でも、ここしかねェんだよ。
――アシモフ・イクルシア
「…………」
あの廃都を後にして、どれだけの時間が経っただろうか。
あれからオレ達は途中、休憩を挟みながらサヴァトの領域を彷徨っていた。
飢える心配はないとはいえ、自分が人以外の何かになったような、
なんとも言えない違和感だけは感じる。
景色は再びフォレノワールの森へと戻っており、
相変わらず、見ているだけで胸焼けしてしまいそうな光景だ。
「…………?」
森が終わり、眼前には見渡す限りの黄金海が姿を現した。
それは、リュメイヌに来てから飽きるほど見てきた悠久なる大地だった。
しかし、その全ては霧のベールに包まれており、雰囲気はまるで異なっている。
白いのは霧のせいもあるだろうが、かなり気温が低いせいか
霜が下りて白く染まっており、歩く度に小気味いい音を鳴らす。
「ここはなんだ? リュメイヌ、か……?
戻ってきた訳では無さそうだが……」
「私の知っているリュメイヌは、ここまで霧は酷くないがね。
これではまるで、
霧の中にいるようではないか」
空は一点も透けている場所は無く、濁った白に包まれている。
地平線の彼方まで見えていた息を呑むような景色はおろか、
まともに方角を確かめる事さえ難しい。
オンドリッドを探して湖畔を彷徨っている時のようだった。
「正直、気分が悪いね……。
いつ霧笛の音が聞こえてくるのか、
気が気ではないよ」
ヴェラクトーレの尻尾や頭の毛は逆立っている。
霧とずっと向き合ってきた彼は、
誰よりもその恐ろしさを知っているのだろう。
ティエルやソレイユも不安げに周囲を見回している。
変わらずなのは、今も腰のバッグで眠りこけているハナさんだけだ。
心なしか、眠っている時間が多くなってきている気がする。
起きている時は口を開いていない時間はないと思えるほどうるさいのに、
こうも静かだとこちらも調子が狂ってくる。
「この酷い視界では何が出てくるかもわからん。
なるべく早く抜けてしまうのがいいだろう」
「無事に抜けられれば良いがね……
耳に瘤が出来るほど聞いたとは思うが、
霧の中に赴いて生きて帰ったヒトはいない」
「で、でもにーさんは帰って来ましたし、
リバーシュ兄弟も戻ってきたっすよ!」
「……そうだったね。
では、霧を払う者――新しき風の加護を信じてみるかね。
手を合わせて祈り、讃美歌でも歌おうではないか」
「逆立ちしても似合わない事は止めてくれ」
「あは、ヴェラさんは黙示録や終末物語を音読する方が
似合ってそうですよね」
軽口を叩きながら歩いてはみるものの、
全員の足取りは重く、神経を張り詰めながら進んでいる状態だ。
正直、オレもこんな濃霧の中を歩きたくはない。
だが、来た道を戻るというのもありえない。
危険に晒されながらでも、オレ達は進み続けるしかなかった。
「むむ、あれはなんでしょう? ウサギ……?」
「あれは……」
先に白く、丸いシルエットが見える。
慎重に近づいていくと、それはオレ達が最初にこの世界で見た、
眼球に時計のような模様が浮き出ているウサギだった。
前と違って逃げる素振りも見せず、
紅き瞳でこちらをじっと見上げている。
「姿が見えないと思ったらこんな所に……
見失った場所から随分離れているぞ」
「また、白兎が導き手の役を買って出ようとでも言うのかね」
「その通りでございます」
「!?」
霜を踏み鳴らす音が響き、時間の兎の背後から白い影が現れた。
その人物は、廃都で出会ったフロストヘルムであり、
時間の兎を抱きかかえると、こちらに頭を下げた。
「思ったより早く姿を見せたな」
「私は約束は守ります」
「すぐに来るとは言ったが、そういう輩が
言葉通りに顔を見せた事はないからな」
「今からは私が導き手となりましょう」
「そう言って、今まで何人もの迷い人を騙してきたのだろうね?
我々は見え透いた毒牙にかかるつもりは毛頭ない」
「それでも構いません。真実を知らずとも、
迎える結末は同じですので」
「……どういう事だ?」
「それも、道すがらお話します」
そう言うと、フロストヘルムは霜の降りた黄金海を進んでいく。
ヴェラクトーレ達は伺うようにオレと視線を交錯させた。
「……行こう。恐らく、彼がオレ達に
危害を加える事はないだろう」
オレがそう言うと、少し不安げにしながらも彼らも後を続いた。
直接、対峙したティエルだけは落ち着いているようにも見える。
「…………」
ふと霧がかった灰空を見上げると、雪が降り始めている。
霧と雪が溶け合い、白銀の大地がどこまでも広がっていた――。