その矢先、突然、壁が破壊されて何かが入り込んでくるのだった――。
ふいに、耳元で囁くような声が響く。
それなのに強く、頭の中で反芻される。
「…………引けッ!!」
一瞬の静寂の後、クッキーの壁が粉々に破壊され、
ずるり、と何か巨大な物が入り込んでくる。
咄嗟にヴェラクトーレを反対側に突き飛ばし、
その反動で自身も大きく跳躍する。
まるで大蛇のようにのたうち回る"それ"は
影をうねらせながら再び鎌首をもたげ、
再びこちらへと喰らいつく。
「ぐっ……!!」
玄関から抜け出したかったが、角度的に無理だと判断し、
更に横に跳ぶと出口の扉ごと、オレの居た場所は粉々に粉砕され、
床にはめ込まれていたタイルを模したクッキーが宙を舞う。
粉塵で視界が覆い尽くされ、朧気にしか
大蛇の姿は確認出来ない。
(なんなんだ……ッ!? 一体、オレ達は
何に襲われているんだ……!?)
先程よりも更に見通しは悪くなり、更に家からの脱出が困難になっていく。
ヴェラクトーレの安否が心配だが、生憎、構っている余裕はない。
オレが狙われている分、彼のほうは幾分かマシだと祈るしか出来ない。
「はぁぁッ……! ん、く……! はぁぁッ……!」
二階のエントランスまで大きく跳躍すると、
そのままチョコレートで出来た扉を蹴破り、
近くの部屋へ転がり込み、荒い呼吸を整えようとする。
ヴェラクトーレは冗談交じりにお菓子の化け物と言っていたが、
まさか、それが本当になるとは。
しかし、仕方がないとはいえ、二階に上がり込んだのは悪手だ。
いっその事、タイミングを見計らってこの部屋の窓から飛び降りるか――。
「…………」
先程の阿鼻叫喚としていた様子は嘘のように収まり、
一階からは何の音も聴こえてこない。
だが、今出ていっては敵の思う壺だ。
まずは、部屋の窓から外の様子を確認しよう。
「――――」
その瞬間、背筋が凍りついた。
それは回転すると深紫の縦長に伸びた瞳孔が姿を現し、
捕食者のような視線をこちらに向ける。
窓の外は真っ白であり、てっきり雪景色なのかと思っていた。
それは空ではなく、白空と思っていたものは
巨大なヒトの眼球だったのだ――。
「みーつけた♡」
特に叫んでる訳でもないのに、霧氷の乙女の声は
ビリビリと空気を振動させ、肌で音を感じさせてくる。
そして次の瞬間、家の屋根は痛々しい音と共に剥がされていき、
その隙間からは巨人と化した霧氷の乙女が姿を現し、
残虐な微笑みを覗かせながらこちらを見下ろしていた。
「…………グッ!?」
まるで、心臓を鷲掴みにされているかのような
強烈な恐怖心が芽生える。
(ダメだ……! 恐れている暇があるなら、
身体を動かせ……ッ!!)
窮鼠猫を噛むではないが、このままでは
オレだけでなく、他の皆にも被害が及ぶ。
もうやるしかない――。
「……あら? お菓子の家からは尻尾を巻いて逃げ出そうとしたのに、
今の私とは戦おうとするのね……?」
「生憎、巨大な相手と戦うのは慣れているんでな……!」
「ふふ……そうよ。どんな絶望的な相手でも勇敢に立ち向かう……
やっぱり、物語の主人公はそうでなければつまらないわ」
恐怖を振り払って斬竜刀を引き抜き、険しい表情と視線を向ける
オレの姿を見て、何故か上機嫌になる霧氷の乙女。
抵抗する相手を弄ぶ事を嗜好としているのだろうか。
もしそうであれば、なんて悪趣味な魔女なんだ。
「折角、沢山用意したお菓子の家の催し物が台無しになって
興が削がれていたのだけれど……許してあげる。
その調子で私の事を楽しませてね?」
「黙れッ! お前の思い通りになるつもりはない!
その余裕がいつまでも続くと思うなッ!」
他にもどのような秘術を隠しているのかは定かではないが、
声が出るならば声帯がある。四肢が動くのならば筋肉があるように、
必ず、何らかの原理はあるはず。
無秩序ならば無秩序なりに秩序や理は存在するのだ。
仮にそれが
魔法のような都合のいいものは存在しない。
――考えろ。秘術の類だと思考するのを止めるな。
「…………?」
どう、巨人化した霧氷の乙女に立ち向かうべきかと思っていた矢先、
予想外に彼女は踵を返し、その場を立ち去ろうとする。
「ま、待てッ!! 逃げるのか!?
お前には聞きたい事が山程ある!」
「……見逃された兎は吠えずに生を謳歌するものよ?
お話はまたの機会に、ね。
貴方も蟻の声に耳を傾けようとは思わないでしょう?」
霧氷の乙女は顔だけこちらに振り返り、
妖艶に嗤うと全身は霧に包まれていき、
その姿は跡形も無く消え去っていく。
後に残ったのは傾国の残り香と、
あの純白の花びらだけだった――。