目を覚まし、天幕から出ると仏頂面で
鍋をかき混ぜているリバーシュの姿があった――。
「ん……明る、い……? しまった……
やってしまった……」
天幕の隙間から漏れた光に目を細めながら目を覚ました。
射精の後の心地良い絶頂の余韻で
後処理をする事無く眠ってしまったのだ。
オレは自らの不甲斐なさに頭に手の甲を当て、
ぼんやりと天井を見上げる。
しかし、いつまでもこうしていられない。
「…………?」
身体にこびりついた精液の不快感を覚悟しながら
立ち上がったのだが、白濁液はおろか、汗が衣類に
へばりつく感触すらなかった。
よく見てみれば衣類もオレのボロボロになったものではなく、
草原狼獣人(アシモベルク)達が着ていたリュメイヌ特有の物であり、
ふかふかとしていてとても心地が良い。
(リバーシュが後始末をしてくれたのか……)
横を見てみれば、オンドリッドも同じ様に
着替えた状態で幸せそうに眠っていた。
とても、昨日化け物に喰われそうになっていた者の
表情に見えない程健やかだ。
「…………」
テントから出ると、リバーシュは火の番をしており、
何かを鍋で煮詰めている最中のようだった。
「…………」
なんと言葉をかければ良いのだろう。
射精させてくれた後、後処理もしてくれて
ありがとうとでも言えばいいのだろうか。
バカも休み休み言えと、胸の裡で
自分自身を叱咤する。
昨日の赤裸々な行為を思い出すと、
恥ずかしさで顔が熱く火照り、
残っていた眠気も全て吹き飛んでしまった。
「…………」
「…………」
リバーシュは起きたこちらに気が付き、
双方の視線は重なるが、互いに口は噤(つぐ)んだままだ。
「…………何か言えよ」
「そ、その……なんと言ったら良いか……
昨日はあそこまでしてくれて……感謝する」
「別に……いい」
この空気はなんだろうか――激しく気まずい。
リバーシュも視線が合ったのは最初だけで、
今は視線どころか顔の向きさえ合わせようとしない。
「オレの精液塗れの身体を拭いてくれたのも――」
「だー!! もういいから昨日の話をするのは止めろ!
これ以上したらシバく!」
「わ、分かった……」
リバーシュは少し顔を赤くしながら、
火にかけている鍋を睨みつける。
どうやら、気まずさを感じているのは
オレだけでなかったようだ。
正直、これ以上自らの痴態を話さずに済むのは助かる。
「…………食えよ」
「すまない」
リバーシュは簡素なお椀に煮えている物を入れると、
オレにぶっきらぼうに突き出した。
オレはそれを両手で受け取ると、
酸味のある豊かな香りが漂ってくる。
中は芋で彩られた紅いスープで、
恐らく、ミネストローネの類の物だろうか。
「オレはあのデブを叩き起こしてくる」
そう言ってリバーシュは早歩きで
天幕の中へと引っ込んでいく。
オレはスプーンで紅いスープを一掬(ひとすく)いし
自らの息で熱く昇る湯気を燻(くゆ)らせ、
人肌以下の温度へと下げる。
「――――美味い」
口に運んだミネストローネは少ししょっぱく、
雑味があったがそれ故にどこか温かく、塩分を失った身体に
深く染み込んでいくような味だった――。
――――――
「よし……オレは準備はいいぞ。
オンドリッドの荷物はオレが持とう」
「うぅ……ありがとぉ……ユランさん……」
オレ達は出発の準備を整え、
野営地からレギオンへと向かおうとしていた。
オレはオンドリッドの荷物を背中に抱え、
まだ満足に動けない彼にリバーシュが肩を貸している。
丁度、時間は昼時でありこのペースであっても
夜にはレギオンに到達出来るだろう。
「ね、ねぇ…………」
「あん?」
「うぅん……なんでもない……」
オンドリッドは何か気にしているような
素振りをしており、その視線の先には
遠くへと流れていく霧があった。
「何か、忘れ物でもあるのか?」
「だ、大丈夫……行こ……」
そう言って彼は歩を進めようとするが、
強く後ろ髪を引かれているかのようだった。
――――そういえば、何故オンドリッドは
霧の中へと入ったのだろうか?
あのリバーシュですら恐れるリュメイヌの霧――
戦う術を持たないオンドリッドが恐れない筈がない。
何か――特別な理由でも無ければ。
「オンドリッド、何か忘れ物があるんじゃないのか?
とても――とても大事な物が……」
「うぅ…………」
「煮え切らねェなテメェは……
言いたい事があるんならさっさと言いやがれ……!」
リバーシュは一刻も早く霧から離れたいのか、
言い淀むオンドリッドに対し苛立っていた。
「も、モコリゲス……」
「…………も、もこ?」
「モコリゲスが心配で……ううん、でも……
もう兄さんとユランさんを……
これ以上危険な目に合わせるワケにはいかないから……」
そうか、彼は羊を共に連れていたのだ。
恐らく、羊が霧の中に逃げ、オンドリッドは
それを追いかけて霧の中に迷い込んだのだ。
「もう……生きちゃいねェよ……諦めろ」
「分かってる……分かってる、けど……」
「…………」
気持ちは痛いほど分かるが、
オレは霧の恐怖を嫌というほど実感していた。
助けに行ってやりたい気持ちもあるが、
もう感情を優先させる訳にはいかない。
オンドリッドが生きていただけでも奇跡なのだ。
「…………?」
ふと、風の中に違和感を感じた。
霧の湿気に混じって野生の――
これは、獣の臭いだ。
「二人は先を急いでくれ……
オレは少し様子を見てくる……!」
「…………ハァ? お、おい!?
どこ行きやがる……!」
「ユランさん……!?」
オレはオンドリッドの荷物を道端へと放り投げ、
身軽になると大きく道を外れた場所に跳躍し、
黄金海の中へ身を投じて、脇目も振らずに駆けていく。
確かに風の中に生き物の臭いや息遣い――
生命の息吹を感じたのだ。
当然、この豊穣の国には様々な野生の生物が
息づいているだろう。
しかし、オレには確かな直感のような物があった。
―――――
あれから数時間、オレは走り続けた。
空は紅(くれない)に染まり、どこまでも地平線が美しい。
「はぁ……はぁ……また……やってしまった……
リバーシュ……今頃呆れているだろうな……」
自分自身も呆れている。
竜の国に居た頃はオレは感情に乏しい竜人だと
自分自身を分析していた。
しかし、旅を続けてどうだ。
ずっと、感情に振り回されっぱなしだ。
だが、リバーシュに拾われた命――
もう前のような失態は犯さない。
今度は少しでも霧が見えれば、
口惜しいが諦めるつもりだ。
「――――」
そうして訪れた湖――あの化け物と
対峙した湖とは反対に位置する場所だ。
その深い黄昏のほとり――妖精のような光を纏った蝶が舞い、
霧を纏った湖とは反比例して驚くように澄んでおり、
幻想的な光景が瞳に映し出される。
そこには蝶に混じって驚く程、呑気に
草を貪る一匹の獣の姿があった。
「ブメ」
一匹の羊はオレの姿を一目見ると、
全身の力が抜けそうな程の
間抜け面でそう鳴いた。
「は……はは……! 今まで……呑気に
草を食べていたのか――」
警戒心の欠片も無くオレに近づいて頭を擦り付ける羊。
これは間違いなく、オンドリッドの愛羊だろう。
「良かった……生きててくれて……
よく……今まで無事で……」
酷い目にあったが、オンドリッドの命を救え、
こうして彼の羊も見つける事が出来たのだ。
オレは得も言われぬ感情の赴くままに、
その羊を強く、強く抱きしめる。
「ブ、ブメメ」
モコリゲスはオレに抱きしめられたまま、
何一つ知らぬ顔のまま、星の散らばった
湖のほとりで鳴き続けた――。