新・嗜虐西遊記─北遊記/ビ・ク城篇【終了】 作:ドン・ドナシアン
目の前の、ハク・コの手が伸びてきた──。
はっとした。
さっき同じようにハク・コの手が沙那の頭に触れたとき、沙那の四肢が消滅して胴体と頭だけの身体になったのだ。
孫空女は、とっさに身体を捻って横に転がった。
「あら、まだ元気ね」
だが、孫空女が体勢を整えようとしたときには、すでにハク・コはその場にいた。
凄まじい蹴りが孫空女の腹に炸裂する。
「ぐうっ」
重くて速い蹴りだ。
これほどの凄まじい蹴りは初めて味わうかもしれない。
またもや、壁に背中を叩きつけられる。
そこに横からの蹴りの斬撃が襲う──。
さっきとは反対側──。
今度も見えなかったが、身体が自然に動いて、膝を蹴り抜いていた。
「あんっ」
ハク・コが妙に艶めかしい声をあげて倒れる。
だが、その身体がいきなり丸くなり、気がつくと孫空女の顔が横から蹴り飛ばされていた。
「ふぶうっ」
身体が跳ぶ。
またもや頭を壁に叩きつけられる。
一瞬、意識が跳ぶ。
「今度こそ終わりね。ところで素敵な身体ね。あとでうんと可愛がってあげましょうね。基本的には受けだけど、わたしは、責めも得意よ」
慌てて、乱れていた上衣を元に戻す。裸身に上衣だけをまとっていたが、ハク・コとの戦いで、完全にめくれて下半身が剥き出しになっていたのだ。
だが、はっとした。
不意に、ハク・コの顔が目の前に現れたからだ。
すでに、手が頭に乗せられている。
「うわっ」
悲鳴をあげた。
すると、轟音が響いた。
「あがっ、がっ」
ハク・コが胸を押えて跪いている。
押えている手の下からは、血が噴き出している。
さらに、轟音が鳴った。
「ひいいっ」
悲鳴は木馬に乗せられたままのハク・エンだ。
また、轟音の正体は、朱姫が放った短銃だ。
火縄で銃身に込めた火薬に火をつけて、鉛の弾を発射するという武器であり、魔域にある金角城を出発して、東帝国に向かう帰りの旅をしている途中で、女人国という女しかいない国に立ち寄ったとき、以前の旅で縁のあった女王
あの国は、親衛隊の女兵に、もっと銃身の長い銃を持たせていたが、いま朱姫が撃ったのは、銃身が短い「短銃」と呼ばれるものだ。
旅の護身用として、その短銃を五丁ほど受け取っていた。
朱姫は、それを使えるようになった亜空間術で、火縄に火をつけたまま保管をしており、それを咄嗟に出して、ハク・コに向かって撃ったのだ。
「な、なにそれ……。そ、そんなの……あり……?」
ハク・コが跪いたまま、顔を横に向け、扉の前にいる朱姫を睨む。
そのハク・コの脚に力が加わるのがわかった。
意識を朱姫に向けている──。
「如意棒──」
孫空女は床に落としたままの如意棒に手を伸ばした。
如意棒は、孫空女に向かって長さを増して、一方の端が孫空女の手に届いた。
ただし、そのあいだには、ハク・コの身体が存在していて、如意棒は見事にハク・コの胸を貫いている。
「ぶほっ」
ハク・コの口から大量の血が吐き出された。
彼女の身体がぐらりと揺れる。
「これで、終わりよ──」
朱姫が駆け寄り、再び出現させた短銃をハク・コのこめかみに密着させた。
銃音が鳴り、ハク・コの反対側の頭の横から血と肉の破片が飛び出す。
孫空女は、ハク・コの身体を貫いていた如意棒を短くして抜き、手の中に戻した。
さらに小さくして、針ほどの大きさにして、血を拭いてから耳の中に戻す。
ハク・コの身体が床に崩れ落ちた。
頭と胸から血を流して横たわるハク・コは、すでに息をしていない。
ハク・コが死んでいるのは明白だ。
「ハク・コ──。きゃああああ──」
木馬の上のハク・エンが絶叫した。
一方で、ハク・コの身体から三個ほどの水晶玉が外に飛び出して転がる。さらに、巨大な霊気の塊のようなものがハク・コから離れて、次いで宙に溶けるようになくなった。
そのとき、暴風が発生して、孫空女だけでなく、この部屋にいた者が風圧に押されたような感じになった。
だが、すぐになにもなくなる。
もしかして、最後に飛び出したのは、ハク・コが身体に隠していた宝玄仙の命の一部が外に出たのだろうか。
一瞬だったので確信はないが、さっきの暴風のような霊気の塊は、宝玄仙の霊気だったと思う。
多分、間違いない。
「お、お手柄よ、朱姫……。大丈夫、孫女?」
声の方向に視線をやると沙那だ。
さっきは、四肢を消滅させられていたが、いつの間にか手足が戻っている。
乱れた服を整えながら、孫空女の前に立つ。
「なんとかね……。だけど、強かったよ。正直、危なかった。沙那こそ、大丈夫かい?」
「そいつが死んだとき、水晶玉のようなものが転がって、ほかの水晶玉と合わさったの。そしたら、手足が戻ったわ。そういう仕組みなんでしょうね」
沙那が疲労困憊の様子で嘆息する。
「あたしの手柄ですよ。ご褒美くださいね。絶対ですよ」
横を見ると、満面の笑みを浮かべた朱姫が得意そうに立っている。その右手には、さっきハク・コにとどめを刺した短銃がある。
「はあ……。わかったわよ。じゃあ、丸一日、孫女があんたの奴隷になって、全ての命令に従う……。それでいいわね」
すると、沙那が言った。
「な、なんで、あたしだけなんだよ。沙那もだろう。あたしと沙那で半日ずつだよ」
「ご主人様を含めて、一日ずつの三日です。ご主人様には沙那姉さんから説明してくださいね。わおっ、愉しみいい──。朱姫の黄金の日々の復活です」
朱姫が愉しそうにその場で飛び跳ねた。
「お、お前たち……な、なんてことするんだよ……。と、とにかく、いい加減におろしなさい──。も、もう限界で……」
すると、いまだに木馬に跨らされたままのハク・エンが拘束されている裸身を激しく悶えさせて、狂乱したように叫んだ。
沙那が木馬に手を伸ばして、側面の操作盤に触れた。
ハク・エンの股間に触れていた球体が静止したのがわかった。回転を止めたのだろう。
「あああっ、や、やめないで──。痒いい──。痒いいいい──」
ハク・エンが我を忘れたような昂った声を張りあげた。
生殺しの責めだと朱姫が説明していたが、それでも掻痒剤を塗ってやったハク・エンにとっては必要な刺激だったのだろう。
沙那が回転を停止させたことで、今度は痒みの苦しさがハク・エンに襲い掛かったようだ。
「まだおろさないわ。あんたは、このまま人質として、一緒にこの軍塞をわたしたちと一緒に出るのよ。おかしなことをしなければ、命を奪いはしないわ。適当な場所で解放してあげるから安心しなさい」
沙那がハク・エンに言った。
まあ、それが一番いい策だろう。孫空女は思った。
この軍塞の外に出れば、朱姫も移動術も使えるだろうし、全員で跳躍して逃亡すればいい。また、もしかしたら、宝玄仙だったら、この軍塞の結界を破って、移動術を使えるかもしれない。
そのときだった。
なにかが頭に触れた。
次の瞬間、突然に四肢が消滅して、孫空女は床に激突した。
「えっ?」
「わっ」
続いて、沙那と朱姫──。
ふたりの身体も床に落ちる。
彼女たちの四肢も消えている。
「ああ、びっくり。まさか、殺されるとはねえ」
後ろにいたのはハク・コだ。
朱姫の撃った銃弾の穴と、孫空女の如意棒が突き破った服の場所には穴が開いているが、そこから流れていた血はない。
頭を貫いた銃弾の痕も、見当たらない。
「な、なんで……。死んだはずじゃあ……」
沙那だ。
孫空女と同じように、手足のない身体で床に横たわりながら絶句している。
朱姫も目を丸くしていた。
「死んだわ──。だけど、別の場所に命の半分を残してたの。そこから命が戻って、たったいま生き返ったところよ。さあ、どうしてくれようかしら」
手足を失って床に仰向けに転がったままの孫空女を見下ろすように、ハク・コが立つ。
その顔にはぞっとするような酷薄さが浮かんでいる。
孫空女は、背中に冷たいものが流れるのがわかった。
「ハ、ハク・コ──。死ななかったのね──。よ、よかった──。でも、とりあえず、おろして──。ここから降ろしてちょうだい」
ハク・エンが声を張りあげた。
「お母様、申し訳ありませんが、お父様のご命令なしに、お母様を解放できません。お
「いいから、おろすのよ──。おろしなさいって──。さもないと、折檻よ──。折檻するわよ──。と、とにかく、もう気が狂ってしまうそうなの──」
「あら、そんなこと言ってもいいんですか? お父様を呼びませんよ。ふふふ……」
すると、ハク・コが木馬に跨っているハク・エンの股間に手をやり、まるでくすぐるように指でまさぐりはじめた。
ぴんと尖っている乳首にも手をやる。
しかし、やはり、触れるか触れないか程度の軽い刺激だ。
ハク・エンは苦悶の声を出すとともに、狂おしそうな身悶えをした。
「あああ、もう許して──。お願いよ、ハク・コ──。いままでのことは謝るから、ここからおろしてったらあ──」
ついにハク・エンが泣きだした。
だが、ハク・コは愛撫の手を休まずに、愉しそうに微笑んでいる。
「いえ、謝っていただく必要はまったくありませんわ、お母様。お母様の陰湿な苛めは、本当に素晴らしくって……。これからもよろしくお願いしますね。いまの口惜しさは、後でハク・コにうんと仕返しをしてください。愉しみにしております」
ハク・コが意地悪く告げている。
ハク・エンはまずます啼泣の声を大きくした。
そのときだった──。
凄まじい爆発音が外の廊下から響いた。
阿鼻叫喚を想像させる悲鳴のようなものも聞こえるような……。
「えっ?」
ハク・コが気がついて、顔を外の扉の方に向ける。
孫空女も必死に胴体と頭だけの身体を動かして、そっちに顔を向ける.
爆発音と悲鳴はだんだんと近づいてくる。
やがて、すぐ近くの衛兵隊の囲みの集団の位置だと思うところから、絶叫が重なった。
「なに?」
「なんだ?」
「ええ?」
孫空女たちも思わず声をあげていた。
一方で、急に外が静かになる。
「なにが起きたの?」
ハク・コが首を傾げながら、扉に向かって近づこうとした瞬間──。
その扉がこっちに向かって吹っ飛んだ。
「霊気の大きなうねりを辿ってやってくれば、これはなんの騒ぎだい……。あれえ? もしかして、そこで芋虫のようになって転がっているのは、沙那たちかい? なにやってんだい、お前ら?」
そこにいたのは宝玄仙だ。
ちょっと疲れた感じはあるが、元気そうではある。
身につけているものは、男物の軍服だ。ただし、上衣だけであり、下にはなにもない。上衣の裾が脚の付け根までは隠してくれているが、その上衣の下にはなにも身に着けていないのは明らかだ。
「ああ、ご主人様──」
「ご主人様、助けにきたんです」
「でも、助けてください──。だけど、一度、こいつが死んだんで道術が戻ったんですね──。よかったです」
孫空女、沙那、朱姫は口々に宝玄仙の名を呼んだ。
それはともかく、宝玄仙とともに、部屋に入ってきたものを見て、ハク・コだけでなく、木馬の上のハク・エンも絶句している。
宝玄仙は、自分の横に、巨大なしゃぼん球のようなものを宙に浮かべてやって来たのだ。
しかも、その透明の球体の中には、全裸男が入っている。
股間を両手で隠して、恐怖を顔に浮かべ球体の中で蹲っている。
「あっ、お父様──」
「ビク・ト様──」
ハク・コとハク・エンだ。
ビク・トというと、この軍塞を支配している司令官の将軍の名前だ。
もしかして、宝玄仙が捕まえてきたということ?
「まったく事情がわからないけど、どうやら、わたしの供を可愛がってくれているのは、お前だね……。三つ数えるうちに、三人の身体を戻すんだよ。素直に従えば、優しくお仕置きをしてやろう。だけど、逆らえば、死ぬ目に遭わせてやる。わたしを監禁していた元凶も、どうせ、お前なんだろう?」
宝玄仙がハク・コを睨んだのがわかった。
しかし、ハク・コは余裕ある雰囲気で微笑みながら、宝玄仙を見る。
「あなたが、お父様が気に入って監禁していたホウですか? 確かに、お綺麗で……。しかも、とっても気が強そうですね。お父様が執着したのがよくわかります」
「きゃんきゃんとほざくんじゃないよ。遺言はそれで終わりでいいかい? じゃあ。覚悟しな──」
「やる気ですの? でも、わたしはとっても強いですよ。先ほどは、このお三方に不覚は取りましたけど……」
「いっぱしのことを口にするんじゃないよ。こっちが酔って眠っているときに、不意を突くんならともかく、まともに渡り合って、この宝玄仙に勝てると思ってんのかい? 小娘の分際で……」
「小娘って……。実はこれでも、結構な年齢なんですけど……。だけど、それより、いま、宝玄仙って名乗りました……? えっ? えっ、えっ? ちょっともう一度お顔を……。最初に術をかけたときに、ちらりと見ただけで、顔なんて見ませんでしたから……。それまで、会いもしませんでしたし……。ちょっとお顔を見せてくださいな」
すると、ハク・コがじっと宝玄仙に目を凝らすような仕草になった。
ちょっと眼が悪いのか、眼を細めて宝玄仙を凝視している。
「えっ? やっぱり、宝玄様? もしかして、本当に、ホウっていう一級奴隷が宝玄様でしたの──? きゃああああ──。わたしです──。わたしですよ──。お忘れですか──。わたしです──」
すると、急にハク・コが奇声をあげた。
「わたしって……。お前、だれだい……。あれ? もしかして、
「いまは、解脱してただの
ハク・コが宝玄仙に飛びついて抱きしめた。
孫空女も呆気に取られてしまった。
「忘れたことないって調子いいんだよ、お前──。そもそも、最初にわたしの顔を見てわかんなかったんだろうが──。だいたい、こいつらの娘って、お前、このふたりよりも、ずっと年上だろう。この若作り女」
「若さを保つために苦労をしてるんです。ところで、どうして、こんなところにおられるのですか、宝玄様?」
「ふざけるなよ──。お前がわたしを捕まえたんだろうが──。あの妙な四肢を消す術をかけて──」
宝玄仙が怒鳴り声をあげた。