※この作品はR-18です。

下級生の性教育係なTS娘ちゃんが受精するまでの1日   作:ゆきかお

7 / 10
書いてたら長くなったので前後編に分割しての初投稿です。
後編は明日の0時に投稿します。


4時間目(フェラ)前編

 

「────バスケ、辞めようと思ってさ」

 

 郷愁を覚えさせる、冬場の夕焼けの澄んだ赤光が流れゆく、公園からの帰り道。

 昔から深く、深く知っていた筈の、しかし今は知らない姿の少女が、知らない声でそう言った。

 

「…………なんで」

 

 歩みが止まった。不意に吹いた北風が頬に染みる。

 歩調を合わせていた彼女が先を行って、すぐに立ち止まって振り向く。

 少女は、思い詰めて、悩み込んでいるのが分かる、真剣な表情をしていた。

 

「……前みたいに、体動かそうとしたら、色々変で。上手く、できないんだ。

 まだ1か月だから、慣れてないだけ、なのかもしんないけど」

 

 此方を伺うようにして、彼女は打ち明けていく。

 頭の中で複雑に絡まっているのが伝わってくる理由を、どうにか言葉にしながら。

 

「それに、ちょっと……バスケしてる余裕が、今ないっていうか。

 自分のことで、精いっぱいで、な……」

 

 語れば語るほどに、その語気は弱くなっていって。

 最後にはしぼんで、消えて、無くなった。

 

「……落ち着いたら、戻って、来るの」

「分かんない。……いや、多分、もう。

 女体化症の特別枠でいるのも、浮いてるみたいで、やだなって思ったから」

「…………」

 

 それっきり、会話は停滞した。

 言わなきゃいけない。

 選択したことへの励ましだとか、後押しだとかを、言わなくちゃいけないのに。

 それを声に乗せようとも、考えが全然に纏まらず、声にならない声を喉元に抱え込む。

 

「ごめん、な」

 

 何も言い出せないままに、謝らせてしまった。

 どうしようもなかったことに対して、罪悪感を覚える必要なんてないのに。

 しっかりとした理由があって、それに従って決めたのだから。

 納得、しなきゃいけない。なのに。

 なのにどうして、こんなにも、未練がましい?

 

「────コウキ」

 

 前よりほんの少しだけ、高くなったように見える背を、軽く曲げて。

 少女は目線を、視線を、自分に合わせる。合わせてくれる。

 彼女の瞳の中にいる自分は、口を固く結んでいて。

 泣き出すのをこらえているかのような、難しい顔をしていた。

 

「……バスケ辞めるからってさ。

 オレとお前が、友達じゃなくなるわけ、ない」

 

 そのこっちを宥めかす口調は、事務的でも、義務的でもない。

 自分を想ってくれていると感じられる、温かい物。

 いつだって、自分に向けてくれていたもの。

 

「色々、変わっちゃったけど。それだけは絶対に、変わんないから」

 

 斜陽に照らされて、寂しげな笑顔がさやかになった、繊細で、儚げな少女。

 どこまでも、どこまでも、目の前の少女は、あの人と似ている外見の部分が存在しないのに。

 ちょっとぶっきらぼうな男口調、年上然とした仕草。

 そうやってたまに、どこか遠くを見つめるように、哀愁を帯びて笑うところも。

 あの人のことをずっと見てきたから、分かる。同じだ。一緒なんだ。

 

 だけど、整理が、追い付かない。

 頭がずっと、混乱している。

 変わってしまったことを、戻れないことを、認められない。

 

「だから、……だからさ。

 これからも、一緒に…………」

 

 自分に歩み寄って、いつもの様に差し伸べてくれる、手。

 その手が頭に触れようとした時、途端に膨れ上がった、判別できない激情。

 堪えようとして、飲み込もうとして。

 けれどそれは途端に、破裂した。

 

「────触ん、ないでっ!」

 

 自分の喉から響かせた怒声。

 気づけば、彼女が差し伸べてくれた手を、跳ねのけていて。

 1歩後ろに引いて、距離を取っていた。

 

「あ……」

 

 拒絶されて、宙をさまよったその手は、だらりと力なく下を向いて。

 彼女は言葉を失ったまま、俯いてしまう。

 

 そうやって生まれた、世界が自分達を取り残してしまったかのような、凍り付いた沈黙を。

 自分の内のどろりと濁って、渦巻いている激情が溢れて、溶かし出そうとする。

 

「……置いて、行くんだ。おれのこと」

「え……?」

 

 仕方がないことなのに。

 対処や、解決なんか、出来るはずもないのに。

 置いて行くなんて、そんなこと、するわけがないのに。

 ぐちゃぐちゃとした感傷に駆られたままの、冷静ではない思考野と言語野が。

 心にもないことを、叫ぶ。

 

「かってに、…………勝手にっ!」

 

 唐突に訪れた理不尽への、行き場のない感情。

 それを、あろうことか、理不尽に晒された当人にぶつける。 

 なんて幼稚で、直情的で、醜いんだろう。

 

「…………あんた、なんかっ」

 

 言っちゃ駄目だ。

 それを口にしてしまえば、おかしくなってしまう。直せなくなる。引き戻せなくなる。

 けれど、もう、言葉にすればするほど、焚き付けられたように、際限なく燃え上がっていて。

 何もかもを灰塵に帰すまで、止まらなかった。

 

「────あんたなんか、先輩じゃないっ!」

 

 そう叫んで。

 最低な、身勝手に耐え切れなくなって。

 呆然とする彼女の横を強引に抜けて、駆け出した。

 

 意味のない遁走、現実逃避。帰路とは真逆の方向。

 何に起因したのかも分からない涙で目を満たして、嗚咽して。

 自分勝手に、大事なあの人を置き去りにした。

 

「くそっ、なんでっ!なんで…………っ!」

 

 冷気が頬を切り裂いて、乾燥した空気が喉の粘膜を張り付かせる。

 唱える自己嫌悪。責めて、悔いて、戒めて。

 声が枯れるまで罵ったって、それでもまだ足りない。

 吐きそうになったって、慰めなんて与えられようがない。

 

「う、ぐっ……はっ……う……!」

 

 脳裏で思い起こされ続けるのは、彼女のこと。

 言葉を失って、目を見開いて。

 笑みを浮かべるはずだった表情を曇らせ、立ち尽くしていた、あの人の姿。

 それは、ずっとこれからも、忘れない。忘れちゃいけない。

 絶対に。

 

 

 *

 

 

「こっちに入れて……よし……」

 

 事後の余韻から抜け出してから、時限がもうすぐなことに焦って。

 どうにかノアを送り出した後、彼の精液を受け止めた使用済みコンドームを、ミトはティッシュにくるんでダンボール箱に放り込む。

 

「はぁ……休憩……」

 

 ミトは水筒を手に取ると、何気なく揺らす。がらがらと内びんから響く鳴動。

 母親がたっぷりと詰めてくれた氷の健在を感じ取って、安心するミト。

 そうして、ふたを開けた水筒を両手で掴んで口に傾けると、ごくごくと彼女は麦茶を嚥下した。

 麦を炒った独特の香ばしい風味を味蕾に残して、喉を通り、胃に落ちるのを感じる。

 歯に染みそうなぐらいに冷え切ったそれは、火照った体には、得も言えぬ甘露だった。

 

 一息ついて、水筒を元の場所に戻したミトは、マットレスに倒れ込む。

 疲労、興奮。そして、腰痛が故に。

 

「あー……いたい……」

 

 基本的に、ミトは痛みに弱い。男の頃からずっとそうである。

 2時間目から腰に生じていた痛みが強くなっているのが気になって。 

 少し動くのが億劫になっていた。

 さっきまで忘れられていたものが、こうした空白の時間になるとぶり返しだす。

 痛みの正体が不可思議が故に、未知が故に、ただただ怯んでいた。

 

(ほんとに、なんなのこれ……)

 

 怠惰に寝転がったままの体勢で。

 体操服が持ち上がったままで、ずっと露出していた己の胸部に目を向ける。

 洗いに行くのは、面倒だ。水道ではどうやっても胸は洗いづらく、時間がかかる。

 そもそも、向かう元気がない。

 となれば、当座の解決方法は1つしかなく、地道なティッシュでの清掃と相成った。

 

「……うへぇ」

 

 ミトの口から漏れる、面倒臭さを隠しきれない声。

 分かり切っていたとはいえ、ローションの粘調はべとべとと、いつまでも残って。

 拭っても拭っても、その粘り気が取れない。

 使用するティッシュが間抜けにもこびりつかないようにするのも、無駄に手間がかかり。

 胸の違和感を無くすまで、無駄にティッシュを使った。

 

「はー…………」

 

 大量に消費し一塊に纏めたそれをゴミ箱に投げ捨てて、ようやく事後の始末を終えれば。

 いつもの年長者としての、僅かばかりの体裁を保とうするのも、億劫になってきて。

 楽になろうと、ミトは体を転がしてマットレスにうつ伏せになり、顔を埋めた。

 マットレスに押し付ける形となった鼻腔に、今までの男の子達の、体臭。

 そして、情事の残り香が、舞い込む。

 

(…………熱い)

 

 どうしても、体の火照りが冷めない。

 ずっと収まらない動悸が、彼女の胸を浅く上下させて。

 いやに熱っぽい呼気を、口の端から零れさせる。

 

 いつかは落ち着くと、楽観視していたそれは。

 身体の芯からの、茹るような発熱によって、今や常態化していた。

 

 結局の所、体を冷やしてくれると期待した麦茶は、何の慰めにもならず。

 だらしなくシャツの裾をズボンからまろび出させ、大きくめくることで。

 空調から放たれる冷気を取り込んでも、焼け石に水。

 涼しくあるこの部屋の中でも、しっとりと彼女の肌は、汗ばんでいた。

 

(どうして、こんなに、なんだろ……)

 

 ミトは、今の自身の状態について、何となく、察していた。

 ただ、形にすれば、言葉にすれば。

 その事実と否が応でも向き合うことになる故に。

 ミトは、思考の余白に逃げて、曖昧で、憶測のままにする。

 それがあまりにか弱い抵抗なのが、明白だったとしても。

 

(…………長い、なぁ)

 

 普段ならば、解放の時間である、10分の休み時間。

 しかし、何かをするほどの元気が有り余っているわけではなく。

 次の時間に向けて悠然と構える余裕もない現状では、そのたった数分が、ひどく堪える。

 どうしようもない孤独が、いたたまれない。

 

 ミトは縋るような心持ちで時計を見上げた。

 短針と長針は11時32分を指している。

 あと数分で、授業開始の鐘の音が鳴ろうとする経過の途中だ。

 彼が来る気配は、一向にない。

 

「……来ない」

 

 誰かと触れ合いたい。嬉々として話したい。関わりたい。

 痛みも、自分のことも、一瞬でいいから、忘れたい。

 そんな靄がかった、ぼやけた思考の海にミトは漂う。

 それは、まどろみとは程遠い、無軌道的な放心だった。

 

(まだ、かな。…………大丈夫、かな……)

 

 鈍化した主観時間の中で、ただ彼のことを思い続け数分。

 いよいよ時限の鐘が、鳴ろうとする、その時。

 不意に、扉の前で足を踏みしめる音がした。

 

「はあ、はあ……くっ」

 

 荒れた呼吸音が、扉越しにでもはっきりと伝わってくる。

 聞き馴染みのある声と一緒に発せられるそれは、誰何するまでもない彼の存在証明。

 がちゃがちゃと、焦燥が募っている鍵の開錠音がして。

 ミトの意識が、思考の海の水面から、顔を出していく。

 

「────っは、ふぅ……失礼、します……っ!」

「……良かっ、た。どうぞ」

 

 ガン、と勢いよく扉が開かれて。

 室内に踏み込む、制服ではなく、体操服を身に着けた少年が1人。

 

 クリームがかった髪色の、さっぱりとしたショートヘア。

 日に焼けつつある、小麦色の肌。

 少し吊り目の、三白眼。

 

 それらを纏めて、健康優良児のスポーツ少年といった男の子。

 4年生のコウキが、汗だくの状態で、肩で息をしながら。

 チャイムの鐘が鳴ると同時に、入室した。

 

「はぁ、はぁぁ……まにあった、って……。

 先輩っ!どう、したの?」

「へ?何が……」

 

 疲弊のあまり、後ろ手に閉じた扉に背を預けて、床に崩れ落ちようとするコウキ。

 しかし突っ伏しているミトを認めた途端、強引に膝に力を入れ、立ち上がって駆け寄る。

 ミトはその様子に困惑するが、コウキも戸惑いを見せていた。

 

「いや、だって……顔真っ赤だし、何か、辛そうだし。

 いつも座ってんのに、寝てるし。……熱でも、あるの?」

「あー……」

 

 今の自分の状態が彼にどう写るかを失念していたことを、今更ながらに実感するミト。

 ノアの時と同じ過ちを犯したことへの、呆れと反省が蘇る。

 一瞬の逡巡の後に、彼女は、深刻にならない調子で答える。

 ただ、前回有耶無耶にした体調については、誤魔化しきれない状況にある為に、正直に語ることにした。

 

「……えっと、熱はないよ。

 ただ、……腰が、ちょっとだけ、ズキズキって痛くて」

「えっ……何、したの。いや、されたの?」

 

 ランタはわんぱくだが、無茶をしない分別はある。

 サキこそ、1番に彼女のことを考えるだろう。

 ノアも、絶対にそうすることはない。

 じゃあ、一体、と。

 コウキの頭の中で開始していた原因探しは、続く彼女の返事であっさりと打ち切られる。

 

「いやいや。してないし、されてないんだよ。急に、こうなって。

 よいしょっ……」

「待って待ってっ!座んなくていいよ!」

「え?あ、ちょっ……」

 

 上体を起こそうとしたミトを、コウキは制止させて、寝るように促す。

 半分ほど起こしていた中途半端な体勢から、体をまたマットレスに沈めさせられたミト。

 だが、自分の都合で無為に時間を消費する必要などなく。

 そもそも性教育の時間はもう始まっている為、後輩の心配を解くことに彼女は努める。

 

「大丈夫だって。そんな、大したことないから」

「……大したことなかったら、横になってないんじゃないの」

「ん、いや、……それは」

「……腰痛いの、どこら辺?」

「え?……んーと、ここの辺り……」

 

 ミトが後ろ手に回した人差し指で指し示したのは、右側の腸骨付近の腰部。

 把握したコウキは、彼女の傍に足を折りたたんで座り込むと。

 徐に、右の手の平を、優しく包むかのような力加減で彼女の腰に当てた。

 

「っ……あ……」

 

 突然触れられたことで、びくりと、ミトの体が一瞬硬直するが。

 程無くコウキの意図を理解して、体の緊張を解くミト。

 彼女が察した意図の通り、コウキはそこを緩慢なペースで、円を描くようにさすっていく。

 

「……こうしたら、楽になる?」

「……んん、はぁ……」

 

 細い針で突き刺されるような、脳に負担をかける痛みが、ほんのりと和らいでいく。

 痛みのせいで無意識の内に入っていた力が抜けていき。

 ミトはたまらず、安堵の息を吐いた。

 

「……ちょっと、楽になってきた。ありがとう、コウキ」

「別に、こんぐらい」

 

 丁寧な按摩も、確かに効果がある。

 けれど、労わられていることが、1番効いているのかもしれないと。

 ミトは擦られながら、一人ごちる。

 

(…………あったかい、な)

 

 もう充分だと遮るのは、難しくもないことだけれど。

 コウキの手から体操服越しに伝わってくる、男児特有のほかほかとした体温に安らぎを覚えて。

 ミトはずるずると、彼に甘えてしまっていた。

 

(……ん、あれ)

 

 未だコウキの額に残る汗の粒と、体操服をミトは後ろに向けた目で一瞥して。

 今更ながらに、彼女はそれが気になった。

 

「なあ、コウキ。制服に着替えてこなかったの?」

「時間なかった。体育外だったし、終わるの無駄に遅かったしで。

 着替えてる暇なかったから、こっちで、着替えさせてもらおうと思ってたんだけど……」

 

 口ごもったコウキ。

 ミトが不思議そうに彼に頭を向けると、その傍には荷物はなく、手ぶらだった。

 

「忘れちゃった、感じ?」

「そんな、感じ。超急いでて……」

「あー、ドンマイ。昼休みに、ここ使ってよ」

「うん、そうする…………うぁ」

 

 思い立ったように、擦る手とは別の空いた手で、自分の体操服の胸元を鼻まで引っ張って、すんすんと嗅いでみるコウキ。

 漂うのは、内のシャツ1枚をもってしても、汗が染みついた予想通りの臭い。

 コウキは落胆するように肩を落とした。

 

「……先輩、おれ、汗臭くない?」

「そう?別に、気になんないよ。

 それに、昔からコウキの汗の臭いには慣れてるし」

「…………そういう問題じゃ、ないんだけど」

 

 ミトとコウキには、担当している男子たちの中で、サキに次ぐ長い付き合いがある。

 それは、男子ミニバスケットボールクラブの、チームメイトになったことから始まっている物だ。

 

 コウキがこの学校に入学して、数か月経った頃。

 彼はバスケをしたいという、欲求を抱えていた。

 詳しく言えば、親しい友人と何か熱中できるスポーツをしたいという、深い友人関係と、青春活動に憧れる、少年としてありふれた欲求だ。

 それに従い、コウキはこの地域のミニバスケットボールクラブに入部しようとしていた。

 

 ただ、コウキ自身が人見知りなのと、施設暮らしではないことも災いして。

 クラブチームに所属している知人はおろか、そもそもの友人自体が少なく。

 対人関係の構築が上手くないことで、全くの未知の世界に飛び込むことに、二の足を踏みだし始め、怖くなっていった。

 

 そういった、参加するハードルの高さを覚えてしまえば、進む勇気は徐々に出せなくなり。

 自分がクラブの皆々と和気藹々とプレーに励む様子を妄想し。

 羨望に耽る日々をコウキは送っていた。

 

 そんなコウキを誘ったのが、彼と一切の面識のなかった、当時2年生。

 ミニバスクラブに所属していた、ミトだった。

 

 ある日、コウキが1人でバスケで遊ぼうと、近くのバスケットコートのある公園に向かった時、偶然にもミトが、そのコートで自主練習をしている所に出くわした。

 邪魔をするわけにはいかない、と退散しようとしたコウキを引き留めたミトは、一緒に練習しよう、と彼に投げかけた。

 1度声をかけられてしまった以上、逃げるわけにもいかず。

 おずおずと、コウキはミトの誘いに乗ることにした。

 

 そうして始まった1on1での練習。

 殆ど手探りでしかやっていないことによる、コウキのズブの素人っぷりにミトは驚いたが。

 すぐに、彼へのレッスンじみた練習に切り替えることで、順応した。

 その後、設けた休憩の中で、コウキの身の上話を聞いたミトが、彼を自身が所属しているクラブに誘った。

 

 多少なりとも共にプレーすることで、連帯感と友誼が育まれた、クラブに所属してる人間からの勧誘という、またとないチャンスが訪れて。

 それでもなお、人とのかかわりに躊躇していたコウキに。

 自分が絶対傍にいる、とミトは宣言した。

 その無鉄砲であるけれど、力強い説得に退路を断たれ。

 コウキはミニバスのクラブチームに入部することを決めた。

 

 入部当初は、赤の他人ばかりの環境に、怯みに怯んでいたが。

 自分が絶対傍にいるという、その言葉通りにミトが確かに面倒を見てくれて。

 ゆっくりとだが、ミニバスという形で確実に友好の輪を広げていったことで。

 友人も増え、共にバスケをプレーすることの楽しさは増し。

 コウキの生活は充実したものになっていた。

 

 そうして、新しい居場所を作ってくれたミトに、感謝と尊敬の念を覚えたコウキは、ミトを強く慕うようになった。

 そういった経緯をもって、コウキはミトを「先輩」と呼ぶようになる。

 それは、まだコウキの年齢では意識されないような、年上の学生たちが持つ先輩・後輩関係に。

 彼が憧れを持っていたが故の敬称だ。

 

 ミトはそういう上下関係に興味はなく、当初はむず痒いことこの上なかったが。

 呼ばれる内に気に入って、そう呼ばれることに、すっかりと慣れ親しんで、今に至る。

 

「────コウキ」

「なに?」

 

 中天に輝きつつある、燦燦とした陽の元での、忙しない空気とは隔絶された。

 空調の風で緩やかに揺れた遮光カーテン同士の間から、一筋の陽光が零れる、静穏な空間。

 温和になりつつある雰囲気の中で聞こえるのは、優しい衣擦れの音と、ミトの呼吸音だけ。

 そんな中で不意にミトが、自身の声を響かせた。

 

「ごめん、ね」

 

 コウキの擦っていた手が、ぴたりと止まる。

 けれどすぐに、何でもないように按摩を再開した。

 

「……何で、謝んの。謝る必要、ないから」

 

 絞り出したような声で、コウキはミトの真意を伺う。

 気遅れた声で、細々と彼女は続けた。

 

「……だって、こんなこと、させちゃってるしさ。時間、だって」

「いいってばっ。……それに、いざとなったら、1人で、その。

 ……出せば、いいだけだし」

「1人で?……ふふっ、あっ」

 

 零れ出た、ミトの素の小さな笑声に、笑わないでよ、といじけた調子で呟くコウキ。

 彼のその不貞腐れた声色とは裏腹に、彼女を労わるその手は、動かし続けたまま。

 ごめんごめん、とミトは即座に謝った。

 

「……というか、先輩。保健室、行かなくていいの?薬、は貰えるか分かんないけど。

 湿布とか、もらえるかも」

「いいよ。さっきも言ったけど、ほんとに大したことない奴だから。

 それに、湿布の臭いさせながらするのは、イヤじゃない?」

「……それは、まあ。いや、でも」

 

 生々しいデメリットを提示しても尚、食い下がるコウキに。

 ミトは困ったように笑う。

 

「コウキ、心配しすぎ。嬉しいけどさ。

 ……今日は、皆の大事な日なんだから、オレのこと、気にしなくていいんだよ」

「…………それ、さ。他の皆にも、言ったでしょ」

「んっ……」

 

 誤魔化そうとして、虚を突かれる形になったミト。

 思わず言葉を失って、それ以上に言い出すことが出来ない。

 彼女の反応を受けて、コウキの表情に、暗い影が差す。

 見た目同様に溌溂としてた声風が、低くなる。

 

「……ねえ、先輩。

 おれが、……おれが言える立場じゃないけど、言わせて」

 

 真に迫った語勢で、コウキはミトに縋った。

 彼女は顔を伏せたまま、彼は面を沈めたまま。

 

「……もっと、頼ってよ。……心配、させてよ。

 辛かったら、辛いって言って。誤魔化そうと、しないで」

 

 身を切るような悔恨に満ち溢れた、一言一言。

 それは、ミトにも痛いほどに、伝わってきて。

 遮ろうとすることも、止めようとすることもできない。 

 

「頼る相手、……おれじゃなくても、サキがいるし。

 それにノアだって、頼られたら絶対嬉しいだろうし。

 ランタも、何だかんだ喜ぶと思う」

 

 一息に言い切ってから、コウキは深く、息を次いで。

 彼女に、1番に言いたいこと。

 伝わってほしいことを、彼は吐露した。

 

「……だから、そうやって、自分のことはいいよって言ってさ。

 …………距離を取ろうと、しないで……」

「…………」

 

 彼がここまでに、自分を慮ってくれる訳を、ミトは知っている。

 それは、ミトが自分を、男にも戻れず女にもなり切れない、中途半端で。

 ひどく進歩がない存在だと強く意識するようになった、ある日の諍いの顛末に起因するものだ。

 

 その諍いというのは、ミトが女体化を理由に。

 長く所属していたバスケクラブを辞めることを、コウキに伝えた時に生じたものである。

 

 諍いの原因となったのは、コウキと最初に出会った公園で、これが最後になるだろうとミトが内心考えていたのを隠して、いつもの2人での自主練習を行った後。

 引き延ばしても、互いに苦しむだけだからと。

 ミトは彼に、単刀直入にバスケクラブを辞める旨を告げてしまったこと。

 そうミトは、認識している。

 

 普段通りに行われた練習の後で、女になったミトとの関係に多少の不安はあれど。

 これからもこの時間が続くんだと思っていたであろう、コウキの心情。

 それをもっと、考慮してあげるべきだったと考えても、後の祭りで。

 

 だからこそ、あんなにもコウキは激発して。

 あんたなんか先輩じゃない、と思いの丈を叫び。

 ミトの目の前から、逃げるように走り去ったのだった。

 

 そうして、暗澹たる結末を迎えた、次の日の放課後。

 コウキはミトの元に憔悴した様子でやって来て、頭を下げた。

 彼がぽつりぽつり、とその場の感情に振り回されたことへの改悛の情と。

 ミトを傷つけてしまったことの後悔を打ち明けていく内に。

 コウキは、脇目も降らずに泣き出した。

 

 ミトは半ば絶縁を覚悟していた故に、彼とまた会えて、話せることにひどく安堵していて。

 自分こそ悪かったと、直に謝罪するつもりだった。

 しかし、尋常ならぬコウキの様子に慌てふためいて。

 自分も謝りつつ彼を宥めるのに、時間がかかったが。

 それを持ってこの件は、互いの謝意を持って、円満的な和解となり。

 元の通りの友人関係を取り戻した。

 

 けれど問題はその一件以降、コウキはミトに気を使いすぎている節があることだ。

 前よりも少なくなった互いの時間を共有する中で。

 大体の物事で自分よりもミトを優先して、気にかけてくれることが殆どになった。

 

 心配性か、親切心と言えば、それで済む。昔から確かに、その気は少しあった。

 だが、あの諍いで生まれた自分への罪悪感で。

 彼を縛って、そうさせてしまっているのではないか。

 そんな確信に近い懸念が、ミトの中にはあって。

 

 そして、見知っている方が手を抜きやすく、やりやすいだろうと。

 コウキがわざわざ、自らミトの性教育係の担当に志願した時に、完全に懸念は確信に傾いた。

 

(しょうがなかった、ことなんだから。

 そんなに、優しくしなくても、いいのにさ……)

 

 そう脳裏で呟きながらも。

 都度気にかけてくれることへの、嬉しさがある以上。

 卑しくそれを、享受してしまっているミトには。

 拒絶するかのように、強く言い出すことなんて、できていなかった。

 

(でも、これからも、一緒に、なんて。

 ……もう、言えない)

 

 いつかは、彼を突き放すなんてことを、言い出せるのか。

 それともその前に、彼が自分の元から離れていくのか。

 どちらにせよそれは、初体験という性教育の一つの到達点であり区切りであり。

 皆が大きな成長を迎える今日が、切っ掛けになる。

 

 ミトは、そう信じようとしていた。

 そう信じて、いたかった。

 




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