森の奥へと向かう途中、トレヤくんの足跡を見つける。
今朝方、僕が着けた足跡を辿りながら奥へと進み、けれどそれは、途中で道を外れるように藪の中へと潜っていった。
「もうっ、何処に行こうって…ったく」
あんなクマがうろついていたせいもあるんだろう。逃げ出したり、縄張りから追い出されたりと、村の近くだって言うのに、いつもじゃ見ない動物達の姿で森は少し騒がしい。
野ネズミか、仔ウサギか。
見つけたのがそんななら良いけんだけど。格好をつけて狼なんか追いかけ回していたら、それで逆に追いかけ回されたりなんかしていたら目も当てられない。
藪を抜け、視界が開ける。
しかし、それは同時に、コハナの不安が的中した瞬間でもあった。
血の匂いと、獣の匂い。意識しなくたって分かる狩りの気配に気が遠くなる。
きっと、藪に足を取られて転んだんだろう。膝と手をついた跡、そこから漂うトレヤくんの血の匂いは、慌てたように森の奥へと続いている。
「狼…か。よりにもよって」
悪いことって重なるんだなって。
きっと、あのクマのせいだ。逃げ出した小動物たちを追いかけて、こんな人里の近くにまで降りてきてしまったんだろう。
ただタイミングが悪かっただけ。そんな時に一人で森に入った あの子が悪い。
「ああもうっ。そんなのって、僕のせいじゃんっ」
焦燥が胸を打つ。弾かれるようにトレヤくんの気配を追って走る。
危ないからダメって、ハッキリ言うべきだった。訓練だなんて中途半端な事言わないで、本気でボコボコにしておけばよかったんだ。
変に可愛がって、変な自信を付けさせて。
走る。走って、トレヤくんの跡を追い、森の中を駆け抜けた。
藪に足を取られて鬱陶しい、伸びた小枝が邪魔に思う。いつもならもっと速く走れていたのに、焦りのせいか、どうにも空回ってしょうがない。
「なに…これ、洞窟? こんなとこに…でも」
木々の合間。そこに隠れるように大きな岩屋が口を開いていた。
いつもの狩り場とは違う場所。見知った森ではあったけど、初めて見た場所に、足が止まってしまう。
トレヤくんの乱れた足跡に続いて、狼の足跡が中へと入っていく。
1頭、2頭…数えて、まぁ、6くらいか。小規模な群れのようではあったけど、それが何の気休めになる事もなく、むしろ、洞窟の奥で逃げ場をなくしたトレヤくんの姿を嫌でも想像してしまう。
「待ってて。今行くから…」
意を決して洞窟に入る。奥に進むほどに暗闇は深くなり、角を曲がる頃にはさっぱりと視界が効かなくなった。
音と、匂いと、気配を辿り、それでも強引に先へ進んでいく。
本当なら闇に目が慣れるまで待つべきだった。
本当なら、もっと慎重に足場を確かめながら進むべきだんだ。
心配で、焦って、自分を責めて。平常心を欠いてしまった結果は、誰よりも僕自身が体感する事になる。
ズルリッ…。
足を滑らせたのはその直後。慌てての壁を掴んだ指先は、だけど、崩れやすくなっていた岩肌を引っ掻いただけで、足場を失くした僕の体は、飲み込まれるように洞窟の底へと落ちていった。
ー
「いったぁ…っ。もうっ、なんなのっ!?」
岩肌を滑り落ち、それでも かすり傷で済んだのは幸いだった。
「なに、ここ…?」
暗闇に慣れてきたせいなのか? それにしたって、洞窟の奥だって言うのに、岩肌がほんのりと明るく光っている。
綺麗だな。
少なくとも、こんな状況じゃなきゃ、少しは気も安らいだかも知れない。
気分を落ち着けて、仄暗く光る洞窟の中を改めて見回すと、3つ、4つと、狼の死体が転がっていた。そのうちの一つは僕の下で潰されていて、まあ何ていうか、あんまりいい気分のするものではない。
お陰で怪我はしなかった事に感謝はしつつも、いそいそと、狼の上から退くことにした。
「登れる? は、無理か」
洞窟の壁を見上げて、落ちてきた穴を見る。
だけど、見上げた先は洞窟の底よりも暗く沈み、壁をつかもうにも、一面に生えた苔のせいで取っ掛かりが見つけられない。
ハタ…と、耳が動く。
かすかな音。生き物の気配と、流れる風の音。
視線を向けた先には横穴が続いていて、トレヤくんの血の匂いと、狼の匂いが奥へと続いているのは分かる。
「なに…この、甘い?」
すぐにも追いかけなきゃ。けれど、追いかけようとしたコハナを躊躇させたのは、そこから漂う甘い匂いだった。
お菓子の、砂糖なんかとも違う。もっと生々しい様な、ちょうど花の香りを煮詰めた様な匂い。うっすらと漂ってきているだけなのに、それはイヤに甘ったるく、なによりも、嗅ぎ慣れない花の匂いが、コハナの敏感な嗅覚を警戒させてしまう。
とは言え、行かないわけにもいかなかった。
花の匂いがする。風の流れもある。もしかしたらこの先は開けた場所に続いていて、花の群生地にでもなっているのかも知れない。
朗報といえば朗報だ。
少なくとも、洞窟で閉じ込められるなんて最後は避けられそうだ。
今度は慎重に、足元を確かめながら、コハナは仄暗く光る洞窟の奥へと向かっていった。