不意にトンボが尾を水面につけて飛ぶ様子が思い浮かんだ。艦娘である私がそのような光景を見たことがあるだろうか、と思案するも、意外なことに艦娘の情操教育には力が注がれており、どこかで図鑑あるいは実物を見たのかもしれない。
機体後部を海面に接触させて浮遊するヘリコプターから、私たち4人の戦術偵察隊は海面に降り立った。
「状況はいつもの通りよ。北太平洋の中枢で広域認識阻害が発生し、その後にはいつも同様に
陽炎は、事前のブリーフィングで何度も説明を受けた内容を反復している。彼女のやり方は全員が共有すべき情報を短く、分かりやすくまとめ、適切なタイミングでそれを繰り返すことである。
深海棲艦の目的は、一般的に人類の海洋権益の阻害とされている。これは通常、目的よりも手段であるはずだが、いまだに深海棲艦の目的が明らかにならないため、手段自体が目的と解釈されている。
かつての装備と比べれば、現在の私たちの装備は極めて軽量化されている。海上に立っている点を除けば、我々は歩兵そのものに見えるかもしれない。非常に愛着がある魚雷まで減らしたのには、適切な理由が存在する。
深海棲艦の暴力に頭を痛めた人類は、ある時点から、集まったそばから熱核兵器で一掃するという大胆な手法を採用した。これに対応するため、深海棲艦は戦略を
深海棲艦は小規模部隊を組織し、観測を阻害する認識阻害艦を囮として用い、人類支配の海域への侵入を繰り返すようになった。彼女たちが何に駆り立てられているかは不明であるが、海洋権益への妨害という観点では圧力が大幅に減少したので、人類としては容認していた。
いずれにせよ、かつてのような深海棲艦の大群と人類勢力との大規模な衝突はもはや発生しない。そのため、前線に立つ私たち艦娘の戦略も変化してきた。
戦術偵察部隊の組織と装備の軽量化はその一環だ。当時、艦娘の特殊部隊運用について研究を行っていた我らの長姉が名乗りを上げ、第777戦術偵察部隊が結成されたのである。
部隊の数字には深い意味はない。ただ、艦娘部隊を示す第7艦隊に所属する77偵察隊であるというだけだ。我らの海軍の部隊命名規則に艦隊番号を先頭につけるルールは存在しないが、「縁起がいいから!」という陽炎の主張が通った。彼女に任せるのが問題だったのかもしれない。
「ああ、そんなに緊張せんでええよ、親潮。通信はそないにバンバン入らへんから」
黒潮は常に親潮の様子を気にかけている。親潮が戦術偵察に参加するのは今回が初めてなので、黒潮の観察によれば、彼女は緊張しているらしい。
親潮はこれが初陣であることを考えると、行きのヘリコプターから降りられた時点で満点で、あとはプラスボーナスだった。簡単に思うがそれなりに難しい。
陽炎、私、黒潮の三人は、同時期に建造され、ほぼ同様に成長した。周囲からは三人一組として扱われることが多い。それでも、内部から見れば、各々には個性がある。
陽炎はリーダー的存在である。陽炎型ネームシップであるため、彼女がそうならざるを得なかったとも言える。しかし、彼女には18人の妹がいると主張できるほどの大胆さがある。彼女の面倒見は良いが、教育者として優れているわけではなく、彼女が特に優れているのは指揮官としての役割である。
黒潮は三人の中で特に教育に力を入れている。おそらく海軍という組織に最も貢献しているのは彼女だろう。戦術偵察隊がようやく順調に機能し始めた時、彼女は親潮を加入させることを提案した。新人を迎え入れるのは早すぎるのではないかと陽炎と私は反対したが、部隊の拡大は一つの義務であるという黒潮の主張が通った。
最後に私、不知火は三人の中で最も特徴のない存在である。自分の優柔不断な性格から、二人が各々の分野で活躍する中で取り残されていると感じている。しかし、それにより自分の役割が任務に特化することだと考え、私は自身を軍曹として定義することにした。ちなみに、艦娘に兵士と士官の区別はない。
「2時の方向、水平線上。不知火、どう見える?」
と、陽炎が私に問うた。
深海悽艦の指揮艦は限定的な範囲で認識阻害が可能なため、直接目視するしか手段がない。認識阻害されている深海悽艦は、よく見ると陽炎のように見える。もちろんモヤの方だ。
「怪しいとは思いますが、まだなんとも。近づきますか?」
確定的な情報を得られないことをはっきりと述べる。これが、旗艦を補佐する2番艦の役割である。
「あー、近づいてドカンはイヤね。ひとまず、一発イっときましょう。親潮、出番だから」
親潮は経験は浅いが、真面目で几帳面だ。たまに口を開けて物思いにふけることがあるが、その度にちゃんと黒潮から注意を受けている。現在、彼女は通信係を務めている。遠くから見ると彼女だけ長いアンテナをつけているのが目立つ。
艦娘の艦隊は7隻から成る。それだけいれば、少なくとも一人ぐらい「とりあえずついてきて」ができる。しかし、戦術偵察隊は人数を限定するため、親潮には重責が課せられた。
それでも彼女は元気にその任務を引き受けた。素直だからきっと優秀な艦娘に成長するだろう。
「リラックスやで、親潮。ほんで不知火、そういう感想は口に出してや」
黒潮は時折、考えを見事に言い当てる。
「?、あっ、了解!
LN Navy, LN Navy, This is JN777. over」
一瞬、黒潮の私への指摘が理解できなかったようだが、親潮は元気よく通信を始めた。突然英語を使い出したのは、相手が日本人であるかわからないからだ。
定型文を覚えるので発音は流暢だ。しかし自由な会話になると発音が一気に悪くなる。これは日米間の通信でよくあることだ。
親潮は後方にいる国連太平洋艦隊に連絡を行う。その目的は、砲撃支援を求めることだった。
親潮が少し焦ってしまったのは、位置をしっかり確認せずに突如として通信を始めたからだ。当然ながら、2時方向ではなく具体的な座標を伝えなければならない。焦っている親潮を黒潮が手厚くフォローしていた。
「気にすることないわよ、よくあるミスだから」
陽炎から励ましの言葉が出る。彼女自身がそんなミスを犯したことがないことを考えると、少し皮肉っぽい。そして親切な指導をするなら、親潮が通信機に手を伸ばした瞬間に注意するべきだった。おそらく彼女は、親潮が確認を求めなかった時点でこの結果を予見していた。
少し経つと親潮に返信が来た。砲撃が終わると、着弾までの時間とともに連絡が入る。それにしても砲撃までの時間が短い。
「何かあったん、親潮?」
親潮が通信を終えると、黒潮から質問が飛んでいた。おそらく、黒潮が想定していたよりもやり取りの時間が長かったのだろう。親潮が通信相手から何か言われたことを察知したのだ。黒潮は親潮の母親なのかもしれない。
「お相手が横須賀の大和さんでした。これからも大和型を贔屓にしてくださいって」
「へー、今年の最優秀艦じゃない」
砲撃までの時間が短いわけだった。
砲撃支援を要請した後、着弾までの間は特にやることがない。的中するかどうかを見守る様子は、何となくゴルフ観戦の観客を思わせる。なぜ艦娘がそんな場面を見たことがあるのかと思うかもしれないが、テレビはよく見ている。トンボも公共放送のドキュメンタリーで見たような気がしてきた。
深海悽艦の認識阻害は場のようなもので、その中に高速で物質を投入すると場が荒れる。ある程度以上の力が加わると、場そのものが崩壊し、隠していたものが露わになる。これを「
後方の戦艦から発射された砲弾は150km以上を超えて飛んでくる。大口径砲にロケットブースターを装着した、少々原始的な兵器で、太平洋のものは口径が40cmもある。大西洋ではその半分しかない。40cmもある理由は、的中すれば嬉しいからだ。両海域に展開するアメリカ海軍は、パナマ運河を通過する度に20cmの理性を取り戻したり失ったりすることで知られている。
「もう着弾しますね」
親潮からの情報を元に、着弾予告を行った。予告時間よりは少し早く、何かが割れるような音が聞こえた。それは認識阻害場に砲弾が命中した音だった。着弾時間は海面への到達時間を示しているが、認識阻害場はそれより前方に存在するため、時間差が生じる。
それにしても、なぜ空間的な場からこんなにも薄っぺらい物体が割れるような音がするのかは完全に不明だった。ただ、深海悽艦がふざけた存在であることだけは確かだった。
黒潮の方が騒がしくなる。
「先頭から
黒潮は深海悽艦の識別を担当していた。
日本海軍は、馴染みのある深海悽艦イロハ等級を廃止していた。代わりに、太平洋と大西洋で統一された深海悽艦識別コードを使用している。
コードは艦種を示す級と、大分類と小分類を示す2桁の型から成る。例えば、
「司令部に通報、敵艦ミユ、艦種と位置、時間、あと
陽炎は親潮に対し通信の指示を出した。ぱっと見では過度に圧縮された情報で何を示しているのか理解し難いかもしれないが、必要な情報はきちんと伝わっている。親潮は司令部への通信を始めた。
少々長くなるが、艦種について説明しよう。
また、
以前のイロハ等級に詳しい者は、空母に相当する艦種が存在しないことに疑問を持つかもしれない。これは、艦娘と深海悽艦双方が艦載機などの小型目標に対する妨害を実現し、結果として空母が戦力として機能しなくなったからである。私たちの艤装にもジャマーが組み込まれている。
「いやー、まさか当たるとは思わなかったわね。大変なものを見ちゃったじゃない」
陽炎が述べているのは、深海悽艦の一隻に砲撃が当たったことについてである。水平線の彼方から阻害された深海悽艦に初弾で命中するのは驚異的なことであった。それこそホールインワンに匹敵する。
「大和型は“見えている”ってホンマやろか?」
「まさか、そんなことがあれば私たちの仕事がいらないでしょ」
と軽口を叩き合っている。
「司令部より、了解の回答、引き続き監視せよとのこと」
敵艦隊発見の報告に対して、司令部からの応答が親潮から報告された。
「あー、待って、陽炎。2隻の
「それって先月のやつ?」
「そうです」
黒潮の識別を一部修正した。謝罪されたが先月見つかったばかりの小分類をその場で識別できる必要はなかった。訂正は帰還後でも問題はない。ただ、陽炎が今しているであろう作業には影響があった。
「第33戦隊より、34ノットで急行中」
と親潮からの報告が入る。位置と時間が続く。司令部は見つけた深海棲艦に対し迎撃の艦隊を割り当てた。我々はあくまで偵察部隊である。34ノットはすごく頑張って急行中であることの比喩表現だ。ただ旗艦が金剛さんであるため、実際にその速度で来るかもしれない。
「不知火、どれか一隻を沈めておきたい。出来る?」
と陽炎が問う。彼女が行っている作業はオペレーションズ・リサーチである。詳細は不明だが、我々がさらに一隻沈めれば、迎撃艦隊が圧倒的勝利を収められると彼女が判断したのだ。
「可能です。後方から接近し、
「親潮は?」
「彼女も参加させます。黒潮、どう思いますか?」
私ならば残されることを望まない。だから、彼女も参加させることにした。ただ、黒潮には一応意見を聞いておく。
「ついて来させるだけならええで。
彼女は親潮を敵に接近させるが、魚雷を撃たせるつもりはないと言っている。それに同意した。多くのことを同時に考えさせると、事故が起こることはよく知っているからだ。
「それで決まり!親潮、通信機の電源切っちゃって」
陽炎は司令部の許可を得るつもりはないらしい。確かにそうだろう、我々はすでに偵察任務を終えているのだから。
「旗艦、交代します」
私は陽炎に1番艦を交代する旨を申し出た。突撃する時まで、陽炎が1番艦である必要はない。
陽炎を追い越すべく加速を開始した。正面には深海棲艦が見えていた。しかし、その景色は徐々にぼやけてきていた。
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見渡す限り視界が開けている。今、私がいる場所が極めて天井が高いところであることを認識した。そこには大きな人工物がぼんやりと見えた。それは船の先端のように見えた。
この場所は初めてではない。改装のたびに連れてこられる謎の場所である。遠くから稚児たちが周囲を囲んでいるのが見えた。日常の中では感じることはないが、自身が神秘的な存在であることを再認識させる。
何か夢を見ていたような感覚があったが、それは急速に消えていった。しかし、明らかに異なる世界だったとしても、うまく戦えていたという事実には安堵した。
改装で連れてこられる際には、首を真綿で絞められるような不快な夢を見ることが多いのだが、今回は心地の良い夢を見ることができた。
周囲を囲んでいた稚児たちはどこかへと消えていく。彼らと会話したことはなかった。そのうちの一人と目が合ったので、私は微笑んでみた。彼は嬉しそうにうつむきながら、どこかへと消えていった。
私は陽炎たちと共に、夢の続きを見るためにたちあがった
初の艦隊これくしょんの創作を作成しました。
主人公は次の話から登場します。
小説自体がまだ慣れていませんので生暖かく見てもらえると幸いです。