「■■、愛■■■――」
深き深き地の底、歪に噛み合った歯車は廻り続ける。
壊れた古時計のように不規則な音を奏でて
残響だけが酷く耳に残る。
誰の声も届かない。
それ故に、低く唸る――
何かが這い出してくるような声だけは
その空間で息づいている。
光すらも歯車の隙間から溢れる仄かな物だけ。
全てを奪う無機質な鉄屑。
その更に底――泥のように澱みは充満していた。
奥には色褪せて崩れている玉座があり、
そこで純白の翼を愛おしそうに撫でる者が居た。
柔和そうな表情をしたまま、ただただ、
羽毛に包まれた翼を見つめており、
緋色の瞳は白き虚空を映し出す。
「早■■■■……■■■……」
大きい影は空気を響かせるような低い声で呟きながら、
ただ一人――持ち主の居ない白妙の翼を撫で続ける。
上質な寝台を残虐に引き裂き、中身をぶち撒けたかのように、
周りには無数の羽が散らばっており、
歯車の隙間から漏れる光で僅かに煌めいていた――。
――――――
翌日、暁光すら差していない早朝。
サヴァト領へと旅立つ為、オレ達は
リニアオグタの外壁の外へとやってきていた。
「どーも宜しく。にーさん」
「お、おい…………?」
今、目の前には|草原狼獣人《アシモベルク)らしき者が居る。
だが、彼は四足歩行で大きさもリバーシュ達と比べ、一回りや二回りも大きい。
獣人と言うよりは、巨大な喋る狼だ。
すっぽりとオレの身体は彼の作り出す影に隠れ、
筋肉質な身体に朝日は遮られている。
オレは威圧感から少し萎縮してしまい、
単刀直入に言うと驚いた。
街中にはこのような巨大狼は
居なかったはずだが――。
「あれ? ユランさんはガルガリオンを見るのって
初めてだったかなあ?
ふあぁ……もふもふできんもちいい~~……」
「ひはっ……!? ちょっとお客さん……!
くすぐったいから止めて下さいよぉ!」
オンドリッドは同じく充てがわれている巨大狼の
一匹に抱きつき、胸元に頬擦りしていた。
リバーシュや彼のような二足歩行の
早朝の澄んだ風でススキと共になびいている。
「ガルガリオン……?
種族のようなものがあるのだろうか?」
ゲイルズィーガーと呼ばれる原竜の姿に近い竜人が
存在していたが、それと似たようなものなのだろうか。
そう考えると合点がいく。
昨日オンドリッドの言っていたガルガリオン地区とは
この者達専用の居住区なのだろう。
「ンだな。因みにオレやオンドリッドのような
ヤツはアシモフって言うんだ」
リバーシュはオレやオンドリッドとは別の個体の
ガルガリオンによじ登り、
「…………」
アシモフと言えば、彼らが言っていた非公認レギオンの
"アシモフの爪"という言葉が思い浮かぶ。
一体、どういう事なのだろうか。
何らかの関連性がある事は間違い無さそうだが――。
「ハッ、アンタはホントに
何考えてンのか分かりやすいな」
「そ、そうか…………?」
ガルガリオンの背中から笑うリバーシュ。
オレも彼に遅れを取らないように、
自身に充てがわれたガルガリオンの背中に飛び乗った。
柔らかに波打っており、暁光を反射して
黄金海の一部のように美しい。
この上で身体を思い切り伸ばしても
問題無さそうな程の大きさだ。
「興味があるんなら
「そんな余裕があればいいがな……」
リバーシュはそう言いながら、
「にーさん。あーし達に乗った事は?」
「いや、無いな……ゲイルズィーガーの背には
よく乗せて貰っていたが……」
「ゲイル、ズ…………?
なんです? それは……」
「そうだな……竜人も貴方達と同じ様に様々な種族がいて……
中には原竜に近い竜人もいるんだ。
ワイバーンのような翼竜を想像して貰えれば
分かりやすいだろうか」
「竜人にも色々いるんすねぇ……」
「へぇ~~……ボクも会ってみたいなぁ……」
いつの間にかオンドリッドもガルガリオンに搭乗しており、
慣れた手付きで手綱を握っていた。
「なら、あーしが先導してにーさんが慣れるまで
速度を抑えますんで、アンタ達は
後ろから付いてきて下さいっす」
「分かりました!」
「うす」
そう言ってオレの乗ったガルガリオンは立ち上がり、
リュメイヌの大地を静かに踏みしめる。
ゲイルズィーガーと違い、浮遊感の無い
確かな土の感触がオレにも伝わってくる。
「短い間だが宜しく頼む……ええと……」
「ティエルって呼んで下さい。にーさん」
「分か――ッ!?」
オレが言葉を紡ごうとした瞬間――
視界は激しく揺れ、残像だけが極彩色に移り変わる。
ティエルが思い切り大地を
後ろ足で蹴り上げ、勢いよく走り出したのだ。
「…………」
――――疾い。
風と波を置き去りにしながら、
ガルガリオンはどこまでも駆けていく。
後ろを見ると、リニアオグタの外壁が一瞬で遠ざかっていき、
既に遠くの景色と一体化しようとしていた。
オンドリッドとリバーシュのガルガリオンも
合わせて走り出し、弓から撃ち出された矢のように
こちらまで迫ってきている。
「凄いな……! 馬とは比べ物にならない速さだ!」
「へへ、でしょう? 流石に持久力では勝てませんけどね。
にーさんも初めてにしては姿勢が安定してますし、上手っすよ!」
ティエルは器用に
速度が凄まじいせいか風切り音が大きく、
お互い声を張らなければ満足に聞き取れすらしない。
北部へ行くとの事で、多少衣類を着込んできたが
それでも風のせいで肌寒さを感じるほどだ。
「それなら良かった! もっと速度を出して貰っても構わんぞ!」
「いいですけど……びっくりして落ちないで下さいよ!
ホントに危ないっすから!」
石畳を砂煙を立てながら駆けていき、
道なき道すら目的地を目指して一直線に進んでいく。
まるでイルカのように黄色の海を縦横無尽に跳び回り、
沈んではまた翔んでを繰り返す。
翼が生えたような浮遊感と
大地を踏みしめる感触の緩急が忙しないものの、
自身が別の生き物になったかのような感覚が実に心地良い。
「はは……! リュメイヌを横断するのは
骨が折れると思っていたが……
これなら一瞬だな……!」
高揚感を
あれだけススキが生い茂る草原を跳び回ったのにも関わらず、
兄弟の方はしっかりとティエルに付いてきていた。
リバーシュはともかく、オンドリッドの方は
これほど激しい移動をして大丈夫なのかと思っていたが、
流石リュメイヌ生まれと言った所か、取り乱した様子はない。
とは言っても、あまり無理はしないのに越したことは無いだろう。
オンドリッドもそうだが、これほどの速度で
走っているティエル達もこまめな休息を
取らねばならないだろう。
「何度か小休憩を挟もう!
出来れば視界を遮る物がない、
開けた所がいい!」
「了解っす!」
その後、幾度となく休息を挟みながら
オレ達は疾風の如き速さで
リュメイヌの大地を駆け抜けた。
一日を終えた段階でオレがこの大陸に来て
移動した距離を優に超える程
走っていたのだった――。