その先で待っていたのは、霧氷の乙女の従者、フロストヘルムだった。
「…………」
オレ達はフロストヘルムの後に続くように、氷原を歩いていた。
聞きたい事は山程あった。そのはずなのに、
言葉が出てこなかった。
不明瞭で恐ろしく、それでいて幻想的な景色と静謐さが
言葉を紡ぐのを躊躇わせる。
「いつまで黙っているつもりかね?
導き手気取りの狼様は随分と寡黙に見える」
沈黙を破ったのはヴェラクトーレだった。
この中ではもっともフロストヘルムに疑心を抱いており、
彼を見る眼は猛禽類のよう。
正直、オレからすればヴェラクトーレも、
胡散臭さで言えば同レベルな気もするが。
「……何から話せばいいものかと、
ずっと考えているのですよ」
先導していたフロストヘルムは唸る。
「……以前、ここは虚構のサヴァトの夢だと言っていたな。
何故、オレ達は取り込まれる事になった?
やはり、霧氷の乙女の領域に立ち入ったのが原因なのか?」
「はい、仰る通りです。
ですが、
リュメイヌの者達が勝手に呼んでいるだけの事。
正確には、虚構のサヴァトが眠る地なのですよ」
「そうだったのか」
だから、近づいては行けない禁忌の地とされていたのか。
子供に伝える教訓として昔話が作られたように、
近づいてはいけない理由として、霧氷の乙女の話が作られたのかもしれない。
「元々、霧氷の乙女が迷い込んだ者を食らう危険な地だとは知っていたが、
まさか、全ての元凶が眠っている場所とはね」
「……虚構のサヴァトは元の一つだった姿、
界獣サヴァトと本質は変わりません。
霧に触れた者を微睡みへといざない、その夢を糧とするのです」
「自分じゃ夢を見られないから、ヒトを利用して
夢を見ようって事っすかね?
それじゃ、夢どろぼーじゃないっすか」
「仰る通り、他者の夢をついばみ、
持ち帰った夢を材料に
習性だけを見れば、野鳥などに近いかもしれません」
「野鳥にしては規格外すぎるがな」
つまり今、
眠りから覚めないまま、昏睡状態にある訳だ。
虚構のサヴァトが目覚めるか、オレ達が夢を見られなくなる状態――
肉体か精神か、そのどちらかに死が訪れるまで、
この世界から出る事は叶わない。
「……虚構のサヴァトが目覚めると、どうなるんだ」
「……元の器――静寂のサヴァトを求めて、
リュメイヌへと飛び立ちます。
合一した界獣サヴァトは、瞬く間にリュメイヌを
元の霧の大陸へと変えるでしょう。このような、ね」
空と大地が白濁の霧に包まれている光景をフロストヘルムは眺める。
あの美しい黄金海と空も、芳醇な匂いも、
頬を撫でる優しい風も、ここには何もない。
「…………」
目の前が真っ暗になっていく。
虚構のサヴァトの目覚めさせれば、
オレ達は元の世界へと帰る事が出来るだろう。
だが、それと引き換えに、多くの人々が住むリュメイヌを
太古の霧の大陸に戻してしまう事になるのだ。
それは、滅びと同じ。
界獣サヴァトの霧の中ではヒトは生きられない。
「何かこう、みんながいい感じに
幸せになれる方法は無いんすか?
虚構のサヴァトも目覚めず、あーし達も元の世界に帰れるような……」
「ございません。虚構のサヴァトが目覚めるのは必然。
貴方達の介入によってね」
「オレ達の……? 何故だ?」
「貴方達は、虚構のサヴァトを目覚めさせまいとする
私達の妨害にも耐え、終わりのない錆色の世界に抗い続けた。
このようなヒトは今まで存在しませんでした」
「……虚構のサヴァトは、帰りたい、夢から覚めたい、という強い想い……
それで形作られた、貴方達の夢を見始めたのですよ。
再びリュメイヌに舞い戻り、太古の霧の大陸――その霧空を羽ばたく夢を。
その夢が終わりを迎えた時、器は崩壊し、目を覚ますでしょう」
「我々の行動が界獣を目覚めさせてしまった、というのかね……?
人生を捧げてきた、この……私が……?」
「いいえ、貴方達はきっかけにしか過ぎません。
永き刻が経てば、いずれは器にも限界が訪れ、
虚構のサヴァトはこの世界から飛び立つでしょう」
そう言われても責任を感じずにはいられない。
あの時、リバーシュ達と別れて森へ逃げ込んだのは悪手だったのか。
そんな答えの出ない考えだけが脳内を巡る。
嗚呼、だから彼らは、この世界に迷い込んだ者や、
オレ達を排除しようとしていたんだ。
このような事態が起こらない為に。
どうしてもっと、早く言ってくれなかったのかと叫びたくなる。
だが、面識も無い彼らに突然、この世界からは出る事は出来ないので、
ここで暮らして下さいと言われて、そうですかと従っていたかと言われれば、
そんな事はあり得なかっただろう。
恐らく、こういった事は過去に
何度もあったのかもしれない。
今のオレ達にしてくれたように、迷い込んだ者に
事情を全て説明し、説得を試みた事も一度ではない筈だ。
廃城でのフロストヘルムの願いは、最後のか細い希望の糸を掴み取ろうとする
一縷の望みだったのかもしれないと思うと、何も言えなくなった。
「あの……さっき器がどうとかって言ってましたよね……?
それが限界だから、虚構のサヴァトがこの世界から出て、
リュメイヌに向かうのを止められないって事ですよね……?」
「はい」
「それなら、その器というのは直せないんでしょうか……?
それが何なのかはわからないですけど……」
ソレイユは戸惑いながらもフロストヘルムに問いかける。
「今、向かっているのも器がある場所なのですよ。
貴方達には真実を知って貰いたいのです。
全てが終わるその前に――」