音楽家・湊友希那のことを男は殺害した。
男は、もともと友希那のファンだった。友希那は、ガールズバンドを率いる孤高の歌姫だった。男はその、圧倒的な世界観と、それから友希那の歌唱力に、どんどん魅了されていった。
誰かに自慢したことなどないが、男は、その友希那が、プロとして活動をはじめる前の時期から、つまり友希那が、まだまだ高校生で、アマチュアというか、インディーズの世界にある時から応援していた。必死に、そう、友希那が歌を歌うことと、同じくらい必死に、男もまた、ライブで盛り上がってみたり、ファンレター、なるものを、慣れないけれど執筆して、とにかく、いろいろ行った。その全てが、男のファンとしての動きが、音楽的な活動をする友希那にどのように映っていたのか、そもそも、認知をされているのかどうか、怪しいのだけれど、いいや、別にどうでもいい。ただとにかく、友希那を聴いていたい。この友希那が、なんとも健やかに、けれど満足に、必死に、その脳裡で描く、まだ誰も想像のしたことのない音楽世界というものを、我々に、披露してくれることだけを、男は友希那のファンとして、一人の、小さな歌姫の従者として、期待しないわけには、いかなかった。
男が友希那を知った時、その歌姫はまだ高校生で、友希那はアア、どことなく、娘、だった。
それから数年経ち、男は変わらず中年で、一方友希那は、大学生になっていて、プロフェッショナルの世界、などという、男からすると、なんだか縁遠いというか、もやは未知で、何がどのように蠢いているのか、どのような仕組みにあるのか、一切、一向にわからない、そんな世界に、友希那はむしろ、挑んでゆくように、足を踏み入れている。男は、そんな友希那の勇ましさ、それからプロフェッショナルとなったおかげで、さらなる向上を得る友希那の音楽に、また魅了されるばかりだった。
それまで、つまりまだまだアマチュアだった頃、友希那は音楽家として、ひたすら質の高さ、というものを心掛けているように、男には聴こえた。けれど、もう、違う。プロフェッショナルになった友希那は、もう、それだけではないように、男には視えた。その世界に参戦し、同じく、プロフェッショナルの意気込みを持つ、猛者、そういう連中と、切磋琢磨をして、アアひとつ、またひとつ、そうして、己の音楽、その世界を造り上げる新しい友希那とは、いつの間にか、質の高さ、だけでなく、質の豊かさ、というものについて、必死に、探求しているように感じられた。
より柔軟で、より広々、視野が広く、寛容だが、じっくり検討し、研磨し続ける。人を頼り、人を信じ、己もまた信頼されて、音楽を、己の歌を紡ぎ続ける、そんな友希那の、真の歌姫としての華々しい道のり、輝かしい、王の道、そういうものは唐突に、男が刺し込む折りたたみ式の、ナイフの冷たさにより、終幕シタ……。
夜、そうして背後から、まるで闇討ちのように友希那の脇腹を刺したのだが、その際の表情も可憐に咲き乱れていた。この瞬間、男だけの歌姫となった友希那は、自らの身体を害し、命を摘み取ろうとするその犯人、つまり男について嫌悪し、非難し、けれど、もう垂れ出る血液が、抑えられない。やがて身体が少し冷え、掴みかかっていた腕が、くたり、と落ちて、友希那は真に、男のものになる。けれど、誰がこの行為について、犯行だ、などと弾圧し、男のことを、犯罪者、などと罰することができるだろう。妻と夫の邂逅に、その愛の実りの部分について、誰が、どんな世間の、よくわからない理屈で水を差すことができるのだろう。男にはわからなかった。というより、男は自らこそが、そしてこの友希那こそが、そうした罪だとか、犯行、犯人などという、人の枠組みから外れ、懸命に生きて、愛、というものを育んで、伸び伸びと生活する。そんなふうに、ナニカ選ばれているような気がしてならない。
今、男が開いたコートの中で、同じくコートを着る友希那は倒れかかっている。全身の力が抜け、男が広げるその懐の位置に、すっぽりと、収まって、その熱を、まるで男に任せている。友希那は、厚着だった。この寒さに対抗するかのように、薄紫色の髪はそのままに、まず白色のマフラーを巻き、コートはベージュ色だが、男が差したため一か所が赤い。前は開けて、黒いトップスはちらりと視えている。清楚なボタンが連なっており、長袖で、下半身については、なんとも雪のような、白色のロングスカートを履いている。靴は黒で、ヒールが少し、黒色のタイツがふわりと、足首、スカートとの、コントラストで目立っていた。
「あの、大丈夫ですか?」
背後から、女性の声が、聞こえてきた。男が棒立ちで、そこに、女――友希那が突っ伏すように固まっていると、どのような思想を持っていたって、きっと不思議に目に映る。男は友希那を抱き締めた。もちろん恋人のふりだった。この場で、それをしないなんてありえない。一方、友希那は男の腕の中で、くたりと虚脱にあった。首が自由に曲がり、長い髪が、マフラーを無視して外側に垂れていた。
男は、友希那の脇腹の傷を、自らの身体で覆い隠した。折りたたみ式のその、ナイフを裾に隠しておいて、女性に対し、振り向き、それでにこやかに、破顔した。
酔ってるんです、この人――。
アア、嬉しい。いいや、楽しい。こんな言葉を、酔っているだなんて、そんなものを、友希那をまきこんで呟くことが、何より恵まれているのだな、などと男は、君の溶けユく身体を擦って、実感した。
その晩、男は友希那と二人きりで過ごすことになった……。
夫婦だった。いいや、友希那と男の間に、生前の二人の中に、面識、などというものはなかった。付き合っていないし、結婚の約束なんて、していない。けれど、男は友希那を殺した。刺し、それから、友希那は血を流し、男を視て、凝視し、死んだ。それなら、いいじゃないか。二人は、夫婦。そういうものだと、認められたって、どこかバチなんて、きっとアタらない。だから男は、まず友希那を自分の家に、独りきりだった家の中に、連れ込んで、いいや、チガウな……。連れ込むなんて、そんなことではない。夫婦二人で、家に帰って、それからそれから、まず友希那に、全裸になってもらう。
友希那はきっと、疲れている。だから衣類さえ、モウ自分で、脱ぐことはできない……。
などと思いつつ、イイヤ友希那ハ、トックニ死体ナノダ……、と現実を思い直して、男は友希那の身体から、その衣類を剥がしていった。ゼンブ、コートからはじまって、ショーツたちも、素肌の上から消えてもらう。そうすると、アア視えてくる。友希那の脇腹の、その箇所にひとつ、花でも咲いたかのように、赤黒いものたちが覗く……。それはつまり、男が渡した、最期のファンレター、いいや、ラブレターなのだけれど、血で、身体が濡れているのは、よくない。
そのため男は、友希那のその箇所に顔を沈ませ、傷の周辺を、執拗に舐め取った。
今、男が普段から、寝起きに使用するベッドに友希那は横たわり、男は、邪魔な胸元のボタン二つを、指ではじいた。それから男は、友希那に付けた、ナイフの傷の、その流血を舐めた。いいや、流血といっても、血は止まっているため、傷の周囲の、その垂れ出たものたちを舌先で、ひとつ。またひとつと舐め取って、ヨク味わい、飲み込んでいった。
それは、友希那の命の味だった。傷が綺麗になると、次に男は、友希那と、つまり新婚の妻と、風呂に入り浸った。男もまた、衣類を脱ぎ、これで夫婦、二人で全裸で、そんな状態のままで、男は友希那を抱き上げた。アアこれは、つまり、お姫様抱っこ、などと呼ばれるもので、男はそんな中、アア友希那は、見ための通りに軽いのだな、などと思い、夫婦は浴室へ。友希那には、椅子に座ってもらうとして、男は、その真正面に跪き、いくつか石鹸を使用し、友希那の身体を清掃した。まず右腕を撫でるように洗い、左腕を洗い、それから胸元、ここで男は、はじめて友希那の、何も隠れていない乳を眺めた。なんて、穏やかに造られた乳肉だろう、男は絵画に想いを馳せるように、好きなコの、おっぱいについて頬を赤らめた。そうして、右手、今、男の右手にはたっぷりの、白色の泡が含まれている。それは、友希那のために用意した、友希那の身体を清掃するための、石鹸からの泡、男は、これを友希那に撫でつけた。小さく、ぷっくりと造られた胸元を擦り、泡が、音を立てながらよく馴染んでユく。また泡の中で、男はさりげなく、友希那の乳首を突いてみる。泡まみれなので、わからない、だから偶然、触れただけだよ、などという、さりげなさを顔で造り、友希那を覗いてみると、その表情は、ほぼ無表情にある。
それは、男が友希那の服を脱がせた際、同時に行った。友希那は、男に刺された際に顔を引きつらせた。その瞳、口や、頬に浮かぶ表情の中には、アアコレカラ死ヌ……、という、綿密な、恐怖の意識が巡っていた。そんなもの、アア可愛い。もちろん、恐怖に飲まれた友希那だって、愛らしい。けれど今は、そういった趣より、穏やかな顔つきがいい。それがこの場によく似合っているというか、そうあるべきだと、なんとなく、男は思う。そのため、男は友希那の顔を、瞼を、頬を、口を、指先で、押し込むように動かして、無表情に、終わらせてヤッタ。出来上がった顔つきは、なんとも香しい。色彩がなく、けれどどこか、力が抜けている。瞳は視えていないケド、瞼の奥には、光のナイ瞳がある……。
アア、それが、美しい。
男は、友希那の顔から、まるで初恋の少年のような所作で顔を外し、それから下半身を、太腿を、脛を、足首に足の甲、足の指の、一本、一本マデ、丁寧に泡で、揉んでイッタ……。それが終わると今度、男は立ち上がって、桶を掴み、湯で、友希那の身体を洗ってイッタ。温かい湯を、男は優しく、友希那の首元に垂らした。スルト湯は、スルルスと友希那の肩甲骨を、肩そのものを降りていって、透明なまま、ケレド泡をまきこみながらしたたり、音を立ててて流れてイッタ……。それも終わると、今度は頭。男は頭髪用の石鹸を取り出し、泡を造り、立ち上がったまま、友希那の頭部に手をかけた。まず、背中一面に垂れて、湿ったまま貼り付く長髪、薄紫の綺麗な無数の、カーテンのようなそれらを、掬うように回収し、頭部でまとめて、泡と共に揉んでユく。
友希那の髪は、美しい。男は、友希那の身体の中で、たとえば一部分だけ、一部分にだけ、キスができるといわれたら、髪にシタイ、毛先の、その一点の部分に、口付けさせてクダサイ、などと懇願する……。それほど、友希那の髪は美しくって、時に荒々しくって、揺れていて、優雅にあって、友希那の所作に、イチイチ追随する髪が、その、空中に生み出す薄紫の流れ、そのものが、愛おしいのだけれど、今は、男は、そんな友希那の特異な、美しさそのものを独占している。
つまり、髪だけではない。サッキ、胸を触ったシ、股間ダッテ、自由にデキル……。
腕も足も、太腿が以外と、シッカリ造られていて、香しい……。腕は細くて、腹部も薄く、鎖骨の堅牢な雰囲気が、また香しい……。男は、それで頭髪の清掃を終え、また桶で、湯を、友希那に優しく注いでやった。湯は、友希那の小さな頭部をつるつると滑り、その髪型に付着した、イッパイの泡を拭い取りながら、また身体を落下し、音を立てながら流れていった。それから、男は友希那のその、長い髪型をお団子に仕立ててヤッテ、それから一緒に、湯に浸かった。つまり、浴槽に入り込んで、二人、夫婦一緒に、肩まで使って、温かい、いいや熱い湯に、みつめ合いながら、落ち着いてイッタ……。
友希那は、もう死んでいる。身体のどこに泡が触れても、男に指先で触れられても、動じない。それは、友希那が生きている間に培った、あの強かな精神のことではない。それは、絶命という、生命の終幕がもたらした、絶対的な沈黙のことであり、男が湯で、ピチャピチャと遊んでも、頬に舌を伸ばしても、友希那は動じない。
男は、狭い湯舟の中で友希那を抱き締めた。湯舟の壁に背を預け、友希那をギュット離さない。
友希那の、死体。
アア、動かない君の、なんて嬉しく、愛らしく、都合のいいことだろう。死体というものは、美しい。それが女の人のであるのなら、まして、友希那のものであるのなら、何より勝る美しさ、何より嬉しい、そんなふうに、僕は思う。そうだ、そのままでいい。君には、死体のままでいてほしい。それが今の君の、友希那という存在の中の、君の、最も強い魅力、僕が夢中になる。僕の中の、君に対する最大限の高い価値、存在理由というものが、君の死体であり、君が死んだ、という事実だった。
生きている友希那に、こんな破廉恥なことは思わないのだけれど、ずっと、隣に居てほしい。何も、モウしなくっていい。何も発音したり、モウ歌わなくたって、ソレでいい。けれど死体で、死体として、友希那のままで、僕の隣、僕の、すぐ横の、誰も入らない、君しか居ちゃいけない、そういう場所に、ずっと居てほしい。