ぼんやりとレギオン内を散歩していると、
ある小屋の中から知った声が聞こえた――。
昼食を終え、オレはやる事もなく
レギオン内をぶらぶらと歩いていた。
リバーシュはカルバルと話があるとの事で出かけており、
家に一人で何もせず
どうかと思ったからだ。
(こんな穏やかな日はいつぶりだろうか……)
リュメイヌの日差しは強すぎる事も弱すぎる事もなく、
穏やかにオレの身体を包み込んでくれる。
地平線まで続く黄金海は波を打つようにざわめき、
頬撫で、吹き抜けていく。
しかし、旅をしていた時と違い、
大自然の中に一人ぼっちで立っているような
孤独感に苛まれるかと言われたらそうでもなく、
レギオン内から聞こえる息遣いや和やかな声が混じっており、
ただ、ここに居るだけで心が洗われるようだった。
「あはは――」
「…………?」
近くの小屋から声が聞こえる。
この声は恐らく、オンドリッドのものだろうか。
「お腹空いたでしょー……ボクもー……」
「…………」
中に入って見てみると、そこはどうやら
羊達が飼育されている小屋らしく、
みっしりと藁が敷き詰められている。
その中心ではオンドリッドが柱にもたれ掛かりながら
羊達の世話をしており、柔毛の波に埋もれていた。
「もう体調はいいのか?」
「あ、ユランさん」
オレの姿に気がついて、オンドリッドは手招きする。
海が割れるように羊は道を開ける。
彼はぽん、と自身の隣を叩いて少し身体を横にずらして場所を空けた。
どうやら、オレに座れと言っているようだ。
「えへへ」
それに応えるように彼の隣に腰掛けると、
眩しいくらいの純粋無垢な笑顔を
こちらに向けてくる。
こちらに伝わる温もりと合わさり
その在り方はまるで太陽のようだ。
「羊達の世話は、いつもオンドリッドがやっているのか?」
「そうだよー。そんなに日が空いてたワケじゃないのに
すっごく久々に感じるよ」
そう言って彼は羊の頭を優しく撫でる。
恐らく、この穏やかな姿こそが本来の彼の姿なのだろう。
確かにカルバルが言った通り、一見リバーシュの性格とは正反対に見える。
「あ、そうだ……まだちゃんと言えてなかったけど……
助けてくれてホントに……ホントにありがとう。
絶対ユランさんが居なかったら……ボク、あのまま死んでたと思う」
「いや……オレも正直、遺品を拾えれば御の字だと思っていたんだ。
化け物に捕らえられても尚、救い出す事が出来たのは……
紛れもなくオンドリッドが頑張ってくれたおかげだ」
「そ、そんな事ないよぉ……ボクは……
何も出来ない奴だから……」
「何故?」
「…………」
オンドリッドは
少しの間、沈黙が続くが羊達の藁を踏んだり咀嚼する音、
呆けた声で鳴く声のおかげか、全く気まずさは無く、
穏やかな時間だけが過ぎていく。
「ボク……守り人になれなかったんだ」
「守り人……?」
「そう、あらゆるモノからみんなを守る者……
兄さんもその一人だよ。数は多くないけど、
他の悪いレギオンのヒトと戦ったりもするよ」
悪いレギオンとは、リバーシュが言っていた
"アシモフの爪"と言っていた派閥の者だろうか?
確かにそう言われれば、レギオンを守る戦士は必要不可欠だ。
大人だけでなく、自身を守る術を持たない子供達もいるのだ。
「どうしてなれなかったんだ?」
「ボク、昔からどん臭いんだ……
戦う所か、子供達にもチャンバラで勝てないし……」
「…………」
「悔しくて……たくさん食べて……たくさん運動して……
残ったのはこのもちぱんなお腹だけ……笑っちゃうよね」
嗚呼、この感覚はオレも良く知っている――
無力感に苛まれ、全身が酷い気怠さに包まれるような感覚――。
周りを見れば他人はいとも簡単に断崖絶壁を登り、自身を追い越していく。
その先にある、どれだけ自分が頑張っても
決して届かない頂。
そこは青い芝生が生い茂り、
見たこともない芳醇な果実が実る楽園。
しかし、そこに自分が到達する事は決してない。
「それで……どうしようも無いボクは
羊のお世話をしたり、首都に伝令に行ったり……
誰でも出来る事をしてる」
「は、は……なら……オレと一緒だ」
「どうして? ユランさんは……
ボクを助けられるくらい強いよ……?」
「オレも助けられた側だ。
リバーシュにな」
「だって……兄さんも言ってた……
霧の中をたった一人で進んで……」
「――――それは、オンドリッドも同じじゃないか」
「え…………?」
確かに今のオンドリッドには戦士としての適正はないかもしれない。
だが、
恐れられた霧の中に、愛羊一匹を助ける為にただ一人、
濃霧に立ち向かっていったのだ。
そして、あれだけ恐ろしい目にあったのにも関わらず、
今度はオレの事を救い出そうと踵を返し、
たった一人でリヴァイアサン級の魔物と対峙した。
これはリバーシュでさえも出来なかった事なのだ。
「オンドリッド。キミはリバーシュにも劣らない勇敢な戦士だ。
それも二回も立ち向かった」
「…………」
「それに……闘い方は一つじゃない。
兵士にも色々いるだろう?」
「きゅーへい……とか?」
「そうだな、まだまだあるぞ。
炊事兵……整備兵……斥候……詩人……」
炊事兵は担当者の腕によって兵士達の士気が大きく上下し、
飯の美味い国が勝つという言葉もある程、
水面下での影響は計り知れない。
整備兵は居なければそもそも戦いにすらならない。
なまくらを握った戦士など、赤子の手を捻るようなものだ。
戦いにおいて情報が最も重要視される斥候は言わずもがな、
ペトログリフを用いた詩人の詩は、
戦況を魔法のように変えてしまう。
そう、どれも実際に剣を取る者以上に重要な役割だ。
「キミがなりたい闘う者になればいい。
だから、あんまり自分を虐めるな」
どんな種でも愛でなければ芽は出ん。自分に水を撒けるのは自分だけだ」
「ボクがなりたい……闘う者……」
オンドリッドは天窓から差す光をぼんやりと眺める。
オレは単純に彼が塞ぎ込み、自らに水を撒くこともなく
種を摘み取ってしまおうとしているのが酷く勿体無く感じた。
未熟な自分が他人に教えを説くなんて、
おこがましいかもしれないが――。
「あは、ユランさんって……温かいヒトだねぇ……」
「そうだといいな……オレの師は
柔らかな木漏れ日に包まれているかのような……
そんな温かいヒトだった」
「へぇ……きっと、素敵なヒトなんだろうねぇ……」
「そうだ――オンドリッドに聞きたい事がある。
オレと同じくらいか少し大きいくらいで……
美しい純白の毛をしている白妙の竜なんだが……
見たことはないか?」
「うーん……そんな綺麗なヒトなら一度見たら
覚えてると思うけど……そうじゃないって事は
見たこと無いのかも……」
「そう、か…………」
首都によく行くと言うオンドリッドなら
あるいは――と思ったが、どうやら当てが外れたらしい。
やはり、リニアオグタで本腰を入れて
情報収集をしなければならないだろう。
「ふぁ……なんか眠くなってきちゃった……」
「確かに……ここは羊達がいるおかげか
温かくて居心地がいいな」
「じゃぁ……寝よっと……
ユランさんも一緒に寝よ……?」
「いや、オレは――――」
そう言ってオンドリッドの方を向くと既に目を瞑り、
ふくよかな胸を上下させていた。
羊のお尻を枕にして身体を横にしており、
柔らかな羊毛がとても気持ち良さそうだ。
「ふむ……しかし大丈夫なのだろうか……?
羊達は下敷きにされて痛くないのか……?」
「すぴゅぅ……」
オンドリッドは羊毛と天窓から漏れる、
温かな陽光に包まれ、柔らかな藁を布団に
極上の睡眠を貪っていた。
「どんな早業だ……だが……
確かに気持ち良さそうだな……」
恐る恐ると言った形で羊のお尻に頭をやると、
ずい、と自ら差し出すように身体を突き出した。
「ブメ」
この鳴き声から察するに、昨日オレが連れてきた
モコリゲスという個体だろう。
(頭を乗せても大丈夫と言う事なのだろうか……?)
まだ疲労が残っているのか、目を瞑ってしばらくすると
身体の下からゆっくりと引っ張られるような感覚が訪れ、
オレは無意識の世界へと旅立った――。