ガルガリオンのフロストヘルムと出会い、彼の導く方へと歩み続けていた。
しかし、その先で目にしたのは――。
「…………」
そこは巨大な崖のようになっており、霧が渦巻いていた。
自然に出来たようなものではなく、
まるで、包丁で切り分けられたケーキの断面のように、
不自然に切り取られたような歪な空間だった。
「……虚構のサヴァトの影響でしょう。
どうやら、目覚めが近いようです。
先を急ぎましょう」
「ああ。どこか、迂回出来る場所があるはずだ」
そういえば、こここの領域に来るまでは霧を見た事はなかった。
これも、虚構のサヴァトが目覚める前兆なのだろうか。
(オレ達はこのまま、何も出来ずに界獣が
覚醒するのを待つしかないのか……?)
フロストヘルムは虚構のサヴァトの目覚めは止められないと言っていた。
だが、そうなればリュメイヌは、このように霧に包まれてヒトの住めない地となる。
もう、リュメイヌはオレの知らない大陸ではない。
リバーシュやオンドリッド、セルバルやレギオンの皆、
ここにいるティエルやヴェラクトーレ、ソレイユ、リニアオグタの人々。
彼らが居なければ、オレはこの大陸のどこかで霧に呑まれ、
人知れず旅を終えていたのかもしれない。
オレに出来る事は――
「フロストヘルム。お前達はこのまま、
虚構のサヴァトが目覚めてもいいのか?
それを止める為に動いていたんじゃないのか?」
彼らがどういった事情で虚構のサヴァトを
管理していたのかは分からない。
だが、リュメイヌを滅ぼさない為に動いていたのは明白。
話してみて分かった。彼らは敵ではない。
「……大河の流れを止められないように、
虚構のサヴァトの目覚めの兆しを防ぐ事は不可能です。
ならば、後はあるがままに身を任せようと――
そう、ルナリス様はお考えです」
「それでは駄目だ。オレはリュメイヌを
ヒトの住めぬ大地にするつもりはない」
「では、如何すると?」
「――虚構のサヴァトを打ち倒す」
「不可能です」
静寂のサヴァトが通った跡に残した濃霧の中。
そこに巣食う怪物にすら、命からがら討伐したのだ。
それより更に規格外な生物の枠組みを超えた界獣を打ち倒す。
馬鹿げた考えだ。普通なら。
「考え直して下さい。
界獣サヴァトが合一しても、霧が大陸を覆い尽くすまで猶予はあります。
リュメイヌに戻った後、すぐに避難すれば
他の人々も助かる筈です」
「本当にそう思うか?
豊穣の大陸、その広大な土地に比例してヒトも多い。
多くの難民が発生したとして、どこが受け入れてくれる?
それに、避難先の環境の変化に全てのヒトが順応出来るとでも思っているのか?」
「…………」
フロストヘルムは何も答えない。
「オレに考えがある」
「考えっすか……?」
「あぁ。フロストヘルム。ここは虚構のサヴァトの領域だが、
世界自体は霧氷の乙女が想造したと言っていたな」
「はい。虚構のサヴァトはヒトのように何かを想ったり、
想像する事は出来ません。だから、ヒトが創った夢を見る」
オレ達がこの世界に来た際に見たものや、廃城のような錆色の空間が、
純粋なサヴァトの領域なのだろう。
恐らく、それ以外の殆どは霧氷の乙女の想造によるものだ。
「それならば、オレ達にも同じような事が出来るはずだ。
虚構のサヴァトを倒す夢を奴に見せてやる」
むしろ、この世界にいる間にしか出来ない事だ。
まともにオレ達のいる世界――
フロストヘルムの言った通り、蟻が象に戦いを挑むが如く、
圧倒的な力の差で話にすらならないだろう。
だが、ヒトの精神や想像力が重きを置く、この世界ならば可能かもしれない。
幸い、巨竜や怪物に小さきヒトが立ち向かう物語を思い描くのには事欠かない。
虚構のサヴァトを打ち倒す舞台としては上出来だ。
「…………」
フロストヘルムは透き通るような蒼き瞳で、こちらを見つめたまま口を開かない。
どんな想いを秘めているのかは分からないが、
リュメイヌを滅ぼす事も無くオレ達も、彼らも共に
分は悪いが、フロストヘルムや霧氷の乙女にとっても理想的な話の筈だ。
「……私は待っていた。その言葉が聞ける刻を」
その声に振り向くと、ヴェラクトーレは俯きわなわなと震えていた。
嗚呼、そう言えばこんな台詞が好きそうな奴がいたな。
「開祖アシモフに続き、新たな英雄譚をリュメイヌの大地に奏でよう。
死を運ぶ霧も、霧笛の音に怯える日々も終わりを告げる。
今こそ、新しき風が霧を払う刻が来たのだ!!」
「まーたクソポエムが始まったっす……」
昂りを抑えきれず、身体を震わせながら声高らかに叫ぶヴェラクトーレ。
だが、彼にとっては片割れとはいえ界獣サヴァトを葬るという事は悲願だろう。
奇しくも思惑通りになってしまったが、当初とは状況が違う。
界獣が倒れるか、リュメイヌが滅びるか。
生存競争の瀬戸際に立たされていた。
「それにしても、とんでもない事に巻き込まれたっす……
リュメイヌが滅びるだとか、界獣サヴァトが目覚めるだとか
全然実感湧かないっす……」
「何を言うか。常日頃からリュメイヌは静寂のサヴァト――
明日には突如としてヒトを襲いだしても不思議ではないというのに。
管理者気取りの恥狼共は薄氷の上を楽園だと思い込み、能天気に歩いていたに過ぎないのだよ」
気が重そうに項垂れるティエルと、それを蔑むヴェラクトーレ。
正直、自身も戸惑っている。
何故、こんな事に巻き込まれているんだと。
だが、もう賽は投げられた。
オレはオレの為す事をするだけだ。
胸の裡にあるのは一つだけ。彼らに滅んで欲しくない。
「ルナリス様のように確固たる意志と想像力があれば、
可能性はゼロではないでしょう。
ただ、それには二つ問題がございます」
「問題?」
「ええ。それは――」
「――――ォ」
「ォ■■■ォ■■ォ゛ォ゛■■■■■■■■」
フロストヘルムが言葉を紡ごうとした時、何かが聞こえた。
それは遠く、遠く彼方から波のように迫ってくる。
大地と空気を震わせる霧笛の音。
「ぁ――――」
誰かがそう呟いた瞬間。目の前の巨大な穴からは濃密な霧が噴き出す。
それだけでなく、地面の所々が奮起し、その裂け目からもガスのように霧が噴出する。
その濃度は凄まじく、今や近くにいるはずの彼らの姿さえも真っ白で見えない程。
「おい! フロストヘルム。これは……」
「虚構の■■■■が目覚めた――。
こ■■■は■■ま■■■。
■刻■■く……」
「よく聞こえん! もっとはっきり言え!!」
いや、オレの感覚がおかしいのか。
しっかりと喋っている筈なのに、声が震える。
聞こえる声もとてもヒトの声ではないようだ。
三半規管が壊れてしまったかのよう。
「■■さ■! ■■に■■っす■!?」
ティエルの叫び声らしきものが聞こえる。
霧笛の音に掻き消されて言葉を読み取れない。
「全員、近くの奴の手を取れ!!
一人になる事だけは避けろッ!!」
オレは無我夢中でヒトの気配がする方へ手を伸ばし、
腕を強く掴んだ――。