球技祭当日。ゲリラ参加に成功した俺達は無理やりトーナメント表へねじ込み、野球対決に参加することとなった。戦線メンバーの人数がもう少し多ければ複数チームで参加するところだったが、現状はそうすることが出来ない。限られたメンバーで優勝を狙うしかなかった。
「――この間はお世話になりましたね、猿山の大将さん?」
俺達は目立つため、向こうがこちらをすぐに見つけたようだ。浅野を先頭に、この間のバンドメンバーが共にいる。士郎と呼ばれた男とリーダーを名乗った男はいない。
「あなた、昨日の今日でよく顔合わせる気になるわね」
ゆりがげんなりと言い返す。戦線メンバーが反射的に武器を構えようとするが、ゆりが制止した。
「約束通り、来てくれましたね」
「ま、あなた達に好き勝手されるのは癪だもの」
「負けん気が強いですね。今回は僕たちが勝ちますよ」
「そもそもあなた達、決勝戦にまで来られるのかしら」
「行けますよ。僕らには、彼がいますから」
と、ここで浅野の背後から俺に似た姿――空がゆりの前に現れた。
「――あなたが噂の、リーダーにして兄さんのガールフレンドか。弟の空だ、どうぞよろしく」
「……」
空が握手を求めるが、ゆりは当然それを無視した。昨日椎名を襲った調本人である。藤巻が「てめーらと慣れ合うわけねえだろ、バカが」と後ろから声を上げる。
「嫌われたものだ」
「当然よ。でも、驚いたわ。こうして間近で見ると、本当にそっくりね」
「俺に欲情されても困るぜ。どうしてもと言うなら、抱いてやってもいいが」
「うげ……アンタの弟、寒気がするんだけど。どういう教育しているのよ?」
ぐいぐい、と袖を引っ張ってくるゆり。
「言動に難ありですね……」
高松がややドン引きしたように言う。
まあでも、この会話に関しては、わりとデフォルトなんだよな。弟は基本、高飛車だ。
「空。久しぶりだな」
「ああ。この間は話が出来なかった。だけど、今回は違う」
「……何故、彼らに手を貸す?」
「別に。なんでもよかったんだ」
「なんでもよかった?」
「オレは神を崇拝しようが、反逆しようが、どちらでも構わない、ということだ」
「……お前はなにがしたいんだよ?」
「時期にわかる。兄さんには、時期に」
意味のわからない物言いに、俺は言葉を失う。だけど今の発言を真に受けるなら、所属する組織はどちらでもいいってことなのか?
「戦線の目的も、使徒の目的も、オレには関係がない。だが、今回はお前達の敵だ。特に兄さん。あなたのな」
「……お前の目的って、もしかして」
「それでは皆さん。決勝戦でお会いしましょう」
浅野が話を切り上げて、仲間を引きつれ去っていく。
なんとなく、あいつの目的がわかってきたな。だとするなら、俺を呼びだし引き留めたプログラムが組まれたのは、まさか……。
「弟さん、敵対心剝き出しだな。仲悪いのかよ?」
日向がそんなことを聞いてきた。俺は奴らが去った方向を見ながら、答える。
「まあ、そうみたいだな」
「ずっと一緒に戦ってきたバディだって、聞いたけどな?」
「仲間というよりは、ライバルだったんだ。だから、あいつはもしかすると……」
「もしかすると?」
「いや。なんでもねえ。とりあえず、試合に集中しよう」
トーナメントは順調に勝ち進んだ。どのチームも大して強くはない。クラス対抗のため、基本的に野球が素人なのだ。対して、戦線メンバーは長くこの世界にいるせいか、やたらと野球が上手い。下手な野球部より上手いくらいだ。試合はほとんどがコールド勝利であった。俺もピッチングで貢献できている。
天使からの妨害はなかった。ゲリラ参加の俺達を排除するのではという懸念があったが、どういうわけか来ない。ゆりはそのことを気にかけていたが、とりあえず眼前の試合に集中することにした。
そうして。舞台は決勝戦になり。
「また会ったな、兄さん。仲村 ゆり」
「……空」
最初の整列で、俺と空は向き合う。隣のゆりは腕を組んで黙っている。
「例え野球であっても、お前にだけは負けない」
俺が挑発すると、空はそれを鼻で笑った。
「腑抜けになった兄さんには、オレには勝てないぜ。この世界に来てから、遊んでばかりだろ?」
「なに……⁉」
「兄さんは……間違いなく、弱くなった。恋なんかして。趣味で女を抱くならともかく、誰かを愛するなんて、戦う戦士としては堕落していくだけだ」
「違う。俺は……!」
「まあ、この試合でわかるさ。賭けてもいい」
「賭け……?」
「オレが負けたら、天界の使徒を裏切ってあげるさ。ようするに、重要な情報を与える。なんなら、作戦にも協力する。信用もないだろうから、オレを捨て駒にしてくれてもかまわない」
「なに?」
そんな会話をしていると、ゆりが興味深そうに、こちらを向いた。
「あら。聞き捨てならないわね」
「オレに興味沸いたか?」
「あなたには興味ないけど、その交渉には興味あるわね」
「じゃあ仲村ゆり。オレが勝ったら、アンタを抱かせろ」
「なっ……⁉」
思わず、俺が息を飲む。ゆりがぶるぶる! 体を震わせた。
「本当、いちいち寒気がする人ね、あなた。春斗くんの弟だとは思えない」
「オレに抱かれたら、快楽に震えることになるぜ?」
「ひいいいっ⁉」
ゆりが増々震える。全身に鳥肌が立っていた。俺は思わず彼女を庇うように前へ出る。
「お前……!」
「兄さん、やる気になったかな? それとも、オレに負けるのが怖いか? 寝取られたら良い感じに壊れそうだ」
「随分と好き勝手に言うじゃねえか……!」
バチバチと火花を散らす俺達に、ゆりはため息をついた。
「桜木くん」
「おう」
「あんたじゃないわよ。弟くんの方」
「え? ああ……」
桜木くん、って呼んでいた時期のが長いから普通に反応してしまったんだが。
「賭けに応じてくれるのか?」
「ええ。いいわよ」
「「「ええええ⁉」」」
事の成り行きを見守っていた戦線メンバーが驚愕の声を上げる。
「ちょ、ゆりっぺ正気か⁉」
焦る日向。
「なんつーか、色々ツッコミどころ多すぎて、コメントに困るぜ……」
呆れるひさ子。
「ゆりっぺが、だ、だ、だだだだ……⁉」
野田は動揺しすぎだ。
「随分と、兄さんを信じているんだな。それとも、オレに向かって股を開きたいのかな?」
不敵な笑みを浮かべる空に、ゆりは指を振った。
「ノンノンノン、条件があるのよ、弟くん?」
「条件?」
「賭けの対象は「春斗くんが桜木くんに勝つこと」じゃない。「死んだ世界戦線が天界の使徒に勝つこと」よ。これでどうかしら?」
なに?
ちょっと待て、それって……。
空はゆりの提示した条件に、大きな笑い声を上げた。
「ははは! なんだ、それは。もしかして、兄さんがオレに勝てないと思っているのか?」
「ええ。そうよ」
あっけなく首肯するゆりに、俺は息を飲んだ。
「ゆ、ゆり!」
「なによ?」
「俺は、あいつにだけは負けない!」
「そう? 無理だと思うわよ。あいつ、実力は本物なんだから。遊佐の報告通りならね」
「なっ……⁉」
そのやり取りに、空は増々笑い声を上げた。戦線メンバーもかける言葉を無くしている。
「これは傑作だ。いいだろう、仲村ゆり。その条件で勝負だ」
「望むところ。さあ行くわよ、みんな!」
こうして、試合は始まった。当然、俺は腹が立っていた。
ちくしょう。なんだっていうんだ。
たかが野球と思っていたが、こうなったら絶対に負けられない。
空に勝って、ゆりのことも見返してやる。
くそ、バカにしやがって……!
試合は天界の使徒が先行であった。俺は初っ端から全力投球で抑えまくる。三者凡退。相手のバッターはなすすべはなかった。
「気合入ってんなー、桜木のやつ……」
ベンチへ戻る一同。セカンドから向かう日向が言うと、ファーストから戻るひさ子が眉を顰めた。
「気合っつーか、ムキになってない? あーあ、暑苦しい」
ベンチへ戻ると、監督ポジションであるゆりが「よく守ったわね、みんな」と労いの言葉をかける。
なんで俺が空に勝てないと思われているのか気になったが、ゆりは「試合をやっていけばわかるわ」と答えるだけであった。これ以上問い詰めるのも無駄だと思い、特にその一件には触れていない。
喧嘩というわけではないが、どこか変な空気になっているのは違いなかった。
……というか、俺が躍起になっているのだ。
空に負けたくない。
あとは、負けると断言されたのが、悔しいのである。
「行ってくる」
一番バッターの椎名が凛然とバッターボックスへ向かう。
その眼には強い闘志が燃えている。
空に一度負けた彼女は、次は負けまいとリベンジを誓っている。
「……浅はかなり」
「ああ、あの時の女か。この間は激しかったぜ?」
ゆりがぶるぶる! と、体を震わせた。顔が真っ青になっている。
「ひいいっ⁉ だから! あんたの弟、寒気するんだけど! どうにかしなさいよ! お兄さんでしょ!」
「ああ。なんか、悪いな……」
「生前からああいう感じだったわけ?」
「まあ、あんな感じだったぞ」
「お前ら似ているの見た目だけだあああああああ!」
日向が苦笑いを浮かべる。
「なんつーか、ちょっと痛い感じがするような……桜木と同じ顔であのノリだから、こっちの脳がバグるぜ」
藤巻が俺の肩をぽんぽん、と叩く。
「おい、桜木。ちょっと真似してみろよ」
仕方ねえな。
「ああ、あの時の女か。この間は激し――」
「言わんでいい! お前が言うと余計に寒気がする!」
「ぐはあ⁉」
ゆりに頭を殴られ、物まね大会は速攻で閉幕した。あとついでに藤巻も殴られていた。
「良いパンチだぜ……なあ、桜木」
「なんか、日に日に威力増している気がするんだよな……」
「頼もしいリーダーだぜ」
「目に涙浮かんでいるぞ」
「おう、おめーもな」
そんなふざけている間にも、椎名は打ち取られていた。三球三振。空のピッチングは……とんでもないものであった。
「ナックルボール、ね」
ゆりが呟く。
ボールを無回転で投げることにより、不規則な変化をする変化球だ。コントロールが難しい、球速が出ない、キャッチャーが捕るのが難しい、と様々な欠点があるが、変化がランダムのため打つのがかなり難しいとされる球種だ。
空はこのナックルボール一つで戦線の打線を抑えていた。実際の野球でもナックルボールを投げるピッチャーをナックルボーラーと呼び、ナックル一つのみで投球をする。いわば一つを極めし者のための変化球だ。
「良いナックルだぜ。あんなピーキーな球、野球部でも投げるのいねーよ。打てっかな……」
二番バッターである日向が弱音を吐く。ゆりが日向へ問う。
「ねえ、日向くん。カットって出来る?」
「無理だ。ましてや、あんな不規則なボール」
「なによ、使えないわね。小技が売りな二番バッターでしょ?」
「無茶言うな⁉ プロでも難しいぞ、カットなんて!」
「わかったわよ。とりあえず、初球打ちはやめましょう。ワンストライクは見逃すの。いい?」
「いいけど。球数を稼ぐ作戦か?」
「ええ。ナックルボールは握力が求められる球種よ。少しでも力を緩めれば回転がかかって、甘いボールになる。それにコントロールが難しい球種だから、ストライクゾーンに三回入れるのだって難しいはずよ」
「なるほど。了解、フォアボール狙いはちと地味だが、やってみるか」
日向がバッターボックスへ向かう。ゆりの作戦にみんな従い出来るだけ球数を稼ぐも、空はコントロールがよかった。フォアボールは出ず、こちらも三者凡退で攻撃終了。
「……よし」
守備へとつく。まあ、俺が同じように抑えればいいだけの話だ。大体、あいつより打たれたら、俺はあいつに負けることになる。それはだけは、絶対に避けたかった。
俺は、いや俺達は昔から、兄弟に負けたくないのだから。
ハードな試合になった。いわゆる投手戦だ。お互いランナーを出す場面が出るが、良いところでは気合で抑えている。あとは俺も空も対抗心を燃やしているのだ。俺が無失点で抑えれば、空も無失点で抑えようと強く意気込む。その気迫がピッチングに出ていた。
そんな緊迫した展開で、最終回を迎える。だが、そこで試合は大きく動いた。
ヒット、フォアボールと続きノーアウト満塁。このままでは一失点どころか、二失点も三失点もしてしまう。
絶望的な展開といえた。しかも打たれた理由がわからない。俺のピッチングは、変わらず完璧だったはずなのに。
そしてバッターボックスには、空が立つ。
……幸い、こいつにはまだ打たれていない。だけどここで打たれようものなら、戦線はもちろん、個人的な感情としてもこいつに負けた気分になる。
「タイム!」
日向が声を上げる。守備のみんなが集まる。ベンチからゆりも駆けつけた。
「やべーな。まあでも、ドンマイ。ただ……ずっと気になっていたんだけどよ」
「なんだ?」
「その、そんだけ投げられるのに……ストレートしか、投げないのか?」
不思議な問いかけである。答えは一つ。
「男なら、真っ直ぐで勝負だ」
「文字通り真っ直ぐな奴だな⁉ 曲がれよ、少しは! 野球なんだから! つーか、いくら良い球でも球種がストレートだけなんて、さすがに厳しいぜ。緩急をつけないと、目が慣れちまう」
「そうなのか?」
「そーだよ。どうする、ゆりっぺ」
「ピッチャー交代よ」
無慈悲な監督だな、おい。
「そこは続投させてくれるんじゃないのか」
「愚門ね。私がそんな熱血監督に見えるかしら?」
「まあ、冷血だろうが……でも、投げさせてくれ。俺、このままじゃあいつに負ける。せめて、あいつの打席は勝負させてくれ」
「ダメよ」
「……ゆり?」
「打たれるわ。言われたでしょ、バッターが慣れてきているのよ。それに桜木くんの実力なら、ここで打ってくるはずよ」
「待ってくれ。俺は……俺は、あいつにだけは勝ちたいんだ! どうしても!」
頑なな主張を続ける俺に、日向が「桜木……」と悲しげな声を上げた。
「あんたさ。さっきから、こだわりすぎじゃない? 正直、ちょっと鬱陶しいぜ?」
ひさ子が冷徹に言う。わかっている。だけど……こればかりは、生前からの因縁なのだ。曲げられない。
「……同じ日にさ、同じ親から、同じ男として生まれただろ。だから、さ。なにに関しても、あいつと差がつくってことは、言い訳がつかないんだ」
だから俺は、弟が生涯のライバルであった。
ましてや、俺達は特殊部隊の兵士。
結果が全ての世界だった。失敗すれば死ぬ。そんなレベルの世界。そんなところ俺達は日々競い合い、そして同時に協力し合った。
「それに……あいつは、ここでの日々を否定してきた。それが、なによりも悔しい。だって俺は、こんな世界でも、ゆりや戦線との日々が……」
そこから先は、言葉に出来なかった。松下五段がぽん、と俺の肩を無言で叩く。
……本当は、椎名との一件でわかっていた。自分の体がなまっていることに。あの時とは、違うことに。
俺は、弱くなった。
だけど、それでも……負けたくない。俺が腑抜けていたなんて、ゆりとの日々が否定されるような気がしたから。
ひさ子は肩をすくめて「だって。愛されているねえ、ゆり。どうする?」と問いかけた。
「却下よ。ピッチャーは変えるわ」
「ゆり……!」
「いい? よく聞きなさい、春斗くん」
ゆりはまっすぐに俺を見据える。その相貌はとても強くて……美しかった。いつだってその瞳は、俺を引き込んで離さなかった。
「ずっと気になっていたのよ。あなたのブラコンぶりは。過去の話を聞いた時からそう」
「……」
「そして椎名さんの件から、あなたは自分が生前の時と比べて弱くなっていることを、特に気にしている」
「ああ。そうだ」
「そして、それは事実よ。ブランクにより、あなたは弱くなった。当たり前じゃない、最初来た時あなたは、NPCと同じように過ごしていたのよ。今だって、仲間を優先する日々でしょう? 一人で戦うこと、そして彼……桜木くんと二人で戦うことも、もうあなたには無理なのよ。それほどの力は、今のあなたにはない」
「っ……⁉」
「彼に劣ったかもしれない……彼に、負けているのかもしれない。けどね、あなたがこの世界にやってきて、成したことはなに? そのことを、よく思い返してみることね」
「……成したこと」
「ええ。たしかに、弟くんに勝たせることは出来ない。それは不可能よ。この野球でも、そして兵士としての力も。そんなこと、あたしには出来ない。でも、戦線を勝たせることは出来るわ。そして今のあなたに必要なのは、一人で強敵に勝つことじゃない。みんなに頼って、力を借りることよ」
その言葉に、日向がにかっと笑みを浮かべた。
「それを伝えたかったのかよ、ゆりっぺ。昔「あたしは一人でいいんだから」なんて言っていたのに、今じゃそんなことも言えるようになったとはなあ。感慨深いぜ」
「なによ。あなたが仲間を頼りなさいだの、俺を頼れだのって言い出したんじゃない」
「ああ。そーだったな。なあ、桜木。だからこそ、ゆりっぺはこんなことを言うんだ。昔の自分に、ちょっと似ているんだろうよ」
外野を守っていた松下が腕を組みながら、こくりと頷いた。
「あとは任せておけ。桜木はよく投げた」
高松が眼鏡をきらりと光らせる。
「私とあなたの筋肉同盟にかけて、この試合を勝ちに導きましょう」
「いや、筋肉同盟ってなんだよ。お前ら、どういう仲だ?」
日向がすかさず突っ込む。いや、まあ筋肉同盟ってのは、ふざけた半分だから、気にしないでくれ。この間の筋肉トークが盛り上がっただけだ。
「……勝算はあるのか?」
「あるわよ。桜木くんのボールのキレは落ちているし、この回の乗り切り方も、策は用意しているわ」
「さすがだな……敵わねえよ、ゆりには」
「当然じゃない。リーダーよ? あんたはあたしを信じて、ついて来ればいいのよ」
にこりと笑顔を浮かべるゆりに、俺は困ったように後頭部を掻く。
ああ、そうか。俺は腑抜けた。
だけど、その代わりに……得たものある。
だから、ここでマウンドを降りなければいけない。
この意志を、誰かへ継ぐために。仲間に頼るために。
「わかった。あとは任せる。俺は降りるよ」
「ええ。そうしなさい」
「でも、ゆり。ピッチャーは誰がやるんだ?」
降りる沈黙。誰もがゆりに注目していた。彼女は不敵に笑い、そして宣言した。
「あたしよ」
ピッチャーマウンドへ上がるゆり。相手はもちろん、戦線メンバーまで動揺していた。ゆりがピッチャーになるなんて、初めてのことだ。投げられるのだろうか。彼女なりに算段があるのだろうが、今のところ想像つかない。
「兄さんは尻尾を巻いて逃げたのか? 滑稽だ。まあ、堕落した兄さんにはお似合いだ」
打席に立った空が挑発する。ゆりがふん、と鼻を鳴らした。
「違うわよ。あたしに、託したのよ」
「ふーん?」
「それが今の彼。それが、今の桜木 春斗。昔とは違う、新しい戦い方よ」
「逃げた言い訳にしか聞こえないけど? 負け犬の遠吠えだろ?」
「春斗くんには、あなたにはないものを持っているのよ。それを、あたしが今から証明する」
「……兄さんが俺に持ってないものを持っている? なにを言う? 精々、君の股の中の感触を知っているくらいじゃないか?」
「ひいいいいっ⁉ あと、性格も全然ちがああう! アンタは寒気がするわ、本当に⁉」
「まあ、君の股はこの試合の後に楽しむことにするよ」
「……はあ。ないわよ。そんなこと、絶対に」
「ほう?」
「見せてあげるわよ。あたし達は……戦線は、あなたに負けないことを!」
「っ!」
空がぐっとフォームを構える。ゆりは鋭い視線をキャッチャーへ向け、投球フォームへ移る。
「野田くん! 絶対に捕りなさいよ、満塁なんだから!」
「任せろ、ゆりっぺ!」
ゆりがボールを投げる。緩やかな球速。だが、その軌道は――揺れていた。
「なに……? ナックルボール⁉」
空が空振りをする。ストライク、と審判の声が上がった。空とあまり遜色のない、良いナックルボールであった。ありえない。ゆりの奴、いつの間にあんなボール投げられるようになったんだよ⁉
「よし、さすがあたし! なんでも出来ちゃって、自分が怖いわ!」
自画自賛をするゆり。だけど無邪気にはしゃぐその姿は、見ていて悪くなかった。
野田がボールを投げ返す。あいつも初見でよく捕ったな。普通、変化の激しいナックルボールは捕れないんだが……。
「ふっ!」
ゆりが再び投球する。不規則に揺れる球。空は思い切りのいいフルスイングをするが、バットに当たらなかった。
「バカな……付け焼刃で投げられる球じゃない」
空が驚愕の表情を浮かべたまま、吐き捨てる。
たしかに、そうだ。だけど、ゆりは……この世界に長くいると言っていた。もしもいざという時に備えて、準備をしていたのだとしたら……その時間は、十分にあったのかもしれない。
(ま、そう何度も投げられないわよ。指と爪が痛くなるっつーの!)
ゆりは内心でそう呟きつつ、三球目を投球。空は三球三振で抑えられた。なまじ俺の130キロに目が慣れているだけあって、タイミングもちぐはぐになっている。
「……ちっ」
忌々しそうに、空はベンチへ戻った。
天界の使徒の攻撃は、無得点で終わった。
スコアボードを眺めた日向が、ため息をついた。
「同点での最終回だが、延長は……ないんだっけか」
ゆりがこくりと頷く。
「ここで点をとらないと、引き分けになるわね」
「そうなったら、優勝はどうやって決めるんだ?」
俺が聞くと、ゆりがつまらなそうに答えた。
「じゃんけんよ」
「ここまでやってじゃんけん⁉ しょうもねえ! 本当かよ、それ」
「ええ、マジよ。だからこの回は死ぬ気で攻撃するしかない。幸い、点はとれなかったけれど、ここまで球数はそれなりに稼げている。勝機があるとするなら、そこを突くしかない。初球からフルスイングよ、みんな!」
椎名がバットを持ち、バッターボックスへ向かう。
「……了解した」
空は椎名を見ながら、にやりと笑みを浮かべる。
「君はノーヒットだ。あの時といい、オレにはとことん勝てないようだな」
「……」
わかりやすい挑発に、椎名が眉を顰める。
(まあ、あの時はこちらに数の利があったから、勝ったのだが。一対一なら、オレは彼女には勝てない)
しかしその思考を口には出さず、構えに入る。そのまま自信のあるナックルボールを投げる。緩やかなスピード。しかし揺れがない。ゆりが声を上げた。
「来た、バックスピン……! 椎名さん!」
「――浅はかなり!」
椎名は声に呼応するかのように、バットをスイング。見事ジャストミートし、外野へ跳躍。シングルヒットとなった。
ゆりがご満悦な笑みを浮かべた。
「ようやくこの時が来たわね。握りが甘くなってボールに回転がかかるようになっているのよ。日向くん、打ってやんなさい!」
「へいへい。フルスイング、か……しょうがねえ、いっちょかましてやるか」
空の投球は失投気味になっていた。ナックル特有の変化が少ない。日向の打球はセンター返しとなり、ノーアウト一、二塁。続くバッターは松下五段であったが、空は打たれるのを心理的に恐れるようになったのか、ストレートのフォアボールを出した。
「……オレとしたことが」
空が舌打ちをする。
ノーアウト満塁。
奇しくとも俺と同じ状況だ。だけど空は続投を選択する。彼のチームはタイムすらとらなかった。
「四番は……野田か」
俺が言うと、野田は「ふん」と鼻を鳴らし、バッターボックスへ立つ。空は息を漏らし、鋭い視線を前へ向けた。
「本当は、好きじゃないが。兄さんと同じことをするか」
空は振りかぶり、球を投げる。
真っ直ぐな軌道を描く球――ストレートだ。
「っ」
意表を突かれた野田は空振りする。
真っ直ぐに伸びていくような、良いストレートであった。回転数も多そうだ。
「あのヤロー、あんな良いストレートも投げんのかよ」
藤巻が忌々しげにつぶやく。ゆりは腕を組み、事の成り行きをじっと見つめた。
野田が一瞬、俺の方をちらりと見た。
「……?」
「情けない奴だ。引っ込んでいろ、だと? ならばこの試合、代わりに俺が決めてやる」
バットを空高く掲げる。二塁ランナーの日向が驚きの声を上げた。
「あれは……ホームラン宣言⁉ おいおい正気かよ、野田! つーか、ノーアウト満塁だぞ! いやまあ、この場面でのサヨナラホームランはかっこいいけどさ⁉」
無意味にして無謀に思える宣言。
だが、野田は気だるげな構えをとりながら、真っ直ぐに投手を見据えた。
……冗談ではない、本気だ。
あいつは、ホームラン一本狙いでいくつもりだ。
俺が決められなかった、この試合を。
その一本で、決める気なんだ。
「なめられたものだ」
空はストレートの握りで、再び速球を投げ込む。
「ふんっ!」
野田が片手のフルスイングをする。タイミングが合っているが、バットと合っていない。打球は真後ろへ勢いよく飛び、ファールとなる。
……2ストライク。
追い込まれた。
「「……」」
降りる沈黙。ノーアウト満塁。俺は、このピンチを――ゆりに託して凌いだ。空は己の力で挑んでいる。俺より強い空。そんな彼が、自力でこの場面を乗り越えられるのか。
振りかぶる。空が選んだ球種は――ストレート。
「もらったあああああああ!」
野田が叫びと共に、バットをフルスイング。
球場に響き渡る快音と共に、ボールは柵を軽々と飛び越えた。
「うおおおおおお! ホームランだ! 野田、よくやった! 初めてお前がかっこいいとこ見られたぜ!」
日向が叫ぶと「初めては余計だ!」と野田は言い返しながらも、走塁を開始する。満塁ホームラン。走者は一掃する。ホームベースで俺達は野田を迎え入れた。
「ほら、野田。お前がヒーローだ。胴上げすんぞ」
「な、何故だ。こういうのは監督のゆりっぺが――お、おい⁉ なんだ、やめろ!」
問答無用で、みんなで野田を胴上げする。
まあ、今回は良い所を持ってかれたな。俺はわりと情けない感じになったが……不思議と、悪い感じじゃない。
むしろ、とても心地が良かった。なんでだろうな。きっとこれは、生前に味わうことのなかった感覚だ。
「……なにか忘れている気が」
ゆりが腕を組んでベンチからゆっくり出てきたが、釈然としない表情を浮かべていた。
と、ここで透き通るような良い声が、グラウンドに聞こえた。
「優勝おめでとう」
「あ」
ゆりが振り返る。そこには生徒会メンバーを引きつれた、天使がいた。
全身に電撃が走る。ゆりは天使をビシ! と指さした。
「それだああああああああああ⁉」
「どれかしら」
天使は周りをキョロキョロ見渡した。「会長を指さすんじゃねーよ」と夕顔が後ろの方でぼやくが、ゆりは一ミリもそんなことを気にせず声を上げた。
「あなたのことよ! 今までなにしていたのよ?」
「良い試合だったわ」
「普通に観戦してんじゃないわよ⁉ 生徒会の責務はどうしたああああああ⁉」
「今年のあなた達は、大目に見たのよ。ゲリラ参加はよくないけど、いつもと比べると、大人しかったから」
「……まあ、いいわ。たしかに、今年は派手にやらなかったものね」
はあ、とゆりはため息をつく。
「言っておくけど、表彰式は出ないわよ」
「優勝チームはトロフィーを受け取って。写真も撮るわ」
「どっちもしないわよ。消えるもの」
「……あなた達には困ったわ」
「ほら、お前ら! 撤収するわよ! ってか、いつまで胴上げしてんだ⁉ わっしょい♪ わっしょい♪ じゃねえええええええ!」
日向がゆりを手招きする。
「お、次はゆりっぺの番か?」
「するか! たく、満喫してんじゃないわよ」
「なんだよ。せっかくの機会だぜ?」
「どんな機会よ。たく……」
呆れたように言いながらも、ゆりの表情は晴れやかなものになっていた。
「……なあ、ゆり。せめて写真くらいは、とったらどうだ?」
「なんでよ?」
「い、いや別に。深い意味はねえけど、なんとなく」
「……」
不審そうな目を向けるゆり。
そんなに変なことを言っているだろうか。いやまあ、なにが消えるファクターになるかわからないから、警戒するのが普通なんだけどさ。
……俺は、どっち道もうすぐ消えるんだ。
だから、思い出を残したいって……思わず、そう考えてしまったんだ。
「別にいいじゃねーか、ゆりっぺ。桜木が撮りたいって言うなら。けど、お前がそんなセンチメンタルなことを言い出すなんて、ちょっと意外だぜ。寂しがりか?」
日向が俺の肩を軽く叩き、茶化した。まあ、みんなからのイメージ的には、そういうのにはドライなんだろうな。
「ま、いいわ。仕方ないから、付き合ってあげる。ほらみんな、並ぶわよ。あと消えないこと。で、春斗くんはこのトロフィーを持って。あなたが言い出したんだから、いいわよね?」
「ああ。わかった」
「でも、これは返すのよ。こんなの校長室に飾ったら、消えるファクターになりかねないわ」
「じゃあ写真だけは、俺が持っている」
「……どうしてもと言うのなら、良いけど」
ゆりが不安げに、俺の服の端っこをちょんと摘まんだ。
「消えるんじゃ、ないわよ……?」
その表情はとても弱弱しく、まるで縋るかのようであった。
普段の勝気な彼女とのギャップに、激しく動揺させられる。
……ずきり、と胸が痛んだ。
俺は……ゆりを守るために、この世界から退場しなくてはならない。
いつかそのことを、言わなくてはならない。
それなのに、俺は。
「ああ。消えない。絶対に、そばにいる」
嘘をついた。
罪悪感が、ずしりと体にのしかかる。
俺は……。
俺は……なんて、最悪な奴なんだ。
今しがた、仲間を頼れって教わったのに。それなのに、俺は……。
「そう。最後までずっと一緒よ、春斗くん」
ゆりがにこりと笑みを浮かべる。
「っ」
俺にだけ聞こえるように、小さく囁いてくれた愛おしい言葉も……今は、苦しい。
……この学園は卒業すべき場所で。
しかし愛が芽生えれば、永遠の楽園と化してしまう矛盾を抱えてしまう。
俺は、俺達は今、それを――痛いほどに、狂おしいほどに、実感している。
クソ。なんなんだ、この世界は。
「……春斗くん? どうしたのよ?」
「なんでもねえよ」
「変なの。急に顔逸らしちゃって」
変なのはお前だ。好きな女の子からいきなりあんなこと言われたら、色々な意味で動揺するに決まっているだろ。ましてや、今の俺の状況からすれば。
「――はーい、じゃあクソども。撮るぞー。さっさと集まれー」
やる気なさげに夕顔がそんなことを言って、カメラを構える。大丈夫だろうか。色々と。
「なんか、ボロクソ言われているんだが……」
日向が呆れたように言うが、夕顔のことはゆりが教えている。天使を敬愛する彼女は、SSSを嫌悪している。仕方のない対立、というべきだろう。メンバーは特に驚くこともなく集まった。
「はい、チーズ」
投げやりな声と共に、戦線メンバーの集合写真が撮られたのであった。