朝の九時。まだ空気が冷える時間帯の、学校外の森の中。
「――はっ!」
ゆりは短い声と共に、模擬専用のナイフを一閃した。こちらの懐に素早く入る、鋭い筋であった。だが、俺はそれを同じナイフで受け止める。ガン! ガン! と何度かそんな攻防を繰り返した。
短く息を吐く。一転して、こちらがナイフを一閃。刃はゆりの脇腹に入り、「いたっ⁉」と短い悲鳴が上がった。
「くっそおおおおおっ! また負けた!」
ゆりが頭を搔きむしりながら叫ぶ。
相変わらず、負けん気が強い奴である。
「お前、ちょっと短気なところあるだろ。待っている間の一分は長いとか言いそうだな」
「待っている間の一分は長いと思うけど?」
「だから、それを短気って言うんだっての」
「失礼ね。稽古で人間性まで決めつけないでくれる?」
「嫌でも性格が出ているんだっての。お前は勝利を掴もうと躍起になりすぎた。せっかく筋が良いんだ。もう少し丁寧に攻めることを意識してみれば、上にいけるぞ」
「……ふん。わかったわよ」
素直に聞くが、その声はどこか落ち込んでいた。
「焦っているのか?」
ゆりの目標は天使と互角に渡り合うこと、と言っていた。
その目標から見てしまうと、まだまだ道のりは険しい。
「そんなことないわ。この世界の時間は長い。いくらでも時間はかけられる。あなたにはそれくらい、長く付き合ってもらうんだから。覚悟なさい」
「その割には、やっぱり焦りを感じるけどな」
「別に、焦ってはいないわよ。ただ、神への反逆をするのに、まだまだ足りないって。そう考えているだけよ」
……だから、そういう考えだから放っておけないんだっての。どれだけ危うい存在なんだ、お前は。
「無理はするなよ」
「どうせ死にはしないわよ」
「そういう問題でもないけどな……」
「というか、そういうわりには容赦なくビシバシとナイフを打ちつけてくるわよね? 痣とか傷になったりするんだけど。普通、女の子にそんな全力出す?」
「それはそれだ。訓練というからには全力を出す」
「……相変わらずの訓練脳ね」
「大体、お前手抜くと怒るだろ」
「当たり前じゃない。やるからには、強くならないと意味ないもの。本気出さないと許さないんだから」
言っていること滅茶苦茶なんだが?
まあ、いいか。ゆりは無茶ぶりが多いからな。こいつはそういう奴だ。
「で、一時間は稽古したが、どうする? 続けるか?」
肩を回しながら、尋ねる。一時間とはいえ、かなり動きが激しいから体力は奪われている。汗も流れていた。
「んー。とりあえず、午前はここまでにするわ」
「そうか。お疲れ」
「ええ、お疲れさま。いつもありがとう。午後も付き合いなさいよ?」
「了解だ、大将。またあとでな」
「ええ。また会いましょう」
そんないつものやり取りをして、俺達は一旦別れた。
ゆりの短刀術は日に日に練度を増している。この朝の練習も、すっかりルーティンと化している。ちなみに午後もやる。
全力で動くし、体も痛めるからかなりハードなトレーニングだ。だが、ゆりは毎日のように俺とこうして訓練をする。この時間以外にも明らかにハードなトレーニングをしている節があるから、少し根を詰めすぎているところが気になるものの、そうは言ってもここは死後の世界だ。彼女の言う通り、無茶は出来る。心配ではあるが、ハードなペースの鍛錬に付き合っていくしかないだろう。
まあ、猛進していく感じは、ゆりらしいといえば、ゆりらしいしな。
昼までまだまだ時間がある。ゆっくりしたいところが、俺の課せられた仕事は戦線メンバーを鍛えることだ。与えられた役割はしっかりとこなしていきたい。自分の能力はフル活用すべきだ。
そう思い、俺はとある川のところまで行った。日向に教わった場所で、ここにはあの男がいる。
「……ふん。また来たのか」
野田である。半裸で川に浸かり、ハルバートを振り回している。鍛え抜かれた肉体で、筋骨隆々とした上半身を晒していた。彼の努力が垣間見えている。天使という相手が相手なだけにあまり発揮されないものの、相当な鍛錬を伺える外見だ。
「相変わらず熱心なことだ」
冷やかしつつ、野田の元へと近づく。
彼の方から俺のところへ来ることは基本、ありえない。教えを乞うなんてもっての他だ。彼が俺に用があるときは、決闘を挑むことぐらいなんじゃないだろうか。
「今度こそ負けない。構えろ。俺とお前の間に、言葉は不要だ」
「……ああ。そうだな」
俺が訓練用のナイフを取り出す。野田は顔をしかめた。
「またそのオモチャか。本気を出せ。フェアじゃない」
「いや、だから本物のナイフ使ったら死ぬだろ?」
「俺は死ぬ気でやる」
野田は全力で殺意があり、ハルバートを構えている。
「鍛錬として効率悪すぎるだろ……」
「命がけでやることに意味がある。どうせこの世界では死なん」
「らしいといえばらしいが、俺はこれでいくぞ」
生き返るとはいえ、すぐに生き返るわけじゃない。命がげでやったところで、寝込んでいる分の時間が無駄になるだけだろう。
「後悔するなよ」
「……一度でも俺を殺せたら、本物のナイフを使ってやるよ」
「クソ! 舐めるな!」
野田が踏み出す。ハルバートを振り下ろすも――一撃として、俺に当たることはなかった。何度手を合わせても、野田は俺に返り討ちに会うだけであった。床に膝をついた野田が、悔しそうに歯ぎしりをした。
「何故だ……何故、お前に勝てない……!」
色々と言いたいことはあったが、特に言わなかった。たしかに野田の言う通り、俺達の間に言葉は不要であった。ただ、お互いの武器と武器で語り合う。そこに友情なんてものはない。だけど他の者達とは違う、ある意味深いつながりのようなものが、俺と野田にはあった。
自動販売機でペットボトルの水を買い、勢いよくそれを飲む。喉を潤し、しばらく体をぐっと伸ばした。
朝から手荒な手合いを二つこなしたおかげで、体がズキズキと痛んだ。だが、生前の特殊部隊時代は、毎日のようにもっと自分を追い込んでいた。その時のことを思えば、まだまだこれはぬるい方だ。
だけど、自己鍛錬は後回しだ。今は戦線のメンバーのことを優先する。それが与えられた役割だし、幹部のみんなと接する時間が出来るのはとても良いことだ。仲良く出来るのなら、仲良くなるに越したことはない。
と、そんなことを考えながら水を飲んでいると、バンドの練習の休憩時間なのか、関根が自動販売機で水を買っていた。メンバーの分もなのか、二本目も購入しようとしている。
「ー―よう」
「あ、みゆきちをフった桜木先輩じゃないですか! お疲れッス!」
「みゆきち……? 誰だそれ」
知らない間に知らない女をフッたことになっているんだが。はて。NPC?
「入江たんのことですよ。下の名前、みゆきって言うんです」
「ああ、あのドラマーか。随分と可愛いあだ名だな」
フッたって、ハニートラップのことか。
そんなことあったな。
「ちなみにあたしは関根 しおりなので、しおりんと呼ばれています」
「仲良いんだな。関根は……サボりか?」
「そうですよ――って、ちげえから⁉ 君は三つ目の水を買おうとしている、この手が見えないのかね⁉」
「いっぱい水飲む子なんだなーって」
「メンバーの分の水ですから⁉ どんだけあたしの腹に水入るんだ!」
「え⁉ それは意外だ」
「どう意外なんだよ⁉ もはや意味わかんねーから! そしてなぜ驚く⁉」
「見た目とのギャップ」
「このナイスバディが見えないのかね?」
ハニートラップをいじられたから、少し返してみたら思いのほかノリの良いツッコミが返ってくる。親しみやすそうな子だ。
「ところで君は、幹部の先生だって、聞いたのですが。元軍人だとか!」
四つ目のペットボトルを買おうとする関根に、俺は肩をすくめた。
「先生かはともかく、軍人みたいな訓練を受けていたのは事実だ」
「おお! すご! 軍曹殿ですな!」
「何故その階級を選んだ?」
「かっこいいからだぜ、旦那さん!」
「わりと渋い階級なんだが、軍曹って」
「そうですか?」
「そうだよ」
関根は四つ目のペットボトルを買い終えた。
「では、軍曹殿! あたしは戻るであります!」
ビシ! と敬礼をする関根に、俺も軽く敬礼で返した。
なんか、面白い女の子だ。
そんな出来事の後のことだ。
思わず、目を疑った。
中学生かと思う小柄な体躯であるが、その雰囲気。容姿がゆりにそっくりであったのだ。例えるなら、彼女を子供にしたらああなるんじゃないか、そう思えるほどに。
「……NPC、なのか?」
ただ、それにしては違和感がある。
なんというか……正直、高校生には見えない。
中学生くらいの幼さと、身長の低さなのだ。髪型がツインテールなのも、より幼さを助長している。
「わわわっ⁉」
少女は素っ頓狂な声を上げて、渡り廊下で転んだ。日直かなにかだったのか、抱えていたプリントを辺りにぶちまけてしまう。
「あわわ、やっちゃった……」
目に涙を浮かべて、少女はプリントを拾い始める。
なんというか、放っておけない雰囲気の女の子である。
「大丈夫か?」
俺は思わず、手助けをしてしまった。
「あ。す、すいません」
少女はぺこぺこ頭を下げながら、プリントを集める。集め終えると、俺はまとめたプリントを手渡した。
「怪我はないか?」
「はい。あ、あの、ありがとうございます!」
少女はそう言って、ものすごい勢いで頭を九十度下げるものだから、その勢いで再びプリントが散乱する。先ほどみたいに全部ではなかったが。
「あわわわわ!」
目に涙を浮かべる少女。
子供バージョンとはいえ、見た目がゆりに似ているからなんか面白い。
「く、ははは!」
「す、すいません」
「いや、違くてさ。君に似ている女の子がいるんだけど、あいつもこのくらい素直な雰囲気だったら、可愛げがあるのになって」
などと言っていたら、背後からその声が聞こえてきた。
「――誰が可愛げないのよ?」
「うおうっ⁉」
びっくりして変な声が出た。振り返ると、こちらをじろりと睨み、腕を組むゆりがいた。
「お前、いつの間に……」
「こっちからすれば、なんであなたがここにいるの、って感じよ」
「そりゃお互い様だっての」
「遊佐さんからあたしに似ている子がいるって聞いたから、来てみたら……失望したわ。桜木くん、ロリコンなのね」
「誤解だ! 見ていたならわかるだろ、プリント拾ってやったんだよ!」
「鼻の下伸びているわよ?」
「伸びてねえよ! ふざけんな!」
なんでプリント拾っただけでロリコン扱いされなきゃならない。
と、ここで少女は驚いた表情を浮かべた。
「おねえ、ちゃん……?」
手から力が抜けて、ボトボト、とプリントがまた落ちる。
「無限ループ!」
俺が思わず叫ぶと、「あわわわわっ」と少女が慌てふためく。
なにをやっているんだ、この子は。あとゆりと似ている見た目でドジっ子キャラは、俺としては面白過ぎるんだが。
ゆりは呆れたような、困ったような表情を浮かべながら、プリントを一緒に集める。俺の手元から集めたのをひったくると、まとめたそれを少女へ渡した。
「はい」
「あ、ありがとうございます」
「あたしは、あなたのお姉ちゃんじゃないわよ」
「すすす、すいません! その、すごく似ていたので、つい……」
それに対して、ゆりはまたも呆れたような、困ったような表情を浮かべた。
これは多分、ゆりから見ても妹に似ているんじゃないのだろうか。彼女の過去から鑑みると、それはとても複雑なことだろう。現に、こうして一人で直接会い来たってことは、気になっている証拠である。
「お姉ちゃんじゃなくて、あたしはゆり。こっちは……小さい女の子大好き☆ロリコンマンよ」
「どんな名前だよ! なんだよ、ロリコンマンって!」
「戦線の新しいキャラクター、かしら?」
「そんな役に立たなそうなやついらねえだろ!」
「変態でも盾ぐらいには使えるわよ」
「盾にしか使えねえだろ! あー、俺は桜木 春斗だ。よろしく」
「あなた、ここがどういう場所かわかっている?」
ゆりが問いかける。
答えによっては、彼女の正体がわかる定番の質問だ。
「は、はい。死後の世界、ですよね」
少女が答える。ということは、この子は「人」だ。NPCじゃない。
「そうね。えっと、その……高校生、なのかしら」
ゆりがやや遠慮がちに問う。
まあたしかに、高校生には見えない。でも、高校生だったら失礼だし、そのせいで遠慮がちになったのだろう。だけど、正直かなり気になるところだ。中学生までもがこの学園に迷い込むなんてこと、ありえるのだろうか?
「高校生になる、はずでした」
「……なるほどな」
俺は思わず、納得した。
この子は、高校生活を目前にして死んだのだ。見た目が中学生のように幼いのも、合点がいく。彼女の場合、高校生としてこの世界へ導かれたというよりは、高校へ進学出来なかった代わりに、この世界へ迷い込んできた……ということなのだろう。
「名前は?」
ゆりの問いかけに、少女は答える。
「由比ヶ丘 りん、です。よろしくです、ゆりお姉ちゃん、桜木お兄さん」
思わぬお姉ちゃん呼びに、ゆりは「え、ええ」と困惑の表情を浮かべた。
成り行きで俺達三人は屋上へと行き、話をした。
「周りの人間が作り物だって、わかっていたかしら?」
ゆりの問いかけに、由比ヶ丘は頷く。
「えっと、なんとなくですけど……あの、わたし、記憶のある人と初めて出会えました」
「あら、そうなの。それはお気の毒に」
「教えてください。この世界は、どういう場所なんですか? なんとなく、死後の世界ということしか、わからないんです」
「そのことなら、なんでも教えてあげるわよ。これでもこの世界には長くいるのよ。それこそ、十年以上ね」
「じゅ、十年⁉ ほ、本当ですか!」
驚きの声を上げる由比ヶ丘。
ついでに言うと、俺も少し驚いた。
「お前、ここが現実だったらもしかして三十路超え――ぐはあ⁉」
「その禁忌に触れるな!」
「だからって蹴るなよ! お前の蹴りは威力増してきてんだよ!」
「なによ! 別にいいじゃない! 我慢なさい!」
「どういう逆ギレの仕方だ! つーか、十年以上言い出したのは、お前だろ! そんなこと言われたら嫌でも年の話になるっての!」
「あたしはこの子に説明してあげたのよ。あなたじゃありませーん」
「そうかよ」
まあ、たしかに俺もデリカシーはなかった。
薄々そうだろうとは思っていたが、この世界にいても年はとらないのか……。死後の世界というだけあって、やはりちょっと不気味な世界だ。生理現象は再現されているが、直接命にまつわるものだけは、徹底して再現されていない。
「――あうう……なんだか、すごい世界ですね」
ゆりから説明を受けた由比ヶ丘は、がっくりと肩を落とした。
「生徒会長さんの言う通りにすれば、消えてしまうんですか……でもわたしは、それでもいいです」
「あら、なぜかしら?」
「……わたし、叶えたい夢があるんです。それが叶ったら、もう未練はないです」
「願い……それは、ここで叶えられること?」
「はい。え、えっと、その……ゆりお姉ちゃんが、一緒なら!」
「え? あ、あたし?」
「そうです!」
「ど、どうしよう。困ったわね……」
頼りにされて困惑しているのか、珍しくモジモジとするゆり。年下の子供に頼られて嬉しいのだろう。根っからの長女気質なんだな。
「いいじゃねえか。手伝ってやれよ」
「あ、あんたも手伝うのよ」
「邪魔じゃないのか?」
「そんなことないわよ。それで、叶えたい願いはなにかしら?」
さらっと俺を巻き込みつつ、ゆりが問いかける。由比ヶ丘はえっとね、と答える。
「たくさん! 高校生活……送れなかったから」
「なら、私達と一緒に、その願いを叶えましょう」
「本当? いいの?」
「ええ。あたしに任せなさい!」
優しい笑顔でそんなことを言うゆり。
なんか、見たことない表情だな……。
「えっとですね。わたし、恋をしてみたかったです!」
悲報。もうきつい。
初手は簡単なのを言わないか、普通?
「桜木くん」
「なんだよ」
ぽん、とゆりが俺の肩を叩く。にっこり笑顔だった。嫌な予感がする。こいつがこういう顔をする時は大体、ロクなことを考えていない時だ。
「俺が彼氏になってやんよ、って言ってあげなさい」
「嫌だ⁉ なんかよくわからんけど、すげえ嫌だ!」
「安心しなさい。BGMに「一番の宝物」を流しておくから。確定演出よ」
「意味わかんねえから! なに言ってんだ、お前は⁉」
「ひーとりーでもいくよー♪ たーとえー、つらーくてもー♪」
「普通に下手くそだな、おい⁉ びっくりだよ! よくその歌唱力で歌いだそうと思ったな!」
ゆりはくいくい、と親指で俺を指さす。
「で、これはどうかしら?」
「これ言うな」
「えっと、えっと、タイプじゃないです」
「おう、君ははっきり言うんだな」
告白してないのに、フラれた気分になるんだが。
まあ、しょうがないんだけどな。
「残念だったわね、ロリコンマン」
「だから、違うっての⁉」
好きな女の子にロリコンロリコン言われるの、結構きついのだが。本気でやめてくれ。
「ご、ごめんなさい。恋がしたいなんて、変なこと言い出して」
我に返ったのか、由比ヶ浜がそんなことを言う。俺は首を横に振った。
「別に、普通だろ。君ぐらいの年頃の女の子は、かっこいい男に憧れるものだ。なにも変じゃない」
「そ、そうですか。えへへ、ありがとうございます」
「だけど、この世界で恋ってのは、な……ちと無茶な気がするぞ?」
大半がNPCだ。まあ、作り物とはいえ、NPCの中にタイプの奴がいれば、チャンスはあるだろうが……。難しいだろうな。俺が良い例だ。この学園で勉強していた時、良いなと思った女の子は一人もいなかった。
女の子として見られたのは、生徒会長ぐらいだろうか。まさに作り物めいた美しい少女だから、嫌でも目は引かれた。天使とはよく言ったもので、浮世離れした美しさと愛らしさがある。
「仕方ないわね。戦線メンバーでも紹介するわよ」
「え、本気か?」
「本気よ。この世界で人といったら、あいつらぐらいでしょ。一応頭数はあるし、一人くらいはりんちゃん好みの男がいるはずよ」
……じゃあお前自身はどうなんだよ、って言いかけたが止めた。
さすがにその質問は女々しすぎる。
「ゆりお姉ちゃんのお友達?」
「ええ、そうよ。とりあえず、食堂にでも行ってみましょう。誰かいるかもしれないわ」
ゆりの言葉に従い、俺達は食堂へ向かうこととなった。
「――よう、お二人さん。ん? 誰だよ、その子。ていうか……」
食堂には大山と日向がいた。
大山は少女を見て、目を丸くする。
「なんか、ゆりっぺに似ているね」
「ええ。あたしもびっくりよ」
「ゆりっぺが中学生だったら、こんな感じだったのかなあ?」
「ねえねえ、この子、可愛いでしょ?」
「うん! 可愛らしい女の子だね」
妹を自慢する姉みたいになっているゆりに、素直な大山はうんうんと頷いた。
由比ヶ丘は顔を少し赤くして、ぺこりと頭を下げた。
「ゆ、由比ヶ浜 りんです。よろしくお願いします!」
礼儀正しくも愛らしい姿に、日向が苦笑した。
「あーあ、ゆりっぺにもこれくらいの可愛げがあったら――ごはあ⁉」
素早い蹴りを日向へお見舞いするゆり。
あと、何故か俺も蹴られた。
「お前ら揃いも揃って同じことを言うな!」
「俺に関しては何故蹴られなきゃならない⁉」
「さっき同じこと言ったじゃない!」
「さっきはさっきだろうが⁉」
お腹を抱えながら、俺はこっそりと由比ヶ丘に問いかける。
「で、この二人はどうよ?」
「うーん……」
あ、ダメらしいぞ。
俺とゆりは大山と日向に事情を説明すると、大山は由比ヶ丘に問いかけた。
「えっと、どういう人がタイプなの?」
普通の質問だが、そういえば聞くのを忘れていた。さすがは大山である。常識人的なところを素でどんどん通るんだからな。
「たくましくて、強くて、大きくて、男らしい人です」
「「……」」
一同黙り込むが、脳裏に浮かんだのは同じ人物であった。
「意外と、この願いは簡単に叶いそうね」
「ああ。そうだな」
嬉々としたゆりの言葉に、俺はこくりと頷いた。
俺とゆりは当然、松下のところへと向かった。
松下は離れで黙々と体を鍛えていた。柔道着を着て、気に縄を固定して技の練習をしている。ストイックな人だ。まあ、だからこそ、あの熟練の腕前なんだろうけどな。
「……」
由比ヶ丘は遠巻きの時点で反応を示して、ゆりの背後に隠れた。
「ストライクみたいだな」
「……」
俺の茶化しに、由比ヶ浜は小さくうなずいた。
まあ、あの条件ならそうだろうな。
「ほら、話しに行くわよ」
ゆりが由比ヶ丘を促す。
「え、ええ? いいですよ、わたし、もうこれで満足です。かっこいい人と同じ学校にいたってだけで、満足です」
「そうだとしても、自己紹介だけでもしていきなさいよ。せっかく、恋をしたんだから」
「あうう……恥ずかしいです」
「ふふふ。ほら、行くわよ」
由比ヶ浜の手を引くゆり。
なんか、すっかり姉妹のようになっている。
「よう、松下五段」
俺が声をかけると、松下は手を止めた。
「ん? ゆりっぺに、桜木か。その子は……?」
「ゆ、由比ヶ浜 りんです。は、はじめまして!」
ぺこり、と頭を下げる由比ヶ浜。
松下は顎に手を当て、小さく唸った。
「とてもゆりっぺに似ているな。まるで、ゆりっぺが子供になったようだ」
「そうでしょう? ほらほら、可愛いでしょ?」
またも自慢するゆり。すっかり姉気分のようだ。
「そうだな。可愛らしいお嬢さんだ」
「あ、あわわわ」
由比ヶ浜はゆりの後ろに隠れる。
日向達の時とは、えらい違うリアクションである。
その様子を見た松下も微笑ましそうな表情を浮かべていた。
「うむ。ゆりっぺにも、このくらいの可愛げがあれば――ぐはあ⁉」
「お前まで同じことを言うなああああああ!」
ゆりはすかさず松下と俺へ蹴りを入れる。
「だから、なんで俺も蹴られなきゃならない⁉」
「さっき同じこと言ったじゃない!」
「さっきはさっきだろうが⁉」
お腹を抱えながら、俺はこっそりと由比ヶ丘に問いかける。
「で、満足したか?」
「は、はい。恋は、満足です……はうあ」
顔を赤くしながら、由比ヶ浜は頷く。
「次の願いはなにかしら?」
ゆりの問いかけに、由比ヶ浜は答えた。
「授業を受けたいです!」
それ、最初の方に言ってくれ。即叶うから。
NPCでの授業ではなく、姉に似ているゆりと授業を受けたい、なんて由比ヶ浜は言った。もはや生前の未練というよりは、今の願望な気がしないでもないが、俺とゆりは特に何も言わず、彼女の願いを受け入れた。
空き教室を勝手に使い、俺は伊達眼鏡をかけて教壇に立つ。手芸部からスーツも借りたため、スーツ姿だ。空いていた席にゆりと由比ヶ浜が座った。
「あら。似合っているじゃない」
「桜木お兄さん、大人みたいでかっこいいです!」
素直に褒めてくれる二人に「おう、ありがとう」と、ちょっと照れつつ、テキストを広げた。ちなみに、りんの得意科目は国語だったらしいので、国語をやる予定だ。
「じゃあ、出席とるぞ。由比ヶ浜りん」
「はい!」
「仲村ゆり」
「……」
「おい、返事しろ」
「桜木くんって形から入るタイプよね」
「そうだよ。で、返事」
「はーい」
「はい、は短く」
「ふん。なによ、偉そうにしちゃって」
なんかマジの不良女いるんだが。先生、困っちゃう。
「えへへー、なんだか本当の授業みたいですぅ」
上機嫌そうな由比ヶ浜。
形だけでも授業になっていれば、十分だろう。
「まあ、適当に夏目漱石の「こころ」とかでいいか」
「せんせー、授業が退屈でーす」
ゆりが早々に手を上げて、根を上げる。
茶化すなっての。
まあ、進学校とかじゃない限り、授業が騒がしいのはわりとリアルといえば、リアルだけどな……。
「まだ始まってすらないぞ」
「漱石の「こころ」なんて、地味で退屈じゃない」
「題材の話かよ」
「三角関係こじらせた話でしょ?」
「違うから⁉ いやまあ、間違いではねえけどよ!」
「どうせやるなら、赤と黒とかにしなさいよ」
「スタンダールの話か⁉ 高校生レベルじゃねえだろ! 内容が重すぎるし、長すぎる!」
「? あたしはやった記憶があるわよ」
「……ああ、まあ、そうかもな」
そういえば、あの過去の話を聞く限り、ゆりの家はかなりのお金持ちなのか。一応、お嬢様キャラなんだな。良い教育を受けているから、頭も良いのだろう。たしかに戦線でも勘が鋭い、頭脳明晰な立ち位置だしな。
だけど、育ちが良いとは思えないくらい、立ち振る舞いと言葉使いに品がないけどな。すぐに手と足が出るし。
「今、すごく失礼なこと考えていなかったかしら?」
「気のせいだ」
「この教科書、結構厚いわよね。角も固いし。威力出そうだわ」
「威力⁉ 投げて当てようとしている話だろ、それ! しかも角で当てる気か!」
「あー、うるさい、うるさい。バカなこと言ってないで、早く授業進めなさいよ」
「お前が進行妨げているんだっての!」
「あ、せんせーは人のせいにするのね。ふーん」
「いや、ただの事実だろうが……」
その後は持ち直して授業はなんとか進行していく。有意義なものかは怪しいものであったが、由比ヶ浜は楽しそうだったので、まあ問題はないだろう。
次は友達と街で遊んでみたかった、なんて要望であった。まあこの世界には「街」なんてものがないから、気分だけでも味わってみよう、ということで再び手芸部の元へと訪れる。ようするに服選びというか、ファッションショーだ。彼女達も暇なのか「こんな可愛い題材がいたら、腕が鳴ります!」なんて言って、二人を部室へ招いていった。当然、野郎である俺はつまみ出されている。
「……つーか、俺は役に立っているのか?」
暇を持て余しつつ、文庫本を開く。すれ違う生徒達。時折、黒いお守りをバックにぶら下げているのを見かけ、怪訝げに眉を顰めた。
「あの黒いお守り。なんか最近、よく見かけるような。つーか、ああいうのって、NPCが身につけるものだったか……?」
うーん、と首を傾げる。
「俺の気のせいか? ゆりとか、あと遊佐とかは気づいていたりするものなのか……まあ今度、聞いてみるか……」
「――あの黒いお守りはここ最近、現れたものです」
「っ⁉」
唐突な声に、俺はびっくりして振り返る。そこには無表情で佇む、遊佐がいた。
くそ、また見つけられなかった。悔しいな。
「……俺の背後をとるなんて、中々だぞ?」
「普通に歩いてここまで来ましたが?」
「そ、そうか……そう、なのか?」
釈然としないなにかを感じつつ、遊佐を見返す。冷静に考えると彼女も綺麗な女の子なのだが、なにかと謎めいていることが多く、不気味な雰囲気がある。そういえば、ゆりも遊佐のことに関して、どこか意味深なことを言っていたし……まあでも、過去のことは詮索しないのが、この世界のルールか。探るのは無粋というものだろう。
「NPCの中で流行っているお守りなのか?」
「そのようですね」
「なにかご利益があるのか……聞いてみるか?」
「調査済みです。恋愛、将来への夢、勉強……目的はそれぞれですが、誰もが願掛けのために身につけているようです」
「仕事が早いことで。さすがだな。ようするにあれか、受験生とか、大会控えた部員みたいなものか。まあ、現実でもそういうのはあるし、お守りとしては当然の用途か……でも、妙だよな。全員が同じような、黒いお守りなのは。なんつーか、別のデザインのお守りを身につけていているのが、普通だ。神社によって違うし、そもそもお守りって一つに言っても、なにに対しての願掛けかによって、変わってくるものだよな?」
「ゆりっぺさんと同じようなことを考えていますね。NPCも願掛けをするそうですが、同じデザインのお守りなのが気になる、とおっしゃっていました」
「そうだよな。まあ、だからなんだよって話なんだが……」
まさか連中が絡んでいるっていうのか?
だけど、どうやって? NPCっていうのは、イレギュラーな知識は忘れてしまうか、風化させてしまう傾向にある。この世界の確信を突くようなことを教えても、理解出来ないし、出来たとしても忘れてしまう。
そういうところは所詮、作り物なのだ。
だからお守りの効能を信じさせて、持たせるっていうのは、結構骨が折れる作業な気がするのだが……。大体、そんなことをして一体、なんの得があるっていうんだ? なにも意味がない気がする。
「同じデザインのお守り。願掛け。NPC。なにを示唆しているのか……遊佐はどう思う?」
「わかりません」
「ま、材料がなさすぎるよな。ありがとな、教えてくれて。俺も気にしてみるよ。どうせゆりから調べるように言われているんだろ?」
「はい。なにかわかれば、報告をお願いします」
「ああ。了解した」
生前の任務とは全く毛色が違うとはいえ、こうしていると昔の血が騒ぐってものだ。元特殊部隊として、戦線に貢献しないとな。
「おまたせー♪」
と、ここでゆりが快活とした声で現れた。手芸部が用意した私服姿である。
「ど、どうでしょうか? 桜木お兄さん……?」
「ああ。二人とも、よく似合っているぞ。なあ、遊佐――って、いねえ⁉」
相変わらず、幽霊かのように遊佐は忽然と消えていなくなっていた。ゆりは首を傾げた。
「遊佐さんがいたの?」
「さっきまでな。おかげで待ち時間は退屈しないで済んだけど、あっという間にいなくなりやがって。どこ行ったんだろ」
「……ふーん、そう。さ、お披露目も終わったことだし、撤収しましょ」
ゆりはりんの手をとり、ぷいとそっぽを向く。
「次はどうするんだ?」
「あんたはそこで待っていて」
「……? お、おう」
びし、と指を突き出すゆり。何故か若干不機嫌……な気がした。なんとなく押された俺は当惑しながら、再び待たされることとなった。
制服へ着替えながら、あたしは自分で自分がよくわからなくなっていた。
……何故か知らないけど、さっきのあいつの言動にイラっと来たのだ。
でも、それが何故かわからない。
まあたしかに、服を選んでいる間、あいつのリアクションを想像していたりしていたから、期待していたのとは全然違うあの感じ、つまらないとは思ったけど。
だけど落胆することはあっても、イライラする必要性はどこにもない。
なのに、腹の底に不快感が貯まるような、そんな感覚があった。
大体、あいつ、遊佐さんとなに話していたのよ?
どこへ行ったのかまで、気にかけちゃって。
あたしがあいつのこと考えながら、服を選んでいた時に。
……って、なによ、それ。
それはおかしいじゃない。
これじゃあまるで……嫉妬する女の子みたい。
……このあたしが?
バカみたい。笑えない。本当に、笑えないわ。
だって、この世界で恋なんて……消えるファクターになりかねない。ましてや、あたしにはそんな資格が……。神への復讐に、そんな感情は不必要。あたしが誰かを好きなるなんて、そんな浮ついたこと、絶対にありえない。
本当に、バカみたい。
あたし、いつの間にこんな腑抜けになったのかしら。
「ゆりお姉ちゃん?」
りんちゃんが呼びかけて来る。
はっとした。考え込んだせいで、ぼーっとしていた。
「……行きましょう、桜木くんが待っているわ」
全部あのバカのせいよ。
そうよ、そういうことにするわ。それで万事解決なんだから。
全くもう……。
本当に、呆れちゃうわ。
こんな苛立ちにすら――笑みがこぼれてしまいそうな、少しだけ楽しんでしまっているような、そんなあたしがいるのだから。
そう。
わかってしまった。
神への復讐心があっても。
この世界が、死後の世界であっても。
戦線のリーダーという立場であっても。
誰かを好きになんて、なってはいけないのに。
あたしは、あいつのことが……気になり始めている。
結局、りんの願い事を叶えていく内に、時刻は夕方になった。太陽は沈みかけ、空がオレンジ色に染まる。
「今日は、とても楽しかったです」
ゆりと手を繋いだ由比ヶ浜が、笑顔浮かべてそう言った。
夕焼けを背景に歩く二人は、まるで本当の姉妹に見えた。
……だけど、違うんだ。
由比ヶ浜にとっても、そしてゆりにとっても、本当の姉妹は別にいる。そしてその家族は、この世界にはいない。ここはあくまでも、死後の世界なのだから。
「それは良かったわ。でも、今日はもう遅くなっちゃったから、帰らないとね」
「いえ。大丈夫です。十分です」
「……りんちゃん?」
「次で最後のお願いになります。ゆりお姉ちゃん、聞いてくれますか?」
「ええ。なんでも言ってちょうだい」
ゆりがじっと、由比ヶ浜をまっすぐに見据える。俺は邪魔になるかと思い、二人と距離を置いた。本当は立ち去ろうかとも思ったけど、やっぱり最後は見届けようと考え直した。
「お姉ちゃんに、謝りたいんです」
りんはそう言って、神妙な面持ちで続けた。
「わたし、重い病気になってしまったんです。そのせいで学校へ行けなくて。それで高校生になれなかったんです」
「……」
ゆりは言葉を失った。
高校生になるはずだった、というのは時系列のことだと思っていたが……そうではなかったのか。病気で行けなかった、という意味だったとは。
「病室で退屈な日々を過ごしていました。なにも出来なくて、楽しいことがなくて、病気で苦しんだり、そんな毎日です。そんなわたしを、そんなわたしなんかを、お姉ちゃんは毎日見舞いに来てくれたんです。
来る日も来る日も、毎日です。そんなことしなくていいのに。いつも、お姉ちゃんはわたしのところへ来てくれました。自分のやりたいことも、我慢して……わたしの家は、あまり裕福じゃなくて。わたしの治療費の問題もありました。金銭的な理由もあって、お姉ちゃんは部活を辞めてしまったんです。アルバイトをして、家計の足しにしていたそうなんです。わたしは――わたしはとっても、悪い妹なんです」
りんは涙を流し、震えた声で告げた。
「お姉ちゃんの幸せを全部奪った、妹なんです。だから……ごめんなさい。お姉ちゃん、ごめんなさい……わたしのせいで不幸になって、ごめんなさい……」
そう。残虐なことだが、ここは死後の世界だ。
死者の言葉は、生者には届かない。
だけど――ここにいる、同じ死者であるゆりには、届いている。
ゆりは優しい表情を浮かべ、由比ヶ浜を抱きしめた。
「りんちゃんは、お姉さんのこと、好き?」
「ぐす。う、うん……」
「それなら、大丈夫よ。りんちゃん、大丈夫だから」
ゆりはそう言って、由比ヶ浜の頭を撫でる。
彼女の涙は激しかった。己の罪の自覚に、死ぬほど苦しんでいるのだ。自分のたった一人の姉。だけど、そんな姉を自分のせいで不幸にしてしまった。彼女はそう思って、自責の念で潰れそうになっている。
「あたしは、あなたのお姉ちゃんと会ったことがない。どういう人かもわからないわ。けどね、今の話を聞いてわかったわ。あなたのお姉ちゃんの気持ちがね」
ゆりは告げる。
優しく、けれど自信満々な強い声音であった。
「いいことを教えてあげるわ、りんちゃん。お姉ちゃんっていうのはね、家族のことを守ろうと考える、強くて優しい人なのよ」
「ひっく……ゆり、お姉ちゃん?」
「あたしもそう……いえ、そうありたいと思っている。だから、あなたのお姉ちゃんはすごいって思っちゃうわ。最後まで、あなたの優しいお姉ちゃんでいられたのだから。
断言していいわ。あなたのお姉ちゃんはね、自分の幸せがりんちゃんに奪われた、なんて一切思っていない。絶対に、よ。りんちゃんのことを、守りたい。家族のことを、守りたい。その一心で、たったその一心で、その人はずっと戦い続けたのよ」
「わ、わたしのために……ぐす、うわああああああああああん⁉」
「だから、いいのよ、りんちゃん。結果的に、あなたは病で亡くなってしまったけれど……そんな残酷な結末になってしまったけれど。あなたのために戦い続けた「彼女」に、後悔なんてない。あるはずが、ないのよ」
由比ヶ浜は、泣いた。泣き続けた。それは痛々しい声だった。けれど……そんな彼女を守る、慰めようとする姉がいた。それはゆりだけど、ゆりじゃない。そこにいるのは、彼女のために戦い続けた、献身的な由比ヶ浜の「姉」だった。
「ありがとう。ゆりお姉ちゃん、ありがとう……」
由比ヶ浜はそう言って、涙目ながらも、笑顔を浮かべた。
「大好きだよ、お姉ちゃん……」
それが、最後の言葉だった。
由比ヶ浜の姿は忽然と消え、卒業していった。
「……ゆり」
声をかけると、ゆりはぐっと体を伸ばし、わざとらしく大きな声を上げた。
「――さて、と。家族ごっこは終わり。りんちゃん、納得してくれたようで良かったわ」
「ああ。そうだな」
「なんだか、良い気分転換になったわ……あの子達が高校生になれていたら、ああいう風に、笑えていたんだろうなって。そう思えたわ」
「……ゆり」
「未来を理不尽に奪っていった世界を、あたしはやっぱり、許すことは出来ないわ。見たでしょ。あんなに可愛く笑ってくれるのよ? それを、理不尽にも踏みにじるなんて……消し去るなんて。神なんか、どつき回してやるんだから。絶対に、絶対によ!」
ゆりは夕日に向かって、挑戦するようにそう宣言した。
神への復讐の決意を新たにしたその姿は、どこか凛々しく、だけど――やはりどこか危うい、そんなアンバランスさがあった。
ああ。やってやるよ。
俺はお前に惚れてしまった。
だから、何度だって誓ってやる。
その復讐に、最後までついていくからな。
例えその道が、地獄の底へと繋がっていたとしても。