「くそ。結局、もう夕方じゃねえか……」
夕日の下をトボトボと歩きながら、俺は愕然と呟く。
立華、もとい生徒会からようやく解放され自由を得たものの、時刻は六時。一日はあっという間に過ぎていくな。
まあ、この世界では実質、時間は無限に流れているわけなんだが……。
「桜木さん」
「ん? ああ、遊佐か」
唐突に現れた金髪の美少女――遊佐の声が背後からして、振り返る。
もはや驚きなんてしない。いつものことだから、慣れてしまったのだ。
「ゆりっぺさんが呼んでいます」
神出鬼没な彼女は、戦線の通信士として活躍している。いわばゆりとメンバーを繋ぐ存在だ。俺とゆりの間も、その例外ではない。
ふと、俺は手元に持っていたキーコーヒーに目をやった。
「遊佐。コーヒー飲むか? ああ、ちゃんと口つけてないやつだから、安心しろ」
「いりません」
「コーヒー、嫌いか?」
「嫌いではありません」
「そっか。飲めるは、飲めるんだな」
「そうですね」
「夕日、綺麗だよな。この世界は自然が多いせいか、空が綺麗だ」
「そうですね」
「ゆりは機嫌良いか?」
「普通です」
淡々とした答え。俺は遊佐の顔をじっと見た。無表情だが、どこか惹きこまれる、人形のように整った顔立ち。その幻想的で、精緻な容姿は浮世離れした魅力を放っていた。
「なんでしょう?」
遊佐が首を傾げる。
彼女は見送るまでが自分の役割、と思っている。だから俺が立ち去らない限りは基本、ここにずっといる。
俺はいつも、出来るだけ遊佐にたくさん声をかけてから、去ろうとしていた。
それがどんなつまらない話題でも、中身のない話だとしても。
そうすることが、習慣になっていた。
「別に。遊佐と少し話がしたい。そういう風に、思っただけだ」
「そうですか」
「遊佐は、あんまり人と喋るのが好きじゃないのか?」
「どちらでもありません」
「俺と喋ることは?」
「どちらでもありません」
つれない返事。
だけど、答えてくれないわけじゃない。露骨に突き放すわけでもない。
なら、声をかけたっていいんじゃないか、というのが俺の持論である。
「好きな飲み物はないのか? 今度はそれをごちそうしてや――」
「――お前は、この世界へナンパしに来たのかああああああああああ!」
「うおうっ⁉」
慌ててしゃがみ込む。頭上をしゅん! という鋭く風を切る音が横切った。
後ずさりしつつ、振り返る。そこにはハイキックを終え、仁王立ちするゆりがいた。
「避けるんじゃないわよ!」
「避けるに決まっているだろ! じゃねえと頭蓋骨砕きかねない勢いのキックを食らうところだったわ!」
「砕くつもりだったのよ!」
「ツッコミでそこまでするのかよ⁉」
「なんかムカついたのよ!」
「それって嫉妬――って、だから、あぶねえ!」
再びハイキックが放たれ、回避する。
たく、俺の指導とはいえ、本気で恐ろしいキック力を秘めている。普通に死ぬっての。まあ、この世界は死後の世界だから……死んでも、蘇るんだけどな。
「たく、アンタは毎回毎回、遊佐さんにベタベタして。嫌がっているのがわからないのかしら?」
「ええー。そんな風に決めつけるなっての」
「あのね。あたしも遊佐さんも、神への復讐を誓っているの。アンタみたいに、チャランポランなわけじゃないのよ! 攻略しようとするな!」
「それとこれは話が別だと思うけどな」
「ええい、うっさい! ほら、行くわよ! 時間がもったいないわ!」
「いだだだだ! だから、立華といい、首根っこを掴むな⁉ 流行っているのか!」
ゆりに連れていかれながらも、俺は遊佐に手を振った。
「またな、遊佐!」
「はい」
遊佐はそう言って、小さく――本当に小さく、手を振り返してくれた。
ゆりとのファーストコンタクトは、最悪なものだった。
元々、俺は立華と共に学園生活を謳歌していた身だ。
だから……驚いた。
戦線の存在もそうだが、立華が野暮ったい野郎に囲まれ、銃を撃たれていたからだ。
……まあ、立華がチート級に強すぎて、むしろ余裕がないのは、バチバチに武装した連中の方なのだが。
しかし見逃される所業ではなかった。
ある日。俺は立華が戦線から没収したらしい銃を持って、戦闘に参加。
食堂からは人気バンドであるガルデモの「crow song」が流れている。木々の茂みに隠れ、野郎が手に持っていた銃を的確に狙撃し、撃ち落とした。
「え? な、なんだ⁉ 天使の攻撃……じゃないよな?」
青い髪の少年が驚愕の表情を浮かべる。
「敵か⁉」
やさぐれた雰囲気の男が、立華を撃ちながらも、意識を他へ向ける。
刹那、指揮が乱れた。
その隙をついて立華が一気に連中を蹴散らす。「うわああああああ⁉」 と悲鳴が上がり、戦線はあっという間に全滅した。その後、改造した制服を着た女子生徒が立華に立ちふさがる。両者の戦闘は壮絶なものであった。立華のハンドソニックを、まるで忍者のように、忍刀をもってさばく。あの美人は、連中のエースなのだということが、すぐにわかった。
……あのレベルの戦闘に介入するのは難しい。だけど、サポートとしては十分だ。
その場から離れる。刹那、嫌な感じがした。慌てて木の陰に隠れ、身を伏せる。瞬間、銃声がして、俺のいたところに銃弾がヒュン! と横切っていった。危ない。あのままなにも考えずに動いていたら、撃ち抜かれていた。
「……」
俺は息を顰める。
物音はしない。風の音もしない。ただ、食堂から「crow song」の音だけが聞こえる。
キン、という金属音がした。
クソが。手榴弾だ。俺は舌打ちをして、その場から跳ねるように移動。
耳をつんざくような爆発音。だけど、悪手だったな。おかげで、敵の居場所が割れた。俺は音に乗じて一気に移動し、人影を捉えた。
そこにいたのが――銃を手にした、ゆりだった。
俺は、ゆりを背後から腕で首を絞める。力強く。ゆりは暴れようとしたが、その瞬間に左手で銃を掴み、適当なところへぶん投げた。そのまま左手でナイフを取り出し、ゆりの眼前に突きつける。
観念したのか、両手を挙げられた。腕の力を弱めると、ゆりはゲホゲホとむせた。彼女の体からは良い香りがする。こんな場面だというのに、少し胸が高鳴った。
「あなた、何者よ? NPCじゃないわよね」
問いかけに、答えてやった。
「桜木 春斗。副会長だ、よろしく」
「……皮肉な名前ね」
「なんでだよ」
「春。卒業を彷彿とさせるからよ」
まあ、卒業こそがこの世界の存在理由だからな。たしかに、皮肉だ。春を彷彿とさせる名前の俺なのに、消えることが出来ないのだから。
「あんたは?」
「ゆり。みんなから、ゆりって呼ばれているわ」
「ゆり……たしか、初夏に咲く花か。似合っているな。たしかに、ゆりの花のように美しい女の子だ」
「どうでもいい。あたしが聞きたいのは、名前じゃないわ。あなたのことは調べていたから、知っていた」
「調べていた? なんで?」
「あなたの力が、戦線にほしいからよ」
戦線。俺はその時になって、初めてクラスSSSを知った。
そして同時に、初めての勧誘も、受けたのであった。
ゆりとは屋上で会ったりして、話をするようになった。俺の生前は話して、何故かこの学園で消えることが出来ないことも打ち明けた。
そしてゆりからは、死んだ世界戦線のことを聞いた。
その上で再び勧誘を受けたが、返事は保留。
ゆりは訝しげに、眉を顰めた。
「あなたは、天使の味方なのかしら」
脳裏には、一緒に生徒会業務をしてきた立華 かなでの顔が浮かぶ。優しくて、穏やかで、愛らしい少女。
俺が……立華の、味方?
たしかに、敵ではない。だけど……だからといって、ゆりの味方になるのかと聞かれると、それにも首を横に触れる。
つまり……答えを、出せずにいたのだ。
「……わからない」
「呆れたわ。そんな中途半端な信念で、我が戦線の邪魔をしたというの?」
ゆりの目には、剣呑とした雰囲気が宿る。
彼女の中には常に――凄絶な憎悪が渦巻いている。そしてその感情は世界への理不尽、神へと向けられているのだ。
「そ、それは……」
「ま、いいわよ。逆を言えば、その力はまだ誰のものにもなっていない。そういうことよね?」
「……まあ、そうだな」
俺は迷った。
何故だろうか。強い信念を持つけれど、どこか危うく、恐ろしいゆりに強く惹き込まれている。だけど、だからといってその思想に賛同出来ない。こいつは長い間ずっと、ずっと忌まわしい記憶を一人で抱えて、抗っているのだ。
その復讐を共にすることが……本当に、こいつのためになるのか。それが正しいことなのか。
わからない。しかしこれだけは言える。
俺は仲村 ゆりという少女が、気になっているのだ。
別の日にも戦線のオペレーションが起動していた。その日は強い雨が降っていた。立華は攻撃されている。俺はなにかしようと銃を持ち、物陰に隠れて息を潜めていたが、なにも出来ずにいた。
雨に視界を遮られながら、容赦なく立華に攻撃する戦線メンバー。
……ダメだ。どっちが正しいかなんて、わかるわけがない。
大体、これはそういう問題でもないんだ。
俺が口を出していい問題じゃない。といって、放置するのか? 両者が争っているのを、傍観していろと?
それも出来ない。答えを出せずにいた、その刹那――自分へ向けられた、銃声がした。俺は慌てて身を伏せる。雨音のせいで、上手く方向が割り出せない。視界も悪い。まあ、悪い状況なのは相手も同じだが。
「良い反応ね。本当なら、あなたの相手は椎名さんじゃないと務まらないのだけど……生憎、天使相手にこれ以上戦力は避けないのよ。困ったものね」
ゆりの声が聞こえる。
「ゆり!」
「桜木くん。あたし達の邪魔をしないで。これは警告よ」
「そんなつもりじゃねえよ!」
「言っておくけど、あたしは冷酷よ。手段は選ばない」
「なに?」
「二度目は容赦しないわ。あなたのことを……徹底的に痛めつけて、苦しませて、殺してやるわ。逆らうなんて馬鹿な考えを、二度と起こせない体にしてあげる」
ゆりのその声は低く、心臓の底を冷たくするのかのような、恐ろしいものだった。
戦線のリーダーとして、神を憎む者として、彼女は声を上げた。
俺は……ムカついた。
ふざけんな。
そんな恐ろしい声……出すんじゃねえよ。
顔は見えないけど、どうせロクな顔してないだろう。非情で、恐ろしくて、悪魔のような形相をしているに違いない。文字通り、手段を選ばない屈強な戦士のように。
だけど……なんか、嫌だ。納得できねえ。
ゆりは神を憎んでいる。強く、俺が想像できないくらいに。だから、そんな恐ろしい声を出させたり、怖い顔をさせたりする。
でも……似合わねえよ。
俺は、お前にそんな顔をさせたくない。
そんな声を出させたくない。
笑っていてほしいし、バカみたいに大きな声でツッコミを入れたり、ぎゃあぎゃあ騒いでほしい。
俺は、そういうお前が好きなんだよ。
だから……やってやるよ。
「ああ。わかった。俺も容赦しない」
ナイフを構える。負けない。ゆりほどの信念はなくても……立華ほどの力がなくても。俺には俺の、出来ることをやってやる。
「お前を殺すつもりでいく。覚悟しろ」
「上等よ、桜木 春斗!」
俺が物陰から飛び出す。ゆりも飛び出し、銃を構え早撃ちした。だけど銃口からコースを読んだ俺は体を逸らし、回避。左肩に銃弾がかすめたが、軽傷だ。俺はすぐさまゆりに飛びつき、押し倒した。喉元にナイフを突きつける。
「二連敗だな、ゆり」
「……そのようね。とどめを刺さないのかしら?」
「刺したって、どうせ蘇るだろ」
「そうね。あまり意味はないわ」
俺はゆりに乗っかったまま、その顔を見る。端正な顔立ち。クラスに一人はいる、美人な少女。スタイルは良く、ルックスの高さも相まって、確実に男子生徒の人気を集めるタイプの女の子だ。
雨に濡れた姿は、とても艶美であった。制服は透けて、白いブラジャーが浮かび上がっている。
「守りたい全てを、三十分で奪われたのよ」
「……生前の話か?」
ゆりはこくりと頷く。
……その口から飛び出したのは、とんでもなく重い話で合った。
四人兄弟の長女であった彼女は、その日までは立派なお姉ちゃんをやれたつもりだった。だけど、ある日。家に強盗がやってきて、三人の兄弟は全員殺された。警察が駆けつけたのは三十分後。
生き残ったのは……ゆり、たった一人であったのだという。
「あまりにも理不尽じゃない。だからあたしは神に……この理不尽を問いただしたいのよ」
「……」
「あなたにも、わかるでしょう? 忌まわしい生前の記憶があるでしょう? それなら……」
首を縦にも、横にも触れない。
特殊部隊であった俺は……まあ、ゆりほどじゃないにしろ、確かにハッピーな人生ではなかった。
学校に行けず、特殊な教育と訓練を受け、任務をこなす毎日。
文字通り、組織や国のために命を捧げる、機械だったのだ。
それがおかしいとは思わなかった。皮肉なことに、気がついたのはこの世界へ来てからだ。本当は、俺ぐらいの年の少年は、学校へ行ってダラダラしたり、部活をしたり、勉強したり、恋をしたりするのが普通なのだ。
それなのに、俺はそんな「当たり前」が許されなかった。
理不尽な運命の前に、誰もが享受する幸福は打ち砕かれたのだ。
「共に、戦いましょう。あたしは、あなたの味方よ」
ゆりの美しい相貌が、真っ直ぐにこちらを見つめる。
わかった。共にその復讐を誓おう――そう言ってしまいそうになる、魅力がある。
だけど、俺は首を横に振った。
「俺はもう、なにかに縛られるのは御免だ。自由に動く。立華の味方もしないが、といってゆりの味方にもならない」
「……桜木くん」
「だけど、これだけは約束しよう。お前達の邪魔は、もう二度としない」
「そう。残念ね……本当に、残念だわ」
「そんなに俺が欲しいのかよ?」
「欲しいわよ。元軍人だなんて、一級品じゃない。我が戦線はまだ、創立二年なのよ。全体的に実力不足が否めない。あたしや幹部連中を鍛えてほしかったわ」
「それはどうも。まあ、自己鍛錬に付き合うくらいはいいぞ?」
「あら、本当? でもその行い、天使と対立することになるんじゃないかしら」
「これくらいは大丈夫だろ」
「ふうん。で、いつまであたしの上に乗っかっているのよ?」
「え?」
「……恥ずかしいんだけど」
押し倒されたゆりが、目を逸らす。
嫌でも、透けて見える白いブラジャーを見てしまう。スタイルが良いから、胸も大きく見える。んー。服越しでもわかる、この肢体の素晴らしさ。興奮する。
「ここ、絶景だからな。ブラジャー、白いんだな。似合っているぞ」
「っ⁉ こんの、変態!」
ゆりが思いっきり俺の金玉を蹴り上げる。
さすがに油断していたので、モロに食らう。「ぐはあ⁉」と苦悶の声を上げながら、俺はその場にうずくまった。
「……バカ」
ゆりが胸を腕で隠しながら、小声でそう言い捨て、立ち去っていった。