立華が発動したガードスキル「ハーモニクス」は暴走した。分身は立華――もとい、天使としての役割である「秩序を守る」ことを好戦的に優先し、戦線メンバーの明確な敵となって登場した。
ゆりが立てた一旦の方針は、まず戦線メンバーは授業に出るフリをすること。まあつまり、出来ることは今ない、ということだ。
そしてゆりが天使の部屋へ侵入し、ガードスキルをプログラミングする。「ハーモニクス」を戻すスキルを開発し、分身天使と刺し違えた立華の意識さえ回復すれば、戦いは終わるはず、という見込みだ。果たして作戦は上手くいくか。
この問題には一つ、致命的な欠点がある。天使の部屋への侵入を、分身天使が安々と許すかどうか、というところだ。
分身天使の目的は授業を受けさせること、秩序を守ること。部屋へ不法侵入する、ましてや直接スキルをプログラミングしようとするゆりを、安々見逃すかどうか。
そのため、俺はその隙を少しでも作るため、生徒会業務に勤しむことにした。分身天使を呼び込んで、だ。
「見回りに行くぞ、元会長さん」
「ええ、そうね。いけないことする子を、お仕置きしないと」
いやに好戦的な分身天使にげんなりとしつつ、巡回する。全く、俺がこんなに生徒会業務へ勤しむことになるとはな。まあ、これが分身天使の陽動に、少しはなる。
それと……一つ、気になることがある。
「お前のこと、なんて呼べばいい?」
俺が問うと、分身天使は答えた。
「あたしはあたしよ」
「立華 かなでで良いってことか?」
「好きに呼ぶといいわ」
「じゃあ、立華って呼ぶ。あいつと同じように」
分身天使はきちんと会話が成立する。信じられないことだが、明確な意思があり、自我がある。
希望的観測だが。なら、こいつを説得するとか、和解することは不可能なのだろうか?
本命の作戦は戦線の連中が、ゆりが動く。なら、俺には俺の可能性を探ってみるしかない。たとえそれが、〇パーセントの望みだとしても。
戦線メンバーは各々の手段で、授業を受けるフリ、という形で出席している。制服についてなにか言われるかとも思ったが、今のところは特に反応がない。俺は授業を受けたり、分身天使と巡回をしながら、出来るだけ会話を試みた。
ふと、ゆりとの会話を思い出す。そういやこいつは、激辛麻婆豆腐が好きなんだったか。
「飯行かないか?」
「あなたと一緒に?」
「ああ。もう、そんな時間だろ?」
「ふうん……」
分身天使は首を傾げる。
その容姿は立華とそっくりだと思ったが、よく見ると瞳の色が全然違う。金色の瞳が、赤い色になっている。たしか、赤目って生物学的にはありえないんだったか。そのせいか、天使というよりはちょっと悪い奴な印象になる。好戦的な彼女には似合う色かもしれないな。
「あなた、あたしに気があるの?」
「あ?」
「だって、あたしにべったりじゃない?」
俺は唖然とした。
「お前、そんなこと言うんだな」
「あら。恋をするのはイケないことじゃないわ」
「まあ、そうだけどさ……」
「子供を作ったら、ダメだけれどね。子作りという行為までは、自由だけれど」
小悪魔的な笑みを浮かべて、分身天使が言う。
いやいや、立華の見た目でなんてことを言うんだ、こいつは。ここからR18展開にでもする気か⁉
「驚いたな。お前、結構感情的というか、なんというか」
「失礼ね。分身にも、ちゃんと自我があるのよ」
「そうだろうけど、さ。なんというか、個性もちゃんとあるんだな?」
「もちろん。それが「自我」というものでしょう」
「……まあ、そうだな」
見た目は立華で立華の分身だけど、中身はちゃんと自我ある……よく出来すぎだろ、こいつ。人工知能ってレベルじゃねえぞ。
一緒に食堂へ行くと、分身天使は素うどんだけを頼んだ。
「それだけでいいのか?」
「ええ。食は細いの」
「ふうん」
「あと、うどんが好きだわ。柔らかめの、冷たいうどんが好き」
「はあ。そういうもんか」
「そういうものよ」
立華とは食の趣味が違うのだろうか。
「激辛麻婆豆腐はどうだ」
「辛いのは苦手。痛いもの」
「……そうか」
違うようだ。やっぱり、個性ってのがあるのか、こいつにも。ただのレプリカじゃない。
俺達は向かい合って、飯を食う。ちなみに俺は鯖定食を頼んでいた。
「あなたには好物があるの?」
分身天使が問いかけてくる。
質問が来たのは、初めてかもしれない。
「いや。なんでも好きだな。嫌いなものも、特にない。強いて言うなら、同じ物は食べ続けないかもしれない」
「あら。いいことね、長生きできるわ」
「もう死んでいるけどな」
「そうね。でも、生き返ることは出来る」
「生まれ変わるってことか?」
「ええ。あなたも早く成仏することね」
その信念だけは、やり方は違えど立華と同じか。
ごはんの食べ方は上品というか、女の子って感じだった。一口が小さくて、ちまちま食べる。でも、素うどんだけだからすぐに量が減ってしまう。
「おいしい」
それでも、笑顔を浮かべて分身天使は素うどんを食べる。
……すごく、可愛らしい笑顔だった。
って、いやいや。なにを考えているんだ、俺は。立華の見た目なんだから、そりゃ可愛いだろ。容姿に騙されるな。
「お前、なんでこの学園の秩序を守ろうとする」
「それが使命だからよ」
「使命、ねえ……」
「天上学園が去るためにある。そのルールを守りたいだけよ」
「立華のことをどう思っている?」
「立華?」
「お前の元の少女だ」
「別に。彼女がいるから、あたしがいる。それだけじゃない?」
「そうか……」
なんだか、スッキリとしない気分であった。
夜。分身天使を俺は女子寮まで送っていった。
「ありがとう。また明日、学校で会いましょう?」
手を振る分身天使。
……こいつ、本当に昨日、俺やゆり、戦線メンバーに襲い掛かってきた奴だよな?
「随分と、急に友好的じゃねえか」
思わずそう言ってしまうと、分身天使は首を傾げた。
「あら? 別に、イケないことをしていなければ、おしおきはしないわよ」
「そういうものか」
「それに、あたしに好意がある男の子を、無碍にするわけにはいかないわ」
いやいや。もうなにがなんだか……。
「お前、昨日会ったから知っているだろ。いやまあ、言ってはねえけど……」
「あのリボンの女の子が好き?」
「そうだよ。俺はあいつを心から愛している」
「そう。でも、あの子にはもう会えないかもしれないわよ?」
「どういうことだ?」
「ふふふ。さあ? どういうことでしょうか、ね」
分身天使はまたも可愛らしい笑みを浮かべた。
「じゃあね。桜木 春斗くん……」
「――あんた、レプリカ天使に変な情が沸いてないでしょうね?」
「っ⁉」
自室でぼんやりと過ごしていたら、いきなり現れた遊佐――もとい、ゆりの物まねをした遊佐っぺが現れた。
「ゆりっぺさんの伝言です」
「どこでいつ見ているんだ、あいつは」
「秘密です」
「ほんでお前はそのネタ割れているのかよ」
「秘密です」
「はいはい、わかったよ」
がりがり、と頭を掻く。別に見られて困ることなんてしないし、いいか。
「で? 突破口は開けたのか」
「ゆりっぺさんが分身を戻すスキルをプログラミングしました。あとは天使の意識が戻り次第、ハーモニクスをもう一度発動させるだけです」
「……そうすればあいつは消えるはず、か」
「やはり情が芽生えましたか」
「まさか。たった一日で……それも、あんな紛い物を」
だけど、脳裏には素うどんを美味しそうに食べる、分身天使の顔が浮かぶ。
「桜木さんは情に弱いですね。特に、女性の」
「おい。なんだ、その色々と悪意のある言い方は」
「失礼しました。特に、女の子の」
「いや、変わってないから⁉」
大きくため息をつき、ベッドに寝転んだ。
なんだか、今日はどっと疲れた。
「俺はもう寝る。今日はもう、色々としんどかった……」
「お疲れ様でした」
「ああ。遊佐も、あいつの無茶振りが終わったなら、休んでおけ。色々と大変だっただろ」
「そうですね。では」
遊佐はいなくなり、部屋は静まり返る。
……さて。これからどうしたものか。
ゆり達は独自に動く。俺は分身天使に接触し、彼女の足止めをする。この構図は変わらず、継続状態となった。
生徒会室で書類を処理する。一段落し、体を伸ばした。
「お疲れ様」
分身天使がコーヒーを持ってきた。俺は目を丸くする。
「いいのか?」
「ええ。あたしは、コーヒーが苦手だけど」
分身天使はなにも飲み物をもっていなかった。
俺は缶コーヒーを受け取り、一口つける。だが、ふとあることに気がついた。むしろ何故すぐに気がつかなかった、と自己嫌悪に陥った。
わずかだが、金属の香りがする。そして分身天使の制服には、わずかだが返り血が付着している。
「誰を殺したんだ」
俺が思わず、低い声を上げる。
くそ。まるで、陽動の意味をなしていない。
分身天使は微笑した。
「ふふふ。おしおきしただけよ。抵抗するから」
「……」
心配だが、信頼して任せるしかないか……。
プログラミングに成功したのは幸いだが、犠牲がないまま話が進むわけはない。分身天使も己の目的達成のため、抵抗するのだから。しかもその戦闘能力は、本体とあまり変わらない。基本的には、今回も戦線の方が状況は不利だろう。
「あなたは、仕事熱心ね。真面目だわ」
分身天使がそんなことを言ってくる。身を乗り出し、書類を覗き込んでくる。立華の甘い香りが、鼻を刺激した。
「まあ、生徒会副会長だからな」
「会長がいない分、あなたが忙しくなっているのね」
「そうだな。まあ、仕方ねえよ。立華はあの状態だろ」
ぶっ刺した本人を前に言うのは、皮肉である。
にしても、一日経過したから治っているはずなんだが……ハーモニクスはまだなのか? なんで、こいつはまだいるんだ?
「ねえ、あたしね。あなたのこと、嫌いじゃないわ」
「あ?」
分身天使が顔を近づけてくる。
不覚にも、胸が高鳴った。
「とても熱心で。勤勉で。二番目でいいわ。どうかしら?」
小悪魔的な笑みを浮かべ、そんなことを言ってくる分身天使。俺はなんとかして、その視線を逸らした。
「へ、変なことを言うな。女の子が、そんなこと言っちゃいけない」
「ふふふ。きちんと、女の子としては見ているのね」
「揚げ足をとるな」
「まあ、いいわ。その言葉を聞けただけで、満足よ」
くるり、と分身天使は背を向けた。
「どこへ行くんだ?」
「ちょっと、見回りよ」
そう言って、分身天使は生徒会室を出た。
さっきの、今だ。俺はその後を追った。
「桜木さん」
「ん?」
体育館へ向かう分身天使の後ろを追っていると、遊佐が声をかけてきた。
「遊佐か。どうした」
「分身天使は、ギルドへ向かっています」
「ギルドへ? 何故?」
遊佐は状況を説明してきた。立華が攫われたこと。戦線は今、本体がいると思われる、ギルドへ向かったこと。そしてそのギルドの中には今、分身天使が大量にいること。
そして――俺の近くにいた分身天使も、応援に駆け付けようとしている、という寸法だ。
「わかった。報告ありがとう」
なら、やることは決まった。
俺は体育館に入る。中には、分身天使一人がいた。
「あら。あたしが恋しくなった?」
首を横に振る。
「悪いな。言っただろ、愛している女がいるんだ」
「ふふふ、さっき顔を赤くしていたくせに」
「……あれは不可抗力だ」
なまじ、見た目が立華なのだ。逸脱した可愛いさを前じゃ、さすがに生理反応は起きる。
「仲良くは出来ないようね」
「ああ。俺は、お前を止める」
「出来る?」
分身天使がハンドソニックを取り出す。俺もナイフを取り出した。
「やるさ。必ず!」
前へ飛び出す。分身天使が目にも止まらない速さで、ハンドソニックを振り回す。俺はそれを捌きながら、分身天使へ肉薄。分身天使は吹っ飛ぶが、受け身をとって華麗に着地した。俺は立ち止まった隙をつき、ハンドガンを撃つ。
「――ガードスキル。ディストーション」
銃弾が逸れる。
ディストーションを張られたら、銃弾は当たらない。他に武器はなし。俺は舌打ちをして、ナイフを手に再び間合いを詰めた。
「――ガードスキル。ディレイ」
残像と共に、分身天使が消える。ナイフは空振った。
「っ⁉」
「隙だらけよ」
背後から立華がハンドソニックを突き立てる。だが、俺はそれを間一髪でそれを回避。身をひねり、立華の華奢な腕を掴み、思いっきり投げつけた。
立華は空中で翻り、着地。不敵な笑みを浮かべていた。
「強いのね」
だが、俺は息が上がっていた。そもそも、人間レベルじゃない動きに付き合わされているのだ。体はあっという間に悲鳴を上げる。
「ガードスキル、ハーモニクス」
「なっ……」
さらに分身天使が増える。二人の分身天使が同時に襲い掛かって来る。一人はナイフで受け止めたが、もう一人はどうしようもない。胸をハンドソニックで貫かれ、俺は口から大量の血を吐き出した。
「がはっ⁉」
「痛そうね。抵抗するから」
床に倒れる俺を、分身天使は呆れたように見下ろす。その背中に向けて、腕を伸ばし服の袖を掴んだ。
「行かせない……!」
「本当に好きなのね、仲村 ゆりが」
「俺の力は、あいつに使われるためにあるんでな……!」
「そう。おめでとう。戦いはあなた達の勝利よ」
「?」
分身天使が出現させた分身天使が、霧散して消えた。
「なんだ⁉」
「本体がハーモニクスしたのよ。けど……どうなるのかしら?」
「なに?」
「あなたならわかるでしょう? あたし達は分身。現身。けれど、そこには自我がある。意志がある。それが一つの肉体の中に入っていったら……激しいことになるわ」
「っ⁉ お前……!」
「会えたら、また会いましょうね。桜木 春斗くん」
不敵な笑みを浮かべ、分身天使が消えた。
俺はなにか言おうと思ったが、貧血で意識を失う。
戦いは無事に終わった。だが、ハーモニクスにより、無数の「精神」が立華に取り込まれてしまう。
その苦痛と絶望は――想像がつかないほど、途方ない。