それとなく黒王の意を含められて、筋肉系サーヴァントがシミュレータに立香を誘い出し、時間を潰させたのがその日の朝である。
「お疲れさまでした、先輩」
盾の少女は事情を一切知らない。無論、立香も同様である。
今日もいつもと同じように、来たるべきレイシフトに向けた訓練だと思い、寧ろ進んでこの暑苦しい訓練に付き合う。
戻ってきたのは夜だった。
シャワーで汗を流して食堂へ向かい、遅い夕食を摂る。メニューが、少し奇妙だった。
「少し無理をして調達をしたものだが、どうやら役に立つようだ」
赤い弓兵が、エプロンを外しながら言った。
メインに牡蠣の卵とじ。味噌汁にはほうれん草に豚肉、副菜は青梗菜などを中心とした青物だった。やたら精がつきそうである。
「ありがとう。うん、今日は疲れたからね」
「立香、怠けるということは言うまでもなく心が持つ贅肉が為す悪行だが、困ったことに休むということは怠けることにも似る。彼らは程度が判らないだろう。況してや君の疲労を慮る者など果たして居るのかどうか。こんな時間まで付き合うことはない。マシュ嬢が何度も切り上げを提案した筈だが?」
「ああ、うん、まあね。でも俺も結構体力ついてきたからね。まだ出来るくらいさ」
「若いということは無茶をすることだ。自分を信じるということでもある。だが覚えておくことだ。周りが心配するうちが花だとね」
「そうだね、ありがとう。美味しかったよ。今日は早めに休むね」
「・・・・・・頑張りたまえよ、マスター」
空になった食器を受け取りながら、気の毒げに立香を見た。
視線の意味は判らなかったが、訊いたところで話す気配ではなさそうだったので食堂を出た。
「うん?」
立ち止まった。廊下の壁に背を預けて、少女が立っていた。
見覚えはある。だがこの少女が、人を待っているのは初めて見た。
「百貌さん?」
その少女は間違いなく、十七人目のハサン・サッバーハの一人だった。
「どうしたの?」
膝をついて目線を合わせる。
普段、この少女は絵本の少女や切り裂き少女らと一緒に居るはずで、はぐれたのかと思った。が、少女は立香の袖を引き、歩き出した。
連れて行かれたのは、自室の前である。
「ここ?」
問うと、女児はこくりと頷いて背を向けて走り去った。同時に、扉が開いた。
「帰ったか、立香」
アルトリア・オルタである。
「あれ、なんで俺の部屋に?」
なにやら香気がする。嗅いでいると、頭の芯が惚けてくるような、蠱惑的な香りである。
立香はカルデアに於いて幾人もの英霊と契約を結んだマスターである。その英霊との接触具合に関してはこの地球上で比肩する者など存在しない。
マイルームを勝手に改造されたり占領されたりなど、もう特になんとも思わない。だが、アルトリアがというのは珍しい。
「日頃労苦を惜しまず、休憩さえまともに取れていない貴様に褒美をという話になった。今夜は存分に楽しめ」
立香は納得した。
筋肉系サーヴァントらが朝から自分を駆り出したのはこの準備のためだったのだ。なにやら面映ゆいが、しまった、と思った。
「ごめん、オルタ。さっき晩御飯済ませちゃった」
もしもご馳走が並んでいたらと思うと気が引けたが、一歩室内に入り込んで、そうではないことを知った。
照明は暗い。
薄い赤色が差した照明は暗くしてあり、部屋の四隅まで光を届かせない。が、その薄明かりの中でも、普段自分が起居している寝台の上に、なにが居るのかははっきりと判った。
「え・・・・・・?」
全員、薄布を一枚身に纏った姿である。
寝台の上にはいつものアラビア風の意匠を凝らした服を身に纏い、初期霊基時に好んで身に着けていたフェイスベールをつけたシェヘラザード。
白のガーターベルトにニーハイストッキング。更には先年のハロウィン時、どういう風の吹き回しかでランサー・アルトリア・オルタが着用した半透明ドレスを着て、俯いているランサー・アルトリア。
完全に下着姿で胡坐を掻いて、それだけ見れば山賊の親分風のくせに、完璧なボディーラインでそれらを魅力に変えるレオナルド・ダ・ヴィンチ。
「え、あれ? パジャマパーティー?」
無遠慮だと思いつつ、目が離せない。
女体の魅力という意味では最大限の威力を湛えた三人の姿に縫い付けられたように視線は外れず、頭の奥が熱くなる。立ち込める雌の芳香に、甘い疼きが股間に広がり、反射的にその疼きに身構えて全身が硬直した。
「恥じるな。腰を引くな」
ぽんと、尻を叩く手はアルトリア・オルタのものらしい。
「ごめん、ちょっと俺出ていくよ」
半歩引いてオルタに向き直る。
オルタはいつもの黒いドレス姿だが、肩がはだけ、太股が露わになり、西洋陶磁人形のような白くしなやかな肢体を誇るように見せている。
これはこれで、充分魅力的である。
「ご馳走というものはなにも食べ物だけじゃあるまい、マスター?」
背中に誰かが抱きついた。
耳元で囁かれて思わず背中がぞくぞくと粟立った。背中に満遍なく感じる体温から察するに、アルトリア・オルタに似た体型だろう。
声から察しはついているが、感触から類推する体型で確信を持った。が、首を向けて顔を見るまでは信じられなかった。
「け、荊軻さん?」
切れ長の目に理性を湛えた白衣の暗殺者の顔が目の前にあった。
「美食もご馳走なら酒もご馳走。だが時に、特に男にとってはなににも勝るご馳走は女となるのだろう? 今日は君が思う存分食い散らかせるよう、ご馳走を集めたというわけだ」
荊軻も普段と変わらぬ姿のようだが、帯を解いているらしい。中央で割れた襦袢越しの体温が伝わってくる。
「座るがいい、立香。閨でのそなたは王だ。なにせここは貴様の城だからな」
オルタが顎をしゃくると、ダ・ヴィンチとシェヘラザードが立ち上がって傍へ寄った。
「やあ、立香くん。彼の騎士王からのお墨付きだ。君は今宵一晩限りの王様となって、閨に集まった女どもを堪能するといい。なあに、遊びのようなものだよ。俗世の感情は羞恥も恋愛も全て部屋の外に置いてきたまえ」
ダ・ヴィンチが上着を脱がせ、
「我が王、たとえ意に添わない趣向であったとしても、決して不快にはさせません。この場は我々の顔を立てて、どうか身を預け下さいませ」
シェヘラザードがズボンを脱がし、あっという間に下着姿にする。
そこで二人は手を止め、手を引いて寝台に座らせた。
(あれ?)
拍子抜けがしたのは立香である。この少年は性交の経験がないために初心で、てっきり真っ裸にされるものと思っていた。
初心なだけに性交に対して強い憧れを持っているが、それと同等かそれ以上の恐れもある。況してや相手は性の魅力に富み、且つ、死線を共にする自分のサーヴァントである。
(無様を見せて呆れられては)
という思いがある。かつて人類史に名を残し、死後もその人類史と己の願望のために死地へ赴いてくれる大切な朋輩である。軽侮されることが、身を裂かれるよりもつらい。
そのため立香の全身は石像のように硬直しており、まずはそれを解すことが肝心だろう。無論、立香が童貞故の粗相をしたところで、軽侮するような者はここに居ない。
「ふふん、初心な君はさっさと脱がせて準備して、入れて出してはい終わりだと思っていただろう。生憎だがそれは生殖であって性交ではないぜ?」
ダ・ヴィンチが立香の背後で膝立ちになった。
ダ・ヴィンチに手招きされて、シェヘラザードとアルトリアが立香を挟んで膝立ちになる。
「さて、初めてのリクエストはあるかい? せっかくのファーストキスだ。この中で一番好みな人に奪ってもらいたいだろう?」
気づけば、アルトリア・オルタと荊軻も、顔をつきあわせるほど接近している。
立香は困惑した。
(え、選べと・・・・・・?)
無理を言うものである。ただでさえ自分のことよりも他人の心情に気を配る気質で、表情の変化に聡く、空気を察するに敏い。
誰か一人を選んで、誰かがプライドを傷つけられては申し訳がない。いや、それ以前に最高級料理を出されてどれからと不意に訊かれても、簡単に手を付けられる筈がない。
「提案は、黒い私からです」
その時、右の耳元で囁いたのはランサー・アルトリアであった。
立香は全て察した。同時に、最も立香の心情を察して気配りをしてくれたアルトリアに感謝した。
「オルタ、お願いできる?」
上目で問うと、アルトリア・オルタは一瞬驚いた表情をし、瞬時に照れ、更に勝ち誇る笑みを浮かべた。
「ふん、やはり見る目があるな、マスター。その通り。盛れば良いというものではない」
ずい、と顔を寄せる。取っ組み合いの接近戦でもやるような大胆な踏み込みであったが、息がかかる距離からが詰められない。
二人ともに頬を赤く染めて停止した。
「うんうん、微笑ましいねえ。そうとも、キスをするのに情緒がないんじゃ性交だってロマンがない」
「お静かに、万能の方。仰る通り今よいところです」
ダ・ヴィンチの感慨深げな言葉はもう、二人の耳に入らない。
じっと互いの目を見つめたまま、呆けたように動かない。
それはタイミングを計っているようでもあり、戸惑っているようでもあり、期待しているようでもある。
が、性格的にこういう場面に耐えられないのはアルトリアである。
「ええい! 貴様はもっと欲を張れ! 私の唇がいらんのか!」
耳まで真っ赤になっている。肌が白いだけに、紅潮がより目立つ。そういう表情を、場面にそぐわぬ暢気さで綺麗だと見惚れたが、すぐに言葉の意味を察して立香が言った。
「欲しいよ。吸いたいくらいだ」
重ねるだけでは満足できない、と言ってから自分の言葉の意味に気づいた。
反射的な言葉なだけに、脳の検閲を通らない本音である。が、あまりにも大胆な言葉と、踏み込み過ぎた発言に焦る。
が、焦っているのは当人だけで、アルトリア・オルタを除く面々は一応に笑みを浮かべた。
「これはまた正直な」
この少年の、こういう、朴訥で気はしの利かない不器用なところが、この五人は堪らなく好きである。
アルトリア・オルタは顔を真っ赤に紅潮させ、やがて目を閉じた。少しの間、頭の中に心臓があるような強い鼓動と硬直した全身と戦ったが、思い切って唇を重ねた。
「・・・・・・」
互いに声もない。
互いの唇を押し付け合うだけの、粗末で幼稚な、しかしなんとも微笑ましい口づけであった。
しかし初心である。そこで止まってしまい、やがてどちらからともなく唇を離した。
「まあ」
思わずこの微笑ましさに声を上げたのはシェヘラザードであった。
かつて自身の体を貪った王と比べれば、なんという愛らしさと慎ましさであろうか。二人ともあの程度の口づけで満足して、照れくさそうに微笑んでいるところなど、いっそ歯を立てて噛み潰してしまいたいほど愛らしい。
「お次はどうぞ」
ダ・ヴィンチが促す。
彼(彼女?)の中では既に順番というか、優先順位というものが決まっているらしい。シェヘラザードが一度寝台を降りて主の前に膝を降り、恭しく両手で頬を挟んだ。
「我が王、口は閉じず、お楽に。全てこの語り部がしてさしあげます。我が唇は言の葉を紡ぐのみにあらず、貴方をご満足させるための手管も秘めてございます」
んむ、と思わず立香が声をあげたほど、唐突な口づけ。
立香の柔らかい瑞々しい唇を、鳥が啄むように何度も吸い、強く自分の唇を押し当ててからも蠢くように小刻みに吸う。
その情熱的な口づけに戸惑った時、ぬるりと舌が口内に滑り込んだ。
「んむ、ちゅ、にゅる、ず、じゅ、ず」
まずは歯を順番に舐めていく。たったこれだけのことが、立香にとってどれほどの感動だったか判らない。
(俺、まだ歯も磨いていないのに)
歯磨きは眠る前の習慣である。加えて、夕食はやたらと精がつくものばかりで、当然口内にはそれなりの臭いがあった筈である。唇を重ねて口内を舐れば、如何に室内に淫靡な香りが充満していても誤魔化しようがない。
にも関わらず、シェヘラザードは気にした様子もなく内側の歯茎まで舌で舐めていく。
口内をたっぷりと舐られ終えて唇を離した時、立香の唾液がシェヘラザードの舌との間に橋を作り、糸を引いた。
「しぇ、シェヘラザードさん?」
「身だしなみの暇さえ奪ったのはこちらなのです。我が王の優しさはいつもわたくしどもを包んでくださいますが、今だけはどうか、尊顔な王として君臨なさいませ」
犬が慕うように、猫が身を預けるように、シェヘラザードはぺろりと立香の顎を舐めた。
「うんうん、順調だ。さて次は・・・・・・」
ダ・ヴィンチがアルトリアを見やる。
呆けていた。
顔を紅潮させ、目を丸くして、知識だけはかろうじて持っている人間同士の営みを目の前にして感動していた。
(これは、最後にした方がいいかな)
ダ・ヴィンチはすぐさま予定を頭の中で組み替える。その一瞬の沈黙を受け取って、荊軻が前に進み出た。
「ダ・ヴィンチ、不都合なら私が頂いても構わないか?」
「ん? ああ、君なら大丈夫そうだ。マスターがよければ、お先にどうぞ」
「構わないか、我が主?」
言われて、甘美な口づけに蕩けていた立香が顔をあげた。
「え? あ、ああ、滅相もない、です」
訳の分からない返答であるが、この朴訥さが好い。荊軻は満足して進み出た。
「舌を出しておくれ。常々、君が酒を飲めないことを残念に思っていた。酒の代わりに、もっと酔えるものを提供しよう。もちろん、体に害はない。癖になってしまうかもしれないがね」
言われた通り立香が口を開け、舌を出す。
荊軻はその舌を飲み込むように口内ですっぽりと収め、ぬらぬらと付着していた唾液を吸い取り、舐め取る。
だけでは足らず、表側と裏側、舌の感触を楽しむように己の舌を絡ませる。
「え、れ、れる、る、へあ、るる、れるれる」
存分に舌を味わったあと、唇を重ねて唾液をたっぷり塗した舌を差し込んでいく。
(喉が乾いただろう?)
至近距離の目がそう言っていた。
口内で泡立つほど混ざり合った唾液を、喉を鳴らして嚥下する。
ひどく背徳的な気分だった。
「はは、まだし足りないが、あまり君を独占しては反感を買う。このくらいにしておこう。まだ夜は長い」
よく出来た弟を褒めるような手つきで頭を撫で、情熱的なキスの名残もないあっさりした仕草で身を離す。
次は、ダ・ヴィンチである。
立香の隣で膝立ちになったダ・ヴィンチは、首根に手をまわしてうなじに指を這わせ、優しい手つきながらもしっかりと固定させて、
「いらっしゃい、立香くん。さて、レクチャーの時間だぜ? 女の口の中をどう舐ればいいのか教えよう。まず私がやってみるから、後で君もやってみたまえ」
「ちょ、ちょっと待って」
むちゅう、と唇を突き出してくるダ・ヴィンチを制する。
「どうかしたかい?」
「いや、その、ダ・ヴィンチちゃん、いいの? オレ、男だけど・・・・・・」
「ああ、そんなことか。構わないさ。私は美少年が大好きだ。君の造形は並みだけど、その心と魂が好い。君が気づいていなかっただけで、私はずっと君を欲情の眼差しで見ていたんだぜ?
君の方に抵抗があったとしても、そんなことは些細なことさ。私に任せていれば、すぐにその気になる。まあ諦めて受けることだね。物は試しさ。ゲテモノは美味いのさ」
元々、身体的にはともかく精神的には男性であったレオナルド・ダ・ヴィンチである。女性らしさのない率直な手際で唇を重ね、言葉通り教えるように、立香の口内を舐る。
単純に舐めるのではなく、緩急をつけて。予想を外して官能を煽る。
これまでの三人の口づけとは違う。
思えば、アルトリア・オルタは初心。シェヘラザードは緊張を解し、荊軻は官能を与えてきた。ダ・ヴィンチはそのもう一歩先へ誘おうとしている。
「くちゅくちゅ、じゅ、ずるる、れる、る、ず」
柔らかな舌の動きで立香の口内を堪能し、立香自身の欲情も充分に煽ったところで舌を引き、離れ際に唇にキスをして、
「さあ、やってごらん?」
立香は言われた通り唇を重ねる。
ぎこちない舌の動きはやはり硬く、ダ・ヴィンチが手を取るようにして教えてくれた技巧など四分の一ほども再現出来ない。加えて、立香はもう欲情している。
思えば、レオナルド・ダ・ヴィンチという英霊は男にとってズルい。
自分の姿形を自分で決めただけあって、その肉体は黄金比。人体の造形美という意味では、この星で並ぶ者はないだろう。それをまったく自覚なしに強調したり、用事があるからと呼び出されて行ってみれば風呂上がりの真っ裸で応対したりする。
その度に、立香の若い男は刺激され、刺激されながらも相手の精神は男に近いことを名目に抑えてきたのだ。
その口内を、好きなように舐り回して良いというのだ。興奮しない方がおかしい。
ただでさえ技巧のない舌使いで、欲情している童貞である。ダ・ヴィンチの教えなど半分無視したようなものだったが、ダ・ヴィンチは優しく見守っている。
(う~ん、堪らないね。こうもストレートに欲望をぶつけられるとは、なんとも欲情するねえ)
すぐにでも押し倒して、肉体の持つ快楽の限界まで引き出して、獣のような嬌声をあげさせたくなったが、自重した。
やがて唇が離れた。
ちらりと見やると、やはり白い槍の騎士王は呆けたように痴態を見守っていた。
立香に視線で指示をすると、寝台に乗って正座をして、膝で進んでランサー・アルトリアの前に座った。
「大丈夫?」
その言葉で、正気に戻った。
ランサー・アルトリアは、王として理想的である。
最適手を選択するに足る頭脳と精神を有し、その実行の際に生まれる犠牲を正面から受け止め、忘れずも囚われず、正当化もしなければ後悔もしない。かといって、冷徹でもない。人情と人間のおかしみを解し、一人の人間に寄り添うことも可能ながら、人類という種のための判断も出来る。
真正の神霊に似た精神性を有しながら、人間らしさを失わない、古今に比肩する者のない理想の王である。
妻も居たことはある。だが結局のところ、性別が同じで付属する性別観も同じというのであれば睦言は空言に過ぎまい。女が女を愛するということは決して幻想ではないが、アルトリアもギネヴィアも、そうではなかった。
故に、この理想の王は人の営みの価値と素晴らしさを認めながら、一度もその目で見たことはない。その眩しい光景が、目の前で広がっているということが、ランサー・アルトリアに強い感動を抱かせた。
(ああ、これが人間・・・・・・)
単に唇を合わせるだけの粘膜接触に過ぎず、獣がやったところで特別な感慨も抱かない。だが感情と心を持つ人間同士が、互いを尊重し、慈しみ、慮り、愛し合うことのなんと尊いことだろうか。これが一つの奇跡でなくてなんなのか。
強い感動は自身がその人間の一であることをも忘れさせ、神霊の視点で改めて、人間という種の眩しさを知った。
だが、今度はそれを自分がやるのである。
(ああ、私は・・・・・・)
そこで、彼女は理解した。
何故自分はこの宴に参加することを選んだのか。事が此処に至るまで自覚することはなかったが、自分は人間であるという無意識下の認識が、彼女の視点を神霊から人間に移らせることを選んだのだ。
即ち、人に人らしい幸福を。
幸福を分け合ってこそ真なる理解。この少年に幸福の一夜を捧げ、自身もその幸福の一端となることで、更に人間を理解する。そのために、彼女はここに居る。
無論、この無垢な主にささやかな報酬をという気持ちにも、偽りはない。
「ええ、我が主。残念なことに私は生涯、こういう機会に恵まれず、人の営みというものを知らずここに居ます。普段なら私が先に立って貴方の手を引くのですが、今は貴方に手を引いていただきたい。
未通の女など面倒と思われるかもしれませんが、どうか、お手柔らかに」
この期に及んで、まったくなんという明晰さであろう。
ランサー・アルトリアは未経験の情事に対しても冷静さを失わず、かといって平気でもなく、男の情欲を高める言葉と仕草を選び取っていく。
尤も、真に恐るべきは何れの可能性を歩んでも決して誰かと結ばれることのなかったこの聖槍の王が、この期に及んで立香の情欲と優越感を引き出していくであろうと予見した語り部であるかもしれないが。
二人の思惑の通り、先ほどまで初めての経験に戸惑い、先導されるままに翻弄されていた立香は初めて、己の情欲への抵抗感を消した。
ランサー・アルトリアの唇に吸い付く。
しっとりとしていて柔らかく、男の強引な口づけを拒まないランサー・アルトリアの唇は薄く開かれ、己が主に蹂躙される時を待っていた。
立香は獣欲に流されながらも、心底の善性は消えず、気遣う気持ちと反応を窺う慎重さを忘れなかった。
まずは徐々に。キス以外ではおそらく味わえない独特の感触を楽しむ。
「む、ちゅむ、ちゅちゅ、むちゅう、ちゅう、ちゅ、ちゅ」
初めにキスを編み出した者を尊敬する。
本来、性交とは性器を結合して精を体内に放出し、子宮に精子を届かせることを目的とした行為の筈だ。
そこに唇などなんの関係があるのだろう。
よくぞ、この至高の感触と夢心地を見出し、普及させてくれたものだと、立香は心の中で何度も、名も顔も知らぬ偉人を賛美した。
「ん、んふ、ふ、ふう、ちゅ、む、ちゅ」
ランサー・アルトリアは、主に蹂躙されるがままである。決して拒まず、かといって自らは求めない。求める気持ちがまるでないわけではないのだが、求め方が判らない。
中途に冷静だから、求め方を間違えて主の興を削がないかと気にかかって、自分から積極的なことが出来ない。
唇をふやかすような情熱的で執拗な愛撫に、未開発の体と心を昂らせながら、緊張に震える舌が今か今かと主の侵入と蹂躙を待っていた。
「んじゅる」
立香が舌を差し込んだ。
(主よ!)
口内に引っ込んでいた舌が、待ち望んだ侵入を歓迎した。
「ほほう、これはこれは」
傍らでダ・ヴィンチが感心して頷いている。
その無粋さを誰も咎めない。咎める余裕もないほど、二人の口づけに見入っていた。
舌が絡んでいるのが、唇と唇の間から見えている。互いの唾液が混ざり、零れてシーツに染みていく。
能動的に動いているのは立香の舌だが、アルトリアとて完全に受け身でもない。遠慮がちに動いているのは、もっと自分の舌の感触を楽しんでもらいたいという気持ちの表れであろう。
「あ・・・・・・」
声が漏れ、滴り落ちる唾液に舌を伸ばし、舌上で受け止めて嚥下する。意識してのことではなかった。夢寐に漂うような心地よさと忘我の心境で咄嗟にやってしまったことらしく、ランサー・アルトリアは恥じ入るように俯いてしまった。