手術台に在る湊友希那は極めて胡乱だった。
まさに生と死の堺だった。生物としての脆さだけが湿っぽく露呈していた。かつての音楽家の面影など無かった。あの特徴的な頂点への執着は少しも発揮されていなかった。
友希那の目元には白い布が被さっていた。つまり視界は機能していないということだった。しかし友希那はもう自分の身体が本当に五体満足なのかわからなかった。四肢も胴体もよくわからなかった。肌というものについてもわからなかった。着ているはずの白色ワンピースの布の質感もわからなかった。素肌に何かが触れているような触れていないような謎の胡乱だけが在った。
そういう感情に対する疑問や恐怖がもあまり無かった。いまいちわからなかった。というよりどうでもよかった。とっくにほうほうの体だった。全てが上手く考えられなかった。
「意識は?」
「薄いです。和紙ぐらい」
その声たちは友希那から遠のいた位置でぼうっと鳴っていた。友希那が横になっている手術台のすぐ上、つまり友希那の頭部側に複数人の医者が立っていた。体躯の左右にそれぞれ二人、頭部の真上にたった一人だった。全員が緑色の手術用ガウンに同色のマスクと帽子を着用し、両手にはその上からさらに白色のゴム手袋をつけていた。
「耐えますか?」
「ええ。一応頑丈ですから。それだけが取り柄です」
「ふむ……」
主治医は納得しながら友希那の頭部を見下ろした。その視界の中には何やらぬるついた桃色が在った。友希那の薄紫の毛髪の中から唐突に現れていた。
それは友希那の脳だった。
友希那の頭部はすでに解体された後だった。
頭頂部周辺を円形に削がれていた。頭皮はもちろん頭蓋すら外されていた。つまり今の友希那は頭蓋内部の脳の頂点周辺がむき出しだった。頭部より一二回り小さい脳はもこもことした形だったが、それでいてまさしく内臓らしい生肉のぶよつきも放つ不思議な様相だった。
頭皮どころか頭蓋すら大きく損壊しているが友希那自身に痛みは特に無かった。脳そのものが外気に触れているが特別な質感は特に得ていなかった。感覚そのものが途切れているような心地だった。四肢と同様に今の自分には本当に頭部や脳が在るのかいまいちわからなかった。
「では、Aを」
主治医が放った。その声に反応するように右横の別の医者が動いた。すぐに銀のワゴンから医療器具を持ち上げて主治医に突き出した。はんだ付けに使用するあの器具に似た鋭い先端を持つ器具だった。
主治医はそれを受け取り先端を確認すると友希那の脳に触れさせた。少しだけ慎重だったがためらいは皆無だった。
「うっ」
友希那は声と共に自分の頭部を強く意識した。それまで不鮮明だった感覚が嘘のようにはっきりと再起し、電流のような素早さで脳の全てを網羅していた。頭頂部から少しずれた右の小さな一点に細い冷たさが触れていた。いかにも無機質っぽい金属だった。背筋を真っ直ぐ通るその感覚はじわりじわりと広がっていた。筋肉が火照り息が上がったが四肢を動かすことはできなかった。
主治医は無表情のまま器具の先端を動かした。尖った金属が脳のシワとシワの間の溝のような部分を撫でるように優しく進んだ。
「ひうっ!」
五感のどれかがなんとなくうねったような気がしたがよくわからなかった。身体の奥底の核をカリカリと擦られているような心地でなんとなく居心地が良いような気がした。主治医は器具を少しだけ進めた。すると先端が脳の中に刺さった。チュリ、と音が鳴り血が滲んでいた。そのまま先端を五センチほどぐりぐり押してみせた。
「うたぅ」
友希那は敏感に身体を痙攣させていた。両肩を立てるように強張っていた。頭のツボのようなものを強く刺激されていた。刺激が強すぎて身体がくしゃくしゃになるような心地に至っていた。主治医は淡々と友希那の脳を摩っていた。主治医とその器具は友希那の思考や五感そのものに対して一方的であり自由自在だった。友希那の丸出しの弱点をほじっていた。主治医はやがて適当な位置で器具を押し込んだ。脳の中に器具をとどめて固定するつもりだった。既存の友希那を破壊しかき混ぜるような情緒だった。
「賭けぇ……、る!」
持ち手以外の銀色の部分の約半分が友希那の中に侵入した。友希那は顎を引きつらせていた。明らかに異質な何かが脳を襲っていたが詳しく考えたり矛盾を摘発するほどの能力はもう無かった。瞳はぐるぐると動き、四肢の筋肉の繊維そのものが張っていた。両足が少しだけ外側に向かっており股の部分が目立っていた。
「メスをください」
主治医は器具を保持しながら片手を突き出した。右の医者が医療用のメスを乗せた。主治医は握り込むとすぐに友希那の脳の右端にメスを刺した。
「んひっ!」
あまりにも冷たい鋭さ故に脳そのものが萎縮した。それは実際に萎んでいるような心地だった。身体そのものが小さく固まるような感覚に在った。尻穴からぬるついたものがひり出たような気がしたが何も無かった。下腹部にぬるいものが溜まっているような気がした。
器具がめり込んでいる脳の孔のふちからは薄い血が垂れていた。鮮血は雫として面倒臭そうに落下し頭部周りをひたひたと濡らしていた。
「A、終了」
器具は一切動かず友希那に刺さっていた。脳そのものから飛び出したように視える器具の持ち手は生焼けフランクフルトによく似た見ためだった。
「次はBを」
平坦な情緒の主治医は手を右の医者に向けた。医者は素早くワゴンから次の器具を拾い上げ空に成っている主治医の手に乗せた。先端がスプーンのように丸まっている器具だった。
「次は鉗子も使います。準備を」
「了解」
主治医の一声で左右の医者たちが動き出した。暗闇の中でざわめく小さな蟲のような極めて無機質な動きだった。
主治医は握ったBの先端を確かめると友希那の脳を撫でた。
「ううっ。あうあうあっ……」
友希那は首を反らせて口を動かしていた。身体の内側から身体が剥がれていくような不思議な心地だった。
主治医はその丸い先端で友希那の脳に文字を書くような情緒だった。臓器が圧される度に細かい水けのある音が散った。チリチリと漏らしながら赤色と透明が混ざった液体が滲み出ていた。主治医は器具をの中に突っ込んだ。
「おおぉぉ……」
ただの細長い金属はすぐに友希那の思考にめり込んでいった。明らかな異質が友希那の脳と体躯そのものをひどく冷たく律していた。開けられた口角からは唾液が垂れていた。四肢には泡のような極小の痺れが在り友希那は酔うだけだった。
「鉗子を」
主治医が命じると左の医者が鉗子をするりと伸ばした。主治医は受け取ってから二つの輪に指を軽く通し、清潔で堅い刃をシュルリと開いて友希那の脳に刺した。
「いっ――」
他とは違い明らかな痛覚だった。
主治医は再び鉗子を要求した。二本目も適当に友希那に刺した。
「いぃ、いいっ」
清潔な鉄臭さが上から意識を貫いた。冷徹な快感に友希那は震えるしかなかった。主治医はもう一度鉗子を入手し友希那に刺した。ヂュリと音が散り同時に友希那は冷たい雷撃を受けた。背中が脈打ち脳から多大な血を垂らした。脳の中でミミズのように蠢く切っ先が何か硬いものを掴んだ。
「これは……」主治医がポツリと放った。
「おとぉ、うさん」
主治医は鉗子を押し込んだ。
「おぉっ」
ごぢゅっ、という刺激が明確に頭の中で聞こえていた。身体の全ての部分を同時に均等の強さではたかれたような感覚だった。寒気と熱気が均等に混ざって全てを快感が包んでいた。遅れて両耳から真っ赤な血がとろりと垂れた。股間が湿って筋肉が粘り気を帯びた。
主治医は鉗子から手を離した。友希那の頭部から二つの銀色の輪が飛び出ていた。主事は医者が用意した三本目の鉗子をその脳に入れた。すでに弛緩して敏感になっている友希那の肩は弱そうに少しだけ揺れた。顔面の内側が急速に蒸れた。半開きになっている口がよたよたと動いた。その口角からは太い透明な唾液が逃げ出すように垂れていた。主治医は四本目の鉗子を友希那に入れた。
「おっ!」
首の辺りがかっくりと持ち上がった。脳から響くのは振動のような刺激だった。薄く研ぎ澄まされた刃が友希那の硬い思考も柔らかい嗜好も全て破壊して進んだ。主治医は次にメスを受け取って脳に刺した。友希那の身体がびくりと再び弾けた。両方の鼻孔から汁が優しくぬるりと垂れた。蛞蝓が歩んだ跡のような質感だった。主治医はもう一本のメスを受け取るとすぐに刺した。
「おっ……!」
友希那はすぼめた口を顎ごと突き出して声を打ち出していた。刃はチュクリと奥に入っていた。友希那は詳細不明の甘い痺れに敏感に反応するだけだった。それがどういう理由で身体にやってきた感覚か、あるいはそもそも今のこの状況の異質さについて、などという高度な思考はとっくに不可能だった。
「あの、大丈夫ですか?」
「は、はひっ……」
友希那は熟れた頬をぐちゃりと歪ませて声を打ち上げていた。回答という意識だけが先行していた。何か声を出さなくてはいけないと思ったがどうしても舌が廻らなかった。
そもそも舌とは何のためにあるのかと疑問に思ったが、その疑問も次の瞬間には海辺の砂城のようにドシャドシャと崩れて無く成った。
「あなたは何のために生きているのですか?」
「にゃぁ……」
友希那は縮れている声で応えた。
「ではCを」
主治医が呟くとすぐに医者が動いた。
「ぢゃん」
医者たちはすでに用意しておいたらしく素早い動作だった。器具を受け取った主治医はそれの先端を確かめた。尖っており捻じれていた。医療器具というよりは工具だった。
主治医はそれをためらい無しで友希那の脳に入れた。すでに他の器具や鉗子やメスで溢れたずたずたの脳の中から余っている場所を探して刺した。
「おっ……!」
尖った冷気が奥までやってきた。途端にぞくりとする感覚が下まで響いた。頭部の中で何かがチュリチュリと鳴っていた。何かは不規則に蠢いた。友希那はそれに合わせて胸を張り喉を起伏させるだけだった。主治医は淡々と器具を動かした。テーブルマナーを心得た美食家に似ていた。
「おおっ、おっ、おぉおっ……。おぐっ」
友希那は引きつった声を出していた。歌手の人間がよくやるビブラートに似た振動のようなものが在る声色だった。主治医は変わらない情緒で器具を細かく動かしていた。友希那はなんだか唐突に激しくなっていくのを意識していた。なんだか臓器が稼働していた。なんだか気概が咲き誇り息が荒くなっていた。視界が回転し続けざわめいた。身体の中が熱いような寒いような不思議な感覚だった。その感覚は次第に血管を通って股間へと集結した。友希那は抗えずに雌をむき出しにした。脳の奥に入り込んでいる鋭利がそのまま喉にまで到達し両目がぐりゅんと上を向いた「ぅっ」
友希那の身体が一瞬でガクンと起動した。大きく開いた両足はつま先だけが触れており後はアーチのように反っていた。まるで股間を必死に見せつけ強くアピールするような形だった。筋すら浮いている足の筋肉がさらに力み痙攣を起こした。
「にゅうっ……!」
やがて友希那の中でとぐろを巻いていたものがゆったりと崩壊した。開脚によって膜のように突っ張っていたワンピースのその股間の辺りがじわじわと湿った。思考の類は無かった。内側から飛沫が散乱していくような情緒だった。涙と鼻水と唾液を垂らしながら友希那は火照っていた。衣服の白色がすぐに灰色に落ちた。湿り気は足の形に添ってスカート部分を全て重くした。
「ひっ、ひいぃっ。いいっ……」
友希那の身体はすぐに引いた。猛る火炎が萎むようにゆっくりと下がった。
主治医は再び器具で友希那に圧した。変わらない情緒で細かく脳漿をえぐっていると、おまけのような情緒で友希那の胸部の二つの地点がちょろりと湿った。それは友希那の母乳だった。友希那の裸体にて逆立つ二つの乳首から母乳が染み出していた。真白い純粋な母性はぴゅーぴゅーと放射し、布の下の乳首の位置と形が布の上にむき出しになった。痙攣する故に顎の部分が時おり大きく動き、上下の歯列がカチカチと鳴っていた。その子気味の良い音はメトロノームのようだったが、不規則であり音の大小にもばらつきがあるため粗悪品でしかなかった。
「大丈夫ですか?」
主治医は友希那の脳を見つめながらぽつりと放った。
「ええ、高みに」
落ち着いた蒸れを孕んでいる友希那は緩んだ声だった。