※この作品はR-18です。

Angel Beats! ゆりルート   作:音有五角

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球技祭・2

 球技祭当日。ゲリラ参加に成功した俺達は無理やりトーナメント表へねじ込み、野球対決に参加することとなった。戦線メンバーの人数がもう少し多ければ複数チームで参加するところだったが、現状はそうすることが出来ない。限られたメンバーで優勝を狙うしかなかった。

「――この間はお世話になりましたね、猿山の大将さん?」

 俺達は目立つため、向こうがこちらをすぐに見つけたようだ。浅野を先頭に、この間のバンドメンバーが共にいる。士郎と呼ばれた男とリーダーを名乗った男はいない。

「あなた、昨日の今日でよく顔合わせる気になるわね」

 ゆりがげんなりと言い返す。戦線メンバーが反射的に武器を構えようとするが、ゆりが制止した。

「約束通り、来てくれましたね」

「ま、あなた達に好き勝手されるのは癪だもの」

「負けん気が強いですね。今回は僕たちが勝ちますよ」

「そもそもあなた達、決勝戦にまで来られるのかしら」

「行けますよ。僕らには、彼がいますから」

 と、ここで浅野の背後から俺に似た姿――空がゆりの前に現れた。

「――あなたが噂の、リーダーにして兄さんのガールフレンドか。弟の空だ、どうぞよろしく」

「……」

 空が握手を求めるが、ゆりは当然それを無視した。昨日椎名を襲った調本人である。藤巻が「てめーらと慣れ合うわけねえだろ、バカが」と後ろから声を上げる。

「嫌われたものだ」

「当然よ。でも、驚いたわ。こうして間近で見ると、本当にそっくりね」

「俺に欲情されても困るぜ。どうしてもと言うなら、抱いてやってもいいが」

「うげ……アンタの弟、寒気がするんだけど。どういう教育しているのよ?」

 ぐいぐい、と袖を引っ張ってくるゆり。

「言動に難ありですね……」

 高松がややドン引きしたように言う。

 まあでも、この会話に関しては、わりとデフォルトなんだよな。弟は基本、高飛車だ。

「空。久しぶりだな」

「ああ。この間は話が出来なかった。だけど、今回は違う」

「……何故、彼らに手を貸す?」

「別に。なんでもよかったんだ」

「なんでもよかった?」

「オレは神を崇拝しようが、反逆しようが、どちらでも構わない、ということだ」

「……お前はなにがしたいんだよ?」

「時期にわかる。兄さんには、時期に」

 意味のわからない物言いに、俺は言葉を失う。だけど今の発言を真に受けるなら、所属する組織はどちらでもいいってことなのか?

「戦線の目的も、使徒の目的も、オレには関係がない。だが、今回はお前達の敵だ。特に兄さん。あなたのな」

「……お前の目的って、もしかして」

「それでは皆さん。決勝戦でお会いしましょう」

 浅野が話を切り上げて、仲間を引きつれ去っていく。

 なんとなく、あいつの目的がわかってきたな。だとするなら、俺を呼びだし引き留めたプログラムが組まれたのは、まさか……。

「弟さん、敵対心剝き出しだな。仲悪いのかよ?」

 日向がそんなことを聞いてきた。俺は奴らが去った方向を見ながら、答える。

「まあ、そうみたいだな」

「ずっと一緒に戦ってきたバディだって、聞いたけどな?」

「仲間というよりは、ライバルだったんだ。だから、あいつはもしかすると……」

「もしかすると?」

「いや。なんでもねえ。とりあえず、試合に集中しよう」

 

 

 トーナメントは順調に勝ち進んだ。どのチームも大して強くはない。クラス対抗のため、基本的に野球が素人なのだ。対して、戦線メンバーは長くこの世界にいるせいか、やたらと野球が上手い。下手な野球部より上手いくらいだ。試合はほとんどがコールド勝利であった。俺もピッチングで貢献できている。

 天使からの妨害はなかった。ゲリラ参加の俺達を排除するのではという懸念があったが、どういうわけか来ない。ゆりはそのことを気にかけていたが、とりあえず眼前の試合に集中することにした。

 そうして。舞台は決勝戦になり。

「また会ったな、兄さん。仲村 ゆり」

「……空」

 最初の整列で、俺と空は向き合う。隣のゆりは腕を組んで黙っている。

「例え野球であっても、お前にだけは負けない」

 俺が挑発すると、空はそれを鼻で笑った。

「腑抜けになった兄さんには、オレには勝てないぜ。この世界に来てから、遊んでばかりだろ?」

「なに……⁉」

「兄さんは……間違いなく、弱くなった。恋なんかして。趣味で女を抱くならともかく、誰かを愛するなんて、戦う戦士としては堕落していくだけだ」

「違う。俺は……!」

「まあ、この試合でわかるさ。賭けてもいい」

「賭け……?」

「オレが負けたら、天界の使徒を裏切ってあげるさ。ようするに、重要な情報を与える。なんなら、作戦にも協力する。信用もないだろうから、オレを捨て駒にしてくれてもかまわない」

「なに?」

 そんな会話をしていると、ゆりが興味深そうに、こちらを向いた。

「あら。聞き捨てならないわね」

「オレに興味沸いたか?」

「あなたには興味ないけど、その交渉には興味あるわね」

「じゃあ仲村ゆり。オレが勝ったら、アンタを抱かせろ」

「なっ……⁉」

 思わず、俺が息を飲む。ゆりがぶるぶる! 体を震わせた。

「本当、いちいち寒気がする人ね、あなた。春斗くんの弟だとは思えない」

「オレに抱かれたら、快楽に震えることになるぜ?」

「ひいいいっ⁉」

 ゆりが増々震える。全身に鳥肌が立っていた。俺は思わず彼女を庇うように前へ出る。

「お前……!」

「兄さん、やる気になったかな? それとも、オレに負けるのが怖いか? 寝取られたら良い感じに壊れそうだ」

「随分と好き勝手に言うじゃねえか……!」

 バチバチと火花を散らす俺達に、ゆりはため息をついた。

「桜木くん」

「おう」

「あんたじゃないわよ。弟くんの方」

「え? ああ……」

 桜木くん、って呼んでいた時期のが長いから普通に反応してしまったんだが。

「賭けに応じてくれるのか?」

「ええ。いいわよ」

「「「ええええ⁉」」」

 事の成り行きを見守っていた戦線メンバーが驚愕の声を上げる。

「ちょ、ゆりっぺ正気か⁉」

 焦る日向。

「なんつーか、色々ツッコミどころ多すぎて、コメントに困るぜ……」

 呆れるひさ子。

「ゆりっぺが、だ、だ、だだだだ……⁉」

 野田は動揺しすぎだ。

「随分と、兄さんを信じているんだな。それとも、オレに向かって股を開きたいのかな?」

 不敵な笑みを浮かべる空に、ゆりは指を振った。

「ノンノンノン、条件があるのよ、弟くん?」

「条件?」

「賭けの対象は「春斗くんが桜木くんに勝つこと」じゃない。「死んだ世界戦線が天界の使徒に勝つこと」よ。これでどうかしら?」

 なに?

 ちょっと待て、それって……。

 空はゆりの提示した条件に、大きな笑い声を上げた。

「ははは! なんだ、それは。もしかして、兄さんがオレに勝てないと思っているのか?」

「ええ。そうよ」

 あっけなく首肯するゆりに、俺は息を飲んだ。

「ゆ、ゆり!」

「なによ?」

「俺は、あいつにだけは負けない!」

「そう? 無理だと思うわよ。あいつ、実力は本物なんだから。遊佐の報告通りならね」

「なっ……⁉」

 そのやり取りに、空は増々笑い声を上げた。戦線メンバーもかける言葉を無くしている。

「これは傑作だ。いいだろう、仲村ゆり。その条件で勝負だ」

「望むところ。さあ行くわよ、みんな!」

 こうして、試合は始まった。当然、俺は腹が立っていた。

 ちくしょう。なんだっていうんだ。

 たかが野球と思っていたが、こうなったら絶対に負けられない。

 空に勝って、ゆりのことも見返してやる。

 くそ、バカにしやがって……!

 

 

 試合は天界の使徒が先行であった。俺は初っ端から全力投球で抑えまくる。三者凡退。相手のバッターはなすすべはなかった。

「気合入ってんなー、桜木のやつ……」

 ベンチへ戻る一同。セカンドから向かう日向が言うと、ファーストから戻るひさ子が眉を顰めた。

「気合っつーか、ムキになってない? あーあ、暑苦しい」

 ベンチへ戻ると、監督ポジションであるゆりが「よく守ったわね、みんな」と労いの言葉をかける。

 なんで俺が空に勝てないと思われているのか気になったが、ゆりは「試合をやっていけばわかるわ」と答えるだけであった。これ以上問い詰めるのも無駄だと思い、特にその一件には触れていない。

 喧嘩というわけではないが、どこか変な空気になっているのは違いなかった。

 ……というか、俺が躍起になっているのだ。

 空に負けたくない。

 あとは、負けると断言されたのが、悔しいのである。

「行ってくる」

 一番バッターの椎名が凛然とバッターボックスへ向かう。

 その眼には強い闘志が燃えている。

 空に一度負けた彼女は、次は負けまいとリベンジを誓っている。

「……浅はかなり」

「ああ、あの時の女か。この間は激しかったぜ?」

 ゆりがぶるぶる! と、体を震わせた。顔が真っ青になっている。

「ひいいっ⁉ だから! あんたの弟、寒気するんだけど! どうにかしなさいよ! お兄さんでしょ!」

「ああ。なんか、悪いな……」

「生前からああいう感じだったわけ?」

「まあ、あんな感じだったぞ」

「お前ら似ているの見た目だけだあああああああ!」

 日向が苦笑いを浮かべる。

「なんつーか、ちょっと痛い感じがするような……桜木と同じ顔であのノリだから、こっちの脳がバグるぜ」

 藤巻が俺の肩をぽんぽん、と叩く。

「おい、桜木。ちょっと真似してみろよ」

 仕方ねえな。

「ああ、あの時の女か。この間は激し――」

「言わんでいい! お前が言うと余計に寒気がする!」

「ぐはあ⁉」

 ゆりに頭を殴られ、物まね大会は速攻で閉幕した。あとついでに藤巻も殴られていた。

「良いパンチだぜ……なあ、桜木」

「なんか、日に日に威力増している気がするんだよな……」

「頼もしいリーダーだぜ」

「目に涙浮かんでいるぞ」

「おう、おめーもな」

 そんなふざけている間にも、椎名は打ち取られていた。三球三振。空のピッチングは……とんでもないものであった。

「ナックルボール、ね」

 ゆりが呟く。

 ボールを無回転で投げることにより、不規則な変化をする変化球だ。コントロールが難しい、球速が出ない、キャッチャーが捕るのが難しい、と様々な欠点があるが、変化がランダムのため打つのがかなり難しいとされる球種だ。

 空はこのナックルボール一つで戦線の打線を抑えていた。実際の野球でもナックルボールを投げるピッチャーをナックルボーラーと呼び、ナックル一つのみで投球をする。いわば一つを極めし者のための変化球だ。

「良いナックルだぜ。あんなピーキーな球、野球部でも投げるのいねーよ。打てっかな……」

 二番バッターである日向が弱音を吐く。ゆりが日向へ問う。

「ねえ、日向くん。カットって出来る?」

「無理だ。ましてや、あんな不規則なボール」

「なによ、使えないわね。小技が売りな二番バッターでしょ?」

「無茶言うな⁉ プロでも難しいぞ、カットなんて!」

「わかったわよ。とりあえず、初球打ちはやめましょう。ワンストライクは見逃すの。いい?」

「いいけど。球数を稼ぐ作戦か?」

「ええ。ナックルボールは握力が求められる球種よ。少しでも力を緩めれば回転がかかって、甘いボールになる。それにコントロールが難しい球種だから、ストライクゾーンに三回入れるのだって難しいはずよ」

「なるほど。了解、フォアボール狙いはちと地味だが、やってみるか」

 日向がバッターボックスへ向かう。ゆりの作戦にみんな従い出来るだけ球数を稼ぐも、空はコントロールがよかった。フォアボールは出ず、こちらも三者凡退で攻撃終了。

「……よし」

 守備へとつく。まあ、俺が同じように抑えればいいだけの話だ。大体、あいつより打たれたら、俺はあいつに負けることになる。それはだけは、絶対に避けたかった。

 俺は、いや俺達は昔から、兄弟に負けたくないのだから。

 

 

 ハードな試合になった。いわゆる投手戦だ。お互いランナーを出す場面が出るが、良いところでは気合で抑えている。あとは俺も空も対抗心を燃やしているのだ。俺が無失点で抑えれば、空も無失点で抑えようと強く意気込む。その気迫がピッチングに出ていた。

 そんな緊迫した展開で、最終回を迎える。だが、そこで試合は大きく動いた。

 ヒット、フォアボールと続きノーアウト満塁。このままでは一失点どころか、二失点も三失点もしてしまう。

 絶望的な展開といえた。しかも打たれた理由がわからない。俺のピッチングは、変わらず完璧だったはずなのに。

 そしてバッターボックスには、空が立つ。

 ……幸い、こいつにはまだ打たれていない。だけどここで打たれようものなら、戦線はもちろん、個人的な感情としてもこいつに負けた気分になる。

「タイム!」

 日向が声を上げる。守備のみんなが集まる。ベンチからゆりも駆けつけた。

「やべーな。まあでも、ドンマイ。ただ……ずっと気になっていたんだけどよ」

「なんだ?」

「その、そんだけ投げられるのに……ストレートしか、投げないのか?」

 不思議な問いかけである。答えは一つ。

「男なら、真っ直ぐで勝負だ」

「文字通り真っ直ぐな奴だな⁉ 曲がれよ、少しは! 野球なんだから! つーか、いくら良い球でも球種がストレートだけなんて、さすがに厳しいぜ。緩急をつけないと、目が慣れちまう」

「そうなのか?」

「そーだよ。どうする、ゆりっぺ」

「ピッチャー交代よ」

 無慈悲な監督だな、おい。

「そこは続投させてくれるんじゃないのか」

「愚門ね。私がそんな熱血監督に見えるかしら?」

「まあ、冷血だろうが……でも、投げさせてくれ。俺、このままじゃあいつに負ける。せめて、あいつの打席は勝負させてくれ」

「ダメよ」

「……ゆり?」

「打たれるわ。言われたでしょ、バッターが慣れてきているのよ。それに桜木くんの実力なら、ここで打ってくるはずよ」

「待ってくれ。俺は……俺は、あいつにだけは勝ちたいんだ! どうしても!」

 頑なな主張を続ける俺に、日向が「桜木……」と悲しげな声を上げた。

「あんたさ。さっきから、こだわりすぎじゃない? 正直、ちょっと鬱陶しいぜ?」

 ひさ子が冷徹に言う。わかっている。だけど……こればかりは、生前からの因縁なのだ。曲げられない。

「……同じ日にさ、同じ親から、同じ男として生まれただろ。だから、さ。なにに関しても、あいつと差がつくってことは、言い訳がつかないんだ」

 だから俺は、弟が生涯のライバルであった。

 ましてや、俺達は特殊部隊の兵士。

 結果が全ての世界だった。失敗すれば死ぬ。そんなレベルの世界。そんなところ俺達は日々競い合い、そして同時に協力し合った。

「それに……あいつは、ここでの日々を否定してきた。それが、なによりも悔しい。だって俺は、こんな世界でも、ゆりや戦線との日々が……」

 そこから先は、言葉に出来なかった。松下五段がぽん、と俺の肩を無言で叩く。

 ……本当は、椎名との一件でわかっていた。自分の体がなまっていることに。あの時とは、違うことに。

 俺は、弱くなった。

 だけど、それでも……負けたくない。俺が腑抜けていたなんて、ゆりとの日々が否定されるような気がしたから。

ひさ子は肩をすくめて「だって。愛されているねえ、ゆり。どうする?」と問いかけた。

「却下よ。ピッチャーは変えるわ」

「ゆり……!」

「いい? よく聞きなさい、春斗くん」

 ゆりはまっすぐに俺を見据える。その相貌はとても強くて……美しかった。いつだってその瞳は、俺を引き込んで離さなかった。

「ずっと気になっていたのよ。あなたのブラコンぶりは。過去の話を聞いた時からそう」

「……」

「そして椎名さんの件から、あなたは自分が生前の時と比べて弱くなっていることを、特に気にしている」

「ああ。そうだ」

「そして、それは事実よ。ブランクにより、あなたは弱くなった。当たり前じゃない、最初来た時あなたは、NPCと同じように過ごしていたのよ。今だって、仲間を優先する日々でしょう? 一人で戦うこと、そして彼……桜木くんと二人で戦うことも、もうあなたには無理なのよ。それほどの力は、今のあなたにはない」

「っ……⁉」

「彼に劣ったかもしれない……彼に、負けているのかもしれない。けどね、あなたがこの世界にやってきて、成したことはなに? そのことを、よく思い返してみることね」

「……成したこと」

「ええ。たしかに、弟くんに勝たせることは出来ない。それは不可能よ。この野球でも、そして兵士としての力も。そんなこと、あたしには出来ない。でも、戦線を勝たせることは出来るわ。そして今のあなたに必要なのは、一人で強敵に勝つことじゃない。みんなに頼って、力を借りることよ」

 その言葉に、日向がにかっと笑みを浮かべた。

「それを伝えたかったのかよ、ゆりっぺ。昔「あたしは一人でいいんだから」なんて言っていたのに、今じゃそんなことも言えるようになったとはなあ。感慨深いぜ」

「なによ。あなたが仲間を頼りなさいだの、俺を頼れだのって言い出したんじゃない」

「ああ。そーだったな。なあ、桜木。だからこそ、ゆりっぺはこんなことを言うんだ。昔の自分に、ちょっと似ているんだろうよ」

 外野を守っていた松下が腕を組みながら、こくりと頷いた。

「あとは任せておけ。桜木はよく投げた」

 高松が眼鏡をきらりと光らせる。

「私とあなたの筋肉同盟にかけて、この試合を勝ちに導きましょう」

「いや、筋肉同盟ってなんだよ。お前ら、どういう仲だ?」

 日向がすかさず突っ込む。いや、まあ筋肉同盟ってのは、ふざけた半分だから、気にしないでくれ。この間の筋肉トークが盛り上がっただけだ。

「……勝算はあるのか?」

「あるわよ。桜木くんのボールのキレは落ちているし、この回の乗り切り方も、策は用意しているわ」

「さすがだな……敵わねえよ、ゆりには」

「当然じゃない。リーダーよ? あんたはあたしを信じて、ついて来ればいいのよ」

 にこりと笑顔を浮かべるゆりに、俺は困ったように後頭部を掻く。

 ああ、そうか。俺は腑抜けた。

 だけど、その代わりに……得たものある。

 だから、ここでマウンドを降りなければいけない。

 この意志を、誰かへ継ぐために。仲間に頼るために。

「わかった。あとは任せる。俺は降りるよ」

「ええ。そうしなさい」

「でも、ゆり。ピッチャーは誰がやるんだ?」

 降りる沈黙。誰もがゆりに注目していた。彼女は不敵に笑い、そして宣言した。

「あたしよ」

 

 

 ピッチャーマウンドへ上がるゆり。相手はもちろん、戦線メンバーまで動揺していた。ゆりがピッチャーになるなんて、初めてのことだ。投げられるのだろうか。彼女なりに算段があるのだろうが、今のところ想像つかない。

「兄さんは尻尾を巻いて逃げたのか? 滑稽だ。まあ、堕落した兄さんにはお似合いだ」

 打席に立った空が挑発する。ゆりがふん、と鼻を鳴らした。

「違うわよ。あたしに、託したのよ」

「ふーん?」

「それが今の彼。それが、今の桜木 春斗。昔とは違う、新しい戦い方よ」

「逃げた言い訳にしか聞こえないけど? 負け犬の遠吠えだろ?」

「春斗くんには、あなたにはないものを持っているのよ。それを、あたしが今から証明する」

「……兄さんが俺に持ってないものを持っている? なにを言う? 精々、君の股の中の感触を知っているくらいじゃないか?」

「ひいいいいっ⁉ あと、性格も全然ちがああう! アンタは寒気がするわ、本当に⁉」

「まあ、君の股はこの試合の後に楽しむことにするよ」

「……はあ。ないわよ。そんなこと、絶対に」

「ほう?」

「見せてあげるわよ。あたし達は……戦線は、あなたに負けないことを!」

「っ!」

 空がぐっとフォームを構える。ゆりは鋭い視線をキャッチャーへ向け、投球フォームへ移る。

「野田くん! 絶対に捕りなさいよ、満塁なんだから!」

「任せろ、ゆりっぺ!」

 ゆりがボールを投げる。緩やかな球速。だが、その軌道は――揺れていた。

「なに……? ナックルボール⁉」

 空が空振りをする。ストライク、と審判の声が上がった。空とあまり遜色のない、良いナックルボールであった。ありえない。ゆりの奴、いつの間にあんなボール投げられるようになったんだよ⁉

「よし、さすがあたし! なんでも出来ちゃって、自分が怖いわ!」

 自画自賛をするゆり。だけど無邪気にはしゃぐその姿は、見ていて悪くなかった。

 野田がボールを投げ返す。あいつも初見でよく捕ったな。普通、変化の激しいナックルボールは捕れないんだが……。

「ふっ!」

 ゆりが再び投球する。不規則に揺れる球。空は思い切りのいいフルスイングをするが、バットに当たらなかった。

「バカな……付け焼刃で投げられる球じゃない」

 空が驚愕の表情を浮かべたまま、吐き捨てる。

 たしかに、そうだ。だけど、ゆりは……この世界に長くいると言っていた。もしもいざという時に備えて、準備をしていたのだとしたら……その時間は、十分にあったのかもしれない。

(ま、そう何度も投げられないわよ。指と爪が痛くなるっつーの!)

 ゆりは内心でそう呟きつつ、三球目を投球。空は三球三振で抑えられた。なまじ俺の130キロに目が慣れているだけあって、タイミングもちぐはぐになっている。

「……ちっ」

 忌々しそうに、空はベンチへ戻った。

 天界の使徒の攻撃は、無得点で終わった。

 

 

 スコアボードを眺めた日向が、ため息をついた。

「同点での最終回だが、延長は……ないんだっけか」

 ゆりがこくりと頷く。

「ここで点をとらないと、引き分けになるわね」

「そうなったら、優勝はどうやって決めるんだ?」

 俺が聞くと、ゆりがつまらなそうに答えた。

「じゃんけんよ」

「ここまでやってじゃんけん⁉ しょうもねえ! 本当かよ、それ」

「ええ、マジよ。だからこの回は死ぬ気で攻撃するしかない。幸い、点はとれなかったけれど、ここまで球数はそれなりに稼げている。勝機があるとするなら、そこを突くしかない。初球からフルスイングよ、みんな!」

 椎名がバットを持ち、バッターボックスへ向かう。

「……了解した」

 空は椎名を見ながら、にやりと笑みを浮かべる。

「君はノーヒットだ。あの時といい、オレにはとことん勝てないようだな」

「……」

 わかりやすい挑発に、椎名が眉を顰める。

(まあ、あの時はこちらに数の利があったから、勝ったのだが。一対一なら、オレは彼女には勝てない)

 しかしその思考を口には出さず、構えに入る。そのまま自信のあるナックルボールを投げる。緩やかなスピード。しかし揺れがない。ゆりが声を上げた。

「来た、バックスピン……! 椎名さん!」

「――浅はかなり!」

 椎名は声に呼応するかのように、バットをスイング。見事ジャストミートし、外野へ跳躍。シングルヒットとなった。

 ゆりがご満悦な笑みを浮かべた。

「ようやくこの時が来たわね。握りが甘くなってボールに回転がかかるようになっているのよ。日向くん、打ってやんなさい!」

「へいへい。フルスイング、か……しょうがねえ、いっちょかましてやるか」

 空の投球は失投気味になっていた。ナックル特有の変化が少ない。日向の打球はセンター返しとなり、ノーアウト一、二塁。続くバッターは松下五段であったが、空は打たれるのを心理的に恐れるようになったのか、ストレートのフォアボールを出した。

「……オレとしたことが」

 空が舌打ちをする。

 ノーアウト満塁。

 奇しくとも俺と同じ状況だ。だけど空は続投を選択する。彼のチームはタイムすらとらなかった。

「四番は……野田か」

 俺が言うと、野田は「ふん」と鼻を鳴らし、バッターボックスへ立つ。空は息を漏らし、鋭い視線を前へ向けた。

「本当は、好きじゃないが。兄さんと同じことをするか」

 空は振りかぶり、球を投げる。

 真っ直ぐな軌道を描く球――ストレートだ。

「っ」

 意表を突かれた野田は空振りする。

 真っ直ぐに伸びていくような、良いストレートであった。回転数も多そうだ。

「あのヤロー、あんな良いストレートも投げんのかよ」

 藤巻が忌々しげにつぶやく。ゆりは腕を組み、事の成り行きをじっと見つめた。

 野田が一瞬、俺の方をちらりと見た。

「……?」

「情けない奴だ。引っ込んでいろ、だと? ならばこの試合、代わりに俺が決めてやる」

 バットを空高く掲げる。二塁ランナーの日向が驚きの声を上げた。

「あれは……ホームラン宣言⁉ おいおい正気かよ、野田! つーか、ノーアウト満塁だぞ! いやまあ、この場面でのサヨナラホームランはかっこいいけどさ⁉」

 無意味にして無謀に思える宣言。

 だが、野田は気だるげな構えをとりながら、真っ直ぐに投手を見据えた。

 ……冗談ではない、本気だ。

 あいつは、ホームラン一本狙いでいくつもりだ。

 俺が決められなかった、この試合を。

 その一本で、決める気なんだ。

「なめられたものだ」

 空はストレートの握りで、再び速球を投げ込む。

「ふんっ!」

 野田が片手のフルスイングをする。タイミングが合っているが、バットと合っていない。打球は真後ろへ勢いよく飛び、ファールとなる。

 ……2ストライク。

 追い込まれた。

「「……」」

 降りる沈黙。ノーアウト満塁。俺は、このピンチを――ゆりに託して凌いだ。空は己の力で挑んでいる。俺より強い空。そんな彼が、自力でこの場面を乗り越えられるのか。

 振りかぶる。空が選んだ球種は――ストレート。

「もらったあああああああ!」

 野田が叫びと共に、バットをフルスイング。

 球場に響き渡る快音と共に、ボールは柵を軽々と飛び越えた。

「うおおおおおお! ホームランだ! 野田、よくやった! 初めてお前がかっこいいとこ見られたぜ!」

 日向が叫ぶと「初めては余計だ!」と野田は言い返しながらも、走塁を開始する。満塁ホームラン。走者は一掃する。ホームベースで俺達は野田を迎え入れた。

「ほら、野田。お前がヒーローだ。胴上げすんぞ」

「な、何故だ。こういうのは監督のゆりっぺが――お、おい⁉ なんだ、やめろ!」

 問答無用で、みんなで野田を胴上げする。

 まあ、今回は良い所を持ってかれたな。俺はわりと情けない感じになったが……不思議と、悪い感じじゃない。

 むしろ、とても心地が良かった。なんでだろうな。きっとこれは、生前に味わうことのなかった感覚だ。

「……なにか忘れている気が」

 ゆりが腕を組んでベンチからゆっくり出てきたが、釈然としない表情を浮かべていた。

 と、ここで透き通るような良い声が、グラウンドに聞こえた。

「優勝おめでとう」

「あ」

 ゆりが振り返る。そこには生徒会メンバーを引きつれた、天使がいた。

 全身に電撃が走る。ゆりは天使をビシ! と指さした。

「それだああああああああああ⁉」

「どれかしら」

 天使は周りをキョロキョロ見渡した。「会長を指さすんじゃねーよ」と夕顔が後ろの方でぼやくが、ゆりは一ミリもそんなことを気にせず声を上げた。

「あなたのことよ! 今までなにしていたのよ?」

「良い試合だったわ」

「普通に観戦してんじゃないわよ⁉ 生徒会の責務はどうしたああああああ⁉」

「今年のあなた達は、大目に見たのよ。ゲリラ参加はよくないけど、いつもと比べると、大人しかったから」

「……まあ、いいわ。たしかに、今年は派手にやらなかったものね」

 はあ、とゆりはため息をつく。

「言っておくけど、表彰式は出ないわよ」

「優勝チームはトロフィーを受け取って。写真も撮るわ」

「どっちもしないわよ。消えるもの」

「……あなた達には困ったわ」

「ほら、お前ら! 撤収するわよ! ってか、いつまで胴上げしてんだ⁉ わっしょい♪ わっしょい♪ じゃねえええええええ!」

 日向がゆりを手招きする。

「お、次はゆりっぺの番か?」

「するか! たく、満喫してんじゃないわよ」

「なんだよ。せっかくの機会だぜ?」

「どんな機会よ。たく……」

 呆れたように言いながらも、ゆりの表情は晴れやかなものになっていた。

「……なあ、ゆり。せめて写真くらいは、とったらどうだ?」

「なんでよ?」

「い、いや別に。深い意味はねえけど、なんとなく」

「……」

 不審そうな目を向けるゆり。

 そんなに変なことを言っているだろうか。いやまあ、なにが消えるファクターになるかわからないから、警戒するのが普通なんだけどさ。

 ……俺は、どっち道もうすぐ消えるんだ。

 だから、思い出を残したいって……思わず、そう考えてしまったんだ。

「別にいいじゃねーか、ゆりっぺ。桜木が撮りたいって言うなら。けど、お前がそんなセンチメンタルなことを言い出すなんて、ちょっと意外だぜ。寂しがりか?」

 日向が俺の肩を軽く叩き、茶化した。まあ、みんなからのイメージ的には、そういうのにはドライなんだろうな。

「ま、いいわ。仕方ないから、付き合ってあげる。ほらみんな、並ぶわよ。あと消えないこと。で、春斗くんはこのトロフィーを持って。あなたが言い出したんだから、いいわよね?」

「ああ。わかった」

「でも、これは返すのよ。こんなの校長室に飾ったら、消えるファクターになりかねないわ」

「じゃあ写真だけは、俺が持っている」

「……どうしてもと言うのなら、良いけど」

 ゆりが不安げに、俺の服の端っこをちょんと摘まんだ。

「消えるんじゃ、ないわよ……?」

 その表情はとても弱弱しく、まるで縋るかのようであった。

 普段の勝気な彼女とのギャップに、激しく動揺させられる。

 ……ずきり、と胸が痛んだ。

 俺は……ゆりを守るために、この世界から退場しなくてはならない。

 いつかそのことを、言わなくてはならない。

 それなのに、俺は。

「ああ。消えない。絶対に、そばにいる」

 嘘をついた。

 罪悪感が、ずしりと体にのしかかる。

 俺は……。

 俺は……なんて、最悪な奴なんだ。

 今しがた、仲間を頼れって教わったのに。それなのに、俺は……。

「そう。最後までずっと一緒よ、春斗くん」

 ゆりがにこりと笑みを浮かべる。

「っ」

 俺にだけ聞こえるように、小さく囁いてくれた愛おしい言葉も……今は、苦しい。

 ……この学園は卒業すべき場所で。

 しかし愛が芽生えれば、永遠の楽園と化してしまう矛盾を抱えてしまう。

 俺は、俺達は今、それを――痛いほどに、狂おしいほどに、実感している。

 クソ。なんなんだ、この世界は。

「……春斗くん? どうしたのよ?」

「なんでもねえよ」

「変なの。急に顔逸らしちゃって」

 変なのはお前だ。好きな女の子からいきなりあんなこと言われたら、色々な意味で動揺するに決まっているだろ。ましてや、今の俺の状況からすれば。

「――はーい、じゃあクソども。撮るぞー。さっさと集まれー」

 やる気なさげに夕顔がそんなことを言って、カメラを構える。大丈夫だろうか。色々と。

「なんか、ボロクソ言われているんだが……」

 日向が呆れたように言うが、夕顔のことはゆりが教えている。天使を敬愛する彼女は、SSSを嫌悪している。仕方のない対立、というべきだろう。メンバーは特に驚くこともなく集まった。

「はい、チーズ」

 投げやりな声と共に、戦線メンバーの集合写真が撮られたのであった。

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