夜。眠っていたはずだった。だけど意識ははっきりとしている、不思議な感覚。薄暗い、不気味な部屋だった。壁には無数のモニターが並べられており、奥には複数のパソコンが置かれている。ファンの回転する音が止むことなく聞こえ、床に散乱する複数のケーブルが生き物のように絡まり合っていた。
「ここに貴様がいるということは、もう私は彼のプログラムに飲み込まれたということになる」
仰々しい声が、そんなことを言い放つ。
俺は視線を上げて、声の主を見た。
黒縁の眼鏡をかけた、平凡な男子生徒。NPCだ。だけど、纏う雰囲気が浮世離れしており、彼が只者ではないことを証明させる。もう昔のことだが――生前、こういうタイプの人間には良い思い出がない。用心しなくてはならない類の人間だ。
「誰だ? というか、ここはどこなんだ……」
夢なのか現実なのかすら判明しない、意識の中で起きる世界で、俺は問いかける。
少年は肩をすくめた。
「説明をしている暇はない。時間がないんだ、カウンター。先ほども言った通り、おそらく私は彼に敗北している。今頃は、記憶を無くして呑気に学園生活を謳歌していることだろう」
「……?」
「不服ではあるが。もしも私が敗北した時、彼を止めるために、桜木 春斗をカウンターにするプログラムを組んでいた。受け取れ。この世界の意志を守るも、舞台が破滅するのを見届けるのも、好きにするがいい」
「あ、ありがとう。助かったよ」
「ああ? 勘違いするんじゃねえぞ」
「ひいいっ⁉ やっぱりこいつら、味方じゃねえ!」
戦線のサポートメンバーに睨みをきかせてやると、そそくさとそいつらは逃げていった。胸糞悪い奴らだ。
「春斗。睨んじゃダメよ」
お人好しなかなでが、俺を窘める。
……影、そして天使の力を操るNPCの襲来から数日。
ゆりの提案により、俺達と戦線の間で一時的な停戦が敷かれ、かなでは影と謎の天使の迎撃に当てられた。
俺はゆりの言うことを聞くことに反対であったが、優しいかなではこれをあっさりと承諾。
こうして、戦線メンバーを助ける日々が続いているのだが……。
「かなで。あいつらがやったこと、忘れたわけじゃないだろうな」
戦線はかなでを攻撃し、執拗な嫌がらせまでした。
そして挙句の果てに、かなでが強いからと言って、影と謎の天使の迎撃なんてリスクのある役割を押しつけるだなんて、どこまで身勝手な奴らなんだ。
「春斗も助けてって」
「……あの場はな。けど、この話は違う。かなでがどんどん傷つく」
事実、戦闘は言うほど楽勝ではない。
今回の戦闘後も、かなでの体には生々しい傷がついていた。綺麗で愛らしい肌に、なんてことをしてくれる。
「けど、みんなを助けないと」
が、当の本人はこれである。
全く、どこまでお人よしなのか。
俺はかなでの頭を撫でる。かなではされるがまま、じっとこちらを見上げた。
「かなで。一つ、重要な話がある」
「なに?」
「あまりに急な話で、困惑するかもしれないし、信じられないかもしれない。それでも聞いてほしい」
「春斗の言うことなら、信じるわ」
「……そうか。なら、単刀直入に言う。実はな、この騒動を解決する力が、俺にある。というより、そのためにこの世界へ呼ばれたみたいなんだ」
かなでは目を丸くして、小首を傾げた。
まあ、突拍子もない話だから、すぐには飲み込めないよな。
息を整えて、一番伝えなくてはいけないことを、伝える。
「だから、な。この事件が解決したら、俺はこの世界を去らなくてはいけない。そういう運命ならしい」
とある世界では、カウンターとしての役割を全うし、紛い物として舞台を去った。
とある世界では、舞台へ上がり、物語の最後を見届けた。
いずれも世界の秩序を守り、迷える魂を春へ導く。
世界を変えるわけでも、物語を変えるわけでもない。ただ、イレギュラーや紛い物を排除し、彼女達を本来のハッピーエンド、卒業へと向かわせる役割。
それが俺、桜木 春斗という存在だ。
「で、だ。一つはっきりさせたいことがある」
俺達は屋上へと移動していた。天気は晴れ渡り、外ではNPC達が放課後の青春を迎えている。世界がイレギュラーに襲われているというのに、変な話だ。
「なに?」
「かなで。お前は本当に、人なのか?」
かなでがなにを今更、とでもいうように首を傾げた。
「あたしは人よ?」
「生前の記憶があるってことか」
「遠い昔のことだから、よく覚えてはいないわ」
「それでも。なにか未練があるから、この世界にいるんじゃないのか」
俺が言ってやると、かなではうーん、と唸った。
「それも昔のことだから、忘れてしまったわ」
「ええ⁉ そ、そうなのか?」
「と、見せかけて覚えているわ」
「どっちだよ! おちょくってんのか、この天然!」
頬を引っ張ってやると、かなでが「ひゃひゃのひょうひゃんよ」とわけのわからないことを口走る。
「かなで、頼む。お前の未練を教えてくれ」
「どうして?」
「……この世界を去る前に。俺はお前の未練を晴らしたい。生前のことを打ち明けたくないのはわかる、それでも。俺は、お前と共にここを去りたいんだ」
俺が言うとかなでは困ったように眉を顰めた。
「話したくないわけじゃないの。ただ……」
「ただ?」
「無理よ。あなたが協力しても、どうにかなる話ではないの」
そうして、俺はかなでの未練を聞いた。
それはたしかに、ひどく途方もない話であった。
生前のことをあまり覚えていない、というのは本当のことならしい。ただ、彼女の未練事態ははっきりと覚えているらしい。
そしてその内容は、自身へ臓器を提供してくれた人物へお礼をしたい、というものであった。
「……それ、何百年かけても巡り合えるかわからねえぞ」
臓器提供した魂がこの世界へ迷い込むなんて、天文学的数字だ。
そもそも、提供者だとどうやって確かめればいいのか。
仮に生前であっても、臓器提供者を特定するのは不可能だ。個人情報の保護がある。つまりかなでの願いはとことん現実的じゃない。絵空事だ。
「ええ。現にこれまで、会えることはなかったわ。けれど」
「けれど?」
「一人だけ。そうかもしれないって、思う人がいるわ」
そんなわけで一人の名前、音無 結弦が上がったわけなのだが……。
「といっても、提供者なだけで、相手がお前とは限らないしな……」
「でも、可能性はあるわ」
「そりゃ可能性はな。ミリ単位の」
正直、あまり期待はしていない。
だけどこれ以上、時間を引き延ばせない。俺には時間がなく、これ以上かなでの側にはいられない。
俺は、彼女を一人にしたくない。当然だ。となればその限られた時間の中で、どうにかしてこの問題を解決しなくてはならない。
「とりあえず。会って話してみるか」
いつも通り戦線メンバーを助け、その報酬として音無の目撃情報を集めた。結果、連絡橋の下で銃の訓練をしていることが判明し、俺達はさっそくそこへ向かうことにした。そこには音無と日向がいて、二人はほとんど反射的な行動で銃をしまう。まあでも、この緊急事態の下、俺もかなでも銃を取り上げようとは考えない。明らかにそれどころじゃないからな。
「ドナー提供? 妙なことを聞くな」
音無が怪訝そうに聞き返す。単刀直入に聞いたから、まあ仕方ないか。
「かなでがお前を一突きした時、心臓がないことに気づいたらしくてな。それで気になったんだ」
「あー……俺、医者目指していてさ。だから、もしかすると登録はしていたのかもしれない。けど、悪いな。はっきりとは覚えていない」
その様子を見た日向が、一つ補足を入れた。
「こいつ、最近記憶取り戻したばかりだからよ。それも、直井の催眠術で」
「催眠術?」
「あいつ、生徒会のメンバー従えていただろ? あれ、催眠術でやっていたらしいぜ。たく、執念深い奴だぜ」
「……」
俺はとある考えが浮かんで、音無達へある提案を思いついた。
「お前らに頼みがある。かなでがお前らのために力を貸しているんだ。いいだろう?」
音無達はかなり怪しんではいたが、俺の提案を受け入れてくれた。そう。直井の催眠術。俺はそこに着目した。
取り戻すのは音無の記憶――ではなく、かなでの方。
それも、かなでの記憶に対してではない。
……小さな。本当に、小さな希望だけれど。
臓器提供者の記憶が、臓器を通じて稀に流れ込んでくることがあるという。それは医学的には説明不能なことならしく、なんの根拠もない話ではあるが……もしもかなでの心臓が、音無の心臓なのだとしたら。直井文人の催眠術で、その眠った臓器提供者の記憶が蘇る可能性が、一パーセントでもあるのではないだろうか。
だとすらなら、試してみる価値はある。
場所は生徒会室。直井は音無の言うことならよく聞くようだが、ここで我慢が出来ない、とばかりに日向が手を上げた。
「つーかよ、さっきから話がおかしくね?」
「なにがだ」
問われることはわかりきっているが、俺はあえてそう返す。
「……そいつ、天使だろ? さっきから記憶だどーとか、ドナー提供者がどうとか、なにを言っているんだ? 人じゃねーんだからよ」
かなでは首を横に振る。
「あたしは天使じゃないわ」
その言葉に、音無は顎に手を当てて考え込んだ。
「なあ、日向。彼女の言っていること、そのままの意味なんじゃないのか?」
「はあ⁉ 音無、お前までなにを言っているんだよ!」
「ゆりのオペレーション「天使エリア侵入ミッション」、覚えているか。ANGEL PLAYERってソフトウェアがあった」
「え? ああ……あの時か。それがどーした」
「ソフトウェアを使って能力を開発しているってことはさ。俺達と同じように、自分で力を作っているってことになるだろ。世界のルールに則って。けど、それっておかしくないか? 天使なら、神様から力を授かればいいだろ?」
「それは……まあ、そうだけどよ」
「それに。この間、日向も見ただろ。桜木へのあの心の開き方は、恋する女の子のものだ。あれは天使の反応じゃない。そうは思わないか?」
「……」
日向が唖然とする。まあ、当然だろう。長年、ずっと天使だと思っていたのだ。それが違うだなんて今更言われても、すぐには受け入れられないだろう。
直井も同様であった。口では「さすがは音無さんですね……」と言いながらも、どこかぼんやりとしていた。その顔は思考に耽っている。
「お前ら、考えるのは後にしてくれないか。とりあえず今は、かなでの記憶を戻してほしい」
それには直井が反応した。
「おい、桜木 春斗。簡単に言うがな……はっきり言って、無謀だ。心臓から記憶を取り戻すなどと。そこにメモリーはないんだぞ」
「ああ、そうだな。けど、提供者の記憶の欠片が少しでもあるなら、希望はある」
「……まあ、いい。立華さん、座ってください」
かなではこくりと頷き、直井と対面のパイプ椅子に座った。
「僕の目を見て。あなたはこれから、心臓の鼓動の音に全ての意識を向けてください。さあ、目を閉じて。その音が、眠った記憶の元へあなたを導くでしょう」
すう、とかなでは眠りについた。直井はため息をつく。
長い、長い時間が流れた。
そうして、かなでは無事に目を覚ます。
臓器提供者は、音無 結弦のもので間違いなかった。
かなでが見た記憶の欠片は、音無の生前の出来事であった。それがなんであったかは、音無の生前にも関われることでもあるから、無理に聞き出すことは出来ない。だけど、かなではこれにて、晴れて臓器提供者へ感謝の気持ちを伝えることが出来たようだ。
夜。夕食もとり終え、俺はかなでの部屋にいた。ベッドの上で抱き合う。きっと、これが最後の夜になる。
「良かったな。未練が晴れて」
「ええ。あなたのおかげよ」
「そんなことねえよ」
音無がこの世界へ来てくれてよかった。そうしなければ、かなでは延々とこの世界のいたのだから。
「もう、この世界に未練はないな?」
「ええ。そうね」
「そうか。今までありがとうな、かなで」
「ええ」
「……」
「……」
かなでは俺の腕の中で、すうすうと寝息を立て始める。
いや、ちょっと待て。
「おい、起きろ」
「ん……なに? 眠いわ」
「未練がないんじゃないのか」
「そうね」
「なら、何故ここにいる」
「あなたがここにいるわ」
「なに?」
「春斗を見送るまでは、ここにいるわよ。愛しているもの」
かなではそう言って、俺の胸元へ顔をうずめた。
……全く。本当に、お人よしな奴だ。
「仕方ない奴だな」
「ダメ?」
「いいや。好きにしろよ」
「なら、側にいるわ」
かなでの美しい銀髪を撫でる。彼女は気持ちよさそうに、身じろぎをした。
役割を果たしたら、俺はかなでと共にこの学園を去るだろう。だけどその時までは、この温もりを感じていようと思った。