「あの、二人とも、なんか近くない?」
廊下。自室に居るとどうにもあの夜を思い出して、体が甘く疼くためなにをするともなく歩く立香は声を掛けられて止められて、壁に追い詰められた。
「うふふ、いいえ、まだまだですわよ、こんなもの。一人寝が寂しいなら部屋に来てくださればよかったのに。お部屋の鍵は渡していますでしょう?」
「僕は別に近くなんてないさ。挑発に乗っちゃうマスターなんて嫌いだよ」
欲しいものを実力で勝ち取る主義の海賊ペアに挟まれる。
アンはいつものように、いや、いつもより若干近い。なんなら腕を抱いている。
メアリーは拗ねたように目線を逸らすものの、裾を握ったまま離さない。
「な、なんのこと・・・・・・?」
「もう、お惚けになって。小耳に挟みましたわよ。昨夜、こそこそとどこかへ出かけたのでしょう? いったいどの娘のところへ忍んだのか、まあそのことは別に構わないんですけどね。それよりも、今夜は私たちの部屋に来てもらおうと、予約を取りに」
「アンがどうしてもって言うからさ、マスターのことはケーベツしたけどね、僕が居ない時にアンに手を出すのも癪だから、ついでに」
「いや、本当にそれは誤解だよ。昨日はちょっと種火のことでアーラシュたちに相談しに行っただけだよ。夜通し酒盛りするっていうから、ちょっと遅くても大丈夫かと思って」
ダ・ヴィンチの予想通り、見事にあの夜のことは漏れて、かねてより立香を可愛さ余ってどうにかしようと目論んでいた連中に火を点けてしまった。
とはいえ、公然の事実というわけでもなく、マシュのように一切気づいていない者もある。
「あら、マスター、ごきげんよう。なんだか顔色が良くないみたいだけど、大丈夫? お腹が空いているなら、美味しい紅茶とブリオッシュでもどう?」
マリー・アントワネットのように、まったく知らず変わらず声を掛けてくれる者もある。
もっとも、その後ろで穏便でない視線を寄越すシュヴァリエも居るのだが。
「マスター、君のことだから心配はしていないが、君から王妃に手を出すようなことはないように願うよ。フランス王家を守護する者として、そんなことになったらどうするか、自分でも判らない。
どうしても抑えられないようなら、その、わ、私に声を掛けてくれたら、手伝うよ」
なにやら不穏当に情報を受け取る者も居るようだ。
他にも、
「よう、マスター。この間はお楽しみだったかい?」
やたら生傷をこしらえたドレイクとすれ違い、理由を問うと、
「なあに、親友と獣相手にドンパチやらかしてねえ。あの妙に大人なおチビが居なきゃ、ひょっとしたら飲み込まれてたかもねえ。まあ、上手く行ったんならよかった。
今度は金ぴかの酒をかっぱらおうと思ってね。ちょいと話を向けりゃ、マケドニアの王様も付き合ってくれるときたもんだ。ちょいと騒がしくするけど、まあ死にゃしないだろうから黙っておいてくれよ」
そこで、この海賊王は立香の肩を抱き、
「好い顔になったじゃないか。あんたになら押し倒されるのも好いね、あたしが欲しくなればいつでも来な。男と女の戦いだ。勝負の方法は任せるよ。あんたに負けたら、潔く手籠めにされてやるさ。
まあ、ひょっとしたらわざと負けるなんてこともあるかもね。楽しみにしてるよ」
小声でそう囁き、なにか言おうとする立香を尻目に去っていく。
「おお、マスターか! 聞いたぞ、お前も五人もの女を満足させたらしいな。いやまったく、お前以上の主はおそらく巡り会うまい。どうだ、抱いて却って判らぬことが出来たら相談に乗るぞ」
精をつけねばいかんうえに成長期だ、とやたらに肉を振る舞う螺旋剣の担い手。
他にも、温かい目で理解を示す者。子供にそういう目を向けていないか、不安げに見る者。意に介さぬ者から次の機会を画策する者と実に多様な目線を向けられた。
が、不安視していたほどの変化はなく、誘惑してくる者(マタ・ハリや殺生院キアラ)などはまあいつもの程度なので、いつものように逃げる。
「まあ中には本気の者も居るだろうし、この機会に君をぱっくり食べてしまいたいのは間違いないが、君の意思を外す輩はそうは居ないということだよ。私のところに問い合わせが殺到しているから、ひょっとしたらひょっとするだろうけど、まあその時はその時さ。あの時と同じで、役得だと思って受け入れてやればいい」
ダ・ヴィンチは軽く言う。あまりにもいつもの調子なので、顔を見るとつい意識してしまう自分が恥ずかしくなって、足早に退出しようと後ろを向くと、
「ところで、まだ疼かないのかい?」
いつの間にか肩に手を置かれ、胸を背に密着させて、更に耳元で囁かれた。
「な、へ!?」
「言っただろう? 疼いたらおいでって。なんなら今すぐ奥へ行くかい? 芽生えたお尻の快楽を病みつきしてあげるよ? 私の蜜壺が忘れられないのならそれも歓迎だ。なにせ君の形にしたんだからね。もっともっと味わってほしいくらいさ」
顎を撫でる白い指。思わず唾を飲み込んだところで、扉が乱暴に開いた。
「やはり貴様と二人きりにしておくのは問題があるな。来い、立香。主催したのは私だ。その後の面倒も見ずに放り出すのは気分が悪い。しばらく私から離れるな」
つかつかと歩み寄るなり乱暴に手を引いて、引き摺るようにして立香を連れて行く。
ダ・ヴィンチは別にからかってはいない。本気で誘っていたのだから、アルトリア・オルタの言うように油断がならないのは間違いない。
まあ、あの反応なら葛藤に負けて自分から誘うこともあるかもしれないと、ダ・ヴィンチは気長に待つことにした。
「語り部も貴様と顔を合わせるのを嫌がっている。気持ちの変化が怖いのだろう。一時は私の相棒にまでなっておきながら気弱なことだ。白い私も似たようなものだが、あいつにはまだ余裕がある、癪なことだが。貴様との関係を変えるつもりはないようだな、癪だが。
荊軻はいつもと変わらん。まったく本当に普段と変わらんが、貴様が部屋に呼べば喜んで駆けつけるだろう。
ところで、だ」
引いていた手を離して、立香に向き直る。
「貴様、微妙に私を避けていたな? 気恥ずかしい以外に、なにか言いたいことがあるのなら言え。貴様の意思を無視して宴を開いたのには間違いない。如何に貴様といえども私に文句の一つもあろう。聞いてやる」
そうは言うものの、やはりアルトリア・オルタ自身も気恥ずかしさが勝るのか、若干頬を紅潮させて目を逸らしている。
立香にも、別に文句はない。間違いなく立香を思いやって、どこかしらを間違って語り部というブースターを得て見当違いの方向に振り切っただけの話なのだから、苦情など一言も湧きはしなかった。
だから、言いたいことと言えば、一つだ。
立香はこほん、と軽く咳ばらいをして背筋を伸ばして、
「ありがとう、オルタ。俺のことを気遣ってくれて。とても楽しかったよ」
言われて、アルトリア・オルタは背を向ける。
判っていたことだ。あの立香が親切や気遣いに文句などある筈がない。たとえ結果がどうだろうと、だ。だから、それを聞きたかった。
感謝されるのは嬉しい。特に、背中を預け合って視線を何度も越えてきた立香のものならば、何度それを交わしても頬が緩むものだ。
「礼は要らん。貴様は礼を言われることなく世界を救い続けてきた男だ。あれくらいは当然の権利だ。
だが、受け取らんとは言わん。貴様の感謝の気持ちは素直に受け取っておく。向後も開きたいのならまず私に声を掛けろ。また、人選をしてやる。今度は貴様の好みも併せて考えてやる」
これで、一応は決着である。
立香はアルトリア・オルタの肩を叩いて食堂へ誘う。
「エレシュキガルがDランチが美味しいって言ってたよ。一緒に食べよう。マシュも誘ってさ」
「素人め。Bランチのブーディカのバーガーには勝てん。まあ、貴様の勧めだ。断るのも礼がない。デザートを暴走狐猫に頼んでおけ。貴様が食い切れないなら私がいただく」
これまでと変わらぬ調子で歩き出す。
穏やかな結末であるが、狂化ステータスを付与されているというだけのことで人選漏れをして、そのことを不服に思う理性の残った、けれどやっぱり狂化している連中の目は穏やかでなかったのだが、それは別の話だろう。