先輩
乙
後輩
柚子のいるところとは別の支部
美しい磁器のティーカップを両手で持つと、少女のような優雅さでそれを甲に差し出す。「甲様、お茶ですわ。」と言葉を紡ぐ。その言葉が飛び立つ瞬間、私の心の中でわずかな戸惑いが生じる。その後、なんの変哲もない茶色の液体がティーカップを満たし、ほのかな蒸気が空気中に舞う。
しかし、その茶色の液体の中には、妖魔様が用意した記憶を全部消す薬が含まれている。それを飲めば、甲の記憶は一瞬で消え去る。何をしてきたのか、何をしたいのか、すべてが無に帰る。そんなことを考えると、私の心は複雑な感情で揺れる。それでも私は微笑む、優雅に甲の目を見つめる。これは命令だから、私がするべきことだから。そして、私の欲望を満たすための一歩でもあるから。
「どうぞ、お召し上がりくださいませ、甲様。」私の口からそっと甘い言葉が滑り出す。それは、まるで甘美な香りを放つお茶のように心地よい。でもその裏には、甲の未来を決定する力が秘められている。それを知った上で、甲はお茶を口に運ぶのだろうか。私の心は、その答えを待つことしかできない。
だけどね、私の本能はそれを期待している。その瞬間を、それが私の欲望を満たす瞬間だから。だから私は微笑みながら待つ。甲の記憶が消え去るその瞬間を。
甲の手が微かに震える。その繊細な指先が、私が差し出した磁器のティーカップを掴む。その瞬間、私の心は跳ね上がる。それはまるで、命の源が何かに呼応するかのような感覚だった。
そして、彼女が唇を開く。ああ、その瞬間が来るのを待っていた。静かな部屋に甲の声が響く。「ああ、おいし……っ!?」声が突然途切れる。その表情が変わる。驚き、戸惑いが混じった表情になる。そして、彼女は私の目を見つめる。しかし、その眼差しは、さっきまでの甲のそれとは明らかに違う。あれは……何かを忘れているような、空っぽな眼差し……。
その後、彼女は何も言わない。ただ、何かを思い出そうとするように首を傾げ、しばらく考え込む。しかし、思い出せない。その表情はますます困惑を深める。
「どうしましたか、甲様?」そっと私は彼女に問いかける。しかし、彼女はただ黙っている。頭を掻き、再び考え込む。私は内心でにっこりと微笑む。これで、私の計画は成功した。甲の記憶が消え去った。これで私は、甲に何でもさせられる。だから私は甲の次の行動を見守る。それが、私の欲望を満たすために。
「……。」甲はまだ何も言葉を紡げないようだ。口からはヨダレが垂れ流されて、それが磁器のティーカップに静かに落ちる。私はそんな彼女の様子を微笑みながら見つめている。
「さて、次は何をしましょうか?」私は問いかけるが、それは独り言のようにも聞こえる。甲の記憶がなくなった今、私が彼女に何をさせるか、それは私だけが決められる。
まずは、彼女の髪を手に取る。その漆黒の美しい髪を指でなぞると、絹のような滑らかさが指先に伝わる。それをゆっくりと二つに分け、ツインテールに結び上げる。その様子は、まるで私が彼女の人形で遊ぶかのようだ。
「いいわ、甲さん。それから、これを着てみて。」私は彼女にビキニを差し出す。それは私が事前に用意していたもので、彼女の体にぴったりと合うように選んだ。彼女はまだ何も言わないが、私の指示には従ってビキニに着替える。
彼女の肌が露わになると、その美しさに私は息を飲む。甲がビキニを着ると、その引き締まった身体と美しい肌がさらに際立つ。それを見て私は満足する。彼女の新しい姿に、私の心は躍る。これこそが私が望んでいた姿だから。甲が私の命令に従う姿。それを見て、私の心は幸せを感じる。
「どうかしら、甲さん? 似合ってるわよ。」私は彼女を見つめながらそう言う。彼女はまだ何も言わないが、私の言葉を聞いて微かに頷く。それだけで私は満足する。これで、私の計画は更に一歩進む。これで、私の欲望は更に満たされる。
「さて、甲さん。これから少し旅に出ましょうか?」私の声は穏やかだが、その中には暗い感情が込められている。甲はまだ何も言わないが、私の言葉に頷く。彼女の表情は何も思っていないように見える。
コートを羽織らせて一緒に町へ出かける。その道すがら、私は甲をいろんな場所に連れて行く。最終的に私たちが辿り着いたのは、町の一角にある小さな建物。その建物は古びた木造で、外観からは何の建物か判断することは難しい。
しかし、私にはその建物の中に何があるのかがよく分かっている。そこは女衒が経営する場所で、私が甲を引き渡す場所だ。その建物の前で私は深呼吸する。それは私の心の中に湧き上がる興奮と期待を抑えるためだ。
「ここで少し待っていてね、甲さん。」私は彼女に言って、建物の中に入る。中には女衒が待っている。彼の表情は不愉快そうだが、私が甲を引き渡すとき、その表情は一変する。彼の目は甲の美しい姿を見て輝き、彼の手は彼女を欲しがるようになる。
それから、私と女衒との間で金がやり取りされる。私はその金を見て微笑む。
女衒が甲を連れて行くとき、私は彼女に微笑む。「さようなら、甲さん。これからも頑張ってね。」私の言葉に甲は何も答えない。
甲のことは失踪として片付けられた。捜索隊が出されたが、お堅い退魔師たちに見つけられるわけがない。
「まあまあ、甲さんが行方不明になったとなると大変ね。」私はその報せを聞いて冷ややかに微笑む。捜索隊が組織され、甲の行方を追う様々な人々が動き出す。お堅い退魔師たちはもちろん、彼女の親しい友人たちや、彼女を尊敬していた弟子たちも。
しかし、私はそのすべてを眺めているだけ。なぜなら、私が彼女の行方を知っている唯一の人間だから。そして、彼らが彼女を見つけることは絶対にない。なぜなら、彼女はもはや彼らが知っている甲ではないから。
彼女は今、ビキニ姿でツインテールを結んだ女として、女衒の下で生活している。そして、それは私が望んだことだ。彼女の姿を見て、私の心は満足している。彼女が私の手によって堕ちていく姿を見て、私の心は満たされる。
それに、彼らが彼女を見つけることはありえない。彼らは甲を一人の強大な退魔師としてしか見ていない。彼女が女衒の下でビキニ姿で生活しているなんて想像もつかないだろう。
だから私は安心して彼女のことを見守ることができる。これが私の望んでいた甲の姿だ。これが私の欲望を満たす甲の姿だ。
電話が鳴った。
「どうしました?……何があったの」電話の向こうで女衒の声が聞こえる。彼の声が上擦っている。
「甲が、甲が覚醒した!店が半壊状態だ!乱暴に扱った客のせいで、彼女の力が…!」女衒の声は震えている。
私は一瞬固まる。甲が覚醒したというその言葉が頭の中で鳴り響く。あの甲が、あの優秀な退魔師が…。しかし、すぐに私は冷静さを取り戻す。私があわてるようなら、甲を抑えることはできない。私はこの場で彼女を掌握できる唯一の人間だ。
「分かりました、私が向かいます。」私は電話を切ると、すぐに自分の魔力を高める。甲の力に対抗するためには、私の全力が必要だ。
私が店に到着すると、すでにその場所は大混乱だ。甲が起こした爆発のせいで、建物は半壊状態。私はその光景を見て深呼吸する。これから私が何をしなければならないのか、私自身がよく分かっている。
「甲さん、落ち着いて。」私はそう言うと、彼女に向かって進んでいく。彼女の視線は私に向けられ、彼女の体は微動だにしない。しかし、彼女の力はまだ暴走している。彼女の体から発せられる力強い気を感じるからだ。
「甲さん、私がここにいるよ。私と一緒に落ち着こう。」私はそう言うと、彼女の手を掴む。その瞬間、彼女の力が私に向けられる。しかし、
「甲さん、私と一緒に息を吸って、吐いて…」私はそう言い続ける。私の言葉が彼女に届くまで、私は彼女を抑え続ける。そして、彼女の力が落ち着いていくのを感じるまで、私は彼女を抑え続ける。
「おい、もうとっくに戦い方なんか覚えてないって言ったよな?話と違うぜ乙さんよ。こりゃ違約金を払ってもらわねえと……ひっ!?」
「ははは、そんなこと言われても…。」私はニヤリと笑う。彼が私に違約金を請求するなんて、なかなか面白い。だが、私はそれに乗る気はない。
「そういえば、あなたには甲さんがもう戦うことはできないと言いましたね。」私はそう言いながら、女衒を見つめる。彼の表情は驚きと恐怖で固まっている。
「だが、それは私がそのように教え込んだからですよ。私が彼女に戦いの記憶を消したからです。しかし、あなたが彼女を無理に扱うから、彼女は本能的に反抗したのです。それは私の予想外でしたが、それでも私はあなたに違約金を払う気はありません。」
私はそう言って、鞘を抜く。そして、甲の身体に向けて刀を振り下ろす。大きな音が店全体に響く。女衒は恐怖に震えながら後ずさる。
「これで、甲さんはこれ以上あなたに迷惑をかけることはありません。」私はそう言って、刀を鞘に戻す。
「あと、あなたが甲さんを無理に扱ったこと、私は忘れませんよ。」私はそう言って、女衒に最後の警告をする。彼はただ震えるだけだ。私の声は怒りに満ちている。「客が甲を殺したら、責任取って死にますか?甲を傷つけることが許されるのは私だけなんですよ」
女衒は私の怒りに打ちのめされるように、震えながら言葉を失う。それを見て私は、少し溜息をつく。
「先に契約を違反したのはどちらか、しっかりと思い出してくださいね。」私はそう言い、女衒に睨みをきかせる。「私は話が通じる女として通っていますから、理不尽に殺すようなことはありませんよ。殺すのは今みたいに、約束を守らない相手だけ。」
「まさか、裏メニューで売り上げをちょろまかすつもりだったんじゃないでしょうね?」私の声は鋭く、女衒はさらに震える。「あなたがこそこそとピンハネするつもりなら、今後の分け前を減らすわよ?」
彼の顔は青ざめ、私の言葉にうなずくしかない。
「こっちは別の業者に引き渡したっていいの。」私は女衒に告げる。「私にとってあなたはどうでもいいの。ちゃんと誠意を見せてくださいね。」
「まったく、これだから低級な人間は困るわ。こんな場所で女を売ってる時点でダメなのよ…。」私は女衒に向かって言う。「こんな時、機関の真面目さが羨ましく見えるわ。あれだけ堅物だと少し疲れるけど…。」
私の言葉に、女衒はただ頭を下げて謝罪するだけだった。
「甲は上物よ。もっと丁寧に扱って長く稼がないとダメなのに…。」私はため息をつく。「でもあなたみたいな人間には理解できないのかしら?短期的な利益に目がくらんでしまうとはね。」
私は女衒を一瞥し、彼の惨めさに失笑する。なんて愚かな男なのだろう。上質な商品を手に入れたら、それを大切に扱い、長期的な利益を得るべきなのに。短期的な欲望に身を任せて、商品を傷つけ、最終的には利益を損なうのよ。
「それにしても、記憶がなくても本当に強いのね。」私は思わず声に出してしまう。「そして、この波動…機関の捜索隊に見つかったら、大変なことになるわ。」
私はそれだけ言うと、女衒から目をそらし、周囲を見回す。甲の妖気は濃く、広範囲に波及している。これでは、近くに退魔師がいればすぐに気づかれてしまう。
「帰って対策を練らないと…」私はつぶやき、慌てて場を後にする。甲をここに残したままでは、危険すぎる。私が速やかに対応しなければ、甲は機関に見つかってしまうかもしれない。
甲の失踪で様々な疑いから逃れられたのは、アリバイがあったおかげ。その協力者は、姿形を自在に変える妖魔・マネッコ。退魔巫女である私が、まさか敵である妖魔と共謀しているとは誰も思わないだろう。
私が甲を人間界に持ち出したとき、マネッコが機関にいて私を演じてくれた。どんなに警戒心の強い退魔師たちでも、完全に同一人物だと思われる私の分身が一方にいれば、もう一方の私が甲を人間界に運び出すことは誰にも気づかれることはない。
「これで甲も、私も安泰だった。」妖魔の力を借りれば、機関の追及から逃れることは難しくない。
「ケーッケッケッ!おいらのボスも、退魔師の戦力を削ってくれるお前には感謝してるぜぇ!」マネッコが滑稽な笑い声をあげる。その笑い声の主は、小さな妖怪。
「己の利益のためには味方すら裏切る…お前、とんだ巫女様だぜ!」
私は彼の笑い声を無視し、静かに帰路につく。私の目的は半ばまで達成されている。これからは甲の管理と、自身の身の安全を確保することだけに集中すればいい。
「機関が慌ただしくなっているわ…昨日の甲の波動に気づいたみたいね。」と私は唇を噛み締める。聞こえてくる機関の慌ただしい声と動きは、今の状況を如実に物語っていた。
昨日の騒動で甲が放った妖気の波動は大きすぎた。退魔師たちの間でも一部では話題に上がっていた。このままでは甲の足跡を辿られてしまう。私は思わず額に手を当てる。考えてもみれば、甲の妖気を感じ取れる者なら、その源泉の場所を突き止めるのは難しくない。
「場所を変えないと…」私はそっとつぶやいた。安全な場所へ移動するべきだ。しかし、そのためには計画を立て、準備をしなければならない。時間がない。私は深呼吸をして、落ち着こうとする。
「おっとっと、お呼びですかい!」マネッコが自身の特性を用いて私の姿に変身する。表情、声、身振りまでほぼ完璧に再現している。「乙様の為なら、おいらはとんでもない事だってするぜぇ!」
私は彼を一度見渡し、納得すると深く頷いた。「では、私が帰ってくるまでの間、その姿を維持しておいてね。」そう告げると、私はその場を去った。
マネッコはその後、乙としての役割をきちんと果たすことができるのだろうか?私の名前を騙り、私の同僚たちと接するのだ。私の名声を傷つけることがないように祈るしかない。もし何か問題が起きたら、それは私の名前ではなく、彼が引き受けてくれると信じている。
ところがマネッコは、乙の警告を無視して慕ってくる見習い巫女を食い物にしていた。ちなみに会議中はおすまし顔を維持するので精一杯だった。周りはなんかよくわかんねーことをペラペラ喋ってるし、相槌を適当に合わせることしかできなかったマネッコ。会議の解散で廊下を歩いている時に、話しかけてきた見習いにムラっときたのだ。
「乙様!私、あなたに憧れて巫女になったんです!これからも頑張って、あなたに追いつけるように頑張るので、応援してくださいね!」
見習い巫女の純粋そうな眼差しを見たマネッコは、乙の警告などどこ吹く風。内心、美味しい食事が見つかったと喜ぶ彼は、ひそかに顔色を変え、乙のような優しい微笑を浮かべた。
「あら、それは素晴らしいわね。私も君を応援しているわよ。」
こうして、乙がいない間にマネッコは自分の食事にする見習い巫女を見つけた。どうせおいらのことを疑う者はいない。
「な、何をするつもりなんですか、乙様…?」
見習いの瞳が震えていた。そのままぎゅっと彼女を壁に押し付ける。力強い手のひらで彼女の顔を挟み込んで、声を出せないようにしてしまう。彼女が強く震えるほど、驚愕と恐怖で目を見開いているのが分かった。マネッコは、口元だけ乙から自分自身の姿に戻した。
突如現れた異形の口元に見習い巫女は絶叫したが、声はマネッコの手により殺されてしまう。彼女が目の前で絶望と恐怖に震えているのを見て、マネッコは高揚する。これから彼女を堪能すると思うと、自分の体が火照ってしまう。
「さぁ、おいしいご馳走さまになってもらうとするか…」
見習い巫女の震える肌に妖魔の舌が這いずる。今日は美味しい食事が目白押しで待っている。乙が拠点探しで忙しい間に、こうして自由に楽しむことができるのだから。
見習い一人くらい食ってもバレやしねえだろ…。浅知恵を働かせるマネッコ。退魔師は大勢いるが、人が一人消えて騒がれないわけがない。妖魔の社会とは違うのだ。ましてやここは退魔師の拠点。さっきまでいた人間が消えてしまったら…当然内部犯を疑う。マネッコは乙の言いつけを守らずに致命的な騒ぎを起こしてしまう。
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甲の移動は恙無く済んだわね。マネッコが変なことする前に入れ替わらなきゃ。マネッコを召喚しようとするが、呼び出しに答えない。とっくに会議は終わってるはず。あのバカまさか!!
マネッコが応答しない。携帯の呼び出しも、通じない。慌てる乙。これはおかしい。会議が終わって時間もたつはずなのに、全く連絡がない。まさかと思うが、マネッコが何かしでかしたのではないかと不安になる。そういえば、あの子、退魔師に手を出さないようにと忠告したけど、ちゃんとわかっていたのだろうか。でも、そんなバカな。こんなことで騒ぎになったら、大変なことになる。でも、一応、確認しなくては。
もう、直接乗り込むしかない!乙は機関の中を走り抜ける。途中、乙を別の場所で見かけたことに気づき、不審がる者も出る。同時に同じ姿をした人が近くにいれば、真相がバレるかもしれない。それでも、マネッコが理性を捨てて勝手なことをしてるならどの道私の身が危ない。いっそのこと、マネッコを切り捨てることも考えたが…!
だが、もしマネッコが何かしでかしたら、それを糊塗するにはマネッコの力が必要だ。退魔師たちの拠点である機関内部に妖魔がいたことがバレてしまえば、もう私がどうこうできることはなくなる。
もしこの場が収まれば、すぐにでもマネッコを連れてここを離れるべきだ。でも、それができるかどうかは、あのバカがどれだけ被害を出しているか次第…。
さあ、どんな悪夢が待っているのかしらね。私の今後が、その結果によって決まるわ。マネッコ…貴方は、どこまで私の計画を狂わせたの?
マネッコには妖気を偽装するために、私の妖気の一部を貸し与えている。それが切り捨てられない理由。もしマネッコが討伐されれば、協力者として私の名が上がる。この妖気を辿れば、マネッコの位置はすぐにわかった。倉庫に入ると、そこで、見習いを襲ってるバカの姿があった。
「馬鹿者! 何をしてるの!」
乙は倉庫に入るなり怒鳴った。見習いは震えているが、まだ一命はあるようだ。しかし、マネッコは変化した乙の姿を崩していない。さらに乙の一部である妖気まで解放している。周囲には乙と同じ妖気が充満している。このままでは確実に疑われる。
「今すぐにでも変身を解け! 私の妖気を解放しないで!」
犯行現場に妖気を残せば、芋づる式に犯人の足跡を辿れる。これが妖魔を追跡する方法だ。今、退魔師の技術が私を追い詰めようとしている。一体、このバカは何人襲ったんだ?今まで何をしていた?会議が終わって何時間だ?間に合ったのか?この見習いをどうしよう?
一方、見習いの目がパチクリと動く。絶望と恐怖に満ちたその目が、乙とマネッコを交互に見ている。そして、状況を把握したかのように、彼女の口から声が絞り出される。
「乙さん… 二人…?」
「くっ!」
またしても、事態は悪化する一方だった。
「どうやら、私に化けた妖魔が入り込んでたみたいね…。」錯乱気味の私は、口から出任せを言う。だが、整合性を取るために何が必要かはまだ導き出せていない。見習いも、「え?……え?」って不思議そうにしている。納得させるバックストーリーなんて作れない…!この不自然な状況をごまかす嘘をひり出す?それともいっそ殺すか?でもだめだ。理想はごまかして場を収めること。最悪は脅して口封じ。見習いは生かして帰さないと…!
なんてことを思考している間に、見習いが叫んだ。
「怪しい! 乙さんが怪しいよ! こんなことするわけない!」
私が見習いを押し倒して口を塞ぐが、すでに遅い。彼女の叫び声が廊下に響いた。この場から逃げるしかない。マネッコもここで討伐される運命にある。私だけでも逃げないと…!
チッ!なんてことしてくれてんのよ!くそっ!機関に追われて無事で済むわけない!ここら一帯ぶっ壊すか!?思考がぐるぐる回る。だめだ。冷静さを失ってる。口を塞いだ時点でごまかしは無理。こうなったら、脅すか叩いて黙らすか?でも、周りがすぐに集まってくるかも…!なりふり構わず逃げるか…?
考える間もなく、廊下から駆けつける退魔師たちの足音が聞こえてきた。ここで逃げきれないと犯人の一味とされるだけでなく、甲の失踪事件のこともばれてしまう。とはいえ、私一人で全員を相手にするなんて無謀だし、状況はもはや最悪。それでもなんとかして立ち直らないと。
乙は見習いをつかまえたままマネッコに命じた。「ここで時間稼ぎをして、私が逃げ切るまで戦え!それがお前の罪を償う方法だ!」そして乙はその場を離れ、退魔師たちが現れる前に建物から出る。無事に逃げ切れるかはわからないが、今はとにかく先に進むしかない。
乙はとりあえずマネッコに貸していた妖気を回収する。退魔師が乙の妖気の痕跡を見つけなければいいが、冷静に考えると望み薄だ。マネッコが目撃者の見習いを殺して、退魔師に討伐された場合を考える。会議中の乙は本物の私で、その後に妖魔がなりすまして見習いを騙したと誤解してもらえたら…?いやいや、だめだ。機関にどうやって入り込んだのかはバレる。妖気の偽装が必要なんだから。それを手引きする共犯者として最初に疑われるのは私だ!
逃げるしかない。自分の身の安全のためには。そしてそのためには、退魔師たちが私の跡を追ってこないようにするしかない。私の妖気を散らすことで、退魔師たちが私を見つけられないようにしなければ。
乙は、全力で走りながら、自分の妖気を周囲に散らす。それは、風に乗って遠くへ飛んでいく。退魔師たちが私の妖気を追ってきても、それが吹き散らされていれば、正確な位置を掴むのは難しくなる。それが私の救いとなる可能性がある。
しかし、それがうまくいくかどうかは、完全に運任せ。でも、何もしないよりは、何かしら行動を起こすほうが、生き延びる確率は高まるはず。だから乙は、走り続ける。