「海風の妹はいま行方不明なんです。妹を、山風を探しに海風はここに訪れました。もしかしたらもうこの世にはいないかもしれません。でも残された人は諦めたくないんです。悔むんです。もっとあの時できることがあったのではないかって」
海風が話し出した時、最初はありきたりな咎めだと青年は感じた。しかし続く言葉には思わず驚いてしまう。
彼女がそちら側だったなんて思っていなかったから。配慮が足りなかった、と言えば簡単だろうが、その積み重ねで彼は居場所を失った。
また同じ過ちを繰り返してしまった。上を向き、表情を隠す。
「いいな、アンタの妹さん。俺にはいないよ。俺が死んで悲しむ奴なんて」
また自暴自棄な言葉を吐いてしまう。事実だろうし、彼女に好かれる気なんてサラサラないから思ったことを片っ端に口にする。
それでも彼女の顔色を窺ってしまう。きっと「そんなことないです」なんて言って否定してくるんだろうな。
「そうかもしれませんね」
そう思っていたのに海風は青年の言葉を肯定した。
否定されたら勿論ムカつくのだが、肯定されるとそれはそれで傷付く。
だが言葉は続いていた。
「でも海風は死んでほしくないと思います」
本当に彼女のことがわからない。何を思ってこんなことを言ってくるのだろうか。
馬鹿なことを言う女だ。そう切り捨てればいいものの、彼女のことをより知りたくなってきている自分がいる。
だがふと我に返り、失笑を吐き捨てる。全てを恋情に結び付けていた自分の思考に。
「自然と人助けする奴だ。目の前で死ぬと言えば止めるのが筋か。そりゃそうだよな」
艦船としての使命でもあるかもしれないが、よくよく考えると止める理由なんてそんなもんだろう。
何を浮かれているんだろう。運命だとでも思っているのだろうか。
偶然助かっただけで命を投げ捨てた奴が、未だ現実に夢を見ている。本当に笑えない。
「それもありますけど、ここまで運んでくる間、貴方すっごく重かったんです」
「はぁ?」
そう、せっかく頑張ったのにやすやすと死なれては本当に笑えない。
突然飛び出してきた理由に青年は豆鉄砲を食らった表情になる。
もちろん冗談を含んでいる。こうして場を和ませでもしないと彼の気持ちは一歩も動かない。
悲しい気持ちは違う気持ちで上書きする。それを教えてくれたのは彼だ。
「それより前もカモメに襲われてて必死に助けたんですよ。海風、カモメと仲良しでいたかったのに。嫌われたら貴方のせいですからね」
「なんだよそれ。わけわかんねぇ」
「そういった犠牲や努力の上に貴方はここにいるんです。それを無下にしないでください。畏れ多いですが」
「……結構いい根性してるなアンタ」
しかし明後日の方向を見ながら粛々と語る海風は先ほど天使と見違えた彼女とはまるで別人で、とてもじゃないが冗談を言っている雰囲気は無い。
確かに、彼女からしてみれば大変な状況だったろうし、そこまでして助けた命をやすやすと捨てられては本当にやってられないのだろう。
知ったことか、と非道になれればいいのに、青年は真に受けてしまう。
真に受けた理由は色々ある。それは彼が愚直に誠実ゆえだったり、変えた態度に畏怖していたり。
けれど、やっぱり一番は楽しかったからだろう。彼女と談笑することが、ここ最近の中で一番楽しい時間だと言っても過言ではないほど。
彼女がそんな苦労したのは自分のせいなのに。笑みを消すことが出来ない。
あぁ、楽しい。
最後の時間にするには丁度いい。
そう思えるほどに。
「それに――――」
話をしていて彼の視線が死から会話に徐々に向かっていることに気付く。
嬉しかった。思いが通じたわけでは無いが、徐々に冗談を言える程度に明るくなっていく彼を見て胸が温かくなっていた。
少し舞い上がった海風は、恥ずかしながらも視線を下ろすと何かを告白しようとする。
だが彼女の言葉を掻き消すように外が騒がしく鳴る。二人して後ろの窓を見ると外は雨が土砂降りになっていた。
「雨、降って来ましたね」
少し間が空き、海風は青年に話しかける。
どう聞いても先ほど言いかけた話の続きではない。なにか意を決することだったのだろう。恥ずかしそうに両手を絡ませて、もじもじと二本の人差し指で円を描いている彼女を見て察する。
無理に詮索するのは悪手だと見た青年は正面に向き直る。
後ろからカタカタと音が響く。雨だけではない。風も少なからず吹いているようだ。
だったら。
「きっと海も荒れるな。更に風も出てくれたらなおのこと死に易くなるかな」
ここから海を見ることは出来ないが、荒れていることは想像に容易い。
海中で息が出来ず窒息するか。荒波の中で岩に頭をぶつけるか。それとも肉食魚の餌になるかはわからないが、今ならどれかに巡り合える気がした。
「まだ言いますか……。何かやり残したこととかないんですか? その……未練とか、そういうのを全てやり遂げてから死んだらいいじゃないですか」
未だ死ぬことを諦めない青年に海風は苦言を呈す。その視線は強く鋭い。それでも彼の瞳に光は灯らない。
だから咄嗟に問いかけてしまった。生きるための糧をどうにか用意したくて。
逆にその程度しか彼をこの世に縛る方法が無いと思ってしまっていたが。
「未練?」
青年は思わず言葉を繰り返す。
決して無趣味では無いが、そんなに趣味があるわけでもなく、パッと思いつかない。
強いて言うなら……。そう思うと自然と海風の顔を見てしまうが、すぐに鼻で笑いその考えを一蹴する。
それから少しして、あることを思いつき、彼女に回答を出す。
「別に。あるとすれば童貞卒業ぐらいか?」
もちろん冗談半分の答えだ。彼女をからかえたら上出来。そういう考えの答えだった。
……だったのだが。
「……ドーテー?」
彼の未練に海風は首を傾げる。もしかしなくても意味が通じていない。
青年の動きが固まり、全身の汗腺という汗腺が開く。
「……え、言わすの?」
「差し支えなければ。海風の勉強不足で申し訳ないです」
深々と頭を下げられるもどう説明すればいいのか。
いや直接的に説明する以外方法は無い。それ以外の方法を彼は持ち合わせていない。
いや、持ってはいるが……親指と人差し指で作った円にもう片方の手の人差し指でツッコむという最低なジェスチャーだけだった。
「セックス……性行為をしたことない状態から脱したいってことだよ。……あぁ、クソ。恥ずかしいな……」
彼の言葉に海風の思考は停止した。
「えっと……性行為とはエッチのことですよね?」
純粋無垢な問いに青年は恥ずかしすぎて言葉を返えさない。
それでも海風はその反応と気まずそうにしている表情で察した。ただ察したから余計にドツボにはまっていた。
どうしてこの脈略で性行為が出てくるのだろうか? 結婚したいということ? 自殺したい人が告白?
まずそこからで、頭をぐーるぐーると回した結果、結局は純粋な性行為を行いたいのではなく不純行為を行いたいのだと気付いた彼女は顔を真っ赤にする。
「……ごめんなさい」
「謝るなよ。冗談半分で言ったのに、後悔することになっちまう」
そう言うもすでに後悔しており、青年はバツが悪そうに後頭部を掻く。
「海風は、しませんよ……?」
当然の答えなのに青年は安堵する。
言われなくても、抱けるはずがないじゃないか。こんな天使を俺が汚していいわけがない。
しかし彼女を一瞥するとまんざらでもなさそうな表情を浮かべていた。
胸が高鳴る。もしかすると、億が一の可能性で襲い掛かっても許されそうな。そんな世迷言を思ってしまうほど彼女に惹かれている自分に苛立つ。
本当に自分勝手な奴だと。自分で自分を軽蔑してしまう。
こんな奴、死ぬしかない。馬鹿は死ぬまで治らない。
あまりに無防備な彼女の態度を見続けるとその衝動が大きくなってくる。力に自信は無いが、彼女程度には負けないと自負できる程度にはある。
だから頼む。さっさとここから出て行ってくれ。
「当たり前だ。でも俺も男だ。気が変わって襲っちまう前に帰れ」
だから突き放すようにぶっきらぼうに言い放つ。
外は大雨。雨具を持ってきていない海風はどうやっても帰ることは出来ない。それは彼もわかっているだろう。
それでもそう言うということは何かを隠そうとしているということ。
彼女は気付いていた。青年の言葉の節々には優しさが滲んでいることに。
だからどうしても見捨てることが出来なかった。
「帰ったら自殺するんですよね」
ポツリと問いかける。
「あぁ」
間も置かず、青年は喉を鳴らす。
当然のように答える男に未だ誠意が伝わっていないことを悲しく思う一方、ずっと脳裏を離れなかった疑問を彼に投げる。
「なんで今しないんですか?」
「なんで今しないといけない」
「聞いてるのはこっちです。包丁なら奥の部屋にありましたよ。お持ちしましょうか? 亡骸は海風が責任をもって後ほど海に弔わせて頂きますので」
はぐらかそうとする彼に言葉と共に瑠璃色の双眼が詰め寄る。
今までからは考えられない威圧的な態度に青年は驚くも、すぐに視線を外し適当にあしらう。
「見世物じゃないからな。看取られたいとも思っていないし……」
「嘘つきさん」
だがたちまち海風はそれを否定する。
疑問には思ったものの、海風にはひとつ確信があった。
「目の前で自殺したら海風がショックを受けると思って、ですよね?」
「なんでそう思う」
「だって貴方、優しい目をしてるから」
それだけではない。彼の根っこから優しい性格をしている。そうでなければ冗談を言い合ったりしない。
他にもその鱗片は色んな所で垣間見れる。
例えば童貞を捨てたいという願い。仮に本当だとしたら襲い掛かればいい。そうしないのは出来ないのではなくしないだけ。
例えば看取られたくないという思い。そう思うならトイレやなんだと言い訳してさっさとここから去ればいい。そうしないのは彼女を悲しませたくないから。
肯定的に捉えてるからと言われれば否定は出来ない。しかしそれでも優しいその心に海風は惹かれた。
「なんだよ……それ……」
現に図星を突かれても怒らず困惑するだけ。
「違うッ、俺は最低なんだ! 思ったことは何でも口にしてしまう。嫌なことも、気にしてることも。気が抜けたら口から零れ落ちてしまうんだ」
「己の短所を知っているということはとても素敵なことですよ? それに人は捌け口が無いとパンクしてしまいます。ただの摂理。己を責めることはないです」
「なんで、なんで俺なんかをそんなに生かそうとするんだよ!! 死なせろよ、惨めな俺を! いいだろッ、終わりにさせてくれよ! 自分の手で、自分のケジメをつけるんだから!!」
「ダメです」
彼女は即答する。
怒声を包む優しい微笑みはどこか哀愁も感じるもので、泣きそうな彼も「なんで」と追及できない。
「それに、畏れ多くも運命を感じたんです。山風を探しにやってきたこの海岸で貴方と出会った。その数奇な巡り合わせに。だから――――」
なんだかんだ言いながら、結局は傷の舐め合いなんだと気付いたから。
「海風は貴方を見捨てることはしません」
白い柔らかな指が男の頬を触れる。
海に沈んでからまともに温まっていない彼の肌と比べ、その手は太陽のように暖かく、じんわりとぬくもりを分けてくれる。
そして見つめ続ける雨空のような色の眼。その眼がずっと何かを訴えている。
何かだなんて白々しいにもほどがある。だが彼は見たくなかった。目を逸らしたかった。
見てしまったら自分で自分の行動を否定してしまう。
視線が辛そうに泳ぐ彼を見て、海風は眉を下げる。それほどまでに決意は固いのか。
しかしそれは当たり前だった。
「死にたい」と言う人は多いが、それを口にする人は大概死を選択することはない。だってその言葉は一種のSOS、救難信号。
反し彼は〝たまたま〟死ねなかっただけで、彼は信号を出さずに死を選んだ人間だ。ここで手を取ってしまえば彼は信号をあげたことになる。最後の決意すら女一人に転がされる、本当に惨めな男になってしまう。
傷付けたいわけではない。でも方法がない。
あるとすればいっそのこと彼を殺すことぐらいか。
「わかりました」
だから海風は彼を殺すことにした。