憤慨しながらも蒼穹の道を渡り終えると、
その目に映ったのは見渡す限りの黄金海――
豊穣の大陸リュメイヌだった。
「クソ……! アイツのせいで予定が狂ってしまった……」
感情に身を任せて駆け出したオレだったが、
暫くすると血が上った頭は冷静になり、
苛立ちながらも
旅費は奪われたが他の荷物は不幸中の幸いか無事であり、
当面は旅が続けられそうだったが、このままでは食料等の補給が出来ず、
どこかで補填しなければならない。
(参ったな……西にある都――リアヌオグタまで持てばいいが……)
オレはあまりにも軽すぎる懐に深い溜め息をつきながら
凍えるような
時折、楔の壊れた浮遊岩を飛び越え、小山のようにそびえ立つ
大きい浮遊山を越え、オレは遥か東の大陸――リュメイヌまで降り立った。
「ここがリュメイヌか……噂には聞いていたが
なんと豊かな所なのだろうか……オレの国とは大違いだ」
暖かくも麦のような穀物の芳醇な香りがほんの僅かに混じった風――
それがオレの鼻孔と竜皮を撫で、駆け抜けていく。
簡単に整備されている道以外、全てがススキ等の黄緑色の植物で覆われており、
地平線の彼方まで黄金の海が続き、波を打っていた。
「これなら食料も現地調達出来そうだな……
最も……旅費はどこかで補わなければならないが……」
これほどに気候が安定しているならば、
木の実等の可食出来る植物は勿論、
野生動物もたくさんいるだろう。
「まずは野営出来そうな場所を確保しなければな……」
リュメイヌの土を踏んだ時には、既に空は紅くなっており、
黄金の海はその紅色を反射して、より一層美しい景色となり、
見ているだけで自分自身が風景に溶けていきそうな程の情緒あるものだった。
しかし、この光景をいつまでも眺めている訳にはいかない。
どれだけここが豊かだろうが、慣れない土地を闇夜の中出歩くのは危険だ。
夜の帳が降りる前に安全に休める場所を探さなくてはならない。
「ふむ…………」
出来れば草の無い見晴らしの良い所がいい。
野性の獣や野盗に襲われる危険性があるからだ。
背丈の長い植物を隠れ蓑とされ、事前に察知するのを阻害されてしまう。
豊穣の土地は一見快適そうに見えるが、
別の側面から見ればオレのように
一人旅をしている者にとっては危険な地帯とも言える。
塗装されている道は馬車三台分程が通れる程の幅はあったが、
ここで夜を過ごすのは心身ともに休まらないだろう。
「参ったな……気持ち良いくらいの草原続きだ。
これは眠れないのを覚悟した方がいいかもしれないな」
オレはあの遠くに見える丘を越えても
この黄金海が続くようであれば、
危険な野宿をする事を覚悟していた――。
――――
「…………む?」
オレは丘の上へと到達し、黄金海を見下ろすと
道の先で複数の明かりが灯っているのが見えた。
よく見てみると、テントも設営されており
獣人達が忙しなく動き回っているのが分かる。
「あれがレギオンか……オレの国には馴染みがないから
見るのは初めてだな……」
レギオンとは、集団で移動しながら生活している者達の事だ。
早い話が遊牧民や艶虎族のようなものだと思えばいいだろう。
しかし、呼び方が違うように彼らとは根本的にその在り方が違う。
そう、リュメイヌのような広い大陸では
リアヌオグタのような大型の都市を除き、
決まった場所に住み続ける事が出来ないのだ。
「界獣、か……旅をしていれば見る機会もあるのだろうか」
広い大陸に何処からともなく現れ、我が物顔で跋扈する超大型の獣――界獣。
どの大陸にもいる界獣に共通するのはその山のような体躯であり、
少し動くだけでも周囲への甚大な被害は計り知れない。
この大陸の界獣は性格は温厚らしいが
その実、明確な姿を見た者は誰も居ないという異質の界獣であり、
大きさや姿形全てが不明瞭だ。
決まってその界獣が現れる場所には濃霧が立ち込め、
ゼリー状の固形物が降り注ぐらしく、
通った後には大地がえぐり取られたかのような巨大な湖が残る。
その事から
どちらかと言えば獣害というよりは、
災害じみた扱いをされていた。
「いや、今はそんな事よりあそこへ行ってみよう。
何か情報が聞けるかもしれない」
それに、あわよくば夜を共に過ごせるかもしれない。
一人で獣や野盗に神経を張り巡らせながら
夜を明かすより遥かにマシなはずだ。
そう思いながらレギオンの野営地に近づいていくと、
賑やかな声と共に肉と穀物の焼ける
香ばしい香りが漂ってくる。
「あれ? トカゲのおじさん……誰?」
火を起こすのに使うのか、両手一杯に薪を抱えて
駆け回る狼獣人の子供に声をかけられる。
そのコヨーテにも似た黄褐色の毛並みから察するに、
この大陸では最も人口の多いと言われる
と呼ばれる狼獣人の一種だろう。
「オレはユラン。北方のリンドヴルムから
旅をしてきた竜人だ。
他の大人の方達と話をさせて貰えないだろうか?」
「えっ!? りゅーじん!?」
「う゛ぉ~~~~! カッケー!!」
狼獣人の子供の一人が目を輝かせながら叫ぶと、
他の子供達も興味津々と言った様子で近づいてくる。
どうやら、この大陸でも竜人は珍しいらしい。
「こらこら、そんな所に跨ると怪我するぞ」
「えぇー……お願い! 少しだけ!」
子供達は目を爛々と輝かせ、じっとこちらを見上げる子や
オレの尻尾に跨ってくる子も居た。
正直、子供は嫌いではない。
歯に衣着せずに頭に浮かんだ事を口にする子供達と接すると、
こちらも純真にかえった気持ちになる。
「んだテメェ。ここに何しに来た」
ぶっきらぼうな声がした方を振り向くと、
そこには身体の節々に傷を付けた、
眼光鋭い灰色の狼獣人がこちらを睨みつけており、
その右手には鋭利な短剣が握られていた――。
・霧笛の濃獣
リュメイヌに生息していると言われる界獣。
その界獣の軌跡から他の界獣と違わぬ巨体であると推測され、
巨大な怪鳥ともアメーバのような怪物とも様々な姿で語られるが
正確な姿を見た者は誰も居ない。
その界獣の周囲は濃霧に包まれており、
より中心部に近づく度にゼリー状の固形物が雨のように降り注ぐ。
それらが収まるとその部分には巨大な湖が出来ており、
これがこの界獣の足跡だとも言われている。
リュメイヌでは濃霧の予兆があれば
早急に避難するようにと古くから言い伝えられている。
かつて、討伐に乗り出した街や一族は大勢いたが、
彼らが濃霧から帰ってくる事はなく、
街は遥か湖の底へと沈んでしまっている。