デジャブってやつだ。
あの時、卒業式の夢と同じ感覚。
そう。これは夢だ。
また、夢なんだ。
だけど、一つ一つの感触生々しい。そして漠然と、俺にとって大事な啓示なのだと思わせる、なにかがある。
黒い影がいた。
それは底なしに真っ黒で、宇宙に浮かぶダークマターを彷彿とさせるものであった。深淵なる黒は、ゆらゆらと揺らめき、俺の体に覆いかぶさる。
「っ⁉」
苦しい。息が出来ない。
だが、その苦しみはすぐに開放されることとなる。
「やめてください。どの道、彼は長くこの世界にはいられません。リセットすべき対象にはならない――いえ、なれないでしょう」
少年の声。どこか、幻想的で美しい声であった。
声に従うように、黒い影が消えていく。
異常な圧迫感が、嘘のように消えた。
「ここ、は……?」
異常な頭痛に苛まれていたが、なんとかして体を起こす。
大量のPC、モニター囲まれた部屋であった。
モニターの一角に、とある文字が浮かび上がっているのが印象的である。そこには仰々しいフォントで、こう描かれていた。
――ANGEL PLAYER。
「迷い人。カウンター。本来は、舞台へ上がってはいけない役者。実に興味深いバグだ。この世界を変えるほどではない。けれど、君は極めてイレギュラーな事態を起こしている。色々と、ね」
声の主は、NPCと同じ制服を着た少年であった。
どこか作り物じみて、無機質な――けれど、美しい少年だ。
「誰だ、あんた……?」
「僕ですか? そうですね。その答えを明確に示す言葉が、僕の中にはありません。申し訳ございません。それに説明したところで、今のあなたには理解できないでしょう。何故なら、ここは本来、自分の力で辿り着いた者によって、導かれる場所なのですから」
「なんだよ、それ?」
言っていることのすべてが意味不明だ。
「ですが、これだけは言えます。あなたはここへ、導かれるべくして導かれた。夢という形で、ね」
「っ⁉」
俺は息を飲んだ。
夢。夢、とこの男は言った。
「お前……俺が、今夢を見ていることがわかるのか!」
「ええ。何故なら、ANGEL PLAYERがあなたをここへ導いたからです」
「ANGEL PLAYER……?」
「失礼。これに関しても、今のあなたには残念ながら、理解出来ない事柄です」
「っ⁉ それなら、あの夢は⁉ 卒業式の! あの夢のことを教えてくれ! 知っているんだろ! 俺は……俺は、ゆりの傍にはいられないっていうのか!」
俺が激高した。必死だった。
縋るような思いだった。何が起きているのかは、さっぱりわからない。あの夢だって、百パーセント信じているわけじゃない。
だけど……この胸騒ぎが、止まらないのだ。
ゆりを愛せれば愛するほど――俺は、この世界にいづらさを感じているのだ。
どうして。どうして?
ゆりの傍にいられなかったら、彼女を救うことが出来ない。それなのに、何故この世界は俺を拒もうとしている?
この違和感は。
この夢は。
この不安の正体は、なんだ?
「夢。そう、あなたは夢を見た。未来の夢を。正確に言えば、この世界ではなく別の可能性の未来ですが。パラレルワールド。こちらの世界から、並行世界のデータと接続する。量子コンピューターと似た理屈なのでしょうか。驚きました。このプロクラムに、そんな力が眠っていたとは」
「プログラム……? パラレルワールド? さっきから、なにを言っている?」
「そうですね。わかるように言うと、ここはこの世のマテリアルを製造出来る場所です。あなたが知っているところで言えば、土から武器を作るギルドのようなものですよ」
「……マテリアル」
「ええ、そうです。あなたはANGEL PLAYERが持つ可能性を存分に引き出し、未来を見たんです。この世界にとっては、別の可能性という形で存在する未来、故にこの世のマテリアルとして製造されたのでしょう」
「なんで。なんで、俺なんだ。この世界のいづらさの正体は、なんだ?」
「あなたはこの世界から卒業出来ない。違いますか?」
「……ああ。そうだ」
ゆりが言っていた。この世界のルールに従えば、本来は消えるはずだと。だから、俺は「イレギュラー」だと。だから、神へ通ずる「なにか」だと彼女は勘違いした。
「そうでしょうね。何故なら、あなたは「そういう風に作られた」のですか」
「なに……? 作った? 誰が? どうやって?」
「このANGEL PLAYERを使って、ですよ。あなたを呼び出した人間は、とんでもない技術の持ち主のようだ。あなたという魂をこの世界に呼び出し、しばりつけたんです」
「……天界の使徒か?」
俺の問いかけに、少年は目をつむる。
「天界の使徒。そう。彼は、己を神にしようとしている。あなたはそのために必要なピースだったようですね。もっとも、あまり意味はなかったように思えますが。むしろあなたは彼に対するカウンターになるでしょう」
くそ。なにか重要なことを言っている気がするのに、こいつがなにを言っているのかさっぱりわからない。
「どういうことだ?」
「今、あなたの中には二つのANGEL PLAYERの力が宿っています。一つは、天界の使徒による「鎖」。もう一つは……僕を作った「彼」による「リセット」です」
「……?」
「あなたには今、愛がある。違いますか?」
「あ、ああ? 愛……? なんだ、いきなり」
「これは真面目な問いです。あなたの心には今、愛がありますか?」
さっきから意味がわからない話が続くと思いきや、今度は突拍子もない質問。
まあ、ゆりのことなのだろうが……。
「好きな人はいる」
「そう。好きな人。愛すべき人。かつて僕を作った彼も、同じでした」
「同じ……? この世界で、恋をしたのか?」
「ええ。そうです。本来であれば、恋をすれば満たされてこの世界を去ってしまう。けれど、もしもそうならなかった場合。それでもなお、この世界に留まり続けてしまった場合。そうなってしまった場合、この世界は本来の役割とは違うものとなってしまう」
「……それって、まさか」
「そう。この世界で愛が芽生えてしまえば、ここは永遠の楽園になってしまう。そうなってはならないと、考えた人間がいた。それが……「彼」でした」
「俺は、禁忌を犯したとでも言うのか?」
「少なくとも「彼」はそう考えるでしょう。「彼」はこの世界を「卒業すべき場所」だと考えていましたから。いいですか、「彼」のANGEL PLAYERの起動条件は「愛」です。あなたはリセットするべき対象だと認識されたのです」
「は、は。そうかよ。そういうことかよ……!」
つまり、俺は……この世界のバグ。
邪魔者だと認識されているのか。
ゆりを愛して、ゆりの恋人になって。
それがこの世界のルールに反するから、消されようとしている。
あの夢の正体は……それだったのか。この世界の居心地の悪さは、それだったのか。
「ANGEL PLAYERはあなたに未来の景色を見させた。そうですね?」
「……ああ」
「ANGEL PLAYERは本来、この世界に対して不条理に発動するものです。が、今回はそうならなかった。あなたさえ取り除けばこの世界のルールを守れると判断したからです」
「俺は、ここから消えなくちゃいけないのか?」
「さあ。それを決めるのは、あなたです」
愛。永遠の楽園。未来の夢。卒業式。パラレルワールド。
そして、ANGEL PLAYER。
……卒業すべき世界、か。
最初はわけのわからないことを言う奴だと思ったが、なるほど。言いたいことはわかった。たしかに、この世界で愛が芽生えたら、ここは永遠の楽園になってしまう。
この世界の存在に、反することだ。
「あの夢の意味はなんだ?」
「さあ。僕にもわかりません」
「お前は、あの未来がパラレルワールドだと言ったな……ゆりは「あの少年」と共にこの世界を卒業する。いつかは、卒業出来る。そういう「可能性」がある。ゲームでいうところの「ハッピーエンドルート」ってところか。だからANGEL PLAYERは、ゆりに対しては発動していない。そういうことか?」
「失礼ながら、彼女からも大きな愛が観測しています。あなたに対してね。本来であればあなた達二人は「リセット」の対象になります。「影」の餌食になります。ですが、彼女にはANGEL PLAYERが発動していない。それだけは断言できます」
「わかった。それがわかればいい」
この世界から消されようとしているのは、ゆりじゃなくて俺。
それがわかれば、とりあえずは十分だ。
あとは、もう一つ。
「天界の使徒は、何故俺を縛りつけた?」
「わかりません。ただ、事実としてANGEL PLAYERを使いあなたを呼び出し、この世界に縛りました。それだけです。ちなみに、そのおかげでこちらのANGEL PLAYERも上手く発動していない要因になっています。プログラム同士が喧嘩しているのです。だから、妥協案としてあの「夢」を見させた。影が現れないのも、そのおかげです。あなたには今、猶予が与えられているんですよ」
「……わかった。ありがとう。あなたのおかげで、ちょっと見えてきた。この世界のこと、そして俺自身のことが」
「信じるのですか?」
「信じるさ。何故なら……」
意識が遠のいていく。夢が終わるのだろう。いや、違う。ANGEL PLAYER。そのプログラムが、俺をここへ押しとどめている。だけど、それも時間の限界なのだろう。あとは俺がどうするのか。どうすればいいのか。
「その「彼」ってのが、どこの誰かは知らないが。この世界は卒業すべき場所だって言葉が、しっくりきたんだよ」
「あなたは……受け入れるのですね。自分の運命を、「彼」が定めたこの世界のルールを」
「ああ。そうするべきだと、思ったんだ」
俺の脳裏には、笑顔でここを卒業するゆりの笑みが浮かんだ。
まあ、こいつの言葉を信じれば、あれは俺が好きになったゆりとは、また別の人物ということになるのか……。その世界で俺に該当する人物がいるのか、いないのか。まあ、どちらでもいいか。
全く。ややこしいな、パラレルワールドってのは。
……だけど、これだけは言える。
俺の考えは間違っていた。
そして、夢を見た後に抱いた不安は正解なんだ。
ゆりの復讐に加担するだけでは、ゆりが救われることはない。彼女を救うのは、神への復讐ではない。
きっとその答えは――あの卒業式にある。
彼女はそこで、納得出来る最後を迎える。
そこへ導く役者は、鍵を握るのは、あのオレンジ色っぽい髪をした少年なのだ。
だとするなら、そのエンディングに呼ばれていない役者、つまり俺という存在は――消えるのが吉なんだ。
「ようするに、さ。俺が消えれば、ゆりはハッピーエンドへ導かれる。これは、そういう物語なんだろう?」
その言葉に、少年はこくりと頷いた。
俺が消えたあとはきっと、戦線のメンバーや、あの少年が、ゆりをハッピーエンドへ導いてくれる。
俺は、その物語の登場人物にすらなれない。
招かれざる役者。
偽りの物語。
バトンを渡すだけの、紛い物なんだ。
「その決心が本物ならば。「彼」の意思を守るため、ANGEL PLAYERはあなたに協力しましょう」
「なに?」
「共に、成してほしいことがあるのです」
……そうして、始まったのだ。
これが、最後の戦い。
ゆりと交わした約束を破るための、残酷な戦い。
俺にとっての卒業式が、ここから始まる。
「ぐはあああああああああああ⁉」
その日、校長室こと、戦線の本部前はそんな何者かに「悲鳴」によって始まった。
「はあ?」
室内にいたゆりが首を傾げる。メンバーは集めておらず、他には誰もいない。窓を上げ、外を見ると――そこには野田のトラップに引っ掛かり、吹っ飛んだ眼鏡の男子生徒がいた。
「なによ、あいつは?」
怪訝そうに眉をひそめながら、ゆりは外へ出るため廊下を出る。もしかすると、新しいメンバー志望なのかもしれないからだ。
結論から言うと、新メンバーではなかった。
「くっ。この浅野、一生の不覚です。敵の本拠地に囚われるとは……!」
浅野と名乗った眼鏡の男子生徒は、そんなこと言った。日向がジト目を向ける。
「敵って、どういうことだ?」
「僕は天界の使徒のメンバーです」
「それ、そうやって名乗らなければ、まだ誤魔化せただろ……お前の顔はバレてねえんだから」
「はっ⁉ その手段がありましたか!」
「いや、こいつバカだろ」
「バ……⁉ バカそうなあなたには言われたくありません!」
「いや、俺こそお前には言われたかねえよ」
ものすごく低レベルな使者(?)に俺はため息をついた。
「天界の使徒って人材不足なのか……?」
「おや。あなた、桜木さんのお兄さんですか」
「あ……?」
そうだ。俺の弟は天界の使徒のメンバーだから、当然こいつも知っているのか。
浅野はまじまじと俺を観察し、ふん、と鼻を鳴らす。
「そっくりですが……なんと言いますか」
「なんだよ」
「明るいですね」
「なに?」
「鏡写しのようにそっくりですが、雰囲気が全然違います。弟さんの方が暗いというか、とても恐ろしい雰囲気が出ています」
「……」
あいつは、そうか。授業に出たりしていないし、俺みたいに戦線でゆりに恋したりしていないから、人並みの感情を取り戻せていないままなのだ。
つまりは――この世界へ来る前の、俺みたいなものか。
この間会ったときは違和感あったが、違う。
変わったのは、俺の方なんだ。
俺が、変わってしまったんだ。
「率直に言いますと、あなたの方が弱そうですね」
「……そうかもしれねえな」
弟があの時のままだというのならば、彼は「任務をこなすための機械」のままだ。
人並みの感情を取り戻した俺と比べれば、そりゃ強いに決まっている。
「それで。アンタはなにしにここへ来たのよ?」
ゆりの問いかけに、浅野は眼鏡をくいっと上げた。
「宣戦布告に」
「良い度胸だな、貴様」
野田がハルバートを喉元へ突きつける。
「ひいいっ⁉」
「野田くんの言う通りよ。あなた、良い度胸しているわ。天界の使徒が我が戦線メンバーへなにをしたのか、忘れたわけじゃないわよね?」
みんなの脳裏には、ガルデモメンバーが囚われた時の映像が浮かんだのだろう。しかもあの時、連中は彼女達をいたぶることを、果ては凌辱することすらも厭わなかった。仲間として、怒りを買うのは当然だろう。
「ふ、ふん! 僕をいたぶったところで、天界の使徒は痛くも痒くもないさ!」
「それ、自分で言っていて悲しくならないのかな……」
大山が呆れたように言う。たしかにな。
「じゃあ、ここで腸でも取り出そうかしら♪」
ゆりが真顔でそんなグロテスクことを言う。目がわりと本気であった。それほどまでに、あの一件を許すつもりがないのだろう。
「ひいいいっ⁉ く、くそ、無神論者め! だが、こんなことをしても、最後に勝つのは我々なんだ!」
「はいはい。夏祭りでは大敗したくせに、よく言うわよ」
「良い気になるなよ! あれはあのガールズバンドがすごいだけだ! 貴様は所詮、猿山の大将にすぎん!」
「――貴様、ゆりっぺを侮辱したな?」
ハルバートを首筋に近づける野田。
刃先が若干刺さり、血が滴り始めた。
「ひえええええっ⁉ こ、殺される!」
「どうせ死にはしないわよ」
ゆりは止めもせず、そんな投げやりな口調で言った。
話が全然進まない流れなので、俺は口を挟んだ。
「で、宣戦布告ってのはなんだ?」
野田がぎろりと睨みつけてきたが、ゆりが「野田くん、とりあえずハルバートを下げてくれるかしら」と言うので、野田は渋々ハルバートを下げた。
……今更だが、野田の忠誠心は変わらないんだな。別にまじまじと言うことでもないから、明確に公表はしていないが、戦線メンバーは俺とゆりの関係を察している。まあゆりが俺を下の名前で呼んでいるし、もう公表しているようなものだが……。
まあ、俺がいい加減なことをしようものなら、こいつに殺されるんだろうな。
「聞いた話によりますと。この戦線は毎年、球技大会へゲリラ参加しているのだとか?」
「それがどうかしたのかしら?」
「我々も参加します。今年も複数の競技が行われるそうですが、我々が参加するのは――野球です!」
「ふうん。野球、ね……」
よりにもよって、最低でも9人も必要になる競技である。また面倒な競技をチョイスしたものだ。
ていうか、宣戦布告ってそんなことかよ。夏祭りの時といい、かなり平和的だから良いといえば良いが……何故、こんなにも攻撃的では無くなったのだろうか。戦いは不毛だと思ったのか、計画の路線を変えたのか。
そもそも、こいつらの目的がいまいち判明していないから、予測のしようもないのだが……。
「ようするに、俺らも参加しろってことか?」
日向が言うと、浅野は眼鏡を光らせこくりと頷いた。
「ええ。勝負しましょう」
「この勝負、受けて我々に利点があるのでしょうか……?」
高松が切実な質問を口にする。ゆりは頷いた。
「あるわ。こいつらはようするに、仲間を集めたいのよ。名前を売りたい。そして人をあぶり出して、引き込みたいの。我が戦線の創立時と似たような状態ね。彼らは球技大会で結果を残し、名を売ろうとしている。つまり、あたし達が同じ競技に参加して、彼らを負かせれば、その企みを阻止することが出来る」
「わざわざここへ来る意味あんのかよ」
藤巻の問いに、それもまたゆりが答える。
「さあ? 戦線に勝ちたいんじゃないの? あと、戦線より優れた組織として証明する、とかそんなことじゃないの?」
「ふっ、猿山の大将のわりには、鋭い観察力です」
浅野がまたそんなことを言うので、野田がハルバートを突き付ける。
「――貴様、ゆりっぺをまた侮辱したな?」
「ひええええ⁉ ちょっと喉ぼとけに刺さった!」
またこの光景かよ。てか、この浅野という男は本格的にアホだな。
「まあ、いいわ。その勝負、受けてあげるわよ」
腕を組み、まさかの宣言をするゆりに、松下が難しそうな表情を浮かべる。
「本気か? ゆりっぺ。真に受けることもないと思うんだが……」
「どっち道、球技大会には参加するもの。それに邪魔されるのも癪だし、完膚なきまでに勝ってやりましょう」
ゆりが勝気にそう言い放つ。
まあ、単に負けず嫌いっていうこいつの私情もあるんだろうけどな。
「で、これはどうするよ、大将?」
俺が浅野の所在を聞くと、ゆりは無慈悲に告げる。
「地下施設にでも閉じ込めておきなさい。とりあえず、捕虜よ」
「な、なにぃ⁉ くそ、僕をどうする気だ……! ふざけるな! 解放しろ!」
「ぎゃあぎゃあ、うるさいわね。別に、情報を聞き出したいだけよ」
「ふ、ふん。僕を尋問にかける気か。なにも喋らないぞ!」
「ふふふ。尋問? いっそ、拷問してもいいのよ……」
「っ⁉」
そんなどこか間の抜けた感じで話し合いは終わり、実働部隊は解散となった。俺と野田と松下、ゆりと椎名が校長室に残る。椅子に縛られたままの浅野には楽しい楽しい尋問が待っていたが、彼は滅多なことでは口を開こうとはしなかった。アホな感じでビビりな感じもしたが、こんなところへ来て宣戦布告に来ようと思う度胸はかなりのもののようで、野田がハルバートを突き付けても情報は吐き出さなかった。椎名も武器を取り出すが、ゆりが二人をなだめた。
「二人とも、その物騒な武器を下げてちょうだい。なにも出来ない相手を攻撃するなんて、あたしが許さないわ」
「……む。何故だ?」
「ゆりっぺ……⁉ こうなったら、強引に吐かせてやってもいいんじゃないのか!」
眉を顰めた椎名と、声を荒げる野田。しかしゆりは泰然としていた。
「それもいいけど、これだと連中とやり方が変わらないじゃない? そういう非人道的なことは、したくないのよ……出来れば、ね」
NPCへ手を出さないルールといい、神への反逆という過激な思想を掲げながらも、ゆりは倫理性を守ることは順守する。横暴さと過激さの中でも、彼女なりの曲げない信念があるのだろう。それがこの組織の調和を保つということであるのと同時に、この世界での戦い方を現していた。そしてだからこそ、多くの戦線メンバーは彼女へついて来る。超えてはいけない一線は、超えてはならないのだ。
……のわりには、倫理性の欠片もないトンデモオペレーションをすることもあるんだけどな。メンバーが血みどろになることも、わりとあったりする。
「ちっ、ゆりっぺに救われたな、貴様」
野田が忌々しげに浅野を見た。彼はふん、と鼻を鳴らした。
縛られた浅野は、松下が担いで持っていった。椎名は無言でついて行った。とりあえず、彼は捕虜として地下に幽閉する。いざとなれば、良い交渉材料になるかもしれない。
天界の使徒の活動が大人しくなってきたとはいえ、基本はなにをしてくるかわからない連中だ。特に前回標的にされたガルデモへの護衛は新たな任務として、戦線メンバーへ課せられた。いつも彼女達が練習している空き部屋の外には、常に誰かしらがついている。今日は俺が常駐していた。手持無沙汰のため銃の構える練習だけしていると、唐突に微糖のコーヒーがこちらへ向かって宙を舞っているのが見えた。慌てて銃をしまい、俺はコーヒーをキャッチする。
「お、っと」
「それ、あたしのおごりだ。ゆりっぺの彼氏さん?」
ひさ子がおどけたような口調で、ウインクをする。なまじクールな女の子だから、絵面になるという反則ぶりである。
「サンキュー。ただ、その呼び方やめろ」
「ははは、ごめんごめん。ちょっとからかっただけだぜ。だって、あのゆりっぺに男なんてさ。美人だけど、浮いた話なんてなかったから、意外だと思ってさ。みんなのリーダーなんだ、ちゃんと大切にするんだよ?」
「わかっている。休憩か?」
「そう、そう。で、アンタもこんなとこいないで、ちょっと外の空気吸いにいかない?」
「ああ。ありがとう、そうする」
ひさ子と共にベランダへと出る。校舎はにぎわっており、様々な部活動が行われていた。
「よう。今日のガードマンは新入りか」
先にベランダにいた岩沢が手を上げた。タオルを首にかけ、水の入ったペットボトルを片手に持っている。
「そんな新入りがゆりのハートを奪ったんだから、なにが起きるかわからねーな」
「言えているね。ただ、待てよ。そうなると……その内、ひさ子のハートを奪う男も現れる、ということなのか……?」
「男ねえ……正直、想像つかねえ」
「音楽キチだからな」
そんな二人の会話を聞きつつ、缶コーヒーを開ける。この二人、本当に音楽が好きなんだな。まあそうじゃないと、あんなすごい曲は弾けないし、作れないか。
男云々に関しては引く手数多だろうが、この様子じゃ恋愛に興味はなさそうだな。にしても、これだけ頭数がいるのに戦線内でカップルがないっていうのは、不思議だよな。うら若き少年少女が集まれば、あっちこっちでカップルが出来るもの……な、らしいが。まあ、比較の対象がNPCと小説だから、俺の感覚がおかしいのかも。
「二人に限らず戦線って、これまでそういう浮いた話がなかったのか? 特にガルデモとか、ファンにナンパされたとかさ」
ひさ子が腕を組んで、んー、と唸った。
「ま、ミーハーな奴はいたけどね。岩沢に告白したあのキャッチャーとか……まあでも、結果は見ての通りさ。あたしらは、そういうのはない。他の奴らはあったとしても、幸せになっちまうから満足して、消えちまうんだ」
岩沢がああ、となにかを思い出したように声を上げた。
「恋……とは違うかもしれないが。文化祭の時に、ゆりを絶世の美女だって、褒めて消えた奴がいたってのは、聞いたことがある」
「なんだよそれ? どういうことだ? 告白……でも、ないよな」
「美女に会うことが、そいつの願いだったらしい」
「へえ。昔の話か?」
「それなりに。まだバント名が「ビューティフルブラッド」で、メンバーはこの日にやっと三人になった」
「入江か、関根が入ったのか」
「いや。良いドラマーだったが、二人とはまた別の女の子だ」
「……消えた、のか?」
触れて良い話題なのか迷いながら、俺が問う。良いドラマーで女の子だったのにいなくなったということは、消えたとしか考えられない。
だが、ひさ子は首を横に振った。
「少し違う。新木はNPCだったんだ。だから卒業して、いなくなった」
「NPCを戦線メンバーにしていた時代があったのか……ゆりにしては、珍しい決断だな。すげえ嫌がりそうだが」
「ま、人がいなかったからさ。陽動部隊もあたしと岩沢だけで、幹部も今よりずっと少なかった。仕方なかったんだよ」
俺の知らない時代の戦線も、相変わらずドタバタと日々を過ごしていたようだ。その時いられなかったのが、なんだか残念だ。
「球技大会、野球チームの方でひさ子も参加するんだろ?」
俺がオペレーションの話題を振ると、ひさ子はこくりと頷いた。
「まあな。今回の本命である野球に参加、だとさ。ゆりの命令とあれば、仕方ない。アンタもでしょ?」
「そうだな。悪い。俺らの勝手だけど、大切なメンバーを借りるぞ、岩沢さん」
「ああ、構わない。敵に勝つため、必要なことだろ?」
敵。その言葉と共に、三人の間に沈黙が生まれた。
「神様が人生救うことなんて、あるはずねえのに。どうして、そいつらは神様を信じるんだろうな?」
ひさ子がどこか憎々しげに言う。
理不尽な人生を虐げられた彼女達にとって、神に救いを求めるのは理解に苦しむ行為なのだ。
だけど――彼らもまた、同じなはずだ。
不条理な運命に打ち負かされ、この世界に迷い込んだ。だというのに、俺達は真逆の思想を掲げて、こうして争っている。
宗教と無宗教。単純な対立だが、この世界においては、お互い同じ境遇だというのは、なんとも皮肉な話である。
「……人はどうしようもなくなった時、心からなにかを叶えたいと思った時、神に祈ったりすること、あるだろ」
俺がそう言うと、ひさ子が腕を組んだ。
「あたしはなかったけど。まあ、一般的にはそうじゃない?」
「祈りってさ。弱いんだよ。神様になにかの願いを託すってことは、不安や力不足、あるいはもう他になにも出来なくて、だから目に見えない「神」ってやつに祈ったり、救済を求めたりするんだ。祈りって、そういうもののような気がする。だから、天界の使徒は……結局のところ、あがいているだけなんだと、俺は思う。きっとそこだけは同じなんだ」
岩沢はどこか遠い目をして、グラウンドを眺めた。
「祈りか……」
その言葉に俺はこくりと頷いた。
「彼らはきっと、ずっと弱いと思う。ゆりと戦線は自分の力で運命に抗うことを選んだ。だけど、あいつらは……それでも、ダメなんだ。例え祈りが届かなくても、祈り続けるんだ。いつか救われるって、永遠に祈り続けようとする。あんなことした奴らだけど、本当は悲しい連中なんだと思う」
そう言うと、ひさ子がきょとんとした表情をこちらへ向けた。どういうわけか、岩沢もはっとした表情を浮かべている。
「こいつは驚いた。やっぱ、ご活躍している奴は違うね」
「なんだよ、そのちょっと皮肉な言い方?」
岩沢の言葉に俺が首を傾げると、ひさ子が何故か言いづらそうに口を開いた。
「いや、アンタの今言ったことって、さ……その……」
「なんだよ。あれだぞ、別に連中に肩入れしているわけじゃないぞ? あんなことした時点で、もう同情の余地はない。弟がいるとしても、俺は戦線の……ゆりの味方でいるって決めたからな」
「いや、そうじゃなくってさ。別に、そこは疑ってねえよ。もうその話は終わっただろ? ただ……」
「? なんだよ」
「なんつーか。お似合いだよ、お二人さん。息ぴったりだぜ」
笑顔でそんなことを言うひさ子に、俺は「……それはどうも」と不愛想に手を上げたのであった。
……もしかしてあいつ、俺と同じようなこと、言ったのだろうか。
グラウンドで戦線メンバーがジャージ姿で集合するなり、ゆりが全員へ通達を始めた。
「松下くん達が襲われたわ。二人は無事だけど、浅野くんは救出されたみたいね」
その報告に、メンバー全員が驚く。日向が神妙な面持ちで口を開いていた。
「松下五段と椎名の二人でダメなのか……そんなに強いのかよ、あいつら」
「そうね。二人の怪我が治ったら、話を聞くつもりだけど……」
「つーか、なんで捕まえていたの、バレたんだ?」
「潜伏しているのでしょうね。あなた達も気をつけなさい。どこに連中がいるか、わかったものじゃないわ」
ちら、と俺の方を見るゆり。
言わんとすることはわかる。卓越した戦闘能力。その根源はおそらく――俺の弟だ。
(今の俺に、あいつをどうにか出来るのか……怪しいな)
正直なところ、自信がなかった。
己の腕が生前より劣っている自覚があるのだ。ここへ来てからはしばらく、学園生活を送っていたのだ。そのブランクがあまりにも大きい。戦線に入ってからも、自己鍛錬というよりは、メンバーへの指導がメインだ。実践的な戦闘に関しては、戦線のオペレーション以外にはなにも経験していない。
弟と俺は同格の実力だった。
つまり、劣っている分だけ俺はあいつには負けているということになる。
「クソ! 毎回毎回、コソコソとセコイ連中だぜ」
藤巻が忌々しそうに舌打ちする。
まあ、勝手に相手のメンバーを捕えようとしたのは、俺達だけどな……。
「救出されてしまったものは仕方ないわ。とりあえず、今は球技祭に向けての練習よ。ポジションは……あなた達、守りたいとこある?」
腕を組んで、いつも通り指揮を執り始めるゆり。ちなみに彼女はリーダーなので、監督をやるらしい。どこで入手したのか、野球帽なんて被っている。ぶっちゃけ見た目的には監督というより、女子マネージャーである。
その時。ふと、軽い頭痛が来た。
ああ、合図か。そう思い、俺はANGEL PLAYERへと意識を向けた。すると俺の脳内とあの少年の意識が繋がり、彼の声が聞こえてくるようになった。
「こんにちは」
「なにか用か?」
「いえ。因果、だと思いまして」
「なにがだ」
「野球という競技になったことが、ですよ。稀にバスケの可能性もあるようですが」
「なにを言っている?」
「こちらの話です」
パラレルワールドのことでも話しているのだろうか。俺にとっては知らない世界のことだから、なにもわからないし、知る必要もないだろう。気にしないことにする。
「あなた、ピッチャーをやるつもりはありませんか?」
「何故?」
「因果ですよ。「彼」のポジションですから」
言っていることはわけわからないが、実はどっち道ピッシャーを志願しようと思っていたので、俺は「わかった」と返事した。
「それでは、ご検討を祈ります」
ANGEL PLAYERが脳内から消える。協力してくれるらしいが、果たしてどう役に立ってくれるか……あと裏切られたり、裏切ったりしたら俺とゆりは「リセット」されるらしいからな。どこまで信用していいのやら。
因果、というのは並行世界との繋がりを意味しているのだろう。俺が目指すべきはゆりとあの少年が出会い、やがて共に卒業する「ハッピーエンドルート」だ。ゆりにANGEL PLAYERのことを話したり、俺の境遇を明かしすぎたりすれば、因果が歪み、俺とゆりが「リセット」されるバットエンドへ繋がる。
筋書としてはこんなところだが、ANGEL PLAYERはANGEL PLAYERで並行世界との奇妙な繋がりを、どこか楽しんでいる傾向がある。
まあ、長年この世界を観測しているんだ。
気が狂うほどに、暇なんだろう。
「俺、ピッチャーやったことがあるから、やっていいか?」
手を上げるとゆりが「ピッチャーは重要なポジションよ。投げ込みをしてから判断させてもらうわ」と言うので、みんなの前でテストをすることとなった。
キャッチャーは野田が志願したので、彼が俺のボールを受けることとなる。
……なんで、よりにもよってこいつとバッテリー組まなければならないのか。やりづらいったらありゃしない。
最近は野田の鍛錬にちょっかいを出していないしな……。
「ふん。来い、貴様のなまくらボールなんぞ、全て捕ってみせる」
「……投げるの、久しぶりだな。体が忘れてなければいいが」
肩を軽く回し、ボールを右手で握る。みんなが見守る中、俺はピッチングフォームへと入る。日向が息を飲んだ。
「アンダースロー……珍しいな」
下からすくい上げるようにボールを放る。浮き上がるようなストレートは、アウトコース高めへと入っていく。運動神経が良いのか、野田は快音を立てて、ボールをしっかりと飛んできたコースで、ぴたりと止めるようにキャッチした。これならちゃんとストライクに入った時に、ストライクと判定が貰える。
「おいおい、はえーな。アンダースローのスピードじゃねえぞ⁉ 130キロは出てるように見えたぜ……バケモノかよ。つーか、上から投げても出ねえスピードだっての」
藤巻が驚愕の声を上げる。日向が興奮した様子で俺の肩を叩く。
「やるじゃねえか! つーか、相当野球やったことあるだろ、お前!」
「まあ、任務でやっていた時期があってな」
「どんな任務だよ⁉ まあでも、そんなことはどーでもいいか。ゆりっぺ、これなら優勝狙えるぞ! 130キロのアンダースローなんて、野球部でも打つのは難しいぜ!」
ゆりが「そうね。連中を負かしてやりなさい」と言ってこくりと頷くが、野田がぶっきらぼうな無表情で告げた。
「すまん。ちょっとこいつと二人にさせてくれないか?」
「……なに?」
俺が露骨に嫌な顔をするが、日向が「あー」となにやら納得した様子で後頭部を掻いた。
「野田はシチュエーションを大事にする奴だからなあ。しゃーねえ、ちょっと二人にしてやるか」
肝心(?)のゆりはピンと来てないらしく「は? どうしたのよ、急に?」と目を点にさせている。どうでもいいが、お前そういうのは鈍感だよな。そしてなにをどう勘違いしたらそうなるのか、こんな爆弾発言をした。
「もしかして春斗くんのことを……?」
「だから! 何故、貴様らはそうなるんだ! 昔もこのツッコミをしたぞ! そのボケも聞いた!」
野田が声を荒げる。
……なんか、気の毒になってきたな。俺がそんなことを思うのは、野田からすれば殺したくなることなんだろうけど。
「じゃあ、なんでこのタイミングで彼と二人きりになりたいのよ?」
「くっ……⁉ と、とにかく! 少し時間がほしい!」
「ま、いいけど。五分だけよ?」
「ああ。それで十分だ」
解散する戦線メンバー。
野田は「さっさと投げろ」と何故かピッチングを要求する。俺は言われるがままに、もう一度アンダースローで投げ込む。やや暴投気味になり、インコースの高めに外れていった。まあ、ボールだろう。
「……ゆりっぺを泣かせたら、俺は貴様を許さん」
それだけ言うと、野田はボールを俺に投げ返す。
「お前に言われなくても、ゆりは俺が守る」
「ふん。出来るのか?」
「やるんだよ。俺が、な。お前は引っ込んでろ」
俺はもう一度アンダースローで投げ込む。ぱしん! と快音が鳴った。
……言っていいか? ものすごく恥ずかしい空気なんだが! 早く戻ってきて! なんだよこれ、臭すぎるだろ! 青春か! 痒い、痒い!
悶絶する俺を、多分影から見ていたらしい日向が「んー。ラブコメだなあ。見ているこっちが恥ずかしいぜ」と勝手に見ておいて、勝手な感想をこぼした。他のメンバーもいたようだが、幸いゆりはいなかったようだ。興味なかったのだろう。
あぶねえ。見られたら、しばらくあいつと顔向け出来なかったっての。
俺と野田共にな!
夕方頃になると練習は中断され、戦線メンバーは解散となった。帰り道を歩いていると「待て」と、凛とした女の子の声が背後からかけられた。
「……椎名? 怪我は大丈夫なのか?」
ぱっと見は無傷の椎名が、夕日を背景に佇んでいる。
彼女は神妙な面持ちで、俺をじっと見た。
「貴様の弟に遅れをとった。不覚……」
「あいつは、強かったか?」
「……ああ」
頷く椎名に、俺は眉を顰める。
くそ。あいつ、なんならパワーアップしているじゃねえか。正直、銃を持っても椎名と正面から戦うなんて、勝てる気しないぞ、俺は。
「頼みがある」
短く、椎名が告げる。用件だけ伝える、彼女らしい喋り方だ。
「なんだよ?」
「私の相手をしてほしい」
「それって、まさか……?」
「貴様と彼は双子で、同じ兵士であった。ならば、貴様と戦えば、奴との予行練習になる」
「ま、待て待て! 俺と殺し合うってことか⁉ 正気かよ!」
「私は本気だ。来い」
「いやいや、そんなこと無理――」
瞬間、目にもとならぬスピードで椎名はクナイを投擲。
背中に冷たい悪寒が走る。殺意。それを感じたのだ。戦場で感じた、独特の悪寒。あまりにも久しぶりなそれは、死神の鎌を思わせる冷徹さであった。
俺は反射的に横へ飛ぶ。地面にクナイが突き刺さる。投げられたコースはあまりにも的確で、完全に心臓と眉間を狙っていた。
「殺す気か!」
「……このままでは。また、私は奴に負ける」
「っ⁉」
椎名の目は本気であった。彼女の姿が消える。
……いや、飛んだのだ。くそ、相変わらず無駄のない、それでいてなおかつ人間離れした動きだ。ことスピードにおいては、彼女は天使すらも凌駕する天才である。
なら、俺は歴戦の技術と勘で立ち向かう。身体能力は高いが、椎名のように極限まで研ぎ澄まされたわけではないため、他で補うしかないのだ。
背後を振り返る。椎名は俺の心臓へめがけて、必殺の一閃を光らせる。それを懐に隠していたナイフで、ギリギリ受け止める。重い一撃に、腕がしびれた。俺は右足を蹴り上げるも、椎名はそれをひらりと後方へ跳躍し回避。だけど、逃がすわけにはいかない。俺は前へと踏み出し。距離を詰めた。ナイフを素早く一閃。だが、椎名はそれすらもひらりと回避し、俺と距離を置いた。投げた動作が見えないほどの投擲が飛んでくる。俺は前へ飛ぶように体を投げると、間一髪でクナイをかわした。
一定の距離を置く両者。時間にして一瞬であるが、俺はもう息が上がっている。椎名の放つ一手一手が全て必殺なのだ。その一つを回避するためには、体中の力を限界まで引き出す必要があった。
「奴と似た動きだ」
対して、椎名は涼しい顔をしている。
くそ、まだ本気じゃないのか。
「当たり前だろ。同じ戦場を潜り抜けた、同じ血の流れる、同じ戦い方を学んだ兵士同士なんだからな」
「だが……貴様の方が、劣る。がっかりだ」
「そりゃ悪かったな!」
やはり懸念した通り、俺の動きはなまっているようだ。でも、仕方ないだろう。こんなことになるなんて思ってなかったし、最初来た時は目的がなかったんだ。
「しかし、十分だ。銃も使うといい。本気で来なければ、意味がない」
「椎名……!」
「どうした? 本気で来ないのか?」
不敵な笑みを浮かべる椎名。
その余裕に……俺は、腹が立った。
「あいつに、弟に負けたくせに……なんだよ、その余裕は。俺は練習相手が限界だっていうのか?」
「ああ。奴よりは劣る。だが、動きと戦い方はそっくりだ。良い練習相手、が良いところだ」
「っ!」
その言葉に、血が騒いだ。
俺が、あいつより劣る。
ふざけるな。ああ、そうだ。ふざけるな。生きていた頃に似た感覚が、俺の中に蘇る。ああ、そうだ。そうだった! あの時、俺は戦っていた。誰と? 弟と、だ。あいつに負けたくなくて、あいつより強くなりたくて。その一心で戦っていた。
忘れていた。この世界での日々で、それを忘れていた。殺し合いの感覚。空気。戦闘の駆け引き。弟への闘争心。
はは。いいな、これでいい!
「……雰囲気が変わった。その気になったか」
椎名が身構える。その表情は変わらずクールだが、気が引き締まっていた。
やってやるさ。ブランクがどうした。俺は己の体をかつての体へと切り替える。任務を遂行するだけの、非情な機械。そう。俺は戦う。戦うために生まれてきた。この体は、戦うため「だけ」にある。なにかを殺すためにある。なにかを奪うためにある。正義を貫くために、敵を殺す。悪を根絶するために、命を刈り取る。俺は、そういう風に作られたんだ。
「ああ。望み通り……殺してやるよ」
「ほう。いいだろう。そう来なくては」
椎名はこちらを見くびっているのか、ちょいちょい、と挑発するように手招きする。
ナイフを構える。息を殺し、腰を落とす。
「参る!」
「行くぞ!」
椎名と俺が殺意を孕んだ瞳を交わらせ、前へと駆け出し――。
「こらああああああああああああ、ストーップ! お前ら、なにしとるんじゃあああああああああ!」
ゆりの怒鳴り声と共に、脳天へ向けて重たい拳骨が振り下ろされた。
「いだあ⁉」
「きゃん⁉」
悲鳴を上げる俺と、案外可愛らしい声を上げる椎名。
二人は仲良く頭を抱えてうずくまり、それを仁王立ちしたゆりが見下ろした。
「たく、なにやってんのよ! いきなり二人が本気で殺し合うから、何事かと思ったわよ! 修行のための殺し合いとか、バトル漫画か! この脳筋ども! そんなんですぐに強くなれたら苦労しねーわ!」
「わ、悪かった……やりすぎだ」
「すまぬ……ゆり」
素直に謝る俺と椎名。
だが、その後椎名はきっとこちらを睨むと、宣言した。
「勝負はお預けだ。この借りは、別の機会で、別の形で果たす」
「ああ。ま、弟と同じように、負かしてやるけどな」
「浅はかなり……!」
「なんだよ?」
バチバチ、と火花を散らす俺と椎名。
「ガキか、お前らは!」
ゆりが呆れたように、重いため息をついて頭を抱えたのであった。
まあ実は前々から、戦闘のために作られた機械同士、椎名には不思議なシンパシーがあったのだ。キャラが被っているというか、弟と同じようにライバル心があったというか。椎名もきっと、似たようなことを俺に感じているのだろう。
不思議な感覚だ。
まあ、先に吹っ掛けてきたのは、椎名の方だけどな……。