私が師匠のカラスの肩に頬を寄せ、彼の耳元でお願いする声を紡ぎ出すと、彼は独特の素っ頓狂な声を上げた。
「こほん、エルライン、それはまた新たな魔術の素材か?」
カラスは腕を組み、私が指を差した方向を見つめる。その先には、小さな屋台が並ぶ市場の一角、一際華やかに光を放つ宝石店があった。
「それは...フェニックスの涙? 確かに、その宝石は魔術の効果を高める力があるとされているが...」
彼は考え込んでしまう。フェニックスの涙は高価なもので、私たち魔術師にとっては貴重な資源でもある。しかし、我々の生活は質素であり、贅沢なものに手を出すことは稀だ。
私は肩に顔を乗せたまま、カラスの反応をじっと待つ。「もし、これが次の一歩に繋がるのなら...」と、静かに力を込めて囁く。師匠の表情に少しの揺れが見えた。
少し前まで小娘だったエルが、もう女の武器を使ってくる…
カラスはしみじみと呟いた。それは、弟子として私を見守り続けてきた彼なりの感慨深さだったのかもしれない。
「エル、お前がかわいらしく、また賢くなったことは誇らしい。しかし、それを武器にするのは...」
彼は私に向けて説教めいた言葉を投げかける。それでも彼の目は優しく、私のことを思う心情が伝わってくる。
「私たちは魔術師だ。我々の武器は魔術だけでなく、知識と理解、そして人々を導く力...それが我々の真の武器だ」
そう言いながら、彼は私の頭を撫でる。その手は、困難を乗り越え、数々の運命を織り続けてきたことを物語っている。
「だが、エル...お前の気持ちは分かった。そのフェニックスの涙、買ってやろう」
彼の言葉に、私の胸は高鳴る。フェニックスの涙を手に入れることで、私たちはまた新たな運命を織り始めるのだ。
「他の男にはするなよ...」カラスの声はいつも以上にゆっくりと、深い重みを帯びて私の耳に届く。
彼の深い森を思わせる瞳が、私をしっかりと見つめていた。「ああ、私たちの関係性は師弟を超えたものになっているんだな」と、その一瞬、私ははっと気づいた。
「あのね、カラス。私はあなたのことを、ただの師匠としてだけではなく、大切な人としても見ています。だから、他の男に対して女の武器を使うことなんて、絶対にないですよ」
私は心からそう言った。カラスは一瞬、驚いたような表情を見せるが、すぐにほっとした笑顔に変わった。それは私が見た中で、最も温かくて、優しい笑顔だった。
そして、私たちは手を繋ぎ、宝石店に中に入る。これからもずっと、私たちの絆が、この町の運命を織り続けていくことを信じて。
「手痛い出費の分、エルには働いてもらわないとな。」カラスは私の手を握りながら、少し苦笑いを浮かべた。
「そうね、師匠。責任を果たすのは魔術師としての義務ですから。」私は笑顔で返答した。そして彼の手を握りしめ、フェニックスの涙が眩しく輝く店の中から外へと歩を進める。
店を後にした私たちが向かったのは、シルヴィアの町で行われている祭りの広場。この祭りは一年に一度の大きな行事で、魔術師たちは市民に魔術を披露し、悩みや願いを抱える者たちに手を差し伸べることで、報酬を得るのだ。
私はカラスの隣で魔術を披露し、彼が教えてくれた知識と技術を駆使して町の人々を助けた。彼女の魔術は美しく、また力強く、見る者たちを惹きつけ、祭りは大いに盛り上がった。
夜が更け、祭りが終わった時、私たちは手に入れた報酬と、そして何よりも大切な絆を確認し合った。
「これでフェニックスの涙の代金は払えるね。」私がそう言うと、カラスはにっこりと笑った。
「エルの頑張りのおかげだ。ありがとう。」彼のその言葉に、私の心は満たされた。そして、私たちはこれからも、共に運命を織り続けていくと確信したのだった。
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「ペンダントにしてあげよう」カラスがフェニックスの涙を見つめながら言う。その言葉に、私の心が弾む。
「本当に? カラス、ありがとう!」私は彼に向かって喜びを込めた微笑みを送る。この魔術師の道を歩み始めて以来、私にとってカラスはただの師匠以上の存在だ。彼からのこのプレゼントは、その絆をさらに深めるものだった。
翌日、カラスはフェニックスの涙を細工師に頼んでペンダントにしてもらった。銀のチェーンに、透明な宝石が揺れ動く。その光は、太陽の下では透明な輝きを放ち、月明かりの下では淡い青色に光る。
私がそのペンダントを首に掛けると、カラスは満足そうに微笑んだ。「エル、それがお前にぴったりだよ。私たちの絆を象徴するものだ」
そう言って、彼は私の頬に優しく手を当てた。
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「いつか他の男に見初められる日が来るのかな...」カラスの声は少しだけ寂しげに、私の耳に響いた。
私は彼を見つめた。彼のその言葉は、成長する私への警戒心、親心、あるいは恐れかもしれない。だけど、それ以上に、私を心から思ってくれる彼の愛情を感じることができた。
「カラス、私が誰か他の人を見つけるかどうかはわからないけれど...」私は彼の目を見つめたまま話し始めた。「でも、いま私の心にはあなただけがいるの。だから、心配しないで。」
私の言葉に、カラスは少し驚いたように見えたが、すぐに優しい笑顔に変わった。
「エル...ありがとう。」彼は私の手を取り、ゆっくりと頷いた。その表情は、私の言葉をしっかりと受け止めた証だった。
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確かに、その日は思ったよりも早く訪れた。祭りで私の魔術を見たある貴族が、援助を申し込みにやって来たのだ。彼は私の美しさと才能に魅了され、見かねて手を差し伸べることを決意したと言っていた。
「エルライン嬢、君の才能はこれからさらに開花するだろう。私の力を借りて、その可能性を最大限に引き出してみてはどうだろう?」彼の申し出は魅力的だった。しかし、私の心は既にカラスに向けられていた。
「ご親切に感謝します。でも、私は既に師匠という素晴らしい存在がいます。彼の指導の下で、自分自身の力で可能性を引き出すことに喜びを感じています。」私は彼に向かってそう語った。
私の言葉に、貴族は残念そうな表情を見せたが、すぐに理解し、尊敬の念を込めた視線で私を見つめた。「理解した、エルライン。君の意志を尊重しよう。それでも何か困ったことがあれば、いつでも私に相談して欲しい」
そして彼は去っていった。カラスは黙ってその様子を見ていたが、彼が去った後、カラスは私に向けて深い視線を送った。
カラスの瞳には不安が滲んでいた。「しかし、いいのか、エル?大貴族の援助があれば...」
私は彼の心配を察した。「大切なのは、お金や地位じゃない。自分自身の成長と、大切な人との絆よ。」私は彼の手を取り、語りかけた。
カラスは私の言葉をじっと聞いていた。その瞳からは、少しずつ不安が消えていった。「エル...ありがとう。君の言葉は、いつも私を安心させる。」
私たちは再び手を握りしめ、一緒に歩き始めた。詩人の音楽が遠くから聞こえ、月明かりが私たちを照らしていた。
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「カラス、大丈夫? なんだか顔が赤いよ?」カラスの異常に気付き、私は心配そうに問いかけた。彼はぎくっと体を震わせ、私から目をそらした。
「いや、なんでもない。ちょっと思考が飛んでしまって...」カラスは少し苦笑いを浮かべた。
私は彼をじっと見つめた。何か心の中に秘めた思いがあるのかもしれない。でも、彼が話したくなければ無理に引き出すつもりはない。それでも、私は自分の感情を伝えることに決めた。
「カラス、私たちは師匠と弟子以上の絆で結ばれていると思うの。だから何かあれば、何でも話してほしい。」私は彼に真っ直ぐな視線を送った。
彼は驚いたように私を見たが、すぐにその表情が柔らかくなった。「エル...ありがとう。私も君を大切に思っている。」
その言葉に、私の心は安堵した。私たちの絆は、お互いの心に語りかけ、互いを理解し、支え合うことで深まっていく。一人で抱え込むようなことはしてほしくない。
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「エル...」カラスのつぶやきが、夜の静けさに溶け込む。彼の声には、苦しみとため息が混じり合っていた。それは彼自身が抱く、私への複雑な感情の表れだった。
彼は私が貴族の援助を受け、最高の魔術師になり、彼をないがしろにするという平行世界について語った。
私の将来を案じた彼は、遠見の魔眼で平行世界の私を観察していた。そこでは、私が貴族の世界に旅立っているという。
しかし、私はそんな自分の心の闇を知らなかった。私が彼に見せるのは、尊敬と感謝、そして愛情だけ。私が他の男に惹かれることはない。カラスこそが私の全てだ。
だから私は彼に微笑んだ。「カラス、私の力はあなたがくれたもの。だから、私が他の人に靡くなんてことはありえないわ。」
彼は私の言葉に口を閉ざした。子供の戯言を聞く大人のような、説明を放棄した親の態度。彼は私の手を取り、論より証拠とばかりに、魔法を唱え始めた。
カラスと精神体としての私は、時空を超えた異世界へと飛び込んだ。その世界は、私が貴族と共に運命を切り開くという、別の可能性が実現した場所だった。
壮麗な城で、私は貴族と共に豪華な舞踏会に出席していた。私の周りには贅沢な衣装を身に纏った人々が群がり、私の才能と美しさを讃える声が響いていた。だが、その中にカラスの姿はなかった。
私は、カラスと一緒にその光景を眺めた。「ここでは、本当に私は貴族の女性として生きているのね...」私の声は、この現実に対する困惑と驚きを隠しきれなかった。
カラスは私を見つめ、ゆっくりと頷いた。「そうだ、エル。だが、この世界のエルは、貴族の生活に溺れ、魔術の道を逸脱している。そして、私は...」
彼の言葉が途切れる。場が騒然となる。平行世界のカラスの姿が見えた。魔術師らしく開け放たれたバルコニーから、魔法で駆けつけたようだ。パーティの招待客というわけではないみたい。衛兵が駆けつけ、彼を拘束しようとする。
平行世界に存在するエルは、カラスに対して容赦のない態度で接した。高慢に微笑み、彼を見下すように振る舞う。贅沢な舞踏会の華やかな煌めきの中で、彼女はカラスを無視し、彼を道端の石ころ同然に扱った。
「あなたなんかが私の師匠だったなんて、思い出したくもないわ。」彼女はカラスを罵り、彼の存在を否定した。
私の隣にいる師匠は、その言葉に傷つきながらも、彼女の言葉を受け入れた。「それが、この世界のエルの選択だとすれば、私はそれを尊重するしかない。」と彼は言った。
彼の言葉を聞き、私は彼の強さに感動した。彼がどんなに傷つくことになっても、彼は私の選択を尊重すると誓っていた。でも、同時にその潔さは、私の中に少しの寂しさを生んだ。彼にとっては、私は弟子の一人でしかなくて、替えのきく人間なのだろうか。
ペンダントはシャンデリアの光に照らされた。
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私の才能は、カラスの高等魔術を一目見ただけで模倣した。
私はどうしてもあの後の二人を見たくて、師匠に隠れてコッソリと続きを見に行った。
平行世界での私とカラスの関係は、予想を超えるものだった。そこでは私がカラスを奴隷として購入していたのだ。彼女は彼を自分の所有物として扱い、彼の全てを支配していた。
私がその世界を覗き見たとき、カラスはエルの足元で頭を下げ、彼女の命令を待っていた。それは遠く見える幻想の光景かのようだった。しかし、それがこの世界の現実であり、その中にいる私とカラスは、私たちとは近しくも別の存在であることに驚愕した。
私の心は複雑な感情で満ち溢れていた。驚き、困惑、そして、なぜか子宮の疼き。それは、この状況が私の深層心理の何かに触れているからだろうか。
それとも、私の中に秘められた欲求が、カラスに対して支配的な役割を望んでいるのだろうか。それは私自身でも解明できない謎だった。
平行世界のエルの行動に私は内心、羨望の念を抱いた。彼女がカラスを奴隷として自由に扱っている姿に、私は秘めた欲望を認識した。その欲望は、カラスを所有し、自由に操るというものだった。
しかし、私はただの魔術師。それに比べ、貴族となった平行世界のエルは大きな力を持っていた。それは、社会的地位、金銭、そして人々を自由に動かす力。その力があれば、カラスを買うことも可能なのだろうか。
私は深淵を覗くような気持ちで、その想像を膨らませた。カラスを私のものにする。私だけのものにする。その欲望は私の中で燃え上がり、私の心を震えさせた。
だが、その一方で、私はまたカラスへの尊敬と愛情を忘れてはいけないという思いにも襲われた。私は彼を自由に操りたいと願う一方、彼を尊重し、彼の自由を奪いたくないという葛藤に苦しんだ。
その時、私は決意した。私はカラスを自分のものにするためにはどんなことでもすると。そして、その道のりはきっと困難であろうが、私はその困難を乗り越える。
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「そうか!考えが変わったか!」貴族の声は、私の決意を迎え入れるように喜びに満ちていた。私は彼の援助を受け入れ、貴族社会に足を踏み入れた。社交パーティーでの華やかなドレス、煌びやかなダンスフロア、そして、自分を取り巻く人々。全てが私に新たな視界と感覚を提供し、私の思考を高揚させた。
私が社交界に足を踏み入れると、周囲の景色は変わり始めた。かつての平凡な生活は、豪奢なドレスと華やかなパーティーで塗り替えられた。貴族や大商人たちと会話を交わすうちに、自然と私の振る舞いや考え方も変わっていった。
「これが新たな自分なのかもしれない。」私はそう考え、この新しい世界を受け入れた。
しかし、その変化は私自身にも影響を及ぼした。私の思考は淀み、自分自身が傲慢になっていくことに気づいた。それは私が望んでいた「対等な関係」からは遠ざかるものだった。
それは知らぬ間に変わり始める私の心の動き。私は高級な魔法具や豪華な装飾品に目を奪われ、どれもこれも手に入れたいと思うようになった。そして、私はカラスを手に入れるという思考が、徐々に心を強欲に変質させていくのを感じた。
「私はカラスと対等に愛し合いたかったのに…。」私は自分が変わっていくことに葛藤を感じた。
だが、私は決して後悔しなかった。この新たな自分を受け入れ、前に進むしかなかった。だから私は自分自身を高めるために、この傲慢さを利用することに決めた。カラスが私を無視して通ることができなくなるように、更なる力と美貌を手にすれば、望む未来を手繰り寄せられるはずだから。
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長い間会っていなかったカラスと再会した時、私の目に映った彼は私の記憶とは少し違っていた。彼のローブには魔法陣が織り込まれ、杖も磨き抜かれている。それは彼の研究の証で、私が尊敬していた姿だ。
しかし、それでも今の私の目に映る彼は、大商人から見せられた華やかな装衣や杖に比べると、どこか陳腐で、みすぼらしいものに見えてしまった。
私が貴族と交流するようになってから見たもの、経験したもの、すべてが私の視点を変えてしまった。今までの私ならば、カラスの研究の証に感動し、尊敬の念を抱いていた。
しかし今の私は、彼のことをただの色褪せた憧れとしか思えなかった。私の心の中にある、彼への感情が変わり始めていることに、私は気づかされたのだ。
「カラス、師匠は…変わってないね。」私はそう言葉をかけたが、その言葉には違和感があった。私が変わってしまったからだ。私が望んでいた「対等な愛」からは、どんどん遠ざかっていく自分を感じながらも、私はもう止まることはできなかった。
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私が社交界に進出してから、私の生活は一変した。爽やかな美男子たちからの求婚の手紙が次々と届き、才能や美貌を讃える言葉が飛び交った。
最初はそのようなことには興味がなく、手紙も未開封のまま放置していた。しかし、次第にその言葉に甘えてしまう自分がいた。彼らの甘い言葉と美しいルックスに心が揺さぶられ、気がつけば私は愛をステータスで計算するようになっていた。
私が師匠に憧れ、尊敬していた理由は、彼の高尚な精神と魔術への絶え間ない追求心にあった。しかし、その素晴らしさや尊さを忘れてしまった私は、美男子たちのルックスや言葉を選び好み、求婚を楽しむようになっていた。
自分が変わってしまったことを認識しながらも、私は自分の行動を止めることができなかった。この新たな世界、新たな私を享受していた。それが誤りであると知りながらも、私は甘い言葉と美麗な世界に浸っていたのだ。
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カラスと久しぶりに会った時、彼は何かを悟ったかのように、少々ぎこちない態度を見せた。美しく装った私の姿に、彼は何を思ったのだろう。
私の首元には大きく派手な首飾りが輝いていた。それは貴族からの贈り物で、私にとっては新たに手に入れた力の証だった。
師匠の顔が一瞬、虚無を見るようだった。普段見ることも叶わない物を見れた庶民って、そんな風になるものかしらね。
私の姿、私の所作、私の会話、すべてが以前の私からは想像もつかないほど洗練されていた。カラスが私を見る瞳には、悲痛さと同時に少しの迷いが見えた。
「カラス、あなたは変わらないね。」私はそう言って、彼に微笑みかけた。驚きの様子も束の間。変わらぬ態度を見せてくる彼を見て、私は心の中で少しだけ申し訳なさを感じた。
私は彼を愛している。でも、私はもう以前の私ではない。
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私の日々は贅沢に彩られ、次第にそれが当たり前の世界となっていった。美男子たちを侍らせ、豪華な庭園でハーブティーを嗜む午後。彼らと軽妙な会話を交わし、高笑いを上げる。そんな風景が、私にとっての新たな日常となっていった。
静かな庭園で鳥たちの囀りを聞きながら、甘いハーブティーの香りを楽しむ。そのすべてが、新たな私の生活の一部となっていった。
最初は戸惑いもあった。しかし、その生活が進むにつれて、だんだんと私はその世界に溶け込んでいった。自分がどこにいるべきか、何をすべきか。全てが自然と心に落ち着いていった。
その変化は決して速いものではなかった。それはゆっくりと、私の心の中に根付いていった。私はその生活を楽しんでいた。それが私の望む世界だと心から信じていた。だから、私はその日々を満喫し、心から楽しんでいたのだ。
日々の放蕩の中で、私はカラスの存在を心の奥底に追いやっていた。豪奢な宴会、美男子たちとの遊び、そんな生活の中で、彼の存在は薄れていった。
そんなある日、見慣れない手紙が届いた。他の手紙たちと違って、便箋は安っぽく、装飾も質素だった。私は眉をひそめ、その手紙を手に取る。何処の馬の骨からのものなのかと不機嫌に思いながら、封を切って中身を見た。
すると、その文字は見覚えのあるものだった。それは、カラスからのものだった。彼からの手紙を見て、私の心は揺れた。放蕩の日々で忘れかけていた、あの優しい師匠からの手紙。私は、思わずその手紙を胸に抱きしめた。ああ、カラス...
師匠のカラスからの手紙の続きを読む。彼の独特な筆致、温かみのある言葉遣い。すべてが懐かしい。
手紙にはこう書かれていた。
「我が弟子、エルよ。いや、今はエルライン・ダングリット令嬢と呼ぶべきかな。家名を得てからの君のことは、ここシルヴィアまで風の噂が届いているよ。魔術の道へ引き入れたのは、幼い君に才能を見出したからだが...君が選んだのは別の道。それが君の幸せならば、私はそれを祝福する。
ただ、君が魔術の道を選んだとき、私はその道を共に歩む喜びを感じた。それが今は遠い過去のことのようだ。」
その文字を目にした瞬間、胸が詰まる感覚に襲われた。彼が私を思う温かい想いが、その文字から伝わってきた。心の中で、カラスの声を想像しながら読む。その言葉一つ一つが心に響く。貴族たちのの流麗な言葉遣いとは対照的に、カラスの言葉は素朴で、真実を語っているようだった。カラスと過ごしたあの日々を思い出す。魔術の訓練、共に過ごした時間。
そして、私が忘れかけていたあの日々の記憶が、蘇ってきた。私が魔術の道を選び、彼と共に歩んだ日々。あの懐かしさと喜びが、ふとした瞬間に心を打った。
「カラス...」私は、その手紙を握りしめながら、心から彼の名を呼んだ。その名を呼ぶと、私の心には、過去の彼との日々が鮮やかに浮かんできた。私はその記憶を思い出しながら、涙を流した。ああ、私は、彼をどれほど忘れていたのだろう。
私の肩が震えているのを見て、綺麗どころから選んで雇い入れた下男が声をかけてきた。
何事かを誤解したのか、差し出がましい気遣い。「そちらの粗末な手紙、お捨ていたしましょうか?」
普段なら心地よく聞こえる美男子の声も、今は耳障りに感じられた。彼がそこにいるのが許せない。なぜ、ここにカラスがいないのだろう。
「あなたの名前は何だっけ?」と、私は冷たい声で問う。彼は驚いた顔で私を見たが、すぐに元の笑顔に戻った。「それは、エルライン様、私の名前を忘れてしまったのですか?私、リチャードと申します。」
彼の言葉を聞いて、私は頭にきた。「リチャード...そうだった。でも今は、私の前から出て行って。」
彼は困惑の顔で私を見たが、すぐに頷き、部屋から出て行った。私は彼が去った後、再び手紙を見つめながら、涙を流した。「カラス...私は何をしているのだろう...」
迷わずに私は、遠くへ連れて行ってくれる魔術の指輪を手に取り、身に纏った。その力で、心の中に焼き付けていたカラスの住む場所へと飛んだ。
背後で叫ぶ下男たちの声が、次第に遠ざかる。自分の中に、ずっと封じ込めていた彼への想いが溢れ出した。彼が、どんなに私を愛し、私のために自分を犠牲にしてきたか。ああ、私は本当に愚かだった。高級な衣装や美辞麗句。男たちの甘い囁きに惑わされて、大切なものを見失ってしまっていた。
目の前に広がるのは、静寂に包まれた小さな森。そしてその中にある、カラスが暮らす小さな家。見るからに貧しい、それでも温かさがある。私が本当に求めていたものは、この家の中にある。
ドアをノックすると、中からカラスの驚いた声がした。「エル...? どうして、こんなところに...?」彼の顔を見た瞬間、私は涙を流しながら彼に飛びついた。「ごめんなさい、師匠。私、間違ってた...」
彼の前で、私はすべてを告白した。「あのとき、貴族の援助を受けたのは...カラス、師匠を自分のものにするためだったの。でも...それが引き金で、私はどんどん変わってしまった。気づけば、財力やステータス、美貌の男たちに心を奪われて...私の中の大切なものをすべて忘れていた。貴方のことさえも...」
彼の表情が急に固くなった。やはり、彼は怒っているのだろうか。でも、それでも私は語り続けた。「でもね、師匠。今は違う。貴方からの手紙を読んで、私は初めて自分が何を間違っていたのか、どれだけ大切なものを失いかけていたのか、理解したんだ。だから...私、師匠を失いたくない。私は...貴方が大好きなの、カラス。」
カラスはしばらく無言で私を見つめていた。そして、彼の目からは涙がこぼれ落ちた。「エル...」彼はゆっくりと私を抱きしめた。「私も...君が好きだよ、エル。」その言葉を聞いたとき、私は初めて自分が本当に求めていたものを手に入れたと感じた。
"その一言。それだけで、どんなに財力があろうと華やかであろうと全てが霞んで見える。貴族の世界は、きらびやかで刺激的だったけど...それでも、師匠の元にいる時間が私にとっては一番価値がある。師匠がいない世界なんて考えられない..."
私の肩が震え、涙がこぼれた。カラスの温かさを身体全体で感じ取りながら、私は自分がどれだけ彼を愛しているのかを改めて確認した。一度は見失ってしまった彼への愛情が、胸を締め付けるほどに感じられた。
"これからは、師匠と一緒に、魔術の道を歩んでいく。それが私の選んだ道だ。”
「師匠...だから、これからもずっと、私の側にいてください。」
カラスはゆっくりと頷き、「もちろんだ、エル。」と答えてくれた。その瞬間、私の心は、満たされ、穏やかな幸せに包まれていった。この先、どんな困難が待ち受けていようと、私たちは一緒にそれを乗り越えていける。