酷いヒトだって言うのは分かってる。
でも、それでも私は半身を求めて飛び出した。
ただ、謝りたくて。
――ソレイユ
「あ、雪……」
「どうやら、新たな領域に着いたようだな」
荒野を歩き続けたオレ達の目の前には、一面の銀世界が広がっていた。
前にも雪に見立てた砂糖が積もっていたりはあったが、
そういった紛い物とは訳が違う。
北方で見た懐かしい光景だ。
幾重にも積み重なり、見た目よりもずっと硬い。
美しさと厳しさのせめぎ合う、純白の雪原がそこにあった。
そして、遥か彼方には天空まで届くかと思うくらい、
巨大な水晶が連なった山脈がある。
その圧巻さと荘厳さは他の追随を許さない。
灰色の空に包まれていても尚、失わない輝きと鋭さ。
そして、ヒトを拒絶するような苛烈さと険しさ。
まるで、白氷龍アークフィアを体現しているかのようだ。
「あれが、
想造されたものとは言え、実際に目にする事になるとはな」
「ユランさんは北方出身ですよね。
見た事はないんですか?」
「あぁ。今の時代、北方では御伽話扱いだ。
不自然に削ぎ落とされたような大陸の一部が、
かつての
真実は定かではなかった」
「もう、滅んじゃったんですか?」
「分からん、が、言い伝えでは争いを続ける他の六護龍達に
白氷龍アークフィアは幻滅し、眷属と共に
遙かなる地へと旅立ったと言われているな」
「…………」
六護龍――それぞれの龍の国を収める、最も力のある王龍。
過去に何があったのかは知らないが、オレのような一介の竜人には
想像も出来ない葛藤や想いがあったのだろう。
「オレ達がここにいるという事は、
開祖アシモフ達は界獣サヴァトを倒す為、
行こう。虚構のサヴァトへ立ち向かう為の
対抗策や、参考になるものがあるかもしれん」
こういった事も含めて、霧氷の乙女は領域を想造したのかもしれない。
開祖アシモフ達がどうやって界獣サヴァトを倒したのか、
その真実を知れば、虚構のサヴァトを倒すイメージもより鮮明になるだろう。
「む……?」
「こんな所で煙……?」
純白に染まった景色の中、遠くに煙のようなものが見える。
よく見ると、側にはいくつかテントが設営されており、
何者かが野営をしているようだった。
「……やはり開祖アシモフか」
オレ達は歩を早め、野営地に近づくと、
暖を取っている開祖アシモフ達の姿があった。
先程、荒野で見たレギオンと比べるとテントやヒトの数は少なく、
どうやら、少数精鋭で北方まで訪れたようだ。
「それにしても、本当に協力してくれるとは思わなかった」
「その分、白氷龍サマと愉快な仲間達も
美味しい思いが出来るって訳だ。
霧の大陸の開拓者と言う大義名分と、広ーい土地をな」
「そんな嫌味な事言わないの。
理由はどうあれ、界獣討伐に力を貸してくれる事に
変わりはないんだから」
「けっ」
開祖ガルガリオンの言葉に、開祖アシモフは
頭の後ろで腕を組み、不機嫌そうにしながら愚痴を垂れ流している。
どうやら、彼らは
界獣サヴァトに立ち向かったと聞いていたが、
今まで見聞きした状況からはとても信じられなかった。
開祖アシモフの一行は頭数も居なければ、
戦いに関する練度も、それほど高いようには見えなかったからだ。
そんな彼らがどうやって界獣と戦ったのか、全くイメージが出来なかったが、
実際には白氷龍アークフィアの後ろ盾があったという訳だ。
「普通は、よその大陸の界獣退治なんか手伝ってくれないし、
それだけ、アシモフに期待してるって事じゃないのかな」
「こんな氷の塊が、本当に界獣相手に通用するのか怪しいけどな」
開祖アシモフはそう言いながら側に立て掛けているモノに視線をやった。
それは何の変哲もない、一本の
しかし、それは溶ける事も無く、静かに蒼白い光を称えていた。
「
「……ってなんですか?」
ソレイユが頭上に疑問符を浮かべながら、
こちらに語りかけてくる。
「そうか、剣から遠い者からすれば聞き慣れんかもしれん。
ペトログリフの事は知っているな?」
「はい。専門的な知識は無いですけど、
火の消えないランタンだとか、騎士さんが
武器に刻んでいる文字の事ですよね?」
「そうだ。あれは正確には物語を刻み込んでいるんだ。
例えば、火の消えないランタンであれば、
刻まれるペトログリフは、界獣プロネと太陽の恋慕譚などになるな。
物語に応じて何らかの力や方向性を示す」
「なるほど……?」
「まあ、なんだ。
ペトログリフの刻まれた物とは違って、人為的には作れない物だがな」
白氷龍アークフィアから賜った
開祖アシモフも分かっていたんだろう。
自分達の力だけでは界獣サヴァトに届かない事に。
「ねぇ、アシモフ。もし、これでもダメだったら、もう……」
「そん時は、南方にでも行ってみるか?
オレは寒いのは嫌いなんだよ。
はー、こんな鼻水が凍るような所からさっさと――あ?」
開祖アシモフが肩に積もった雪を身体を震わせながら払うと、
物資の置いてある場所へ向かい、無造作に酒瓶を手に取った。
しかし、その視線は酒瓶ではなく、足元に向けられている。
そこには、雪に溶けてしまいそうな程の純白の毛並みをした、
純白の
しかし、その容姿端麗さとは見合わないような
ボロ布を纏っており、その瞳には一切の光が無く、
虚無が渦巻いていた。
彼女は何も語らず、何も映さない瞳で開祖アシモフを見上げている。
「あん? なんだこのクソガキは。
こんな奴、連れてきた覚えはねーぞ」
「それは、オレ
へへ、この大陸の奴は美人な奴ばっかで、
目一杯楽しめそうでいいねぇ」
開祖アシモフの一行の一人が、下卑た笑みを浮かべながら彼に告げた。
聞いた事がある。ヒトにペトログリフを彫る時は失敗が効かない。
それ故、心無い
「がッ……!?」
鈍い音が響いた。
それと同時に、近くにいた
うめき声を上げながら悶絶している。
開祖アシモフが拳を振るったのだ。
「クソ野郎。ヒト様んトコで妙な事するんじゃねぇ。
霧の大陸を開拓した狼共は、
ガキを玩具にするヒトでなしだって言われてぇのか?」
開祖アシモフの腹の底から響くような低い声に、
野営地の空気が凍りつく。
殴られた本人は何が起こったか理解出来ず、
呆けた顔で彼を見上げていた。
「わ、わりぃ……」
「脳ミソにまで精液詰まらせてんじゃねぇよ。
溜まってんなら、自分の右手か普通の娼婦で
勝手に解消しやがれ」
一言告げると、殴られた
その場から立ち去っていった。
「アシモフ、どうするの?
もう、国境が近いし、こんな何も無い雪原に
置いていく訳にも……」
「知らねぇよ。クソ面倒臭ぇ事持ち込みやがってよ……」
少女を一瞥し、困ったような表情を浮かべる開祖ガルガリオンと、
苛立ったように頭を掻き毟る開祖アシモフ。
その時、沈黙を守り続けた
「捨てたらいいわ。もう壊れているし、慣れてるもの」
その表情は酷く無機質で、一切の感情が含まれていない。
とても、年相応の少女には見えない達観したものだった。
「…………」
開祖アシモフは目を逸らす事なく、彼女の瞳をじっと見つめている。
「ガキがそんな事慣れんな。別にどうもしねぇよ。
居たけりゃ居ればいいし、
どっか行きたきゃ好きにしろ」
背を向けて歩く開祖アシモフを見上げ続ける。
投げ出されなくて良かったという安堵も、
そこには何も無い。
オレはそういったヒトを何人も見てきた。
心が壊れた者だ。
「おい、クソガキ。いつまでそこに篭ってやがる。
風邪なんか引かれたら余計面倒臭ぇ。
早く、こっちに来い」
開祖アシモフは篝火の前に座ると、お前も来いと言わんばかりに、
鼻先で
しかし、彼女は微動だにする事はない。
ただただ、空虚な瞳を彼らに向けるだけだ。
「……ここは捨てられた奴らの寄せ集めだ。
お前を捨てる奴なんて、ここにはいねぇよ。
だから早くしろクソガキ」
「クソガキじゃない。私は――」
少しむっとした表情をして立ち上がって何かを言いかける。
しかし、次の瞬間には輪郭が揺らぎ、
開祖アシモフ達は荒野にいた時と同じく、
白き花びらとなって灰色の渦の中へと消えていった。
「あの
どう見ても、幼い頃のソレイユにしか見えなかった。
だが、その雰囲気は今の彼女とは似ても似つかない。
そう、あれはまるで――
「――もう一人の私」