。頼みたいことが――」
すると、ぷいっ、と立華はそっぽを向いた。
「た、立華?」
「桜木くんにはこの間、逃げられたから。手伝ってあげないわ」
怒っていた。
だけどキレているというよりは、子供が拗ねるような、そんな怒り方であった。
とはいえ悪いのは圧倒的に俺、桜木 春斗でございます。というわけで全身全霊、完全なる反省の意を表すため、がばああ! と、その場で綺麗な土下座を決めた。
「桜木くん?」
「この通りだ! 立華、本当にごめん!!!」
「そこまで言うのなら、わかったわ」
はい、ちょろい。勝ち確です、対戦ありがとうございました。
俺はあくどい笑みをこらえきれないまま、立ち上がる。瞬間、立華はまたもぷいっとそっぽを向いた。
「あ、あれ?」
「なんだかひどい悪意を感じたわ」
バレている!
かくなる上は、あれだ。
俺はその場で背中を仰け反らせ、豪快なブリッジを決めた!
「桜木くん?」
「立華、この通りだ! ごめん!!!」
「それはなに」
「ブリッジ土下座だ。土下座より一つグレードが高い」
「そこまで言うのなら、わかったわ」
はい、やっぱりちょろい。どの道勝ち確でした、対戦ありがとうございます。
俺が元の体勢に戻すと、立華はまたもぷいっとそっぽを向いた。
「あああ、あれ? 何故? また?」
「やっぱりひどい悪意を感じるのよ」
バレている! これは大変だ!
仕方ない。ここはアレを使います!
俺はその場で高くジャンピング、膝を思いっきり打ちつけながら土下座をした。
「桜木くん?」
「この通りだ! 立華、今度こそは本当の本当にごめん!!!」
「その土下座、膝痛くないのかしら」
「鍛えている人じゃないと骨が割れるので、良い子は真似しないでください!」
「体を張っているのね。今度こそわかったわ」
はっ、やっぱりちょろいよな。イージーイージー、お疲れ様でした。
俺が元の体勢に戻すと、立華はまたもぷいっとそっぽを向いた。
「あれ? デジャブ?」
「なんだかあなたを信用出来なくなったわ」
見透かされている!?
仕方ない。ついに、あの奥義を見せる時が来たようだ。伝家の宝刀、ジャンピングブリッジで――。
「――って、話がグダグダすぎるだろおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「ぐほうっ⁉」
突如として現れたゆりの飛び蹴りで、俺は吹っ飛んだ。
ゆりは仁王立ちして大声を上げる。
「お前らいつになったら本題に入るのよ!? 同じやり取りが続きすぎて、これがもしもWEB小説だったら「あれ? これコピペかな? WEB小説の規約に引っ掛かるんじゃないかしら?」って、なっちゃうくらい同じやり取りだったからああああああ!」
相変わらず豪快なツッコミだ。立華はきょとんとしている。
「くっ、ナイスツッコミだ、ゆり。さすがは戦線のリーダー」
「こんなことのためにリーダーやっているんじゃないわよ。というか、なんであたしがこの場へ駆けつけなきゃいけないのよ。天使はあたし達の天敵なのよ!」
「まあまあ、せっかく集まったんだ。三人で話していこうじゃねえか」
立華は書類作業をする手を止めて、こちらを向いた。
「なにか用なの?」
「ああ。エネミーについてな」
「エネミー?」
小首を傾げる立華に、俺は説明する。戦線メンバーが狙われていること。エネミーが立華と同じ力を操ること。そして、彼らが「粛清」という言葉を使ったこと。
立華はクールな無表情のまま、こくこくと頷く。そしてその愛らしい口を開く。もしかすると、今回の件でこの世界の真理がわかるかもしれない――。
「なにも知らないわ」
わかりませんでした。
俺はその場でずっこける。
「マジかよ! 殺人だぞ?」
「不審者の話なんて出ていないわよ。桜木くんだってそうじゃないの?」
「まあ、そうだけどよ」
エネミーを知ったのは、ゆりから話を聞いた時だ。だけどゆりの話では、そのもっと前から被害に遭っていたようだ。
ゆりは腕を組みながら、ため息をつく。
「やはり、NPCに被害は出ていないようね。目撃情報もない」
「それじゃあ、立華は本当になにも知らないのか」
こくり、と立華は頷いた。
「物騒ね。殺されるなんて」
「ねえ、天使。彼らはあなたと同じ力を使うの。全くの無関係ってことはないわよね?」
「そう言われても、あたしは本当に、なにも知らないわ」
「さて、どうかしら? どうとでも言えるわよね」
「信じてくれないのね……」
「ふん。話す気はないってことね。ま、最初から期待していなかったわよ」
険悪な雰囲気のまま、ゆりは生徒会室を飛び出す。
……ふざけて場を和ませたつもりだったが、さすがにこういう空気になるか。ゆりはエネミーと天使が味方同士ではないと踏んでいるが、無関係だという風には考えていない。むしろ同じ力を使っていることから、なにか知っているのは明確だ、という風に思っている。
しかも両者敵対関係。バチバチにもなるだろう。
だけど、立華はこの通り。
まあ謎の多い少女だし、とぼけている可能性もなくはないのだが……俺にはどうも、そう見えないんだよな。立華はなんというか、天然なのだから。器用に隠し事が出来るタイプじゃない。
「なあ、立華」
「なに?」
「……もしも。もしも、立華が奴らの味方じゃないのなら。今回の敵から、ゆり達のことを守ってくれないか」
「それは、あなたの頼み?」
「ああ。全力のな。この通りだ!!!」
ジャンピング土下座の上位互換、ジャンピングブリッジをした。
立華はこくり、と頷く。
「わかったわ。やってみる」
「……ありがとう、立華」
俺は元の体勢に戻る。さて、ゆりを追いかけるか。
と、生徒会室を出ようとした瞬間、ちょこんと服の袖を掴まれた。振り返ると、立華がじっとこちらを見据えていた。女の子がよくやるつまみ方だが、立華のそれは凄まじい力があり、袖を引きちぎらんばかりに握りしめている。
「手伝って」
「はい」
有無を言わさない感じだった。むうう、と頬を少しだけ膨らませている。
立華も、怒る時は怒るようである。
★
「はあ。疲れたな……もうすっかり、夜だ」
午後の七時過ぎ。事務作業が長引いたおかげで、帰りが遅くなった。立華はクールに「助かったわ、ありがとう」と言って去っていったため、別行動をとっている。
「――待て。桜木 春斗」
宵闇の中。声に止められ、振り返る。物陰から現れたのは――ハルバートを持った、戦線の男子生徒であった。たしか日向が野田と呼んでいたか。
「あ、大食堂の近くで死んでいた奴」
「あれは少し油断しただけだ! 俺が本気を出せば、エネミーなど敵ではない!」
「そうなのか」
腕に自信があり、ということか。まあ、ハルバートなんてマイナーな武器をわざわざ扱うくらいだ。武芸の心得は当然あるのだろう。
野田はハルバートをぐるぐる豪快に回した後、俺に突きつけた。
「うおうっ⁉ いきなりなにするんだ!」
「貴様は、俺のライバルだ。決闘しろ!」
「なんでそうなる⁉」
あまりにも唐突過ぎて、頭が追い付かない。
「さっさと構えろ。丸腰の貴様を倒したところで、勝利したことにならない!」
「嫌だっての。なんの恨みがあるのか知らないが、決闘なんてやらないぞ」
ゆりから貰った折り畳み式のナイフが脳裏をよぎったが、出来れば使いたくない。
「貴様。それでも男なのか」
「いや、そもそもなぜこんなことになっているのか、わからねえんだよ」
「……がある」
「??? なにか言ったか」
「俺は! ゆりっぺに膝枕されたことがある!」
「っ!?」
いきなりなんのカミングアウトだよ! ていうか膝枕!?
「ふっ……俺はゆりっぺに信頼されているのだ」
誇らしげに言い放つ野田。
信頼っていうか、それはえっと、つまり。なるほど。やっと話が見えてきたな。
「あれか。もしかして……お前とゆりは付き合っていることってことか?」
口に出した瞬間、何故だか胸が痛んだ。なんだろう。面白くなかった。
が、野田は顔を赤くして狼狽した。
「つ⁉ い、いや、そういうわけでは、まだ、ないが」
「違うのか? いや、それだったら決闘とか言うのも、まだわかるからさ」
日向がゆりと俺の関係性を冷やかしていたからな。付き合っている奴がいるなら、そいつが怒るのも当然だろう。
「俺はただ! 貴様を認めないというだけだ!」
「意味がわからないんだが……」
「男ならば、挑まれた決闘に答えろ。どうせこの世界では、死にはしない。さあ!」
なんだかよくわからないが……まあ、いい。なんとなくゆりに膝枕されるこいつの姿を想像して、ちょっとイラっと来たことだし。
ポケットから折り畳み式のナイフを取り出し、構えた。
「ふん。そんな軟弱な武器でいいのか?」
「ああ。問題ない」
「百回死ねえええええええええええええええええ!!!!!」
野田が、ハルバート振り上げる。が、俺はそれを瞬時に見切って懐に入った。
ザクッ!
「ぐもうっ⁉」
「あれ?」
あまりにも呆気ない幕引き。ナイフは心臓を一突きし、野田を絶命させた。
……なんだったんだよ、こいつ。
★
「――桜木 春斗、とは。お前のことだな?」
「今度は一体なんだ……」
木陰からすっと現れたのは、忍びのような麗人――椎名であった。彼女は名前が出ていたからわかるし、強い奴だったから目立つ。
「聞いた話では、かなりの手練れのようだ」
「まあ、戦いの日々を送る生前だったからな。嫌でも戦える」
「ふむ。手合わせ願おう」
短剣を構える椎名。俺は思わず頭を抱えた。
「なんでそうなるんだよ!」
「ゆりを守るのにふさわしいか。たしかめさせてもらう」
「戦線ってなに、こんな奴ばっかりなのか⁉ ゆりのやつどうなってんだ、こいつらの教育をちゃんとしろおおおおおお!」
一夜にして二回も闇討ちって、どんだけ俺嫌われているんだよ!
「参る」
しかもこの椎名の方は、野田と違って話すら聞いてもらえない。
クソ。こいつと戦って、無事でいられるわけねえだろ!
椎名が視界から消えたかと思いきや、背後をとられていた。俺は慌ててナイフを取り出し、短剣をさばく。一閃、二閃と受け止める。椎名は後方へ跳躍して下がり、クナイを投擲。俺は横に思いっきり飛んで、なんとか回避しきった。
「ちょ、やめろ! 俺は戦う気なんてない!」
「ふむ。悪くない動きだ。技術のある、洗礼された戦い方をする」
「わかったか? それならもう満足だな! よし、解決! というか勘弁してください!」
椎名は短剣をしまい、クールに頭を下げた。
「すまない。無礼を詫びる。私は、ゆりを守るに相応しい用心棒かどうか、たしかめたかったのだ」
その本人、お前がアホだからって、エネミー捜索任務から外していたぞ。
「そりゃ随分とご執心だな」
「ああ。ゆりはわたしにとって、この世界にいる意味を与えてくれた存在なのだ」
「ふうん。まあ、カリスマ性がねえと、リーダーなんてやれねえか」
椎名は腰の辺りから、もぞもぞと何かを取り出した。なんだ?
「……お詫びだ。これをやろう」
「え?」
受け取る。ワンコのぬいぐるみであった。あと椎名の手がめっちゃ震えている。
「これを――くっ、大事にしてもらうんだぞ――貴様にやろう。このワンコを――幸せに、なるんだぞ――受け取れ」
「いや、いらねえから」
あとそんな心の声を漏らすほど渡すの辛いなら、受け取りづらいから。お前が持っていろよ、そのワンコぬいぐるみ。
というかこれだけバリバリの戦士のくせして、可愛いもの好きかよ。女子か。ああ、女子なのか……。
★
「ひでえ目に遭った……」
「桜木くん。ボロボロじゃない」
「お前の仲間のせいでな」
「??? バカどもがどうかしたの?」
さらっとすげえ呼び方するな。
大食堂で俺とゆりは合流し、夕食を共にする。
「立華に協力を頼んでおいた」
「え?」
「エネミーから、戦線メンバーを守ってくれってな」
「な……なに余計なことを言っているのよ! あいつは敵なのよ!」
「何事も臨機応変に、だ。エネミーほどの敵、戦線の戦力だけじゃ太刀打ちできない。ここで立華がエネミーと敵対してくれれば、あの大きな力は抑止力になる。違うか?」
「う……そ、そうだけれど」
ゆりはむうう、と不満顔のままである。エネミーは立華ほど強くないが、どういうわけか立華と同じ異能を操る存在だ。いくら死なないとはいえ、戦線だけでは歯が立たない。ここで上位互換である立華がエネミーの対処に加われば、戦況は変わってくるだろう。
「わかったわよ。彼女の力、借りるわ。駆けつけやすくするように、サポートもする」
「よし。これで仲直りだな」
「そんなわけないだろううううううううう! 神の遣いと仲良くしてどうするのよ! 意味ないじゃない!」
大声を上げられる。ゆりはツッコミが豪快だ。
その後、ため息をつかれる。
「桜木くんの立ち位置は、とても特殊ね」
「特殊?」
「今のあなたは、いわば中立。戦線にも、生徒会にも力を貸せる立場なのよ」
「ああ、まあそうだな」
「勧誘に応じてくれないのは残念だけれど。今の立場は立場で、利用出来る価値はありそうね」
ゆりが狡猾にそう言い放つ。利用って。
「そ、それと」
「なんだ?」
「ちょっと、言い過ぎたというか。あたし、その、感じ悪かったわよね」
「立華とのことを言っているのか」
「そうよ、天使よ。まあ、彼女は神の遣い。あたし達の敵。謝る必要なんてないのだけれど、それでも一応、悪かったとは思っているのよ。関係があるって、なにか知っているって、そう決めつけたから」
「おう」
「だから、その……悪かったって、伝えておいてちょうだい」
「いや、直接言えよ」
「それは無理よ。あたし達にとって、彼女は宿敵。慣れ合いだと思われたくないのよ。ましてや、あたしはリーダーなのよ」
「ふうん、そういうもんか」
「そうよ。でも、あなたにとっては、そうではないでしょう? 同じ生徒会の所属なのだから」
「敵対関係ではないな」
「頼んだわよ。で、軽い雰囲気でお願いできるかしら。天使ちゃんマジごめん☆ みたいな感じで」
「お前、わかりやすいくらいに照れ隠しだな」
「ちちち、違うわよ! 変な勘違いしないでちょうだい! 宿敵だって言っているでしょう!」
「はいはい、わかったよ」
「なにニヤニヤしているのよ!」
なんというか。こいつ口は悪いし横暴だけど、根は優しい女の子なんだろうな。
まあでも、完全な疑惑が消えたわけではない。立華とエネミーに共通点があるのは揺るがない事実なのだから。
★
夢を見た。
ひどく意識がはっきりしている、気味の悪い夢だった。
春。季節は、そのくらいのような気がする。
だって、目の前には「卒業式」が行われていたから。たった五人で行われている、質素な卒業式。けれどそのメンバーは、驚くべきものだった。ゆりと、日向と、立華であったのだ。それとNPCである生徒会の書記。どういう組み合わせなんだ、と違和感しか覚えなかった。そして最後の一人は、見知らぬ少年。オレンジ色の髪をした男子生徒だ。戦線の制服を着た彼に、何故だかすごく引き込まれる。
いや、変な意味ではなく。まるで彼が、なにか重要なものをもっているかのような、そんな気がしたのだ。
卒業式は進んでいく。
ゆりがとても晴れやかで――可愛らしい笑顔を浮かべている。
肩の荷が降りたような、そんなすっきりした表情になっていたのだ。
俺はその光景に、これ以上ないほど見惚れたのと同時に――胸が、ちくりと痛んだ。
どうしてだろうか。
この光景に爪弾きされている感覚。
それなのに、強い使命感に駆られる。
俺は、ずっと深く考えてこなかった命題にぶち当たる。
桜木 春斗は何故、この世界から卒業出来ないのか、と。
★
昼休み。立華に戦線の護衛を頼んで数日が経過。バチイィ!!! という音がして、俺は音のした方へ駆けつけた。校舎の庭。そこではエネミーと立華が戦っていた。内容は一方的なもので、立華が危なげなく勝利する。腰が抜けた戦線のサポートメンバーは「に、逃げろ!」と叫びながら、走り去っていった。立華はガードスキルを解除する。
……なんか、むなしいな。助けたのに礼の一つもなしか。
「立華」
「あら、桜木くん」
「約束、守ってくれているな」
「ええ。エネミー……危険ね。放っておけないわ」
「戦ってくれるのか」
「みんなのために戦うわ」
根がお人よしな立華は、とても心優しい。本当に天使のような女の子だ。
「それにしても、よくすぐに駆けつけられたな」
「金髪の女の子が教えてくれたわ」
「誰だ?」
瞬間、背後から突然声がした。
「――はじめまして。遊佐です。戦線の通信係を務めています」
「うおうっ!?」
びっくりした俺は、思わず声を上げる。
そこにいたのは、金髪の美少女であった。人形のように儚く、無機質だけれど美しい。作り物のように精緻な女の子だ。
「ふっ。幽霊のように気配を消して俺の背後をとるとは、やるな」
俺が中二病的な芝居がかった演技でそう言ってやる。だけど実際、ブランクがあるとはいえ背後の忍び寄られたのはすげえよ。足音なかったしな。
「気配を消してなどいません。ちゃんと歩いてきました」
何故か怒られる。
「え、ああ、ごめん。それは失礼した」
「人をお化けのように言わないでください」
「とかいいつつ」
「???」
「本当は気配を消し、夜な夜な人の首を刈り取る。遊佐の正体は暗殺部隊のボスだな!」
「違います」
「じゃあその手下だな!」
「違います。戦線にそんな部隊はありません」
「ええー? じゃあ、本当に歩いてきただけってのか? 足音一つしなかったぞ。俺、かなり耳良いんだけどな」
「そうですか」
と、ここで立華が遊佐に声をかけた。
「敵はいない?」
「はい。お疲れさまでした」
「ええ」
短い会話で、立華はその場を去った。それだけかよ。
「桜木さん」
遊佐が声をかけて来る。事務的だが、可愛らしい声だ。
「なんだ?」
「ゆりっぺさんが、いつもの屋上で待っているとのことです」
「ああ、わかった……本当に通信係なんだな」
にしても、本当に気配を消していないのだろうか。そこだけ納得がいかない。
★
風がほどよくある日の屋上は、気持ちの良いものであった。ゆりは柵に寄りかかりながら、キーコーヒーを飲んでいる。
「天使、本当に味方してくれているわ。おかげで今の所、これ以上の被害は出ずに済んでいる。礼をいうわ」
「立華に言えよ。俺はなにもしてない」
「伝えておいて」
「はいはい、わかったよ」
全く、根っからのライバル関係なんだな。だけど、ちょっと違和感はある。短期間ではあるが、ゆりは優しい女の子なのだ。こまで露骨に立華に対して冷たくするのは、深い理由がある気がする。
「戦線は……いや、ゆりは。そこまで神ってやつを恨んでいるのか」
「むしろ。あたしはあなたが不思議だし、理解が出来ないわ」
「なに?」
「これだけ凄惨な記憶を植え付けられて、理不尽な人生を強いられて。何故、抗おうとしないのか。何故、神を恨まないのか」
ゆりがもう一本のキーコーヒーを差し出してきた。俺はそれを受け取って、プルタブを開ける。ブラックコーヒーだ。俺はどちらかというと微糖の方が好みだと告げると、ゆりがそう、と短く返事をした。
「そんなに悲惨な人生だったのかよ?」
「……そうね」
ゆりは遠い目をしながら、口を開く。
「兄妹がいたの、三人ね。あたしは長女だった」
「ああ、長女っぽいよな、お前。納得だ」
「なによ。どういう意味?」
「人を引っ張れて、強くて、根は優しい。たしかにお姉ちゃんって感じだ。だから、色んな奴がついてくる」
「……そう、ありがとう。けどね、立派にお姉ちゃんをやれていたっていう自信は、打ち砕かれることになったのよ」
ゆりは裕福な家庭で育ったらしい。別荘のような家に住んで、順風満帆。
けれどある日。そんな家に強盗が押し掛けてきた。帽子を深くかぶった、複数の男達だった。ゆりは長女としての強い使命感で、兄妹を守ろうとした。だけど……当時のゆりはまだ幼く、敵うはずもない。
強盗犯は金目のものを見つけることが出来ず、苛立ちながらゆりに一つの提案をした。長女の君なら、なにか金目のものを知っているはずだ、と。制限時間は十分。十分に一人ずつお別れすることになる、と。
決死の覚悟でゆりは家中を探し回り。だけど犯人の満足させるものを見つけられなかった。そうして――警察が駆けつけたのは、三十分後のことだった。
「天使に直接、恨みがわけでもない。でも、理不尽過ぎるじゃない。悔し過ぎるじゃない。あの日まで、立派なお姉ちゃんをやれていた自信もあったのに、守りたいすべてを三十分で奪われた。納得なんて、受け入れることなんて、出来るはずがない」
ゆりは息を吸い、視線を空へ向けた。まるでその先にいる神へと向けるように。
「だから、もしもこの世界に神がいるのなら。立ち向かいたい、それだけよ」
俺はキーコーヒーを飲み、ブラックの苦みを感じつつ、言い放った。
「とっとと消えて、来世へ踏み出そうとした俺とは、えらい違いだな」
「今からでも、抗えばいいじゃない。いつでも歓迎するわよ」
「そんな気は、もう起きないんだよ。戦いは、もう飽きるほどにしてきた」
自分の生前を語ろうと、息を吸う。その凄惨な人生を、口にした。
「イーサン・ハント」
「は?」
「俺の生前は、例えるならイーサン・ハントだった……」
「あなた、頭大丈夫? おかしいわね、この世界では誰も病まないはずなのだけれど……」
ゆりが深刻そうに顔を覗き込む。
「ミッションインポッシブルを知らないのか」
「いや、知っているから、正気を疑っているのだけれど?」
「おっと、勘違いするなよ? 自分をハンサムだと思っているナルシスト、という意味ではない!」
「話が全く見えて来ないわ……」
「んー、じゃあ、リコリス・リコイル」
「は?」
「あれに出て来る「リコリス」みたいな仕事をしていた、って言えばわかるか?」
「いや、わかんないわよ。ちゃんと説明しなさいよ。さっきから頭混乱しっぱなしよ」
「じゃあ、人殺し」
「……」
「特務任務を請け負う、特殊な軍人。それが俺の生前。まあつまり、色んな戦場へ行って、色んな人間をこの手で殺してきたってことだ」
「……そう。でも、そんな気はしていたわ。あなたは、椎名さんに少し似ているから」
あの忍びのような少女も、間違いなく殺しに長けた生前だったのだろう。同じ匂いがするし、なによりあの尋常じゃない身のこなしはプロフェッショナルだ。
「それと。俺にも、兄弟がいた。弟が一人な。で、俺達は双子だった。弟も俺と同じ、大人達から洗脳のような教育を受けて、俺と同じように人を殺す仕事をしてきた。俺達はライバルであったと同時に、いつも一緒な仲間だった。家族だった……だから、お前は軽蔑するかもしれないな」
「え?」
「――俺は、殺した。弟を、この手で」
あえて軽く言ってやった。だけど、上手に言えたかはわからない。
「な? 軽蔑するだろ? お前にとって、理解しがたいだろ」
兄妹のためにいつも行動する家族思いなゆりとは、あまりにも正反対。俺は、自分の手で弟を殺したのだ。
だけどゆりは、柳眉を曲げて訴えた。
「しないわよ、そんなこと。むしろ、なにがあったら、そんなことになるのよ? あなた、自分で言っていたじゃない。いつも一緒な家族だったって……そんなお兄ちゃんが、自分の弟を殺すだなんて、考えられないわよ。胸が張り裂けるわよ」
お姉ちゃん気質なゆりは、余計に胸が痛くなる話だろう。俺は弟殺しの経緯を説明しようとした。だけど、その瞬間――驚くべき「声」によって、それは遮られた。
「――戦士として。すっかり堕落したようだね、兄さん」
心臓が高鳴った。あの地獄のような光景がフラッシュバックした。血の臭いが、悲鳴の声が。蘇っていく。
やめろ。やめてくれ。やめて、くれ。
屋上の扉から現れた、そいつは。
紛れもなく、俺の弟――桜木 空であった。
★
物心ついたときから、真っ白な施設にいつもいた。
経緯はわからないが、孤児ってやつだったんだと思う。
強くなるために、銃の訓練を受けた。体を鍛えた。武道の訓練、水泳の訓練や、機械の扱い、サバイバルで生き残るための訓練――。
そうした地獄のような訓練をこなした後、知識も必要だからだと勉学もした。
そんな毎日だった。学校になんて通わせてもらえず。家族にも会わせてもらえず。ずっと、ずっと大人たちに訓練させられ続けていた。
十三歳を超えたあたりから、任務に就いた。暗殺。あるいは、戦場。どれも人を殺す任務だった。なにが悪で、なにが正義かなんて、わからなかった。ただ、周りの大人達の言うことを聞いて。機械のように、戦場を駆けた。
……空は、頭が良かったんだと思う。あるいは、なにか「きっかけ」があったのかもしれない。
突如として、組織を裏切った。
そして俺は、裏切り者の粛清として弟の「抹殺」を命じられた。
今でもあの時のことを、鮮明覚えている。
雨が強く、降りしきっていた。人気のない、路地裏で。弟は血を流し、地面を這いながら声を絞り出し訴えた。
「兄さん……あなたは、なにも知らないんだよ」
がはっ、と血を苦しそうに吐きながら、決死に。
「外の世界では、友達が出来ることだってある。仲間と一緒に、部活に励むことが出来る。可愛い女の子と、恋だって出来る。そういう、世界なんだよ、ここは……ぐほっ!?」
顔面を蒼白にし、意識も朦朧とした空に。俺はなにも言わず、銃先を向ける。
「可哀想な兄さん……ずっと、そうやって生きていくんだね」
一緒に任務を駆けた日々が蘇る。血にまみれた戦場を。それでも、弟はずっと一緒にいてくれた。助けてくれた。家族で、仲間だった。
たった一人の、血のつながった家族だった。
「オレは、兄さんを助けたい。今からでも、遅くない。一緒に逃げよう。目を覚ますんだ、兄さん……!」
最後には、そんなことを言っていた。そういうチャンスもあったのだ。
それなのに。
パン! と。俺は銃の引き金を引いた。
「ご苦労。後始末は任せろ」
内線から無機質な声が聞こえる。俺は一つ報告をした。
「負傷しました」
「なに?」
「目から、涙が止まらないのです」
「そうか。すぐに戻れ、休むといい」
「はい」
俺は紛い物で、人間じゃなかった。
雨の中。いつまでも、いつまでも涙は止まらなかった。嗚咽がひどかった。胸が張り裂けそうなくらい、痛かった。だけど、何故そうなのか、わからなかった。自分の心の慟哭に、気がつかなかったのだ。
この時の出来事がトラウマになり、人を殺せなくなった。今まで散々人殺しをしたくせに、暴力が怖くなった。
そうして兵士として使い物にならなくなった俺は、任務で失敗をし、死んでいったのだ。
★
「どう、して。お前が……」
「何故オレを殺した兄さんが後なのかは気になるけれど、そもそも。ここは死後の世界だ。そのくらいの不思議はあってもいいんじゃないかな?」
「……っ」
「どうしたんだい? 顔を青くして、体を震わせて」
フラッシュバックが止まらない。空を殺した光景が、目に浮かぶ。俺は、俺は……。
「随分と、悪趣味ね」
と、ここでゆりが前へと出た。毅然と、凛とした表情をしている。
「出てくるタイミングが良すぎる。なんだか、盗み聞きをしていたように思えるのだけれど?」
「ははは。オレの追跡に気がつかない、君達が悪い」
「……復讐が目的なの?」
ゆりが深刻そうに聞く。話の流れと行動からして、俺への強い恨みを感じたのだろう。
空は軽薄な笑みを浮かべた。
「まあ、それはまたの機会にね。どちらかというと、気になったんだ」
「?」
「弟として。兄さんがご執心な女の子が、どういう子なのかなって」
「ななな、なにを⁉ あたし達は、そんなじゃないわよ!」
「チューでもするのかなって」
「しないわよ!?」
「あ、もしかして。もうセックスまでいった?」
「すすす、するか! バカじゃないの!?」
「君、処女っぽいよね。そそるなあ」
「っ!? ちょっと、桜木くん! アンタの弟、教育どうなっているのよ!?」
ゆりが顔を赤くして怒鳴り込む。弟はあくまでも軽薄な笑みを浮かべた。俺はその表情にぞっとした。まるで獲物を見つけたような――そんな、好戦的な笑みだったから。
「ねえ、兄さん。勝負しようよ」
「勝、負……?」
「うん。今度の球技祭でさ。オレのクラスのチーム、結構強くてさ。優勝候補って言われているんだ」
「……」
俺は弟がなにを言い出しているのか、理解が出来ない。いきなりなんだ。なにがしたい。
「兄さんも野球で出てよ。それで、勝負をしよう」
「意味わからねえよ。お前、なにがしたいんだ」
「別に。ただ、せっかく会えたんだから、兄さんとまた勝負がしたいなって。そう思っただけだよ?」
あれだけのことがあったのに。あまりにも場違いな提案。俺は恐ろしくなって、なにも言えなくなる。空はため息をついて、背中を向けた。
「頼んだよ……兄さん」
★
「野球で勝負なんて。どういうつもりなのかしら」
「わからない……」
「……アンタ、やっぱり恨まれているの?」
「まあ、当然。そうだと思う」
俺は任務で裏切り者の弟を殺したことを明かした。ゆりはこくりと頷き、腕を組んだ。
「……そう。やはりあなたも、凄惨な生前を送っていたのね」
「お前ほどではないと思うがな」
弟の件に関しては、理不尽じゃない。あそこがターニングポイントだったんだ。あの時点で俺が自分の異常さに気づいて、一緒に逃げようとすれば……希望はあったのかもしれないのだから。
「改めて聞くけれど。戦線に入る気はない? その無念を、共に晴らそうとは思わない?」
「……俺はもう、戦うのが怖いんだ。この間みたいに、ゆりを守るためとか、そういうのだったらまだ動けるが」
ゆりはこくりと頷いて、優しい笑みを浮かべた。
「そう。なら、いいわよ。でもね、これだけは言えるわ」
「?」
「あたしは、あなたの味方よ。軽蔑なんてしない。人殺しだと罵るつもりもない。だから……一つ、提案をするわ」
風が吹く。ゆりの髪が揺れる。甘い匂いが少ししてきて、俺は胸が高鳴った。そしてゆりはまっすぐにこちら見据え、告げた。
「あたし達戦線チームで、弟くんの挑戦に受けて立ちましょう」