時間が止まった気がした。
影に飲み込まれ、春斗くんが消えた……。
消えた? そう。跡形もなく、消えていったのだ。
「なに、よ。それ……」
こんなの、ちゃんとしたお別れじゃない。
覚悟は出来ていた。
もちろん……悲しかった。寂しかった。身を引き裂かれる思いだった。
涙はたくさん流すつもりだった。
好きな人と一緒にいられなかった、って神に八つ当たりするつもりでもいた。
でも、そうすれば……まだ、少しは割り切れる。恋人として、彼の背中を押してやれたんだって、最後のお別れは出来たって、後悔はないって、出来る限りのことは出来たって、それだけを心の支えに出来た。
だけど……これは、話が違う。
あまりにも、話が違う。
彼は……どうなったの? わけのわからない影に飲み込まれて。あれは、本当に成仏していったの?
違う。
こんなこと、望んでいない。
あたしは……また、守れなかった。
守りたいものを、また奪われた。
理不尽な神に。理不尽な運命に。
どうして? どうして、いつもこうなるのよ。あたしはただ……彼の恋人として、一番大切な人として、春斗くんを守りたかっただけなのに!
「う、うあああああああああああ!」
あたしは屋上で慟哭を上げた。
そして……やがて、なにが起きたのかを理解した。
結論から言うと、彼はNPCになっていた。
この世界から消えたわけではない。
あたしのことも、戦線のことも覚えていない。天使の言いなりになり、黙々と授業を受け続けているだけ。
毎日のように話しかけたが、記憶は戻ってくれなかった。
迷ったが、戦線のメンバーへは、このことを告げなかった。
春斗くんは満足してこの世界から消えたのだ、と言っておいたのだ。また誰にも言わずに消えたことに不満の声は上がったが、あたしは最後に話をしたというとそれなら仕方ない、とみんな納得してくれた。
人がNPC化する、ということが知れ渡れば戦線の士気に関わる。かなり激しい動揺が広がるはずだ。
もちろん……言わなければいけない、という迷いもあった。
知る権利はある。だけど、あの「影」の正体がわからない今は、まだ告げるべきではないとあたしは考えた。
幸い、あれ以来あの「影」は一度も現れなかった。
春斗くんだけが狙われ、春斗くんだけがNPC化した。
わからない。なにもかもが。全てがイレギュラー。
昼休み。教室で熱心に一人自習をしている春斗くんの前の席に、あたしはどかっと座って声をかけた。
「なにしているのよ?」
「はい? ……自習、ですが」
昨日も声をかけたというのに、まだ他人行儀だ。
「あたしのこと、覚えている?」
「え? ああ、はい。たしか……仲村 ゆりさん、ですよね」
空々しい返し。
あたしを覚えている、というよりはNPCとして「仲村 ゆり」という一人の生徒をメモリーしている様子だ。
本当に、頭の先からてっぺんまでNPCと化している。ふざけている。彼は……一体、どうしたら救えるというのよ?
「一つ質問があるのだけれど」
「はあ。なんですか」
「好きな女の子いる?」
問いかけに、彼はあっけなく答えた。
「いないです」
目の前にいるだろうが、バカ。
数え切れないくらい、愛し合った仲じゃない……。
なんで……覚えて、ないのよ。
あたしの春斗くんなのに。
あたしだけの、春斗くんなのに。
それなのに。今はもう、遠い人になってしまった。
そうして、月日が流れていった。
あたしはいつも通り、戦線のリーダーとして戦う。
神への復讐は終わらない。
いつまでも終わらない。
何日が経過しただろう?
何週間が経過しただろう?
何か月が経過しただろう?
何年が経過しただろう?
何十年が経過したのだろう?
毎日、毎日と繰り返される長い戦い。ああ、そうだ。あたしはこの世界に長く、本当に長くいてずっと戦いづづけている。
その間、春斗くんがあたしを思いだしてくれることはなかった。
たったの一回だってない……。
彼と接することに耐えられたのは、最初の数週間だけだった。忘れられているのを、彼がNPC化したのを実感する度に、あたしの精神は壊れかけたからだ。
だから遊佐さんにだけはこのことを打ち明けて、彼女に春斗くんを監視してもらうことになった。
彼はずっとNPCのままだった。
彼はずっと、この世界に閉じ込められたまま……。
永遠に、ここで授業を受け続けていた。
気がおかしくなりそうだった。
もう狂ってしまいそうだった。
いっそのこと、あの時消えてくれていた方が――楽だった。
彼はそこにいるのに。全くの、別人で。
助けたいのに、どうしようもなくて。
彼が永遠の牢獄に閉じ込められているのを、ただ見守っているしかない。
あの時、あたしはなにか出来なかったのか?
もっと早く、彼を開放してやれば良かったんじゃないのか?
最後に一言、大好きだって言ったのが、余計だったのか?
本当は、そんな一言なんかじゃ伝えられないくらい、この気持ちは大きいのに……。
この世界は、そんなことも許してくれないのだろうか?
それとも、なに? これも罰だっていうの? 誰からの? 神からの?
ふざけるな。何様のつもりよ。
……上等じゃない。なら、あたしは戦い続ける。
理不尽。本当に、理不尽過ぎる。
気が遠くなるほどの時間がかかろうとも、戦い続ける。
今、あたしの中には二つの大きな衝動がある。
一つは、原点となる生前の記憶。
もう一つは――春斗くん。
神への復讐。その最前線に、あたしは立つ。
必ず、成し遂げてみせる。
やり遂げてみせるんだから……!
夜。オペレーション中であった。ライフルのスコープからいったん目を離し、近くに倒れている生徒を見る。
人だ。仲間が見つけた、新しい人。
オレンジ色の髪をした、まあ、全体的に普通の見た目っぽい男の人。
だけど、あたしの長年の勘がなにかを告げる、そんな力を持った人であった。
話して変な感じじゃなければ、彼はすぐに幹部に入れよう。そう思った。
スコープへ目を戻す。瞬間、戸惑ったような、控えめな声が聞こえた。
「……ここは、どこだ?」
「目が覚めた?」
あたしの視界はスコープの先に映る、天使を捕えている。
だけど、気配でわかった。
男は起き上がって、茫然と声を上げる。
「あんたは? 誰だ?」
「ようこそ、「死んでたまるか戦線」へ。唐突だけど、入隊してくれないかしら?」
「……は?」
「ゆりっぺ! 新人の勧誘の手はずはどうだ? ちょろいとか言っていたけどさ?」
「……日向くん」
「人手が足りない今! どんなに汚い手を使ってでも、戦力を拡大して……」
新人の男が、俺とゆりっぺをじと目で見比べていた。
そしてゆりっぺがどういうわけか、眉間に皺を寄せている。
「やべ……」
余計なこと言っちまった……のか?
「俺、向こういくわ」
新人候補だった男子生徒が、スタスタと階段を降りていった。
「うああああああああああああ! 勧誘に失敗したあああああ!」
ゆりっぺが髪を掻きむしりながら叫ぶ。
すげー、剣幕だよなあ、相変わらず。
「俺のせい?」
「他に誰がいるんだあああ!」
俺は男子生徒の後ろ姿を見送りながら、ふとあることを思い出した。
それは……とても、懐かしい声だった。
「もしもいつか、戦線の戦いを終わらせてくれる、そんなすごい奴が来たらさ。日向は、そいつの親友になってやってくれないか」
昔、そんなことを言った奴がいたよな。
桜木 春斗。
最後まで、何者かわからずじまいだった男だ。
なんかもう、懐かしい思い出だよな……。
天使の力がNPCに宿ったりしてさ。すげー時代だった。
みんなが強くなった今なら、もうちょっと楽に戦えたんだけどな。
……俺、あいつのこと、なんにもわかってやれなかったんだ。仲間だったのによ。ルームメイトで、すげー近くにいてやれたのに。
天使と同じ力を使ったのは、さすがに驚いたが。
でも、あいつは間違いなく人間だ。ゆりに対するあの思いは、人じゃないと抱けないものだ。きっとなにかの間違いで、桜木は……なにか大きなものを、背負わされていたんだ。あの戦いは、そういうものだった。そして桜木がたった一人で、解決させちまったんだ。俺達は、それを見守ることしか出来なかった。
いや。こんなことを言っても、仕方ないか。
もうとっくの昔に、終わっちまった話だ。
にしても、なんで今、そんなことを思い出したんだ……。
もしかして……階段降りて行っているあいつがすごい奴?
……そんなバカな、って思うけど。
でも、なんだろうな。たしかに、なにかやってくれそうな奴な気がする。
よくわかんねーけど。
そうだな。約束だったし。
あいつとはもしかしたら、親友になれるのかもしれない。
――こうして、物語のバトンは渡された。
紛い物から、本物の役者へ。
桜木 春斗から、音無 結弦へ。
舞台は、エンジェルビーツへ。