ユランは彼と会話を続け、ある決断をした――。
「慰み者――だと?
オレは全員の安全を保証しろと言ったんだが?」
あまりに荒唐無稽な物言いに
隻眼のアシモフを睨みつける。
何を考えているのか――
何を言っているのか全く理解出来ない。
「そうだが…………?」
心底、オレの言っている事が分からないと
言った様子で彼は頭をかしげる。
「身の安全は保証しているつもりだが……
元に命を奪おうとすれば……いつでも出来るのにも関わらず、
こうして生き長らえさせてやっているだろう?」
「そういう事ではないッ!
酷い扱いをするなと言っているッ!!」
「酷い? もしかして、慰み物にする事を言っているのかね……?
肉便器と成れるのだ。悦びを感じる事はあれど
決して酷い事ではない。むしろ感謝して貰いたい。
お前もそう思うだろう? 恥狼」
「粉微塵も思わないっす」
「お前のような脳足らずの恥狼でも仕えればきっと分かる……
開祖アシモフの偉大なるご意思をね……
そうなれば、自ら悦んで男の前にそのメス穴を差し出すだろう」
――――話が全く通じない。
彼は冗談ではなく、心の底からそう思っている。
どこまで自分の価値観だけで生きているのだろうか。
そこに他者の感情や想いは一切介入していない。
「うわぁ……どーしましょ……にーさん……
あーし……このままじゃぶち犯されそうなんすけど……」
「…………」
――――虫唾が走る。
あまりに自分本位な考えと、まるでティエルの事を
ヒト扱いしてないような物言いに、腸が煮えくり返りそうだ。
「そうか、よく分かった」
「理解が早くて助かるよ。
流石、竜人殿は恥狼共と違って
話が分かる……」
「に、にーさん…………?」
ティエルはうつむいたままのオレの事を
不安そうな表情でオレを見つめる。
「では、早速腰を落ち着く場所へと移動しよう。
その恥狼はもう使い物にならない産廃だ。
同胞のガルガリオンに共に騎乗するといい」
そう言って、ポーカーフェイスを貫きながらも
どこか浮足立った様子でこちらに手を差し出す隻眼のアシモフ。
その手を握ろうとすると、
周りの
オレの事を仲間に引き入れる事が出来たと
喜んでいるのだろうか。
――――ふざけるな。
「がッ……!? ほ、ほう……?
一体……どういうつもりかな……?
竜人殿……?」
隻眼のアシモフの手を取ろうとしたオレの腕は、
彼の首根っこへと標的を変え、
へし折れそうな程の力を込めていた。
腕の血管が激しく浮き出ており、肉が軋む音が響く度、
隻眼のアシモフは苦しそうに嗚咽するが、脂汗を浮かべながらも
こちらに不敵な笑みを浮かべている。
「――――気が変わった」
「うぐ……ッ! 随分と……
唐突じゃないか……」
「貴様とは相容れない事が良く分かった――。
皆の安全が保証されるのであればやむを得んと思っていたが……
このままではティエルやリバーシュ、オンドリッドも
きっと酷い目に合わされる」
「だか、ら……むしろ光栄な……事……!
偉大なる……開祖アシモ、フの……」
「黙れ――これ以上喋るな。吐き気がする」
「ぐッ……がぁぁッッ……!!」
力任せに隻眼のアシモフを地面へと叩きつけ、
気道を破壊する勢いで押し潰す。
熟練練磨を匂わせる彼も流石に悶絶し、
四肢を時折痙攣させながら目を白黒させ、
苦痛に声を漏らしていた。
「近づくなッッ!!! 少しでも怪しい行動を取れば……
この男を殺す……!!」
「…………ッ!」
弓の弦を振り絞る者、今すぐオレに斬りかかろうとする者――
無数の濃密な殺意がオレを取り巻いていたが、
隻眼のアシモフを持ち上げ、首へミネヴァの短刀を押し付ける。
すると、緊迫という名の糸にアシモフの爪一党達は絡め取られ、
その場に縫い付けられたように動かなくなる。
静寂だけがその場を支配し、
息を呑む音だけが微かに響いた。
「く、は……はは……! 私を人質にするつもり……なのかね?
随分と野蛮な竜人殿、だ……!」
「
「愚かな……! 私に人質としての価値はない。
皆、喜んで私の身体ごと、竜人殿を射抜くだろう」
「確かに貴様の狂人じみた価値観だとそうかもしれんな……!
そう、アシモフの爪一党に教示してきたのだろう……。
だが、他の者は本当にそうか……?」
「何、を……言っている……! お前、達……!
新しい風、を……! この機会、を……逃すな……!
早く……竜人殿の動きを止めろ……!」
血走った目でアシモフの爪一党達を睨みつける隻眼の戦士。
だが、彼の意志に反して動く者は誰一人としておらず、
教えに背いている事を深く懺悔するように耳を項垂れさせ、
うつむいている者。
牙をむき出しにし、興奮した様子で
こちらを睨みつける者。
反応は様々だが、手を出すつもりはないようだ。
「貴様、らぁ……ッッ!!」
「随分、人望があるようだな……?
実に好都合……! どけッ!
道を開けろ……!!」
彼らを払うかのように短剣を振るうと、
まるで左右に道が割れるように、
アシモフの爪一党は道を開けた。
その眼光は鋭く、牙をむき出しにしながら唸っている。
隻眼のアシモフを人質にしていなければ、
今すぐにでも飛びかかってきそうな剣幕だ。
「ティエル。歩けるか?」
「は、はい……」
彼女は萎縮し、おどおどとした様子でオレの後をついてくる。
走れはしないようだが、歩く事くらいは出来るようだ。
矢の刺さった後ろ足が痛々しく、
早急に手当してやりたいが、
もう少し我慢して貰う他無い。
ティエルがオレの前を行く間も、
肉壁にするように隻眼のアシモフを抱え、
いつでも命を奪うことは出来るんだぞと
首元に刃を宛てがい、彼らを牽制する。
(正直、首の皮一枚で繋がった状態だな……)
極度の興奮状態に陥っているアシモフの爪一党だが、
逆にこちらは幾分か冷静さを取り戻していた。
彼らの中にも強靭なガルガリオンが何人もおり、
結局はティエルが走れない限り、
彼らの爪先から逃れる事は出来ないのだ。
(このアシモフを利用してでも……
何が何でも生き抜いてやる……!)
オレは覚悟を決め、隻眼のアシモフにあてがった
短剣の柄を強く握りしめた。
オレだけならまだしも、ティエルと共にこの場を
切り抜けるにはこうする他無い。
「――――?」
その時――オレの目の前に何かが舞い落ちた。
それは、ひとひらの白い花びらであり、
月光を反射して煌めき、場違いな美しさのせいで
酷く目に止まる。
この花びらは確か――。
「――――霧」
そして、その花びらの出処を追う為に
空を見上げると、そこは星一つない虚空が広がっており、
まるで白いペンキをぶち撒けたかのような、
歪なまでに白い霧が覆っていた。
霧は雲と成分的には同じ物だ。
出来るまでの過程に違いこそはあるが、
水蒸気が凝固するのが地上か空中かの違いしかない。
なので、夜になれば雲と同じ様に
闇に溶けるような色をしている筈だが、
空を覆っている霧は、それ自体が
煌めいているかのように純白さを保ったままだ。
近くで見るとその歪さがよく認識出来る。
「あぐ、ぎ……! いぃ、ぃぃぃッ……!」
花びらのひとひらが一人のアシモフの胸元に
落ちたかと思うと、そこを中心にして
氷華が花開き、白い血管のような根が
無数に広がって彼の身体に絡みつく。
彼は叫び声すら上げる暇も無く忽ち凍りついていき、
生きた狼を使った氷の彫像が出来上がる。
尚もその現象は進行しており、
まるで氷像はオプジェのように
大きくなる氷の水晶の中に包み込まれていく。
「
「む――"
アシモフの爪一党は頭上の霧を目の当たりにするや、
目の色を変え、半狂乱で叫び始める。
「な、なんだ……!? あれは……!
一瞬で……ヒトが氷に……!」
「時間を……使いすぎたな……
私も……竜人殿も……ッ!」
「か、は……ッ!?」
目の前のあまりにも現実離れした光景に
気を取られて腕の力が緩んでしまい、
その隙に隻眼のアシモフはオレの鳩尾に容赦ない肘打ちを放った。
「ぐ、あ……ぁぁ……!」
文字通り、彼の弾丸のような肘打ちは
内蔵を押し潰すかのような威力であり、
激痛にたたらを踏んでいる間に、
軟体生物のようなしなやかな動きで拘束から抜け出す。
そして、そのまま一歩力強く踏み込み、
足を軸にするともう片方の足で腹部へ
鋭い
かなり大柄な筈のオレの身体は
いともたやすく吹き飛び、木の幹へと激突する。
「ぐ、は……!!!」
全身の骨が激痛に悲鳴を上げる。
今すぐにこの肉の檻から解放してくれと激しく軋む。
「…………ッ!? 貴、様……!」
オレはその身体に鞭を打つかのように飛び上がり、
体勢を整えて応戦しようとするが、
既に隻眼のアシモフの上半身は氷根で覆われ、
凍りつき始めていた。
その肩にはひとひら、水晶花だけが咲き誇る。
「新シ、イ……風……他、ノ……同胞、ヲ……」
その言葉を最後に彼は物言わぬ氷像と化し、
静寂の中でその生命活動を終えた。
まさか、舞い散る花びらからオレを助けたのか――?
つい数秒前まで首筋に刃を突きつけていた相手を――?
(ダメだ、今は何も考えるな――!
自分と……そうだ……!
ティエルは……どこだ……!?)
彼女を探すと、得体の知れない花びらから
逃れようとしたのか、離れた樹の下へ移動していたが、
その身体には無色透明の花が咲き乱れており、
隻眼のアシモフより酷い状態だった。
空を見上げればいつの間にか極寒の地の吹雪のような
光景となっており、月明かりと入り乱れて
妖しく幻想的な光景となっていた。
触れれば氷彫刻にさえならなければ、
この世の終わりまで見ていたくなるような
美しい景色だっただろう。
「おい……! 大丈夫か……!」
急いでティエルの元へと駆け寄るが、
目を瞑ったままで、生きているのか
死んでいるのかさえ分からない。
全身に咲いた氷華からは
純白の血管根が伸び始め、
彼女の全身を蝕み始めていた。
「は、は……あーし……こんな所で……
死んじゃうんすねぇ……
全然……予想してなかったっす……」
「何を言っている! サヴァト領まで送って貰わなければ困るッ!」
「そうっすねぇ……あーしの……
仕事、ですか、ら――」
彼女はそう言うと静かに目を閉じた。
「おい! 寝るなッ!!!」
こんな所で死なせる訳にはいかない。
もし、そうなったのであれば――
オレが彼女を殺したも同然だ。
何故、無関係の彼女がこのような目に
合わなければならないのか。
どうしていつも、
オレでなく、他の者から何かを奪っていくんだ――。
「この華さえ……ッ……! うぐぁぁッ……!!」
短剣を引き抜き、ティエルに咲いた水晶花を
削ぎ落とそうとするが、突き刺すような寒気に
その刃を落としてしまう。
見れば、前腕には同じ氷華が我が物顔で咲き誇り、
早くも白き血管に蝕まれると同時に凍りつき始めていた。
酷く――寒い。
まるで心臓の中に氷を挿れられたかのよう――。
恐らく、今ごろ背中にも無数の花が咲き誇り、
身体から熱を急速的に奪っているのだろう。
(済まない……リバーシュ……
オンドリッド……せめて……二人だけでも……)
頭の中が完全に霞で覆われると共に
ティエルの身体にもたれかかるようにして、
オレはその生涯を終えるのだった――。