「…………」
やけに自身の心臓の拍動がうるさい。
けたたましく鳴り響き、残響でも聞こえてきそうだ。
この鼓動が未知の獣の耳に届き、今すぐにでもここに
やってくるのではないかと思うと、足がすくみそうになる。
そうなっていないのは、他ならぬティエルとハナさんのおかげだろう。
誰かと共にいて、それが守るべき存在であれば不思議と心が奮い立つ。
子供が出来るとしっかりとする親も同じような感じなのだろうか。
「…………」
誰も声を発しない。その分、お互いの息遣いを強く感じる。
なるべく皆、抑えてるつもりなのだろうが、それでも物音一つしない廃城には大きすぎた。
(参ったな……損傷が酷すぎて、殆どの扉が破壊されている)
廃城の二階は酷い有り様で、オレがまだリンドヴルムの兵だった時に経験した、
激しい戦闘のあった敵地の城内の方が綺麗な程だ。
窓はその全てが破壊しつくされ、調度品の花瓶なども相まって、
床には無数の破片が散らばっている。
絨毯や垂れ旗、カーテンといった布類も原型を留めているものはなく、
無惨にも引き裂かれ、深く巨大な爪痕が残っている。
だが、巨大な獣が暴れまわったにしては強い違和感が残った。
(――綺麗すぎる)
そう、獣が暴れまわったにしてはあまりにも綺麗すぎるのだ。
獣ならば、もっと汚れや体毛が散乱していてもおかしくない筈だ。
だが、散らばっているのは元から城に存在するものばかりで、獣の残したものが存在しない。
まるで、初めからそう在ったような――
「…………」
床に膝をつき、耳を当てて付近を確認してみる。
オレ達以外の足音や気配は無い。
あれほど巨大な獣であれば、動かなくても些細な振動が耳に伝わる筈だ。
「……二人とも、喋っていいぞ。
ただし、あまり声を張るな」
「はぁぁ……」
ティエルとハナさんは憔悴しきった様子でため息をついた。
無理もない。いつ、得体のしれない獣に襲われるかもわからないのだ。
「やはり、もう獣は去った後なのか……?」
「分からネェ、気配は全然シネェけどヨ……」
そもそも、何故二階だけ荒らし回って、一階は手つかずなのだろう。
この世界は、いちいちまともに考えるだけで酷く疲れる。
思考にリソースを割かない方がいいようにすら思えた。
「やはりここは城であって城ではないようだな。
二階は特に躊躇だ」
一階と比べて、より住居感が強まっている。
まず、部屋の数が異様に少ない。
恐らく、ここに常駐している者が二階に住んでいるのだろう。
「……待て、何かいる」
オレの言葉に三人の間には緊張感が走った。
先の通路には広い空間があり、そこから淡い光が漏れている。
これには既視感がある。一階の通路を進んでいる時に白影から漏れていた光だ。
「また、白い影っすかね」
「わからん。だが、決めつけるのは早計だ」
口元に指を当て、これから喋るなと二人に視線を投げかけた。
短剣を抜き、一階の時と同じように刃の部分を鏡代わりにし、
ランプの光を充てがった。すると、やはり予想通りに白影が映っており、
何やら話し込んでいるようだった。
(声が聞こえる……? 白い影達は喋る事が出来るのか……?)
顔だけを出して白影の様子を伺う。
大きい白影と小さい白影がおり、端から見ると大人と子供のように見える。
よく耳を凝らしてみると、確かに人の声だった。
しかし、不思議な事にこれだけ静寂に満ちた廃城ならば、
声はよく響くはずだが残響は全くなく、透き通った声だけが響いた。
「ソレイユ。最近、よく一人で花畑に行ってるそうだが……」
「ダメ……?」
「いや、遊ぶ分には構わないよ、
一人だと何かと物騒だからね。
今度からお父さんが紹介する人と一緒に行きなさい」
「うん。でもホントはね……」
確かに聞いた。
大きい白影は小さい白影の事をソレイユと呼んだ。
「えっ……!? 姐さん……!?」
「静かに……聞きそびれる」
何故、白影がソレイユと呼ばれているのかは分からない。
驚愕して言葉が出てしまうティエルの気持ちも分かるが、
今は会話を一語一句、聞き漏らさない事が重要だ。
「気持ちはよく分かる。
でも、もうどうにもならないんだよ」
「…………」
「枯れゆく花に水をやる庭師はいない。
賢いソレイユには、この意味がわかるね?」
意味が分かっているのか分かってないのか、小さい白影は首を傾げる。
これは、あの恐ろしいラベンダー畑で聞いた言葉だ。
一体、どういう意味なのだろうか。その言葉通りに解釈するならば、
至極、当たり前の事であり、庭師には庭園を美しく維持する義務がある。
むしろ、枯れゆく花に水をやるだけ無駄な行為であり、
他の花の発育を阻害し、見栄えにも大きく影響する。
「あ、うん! わかるよ! それなら、新しい花を一杯植えなきゃね!
植えるならラベンダーがいいかなぁ。私、あれ好き!」
その光景を脳裏に思い描いているのか、小さい白影は大きく跳ねて
全身を以て喜びを表現する。大きい方の影は察するに父親だろう。
なんと微笑ましい光景だろうか。
これが白影と廃城で無ければ。
「……あぁ、ソレイユはちゃんと前を向いていて偉いね。
花が枯れるのはとても悲しい事だ。でも、枯れた花ばかりに
目を向けてはいけないよ。他の綺麗な花を見れなくなってしまうからね」
「うんっ!」
大きい白影は諭すような物言いをしながら、小さい白影の頭を撫でる。
その声は慈愛に満ちており、お互いの反応からも仲睦まじい
家族だったのは言うまでも無いだろう。
「そうと決まれば、またお花をたくさん積んでこないと」
そう言って、ソレイユと呼ばれた白影は駆け出していく。
それを見つめながら、同じ方向へと歩いていく大きな白影。
広い空間にはただただ、静寂だけが降りてきた。
「…………」
話の内容は断片的だが、重要な情報を得る事が出来た。
どうやら、ソレイユはこの城に住んでいた事があるらしい。
となれば白影は、実際に存在した人物が投写されていたか、
記憶が具現化して現れたものなのだろうか。
推測の域は出ないが、少なくともハナさんのように、
生きているヒトが魔法めいたもので姿を変えられた訳ではないようだ。
でなければ、ソレイユと呼ばれたあの白影と、
オレ達が今まで行動を共にしてきた彼女と二人存在する事になる。
となれば、この廃城自体も――
「ひエエ!?」
「ッッ!?」
次の瞬間、遠くなっていった小さき白影の首が、
不自然なまでに直角に曲がり、だらりとぶら下がった。
その首元には、あの狂爪の痕が出来ていた――。