回復してきた彼女達との会話に突然割り込んできたのは――。
――――場の空気が凍りつく。
平和に団欒していた空間に蛇が這いずって
紛れ込んできたかのような強烈な異物感と寒気――。
オレは頭が動く前にティエルを守るように壁となり、
斬竜刀を引き抜いて構える。
同じく、ヴェラクトーレも剣を引き抜き、
アルビノの少女を庇うようにして
招かれざる客と対峙した。
しかし、その輪郭はスノーノイズがかかっており、
甘い風が黒い毛並みを撫でる度、不気味に揺らいでいる。
「何者だッ!?」
「まぁ、怖い……そんな恐ろしい刃を向けられたら、
足がすくんでしまいそう……」
明確な敵意を向けると、不明瞭な輪郭の少女は
その言動とは正反対――嬉しそうに微笑んだ。
数の差で圧倒的に不利なのにも関わらず、
その口は笑みを絶やす事はなく、
得も言われぬ恐怖心を煽る。
「答えろッ!!」
神経を研ぎ澄まし、目の前の少女の
一挙一挙を警戒する。
数秒前には何も無かった空間から、
初めからそこに存在していたかのように
音も無く現れたのだ。
何をしでかしてくるか分かったものではない。
「その姿、霧氷の乙女とお見受けするが、
如何かね?」
座っていた水晶から降り立つ少女に向かって、
言葉を投げかけるヴェラクトーレ。
一見、余裕のある笑みを浮かべているが、
その目は全く笑っておらず、尻尾の毛は逆立っていた。
「勝手に呼ばれているだけで、そう名乗った事は
無いのだけれど……その方が親しみやすいのでしたらご自由に?
かわいい、かわいいオオカミさん?」
彼女がヴェラクトーレへ振り向くと髪とドレスがなびいて、
たったそれだけの動作でむせ返るような甘い香りが広がり、
根源的な欲求を刺激してくるようで、頭がクラクラとしてくる。
例えるならば、傾国の娼婦を目の前に
しているかのような破滅的で甘美な
意識を強く保ち、歯を食いしばらなければ
腰が砕けてしまいそうだ。
「ふむ……ではそう呼ばせて貰うよ。霧氷の姫君。
しかし、赤の他人の会話にいきなり土足で踏み入るとは
淑女の作法にはとてもとても……その点はどうお考えかな?」
「あら、貴方は人形の糸を手繰るのに、
わざわざその子の顔色を伺うのかしら?」
「ク、カカ……! これは恐れ入った……
私達の事を人形呼ばわりとは……!」
ヴェラクトーレの言葉を受け流しながら、
妖艶に目を細める霧氷の乙女。
その仕草を見ているだけで下腹部に血液が集中し、激しい熱を帯びてくる。
ダメだ――ただ対峙しているだけなのに、
まるで高純度の媚薬でも摂取したかのようだ。
「く……オレ達をこの歪な世界に閉じ込めたのは貴女か……!?
一体、何が目的なんだ……!」
もし、目の前の少女が霧氷の乙女だと言うのなら、
このような状況になった一端を知っているかもしれない。
元凶であるならもっと話は早い。
「ふふ、閉じ込めたなんて人聞きの悪い……
貴方達が勝手に舞台に上がっただけの事。
それに、差出人のいない招待状の封はもう切られてるわ」
「招待状?」
「えぇ……ほら、ここに――」
「――――ッ!?」
その声は耳元から聞こえた。
心臓を鷲掴みにされているかのような危機感を覚え、
全力で振り向こうとするが、その前にふわりと抱きしめられる。
吐息だけでも背筋がざわつき、
耳と脳内が蕩けてしまいそうな程の官能――。
首に少女の華奢な腕が蛇のように絡まると、
艷香はより濃くなっていき、鼻孔一杯に広がって
身体の自由が効かなくなっていく。
「ぐ、ぁ……ぁぁ……!?」
そのままオレの目の前まで移動すると、
まるで魔法のように下半身の衣類が独りでにはだけ始め、
露出させられたスリットへと近づき、口づけを交わす。
潤んだ唇は蕩けるように柔らかく、
そしてうなされそうな程に熱い。
突然の甘い刺激に足の力が抜けてしまったのにも関わらず、
どういう訳なのか、オレの意思に反して
足は地面に突き刺さった棒のように動かない。
ざらついた舌がスリット内を這い回り、
先端部が亀頭に擦れれば、電流を流されたかのような
強烈な刺激に身体は痙攣して打ち震える。
「霧で湿気た薄汚い手で……新しき風に触るなァァァッッ!!」
ヴェラクトーレは激昂しながら、何か煌めく物を
霧氷の乙女目掛けて投擲し、弾丸のように少女の頭に迫る。
それは、フルタングナイフであり、
先程篝火に使う木材を集めるのにも使用したかと思われる、
汎用性のあるナイフで頑丈かつ鋭利な刃だ。
「…………は!?」
「お嬢様は遊戯の最中です……
手を出されるのはどうか、ご遠慮下さい……」
放たれたフルタングナイフは無惨にも頭蓋骨を貫くかと思われたが、
どこからともなく、陽炎のように現れた二足歩行のガルガリオンに
まるでトランプのカードのように指の間で受け止められる。
流石のヴェラクトーレもこれには面食らったようで、
目を白黒させながら全身の毛を逆立たせていた。
「フロストヘルム……余計な事はしないで。
ちゅく、る……ほら……あった……♡」
彼女はスリットから口を離すと唾液と我慢汁の混じった
粘着質な体液が糸を引き、淫らなアーチがかかって
解けるように消えていく。
それと同時に、オレの下腹部には月下美人をモチーフとしたような
花びら渦巻く紋章が浮かび、妖しく薄紫色に輝いていた。
光が強まる度に耐え難い切なさが襲い、
全身の血液が溶岩に変わって
しまったのではないかと思うほどに熱い。
「くああッ……! はぁぁッ……! うく……うぅ……!」
そして、霧氷の乙女は見せつけるように
艶めかしく舌をだらりと出すと、
そこには黒い鎖が絡まった一枚の純白の羽根があり、
たっぷりと彼女の唾液を吸って、てらてらと輝いていた。
それを再び口に含むと、背丈を合わせるかのように
ふわりと浮遊し、マズルに手を添えると顔を近づけ
唇を重ねてくる。
「むぐぅぅッ!? んぐ、ぅぅッ!!」
こちらの口を強引に舌を滑り込ませて開き、
口内に先程の羽根を送り込むと
同時に舌と舌を絡めてくる。
唾液が交わり合う淫猥な体液の音は骨と肉を震わせ、
ダイレクトに脳まで響いて、全身が弛緩しきって
しまいそうな程の官能に意識すら朦朧としてくる。
「ぷ、ぁ……ドラゴンさんの舌……
分厚くてとっても美味しい――」
彼女は妖艶に微笑み、名残惜しいように
最後の口づけを交わされると、
突然、全身に張り巡らされた糸が切れたように
脱力してその場に倒れ込んでしまう。
「くあッ……! は、ぅ……ぐ……!」
「今すぐ絶命しろ……! 絶命しろォォッ! 辛うじてヒトの姿を保っている
霧の化け物が……ッ!!
「そんなに酷い事を言われると傷つくわ……?
私はこんなにオオカミさんの事……大好きなのに――」
「ぐむぅぅぅッ!?」
まるで、瞬間移動でもしたかのように
激昂したヴェラクトーレの目の前に現れ、
その顔を慈しむように霧氷の乙女は両手で抱えると、
長い長い口づけを始めていく。
耳まで犯されそうな卑猥な水音と
舌と舌を絡め合う濃密な粘音が響き、
彼は白目を剥きながら身体を痙攣させている。
「ぉ゛……ぉ゛……! ぢゅ、く……! ぉ゛ぉ゛ぉ゛ッ!!」
衣類越しに紫色の光が爛々と輝いており、
恐らく、オレと同じ紋章のような物を
刻みつけられているのだろう。
最後に霧氷の乙女はヴェラクトーレの口に腕を突っ込むと、
まるで道化師の芸のようにゆっくりと何かを引き抜く。
それは簡素ながらも確かな名匠の装飾が施された
鞘に入った一振りの剣だった。
「アシモフの剣じゃない。久しぶりに見たわ……
貴方は随分と純粋な"カタチ"をしているのね……」
「が……ぁ……ぁぁ……ッ!」
(クソ……身体が痺れる……!
……ん? あれは……)
よく目を凝らしてみると、ヴェラクトーレの頭上には
何か輝く線のようなものが見えた。
「うぐ、ぅ……がぁぁッ!!」
脱力している身体に鞭打って、腰に携帯している
ミネヴァの短剣を、渾身の力を持って投げつける。
刃は勢いよく回転しながら彼の頭上を通り過ぎ、
大木の幹に深く突き刺さる。
「あら……? 残念ね……?
射止めるならちゃんと心の臓にしてくれないと……」
霧氷の乙女は錆色のドレスとノイズがかった黒髪を翻し、
こちらへ振り向くと、短剣の狙いが外れた事を
心底残念そうに呟きながら、
慎ましい胸の中心を
中指でとんとんと叩いた。
だが、オレの予想が正しければ――。
「ぐぅぅッ……! ああ、おぞましいおぞましいッ!!
二度と口がきけぬようにしてくれるッ!!」
ヴェラクトーレの身体は文字通り、
糸が切られたかのように身体を躍動させる。
彼の周りには氷で出来た糸のようなモノが
無数に散らばっており、恐らく何か糸状のもので
身体を縫い付けていたのだろう。
余程、舌を挿れられたのが嫌だったのか
目は血走っており、牙をむき出しにして
激しい怒りを露わにしながら、
力任せにその刃を霧氷の乙女へと振り下ろす。
「ふふ……うふ、ふふふ……」
彼女は口角を歪め、赤い舌を覗かせて嗤いながら
無防備のまま剣を受け、脳天から身体を真っ二つにかち割られる。
すると、ぐにゃりと彼女の身体が揺らいで霧化し、
そのまま雲散していくと後に残るのは
舞い散る月下美人の花びらだけ――。
その姿はどこにも見えなくなって、
妖艶な笑い声だけが黒の森に響いた。
「化け物が……! その首を剥製にして
博物館にでも飾ってくれる……!」
「まぁ素敵……慈しむように皮膚を剥ぎ、
肉を削いで、上質なクロムに浸して……
世界の終わりまで愛してね……?」
クスクスと嘲笑する声が上から響く。
視線を上げれば大木の上の方の幹に
霧氷の乙女は座っており、口に手を当てながら
優雅に嗤っていた。
「本当に愉快なククロセアトロだけれど、
今日はご挨拶だけと決めてましたから……
そろそろお暇しましょうか――フロストヘルム」
「畏まりました」
フロストヘルムと呼ばれた二足歩行のガルガリオンは、
いつの間にか霧氷の乙女の傍に控えており、
持っていたステッキで虚空に向かって円を描くと
そこには三日月が現れる。
「これ以上ここに居たら、我慢出来ずに
全部食べてしまいそうだもの……
味わうならじっくりと、舌の上で踊る飴玉のようにね……?」
霧氷の乙女はオレ達に絡みつくような視線を送ると、
そのまま三日月の影を通って姿を消した。
同様に燕尾服のガルガリオンもこちらに
紳士のような立ち振舞いで頭を下げ、少女の後を追う。
残った三日月は飛び散り、破片は光となって
雪のように降り注ぎ、跡形もなく消え去っていった。
「――――」
オレ達は暫くの間、現実離れした出来事に
ただただ呆然としていた――。