※この作品はR-18です。

湊友希那リョナシリーズ。   作:美肉。

7 / 16
両足を欠損した湊友希那の腕を切る猟奇小説。


湊友希那の腕。

 湊友希那は幼馴染のリサとの待ち合わせ場所に急いでいた。

 二日前、次の休日に洋服を買いに行こうと誘ってきたのはリサだった。断る理由などなかった。それまでメッセージでのやり取りだった二人は通話に切り替え、具体的な予定を決めていった。休日に外出なんて久々ね、と友希那がほほ笑むとリサの声色は高揚し、次に紗夜や燐子、あこたちも誘おうかと提案するとなぜか動揺した調子で二人きりがいいと縮こまった。その際の様子が少し気になったがとにかく予定は決定した。

 そして現在、まだ朝の香りが残る街のを友希那は歩いていた。

 遅れていた。

 長い髪、それからワンピースのスカートを揺らす友希那は前へ前へと突き進んでいた。いつも、人との待ち合わせ時間には絶対に遅れぬよう注意している友希那だったが、今日ばかりは油断した。数分、いいや十分ほど遅れてしまうことはリサに連絡済みで、慌てなくていいと返信を貰ったが焦燥を絶やすことなどできなかった。足腰を素早く力む友希那の脳裡には、ゴメンナサイ、申シ訳ナイ、という謝罪の意識のみが浮かんでいた。せっかくの休日、外出に誘ってもらって遅れてしまうなんてあってはならないことだった。それは人としての常識であると同時に、友人として、幼馴染として二人で過ごす時間が減ることへの罪悪でもあった。

 友希那はそのように急ぐ心地を喉元に添えて歩いていた。とにかくはやく合流したかった。待ちくたびれているはずのリサの顔から不安感を拭いたかった。

 人をかき分け、信号を待って横断歩道を渡り、ようやくあの角が視えてくる……。

 角とは友希那もリサもよく知る街の道のことだった。あと数歩、一メートルほど先の角を右に曲がると駅が視え、そこにリサが待っているはずだった。

 友希那が踏み込んだ瞬間にその背丈を大きな男の影が多い腕が差し迫った。

「友希那……?」

 待ち合わせ場所に立つ今井リサの、幼馴染を呼ぶ声が冬の風に溶けていった。

 

 意識を取り戻した友希那は自分が座らされていることをまず知覚した。

 しかし友希那はその自分の身体を視認することができていなかった。今、友希那の身体にはビニールシートが被さっていた。首から上部分、つまり頭部だけは自由に動かすことが可能だが、胴体部分は椅子ごと全て隠されていた。友希那は散髪をする際、最初に布を被せられるあの状況を思い出していた。しかし今、散髪などという平和な状況にないことはよくわかった。

 友希那は身体を揺さぶってみた。しかしビニールシートは動かなかった。シートの中、視えない身体の部分は手首と足首でそれぞれ拘束されているようだった。

 緊急事態であることなど一目瞭然だった。肌の間隔から衣類は取られていないことがわかるが、それでも身体の自由は奪われていた。身体の様子を確認することもできないし、そもそもここはどこだろうと友希那は周囲を見渡した。周囲にあるのは薄い闇色だけだった。

 薄闇は友希那のことを遠くから狙い定めているかのように漂っていた。友希那は頭上を視た。顎を上げると長い髪が揺れ、毛先はビニールシートの上をカサカサと蠢いた。友希那はそれから天井部分にひとつ小さな照明があることを視た。この照明だけが頼りだった。たとえばこの照明が消えた時、周囲の一定の距離で保っている闇たちが一斉にこちらに飛び掛かり、間もなく闇の世界に摂り込まれてしまうような気がした。そんな、不快で非現実的な妄想が友希那の脳裡を通っていた。そして、今の友希那はその妄想が、ただの妄想ではなく間もなくやってくる現実のように思えて仕方がなかった。妄想であると決定付ける要素がどこにもなく、それを探そうと周囲を視ると闇と目が合うだけだった。

 友希那は身体を再び大きく揺らしてみた。すると返ってくるものとは閉鎖感だけだった。視えないが、おそらく両手首は肘掛けの位置に留められているようだった。ロープか結束バンドか、わからないが相当強く縛られているようだった。詳細不明の拘束具は友希那の肌肉に食い込み、痺れるような痛みが通っていた。友希那はそれでも身体を揺すった。この椅子は木製か、肩幅を揺らすと何か軋むような音が連続し、友希那はそれでも身体を動かした。木製の椅子であるのなら、いずれどこかが壊れて脱することができるかもしれないと思っていた。それもまた妄想の類だったが、今は妄想に縋るしかなかった。友希那の左右運動は過激となり、やがて椅子そのものが左側にガタンと倒れた。その轟音さえ闇の中に吸収されてすぐに無になった。友希那は頬の部分に床が迫ることを意識していた。視界の中で長髪が垂れていた。床は冷たかった。友希那は身体を芋虫のようにうねうね動かし、どうにか起き上がろうと舌。しかし身体は、いいや椅子は動かなかった。それはある意味で当然だった。しかし今の友希那は何より必死だった。全身に汗が浮き、汗に衣服が貼り付いて蒸し暑かった。友希那はビニールシートの中で両手を握り締めた。両足に力を入れようとした。

「え――」

 右足、それから左足で空を掻いた瞬間に友希那の聴覚は自分以外の音を聞いた。

 それは人が歩く音だった。友希那は息を殺した。なぜか呼吸を狭めて身を縮めていた。脳裡に冴えわたる危険信号が鋭く反応して煩かった。全身に這う粘ついた汗が急速に冷え、喉の部分が切羽詰まって呼吸の方法がわからなくなった。足音は近づき続けていた。友希那は目を閉じた。次に浮遊感を得た。

 椅子ごと友希那を起こした男は次にビニールシートを取り払った。

 目を見開く友希那は、そのすっかり処理された二つの丸い断端に言葉も呼吸さえわからなくなった。

 

 なぜこのようなことが起こっているのか友希那には理解ができなかった。

「ああっ、ああぁ……!」

 左右二つのどちらの足も喪失していた。友希那は最初、その短く、先端が丸っこい形状を視てそれが自分の身体の一部なのだと上手く認識できなかった。衣類は脱がされていた。今、白色の下着のみを許された友希那の下半身は短く、けれど動けと命じてみると、その部位は確かに足のように軽く上擦り、閉じ込んだジッパーのような荒い縫い目がちらりと視えた。

「どうして……」

 すっかり縮んだ自らの下半身を前に友希那は細く呟いた。なぜビニールシートが捲れるまで自覚しなかったのかわからなかった。自分の身体に対する感覚が不可解に思えた。いいや、足が切断されているなんてそんなこと、それほどのことを誰が積極的に予想するだろう。そんなことは普通はありえなかった。しかし今、そのありえないことが我が身に発生していた。

 どれだけ身体の感覚を、服をそうするように脱ぎ取ろうとしても下半身は縮んだままだった。

 椅子の上で断端が死にかけの幼虫のようにぐねぐね蠢いていた。足を失ったという奇妙な事実が至極身近な体験として意識できてしまっていた。友希那は真に絶望していた。打ちひしがれて絶叫したかった。しかし喉は凍てついたように機能しなかった。ただ肺の部分が狭まって何かせり出てくるような感覚があった。それは、もう歩けないことへの喪失感ではなかった。それよりも今、自分の足がこのような奇妙な変形を果たしたこと、それそのものについて友希那は息苦しさを体験していた。だって、今、もうあらゆる未来が閉ざされていた。足のない現実だけが強引に突き出されていた。両足を失った生活なんて、それは生活と呼べるのだろうか。その完璧に断絶された理不尽について、友希那は我慢ができなかった。とにかく逃れたかった。しかし、切断済みの身体の感覚は常に友希那の最も近しい位置に付属し、拭い取ることなど不可能だった。

 男は手術する医者のような恰好だった。

 男とは、身体を揺らして椅子と共に横転した友希那を直し、ビニールシートを取っ払った男だった。つまり友希那に現実を突き付けた男であり、きっと、足を切断したのもこの男だと友希那は思っていた。それは理屈の類ではなかった。直感、というか場の流れのようなものであると同時に、友希那は怒りを男に押し付けたかった。眼前で、手術着を着用し、目元以外の箇所も独特の緑の布に包まれた男こそがきっと全ての犯人だった。

「あなた――」

 友希那が顎先を男に向けると、男は右腕を強く振り被って威嚇した。「ひっ」っと友希那は引きつった声を出した。殴られる、と神経を際立たせ、首を逸らしたが打撃は受けなかった。男のその構えは確かに殴打の動きだった。振り被った拳は普通なら友希那に激突し、骨が肉を打って激痛が友希那にだけ走るはずだった。しかし男の拳は宙で止まった。つまり威嚇だった。男は最初から殴るつもりなどなく、何か勢い付いている友希那に、『そのフリ』だけをして黙らせたいだけだった。

 それは明らかに人間的な行動だった。

 つまり、男とはまず友希那を人だと認識し、そこから奇怪な反応を引き出し楽しむ完成があるということだった。怯えて緊迫する女性を弄ぶなど、これは他の野生動物ではありえない生態だった。友希那は男を睨んだ。男の目にはやはり光がなかった。友希那は最初は男が光りを喪失したのだと思っていた。しかし今の『煽り』を受け、この男には生まれた時から瞳の中に光など宿していなかったのだと思い直した。

 そうした温かいものに縁がない、寒々しい感性だけを持ち越した人物なのだと友希那は男を軽蔑した。次に脳裡で浮き上がる感情とは反骨精神だった。こんな男、どれだけ卑劣で卑怯な蛮行を起こしたところで私は負けない、そうした純粋で、力強い意思を友希那は男に対し逆行するかのように目元に宿した。

 男が持ち出した刃物に対し友希那はまた吐息を鋭く引き戻すことになった。

「待って――」

 刃物とは医療の場面などでよく目にする医療用メスだった。右手でそれを摘まむように構える男を前に、友希那は身を引き締めていた。それは明確な恐怖心による萎縮だった。今まで、男から不気味な気配は常々感じた。しかし不気味なものは不気味なだけだった。そこからさらに一線を越えるように、刃物という暴力的な道具が登場したことでこの場は完全に緊迫した。また現在の、両腕を拘束されているとういう状況と相まって、友希那は自身の生命の危機を感じ取っていた。

 鋭い銀色が照明の光と拮抗して寒々しい。友希那はヤメテと叫ぼうとした。しかしその声を待っていたかのように、その発言を阻止するかのように男は友希那へ医療用メスを刺し入れた。

「いぎぃっ……!」

 たった数センチ程度の刃だというのに痛みは強烈だった。

 細く研ぎ澄まされた刃は皮膚を簡単に貫き、その下に造られた肉に小さな切り込みを入れた。友希那は椅子の上で暴れるように身体をよじった。男は医療用メスを持たない左手で友希那の腕を肘掛けに固定した。最初から結束バンドによって自由はなかったが、これで完全に固定された。男は次に友希那を刺したまま、友希那の腕に文字を書くように刃を動かした。ヂクヂクとした痛みに友希那は嗚咽を漏らした。皮膚が千切れ、肉が引き裂かれて流血がさらに悪化した。いつの間にか額に汗の粒が浮き、呼吸が狭まっていた。しかし酸素が何より欲しかった。そのため友希那は肩を揺らして大きく呼吸した。フーッ、フーッ、という声が響いた。

 椅子の上で真ん丸の断端がふたつ慌てていた。男は止まらなかった。というより友希那の声など届いていないようだった。そんなものより若い女の腕を切りたいようだった。男は友希那の腕の血管を断ち切るように、縦方向にいくつもの傷を友希那へ刻み込んだ。

 そうして少しして、男はようやく医療用メスの刃を友希那から持ち上げた。

 友希那はすでに体力を多く消耗していた。鼓動がありえない速度で稼働し、全身が煮え滾っていた。

 肘関節付近から手首の近くにまで、見知った腕の表面には明確な傷がいくつも刻まれていた。腕そのものが膨張したかのような感覚だった。そしてひしめき合う傷口からちろちろと流血が続いていた。血液は赤黒かった。ワインのように濃厚な色を示していた。そんなものがだらだらと垂れ、まず腕そのものを赤色に濡らしていた。流血は腕の輪郭を下って肘掛けに触れ、滴り落ちていた。周囲に薄らと鉄のにおいが充満し、ひりついた痛みが友希那に継続していた。

 傷口に触れるちょっとのそよ風でさえ激痛だった。熱が集結し、圧倒的な痛みを伴って痙攣していた。

 男は医療用メスを持つ腕を下げ、マスクを取った。友希那は驚愕した。男のその位置にはもちろん口があった。しかし血色はいいものではなかった。紙粘土で造られたかのように、唇は白色で胡乱に開き、男は身体を倒して友希那の傷口を舐めはじめた。

「な――」

 男の唇が皮膚に触れた瞬間に友希那は悲鳴を上げた。

 まだ恋人どころか、異性に対する色恋そのものに疎い友希那にとってそれはおぞましい以外の何でもなかった。肌の上に知らない男の粘膜が触れて擦れ合っていた。酸素を求める鼻呼吸に肌が撫でられていた。それは何か、自分の中の乙女の部分が貶されているような感覚だった。ひどく不純に消費されてゆくような喪失感だった。傷口の上で男の唇が蠢き、その間の位置から舌が伸びて擦られるとと全身が粟立ち、友希那は固定されていることなど忘れて腕を退かそうと必死に力んだ。こんな不快な男からさっさと逃れたかった。しかし男の腕力は友希那のそれを完全に上回っており、どれだけあがいたところで少しも離れず血液を啜り続けた。

 肌肉同士が弾ける音がいくつか響いて男は顔を上げた。友希那はもはや意気消沈だった。この数分で自分の身に起きた全ての出来事が、圧倒的な理不尽のように思えた。無数の傷で埋め尽くされた右腕には、唾液による新しい光沢で潤っていた。しかし友希那はあまりもう、自らの腕だというのにそれを意識したくなかった。何かひどい汚物というか、腐った食べ物を前にしているように目を必死に逸らしていた。男が腕を持ち上げた。友希那はその素手の先を視ていた。骨のように細い指先で、男は新しい医療用メスを握っていた。

「まさか……」

 今まで酷使されてきた右腕、その反対側の左腕に向かって男は刃を振り下ろした。

 

 虚ろな瞳の友希那の頬には涙の痕がこびり付いていた。

 身体の内側が寒かった。しかし両腕と呼べる全ての領域は、もはや麻痺したかのようにあやふやで熱かった。喉はほぼ機能していなかった。友希那は泣き叫んでいるのではなく故障していた。肉体的な機能が脆弱し意識さえ朧気なところにあることだけがはっきりとしており、友希那は俯いていた。

 この椅子の上、左右の肘掛けにそれぞれ披露されている両腕は男によって『使用』された後だった。

 おびただしい数の傷が浮き、もはや皮膚の色がわからなかった。流血は止まっておらず、その赤黒いものたちは腕の輪郭を丁寧に下り、肘掛けの部分を濡らしながらぽたぽたと床に落下し続けていた。周囲に漂う鉄のにおいが濃厚になり、空気が湿っていた。友希那は指先を動かそうとしていたが不可能だった。脳から腕の距離が遠いような感覚があった。稀に、人差し指の先端だけが死にかけの昆虫のようにぴくりと動くことがあった。しかし上向いた手のひらをもう一度握り込むことはできず、友希那は傷だらけのかつての腕を涙と共に眺めるだけだった。

 こんな腕……、と友希那は想像した。この腕ではもう、マイクを握ることができないかもしれないとすぐに想像していた。それどころか、作詞のためのペンを握ることも、他の楽器を握ったり、そもそも、ライブステージのための衣装を着ることさえ、不可能のように思えた。

 友希那の脳はそのように、目の当たりにする腕の惨状を音楽的な喪失として考えていた。それは友希那の本性であり本能であり本質だった。そして友希那は、こんな腕ならもう目にしたくない、などと強く考えた。別に、目で視なければ腕が完治するわけではなかった。しかし、ひどく荒れ果てた腕を、今のように突き付けられてしまっては、無力感と、そこから起因する悪い未来の想像しか脳裡に浮かばなかった。

 顎先に何か触れた。それは男の指だった。友希那はグイと顔を持ち上げられた。視界の中に男があった。友希那の腕を両方とも傷だらけにした男だった。友希那の足を切断した男だった。リサと待ち合わせをしていたのに、それを無視して友希那を拉致した男だった。男は友希那の顔を両手で摩った。最初は顎先から頬の部分、親指は唇に擦れ、次第に男は前かがみになって顔と顔が近づいてきた。男の触手は徐々に上方向に這って伸び、頬から目元、その細い指の腹で友希那は瞼を撫でられた。

 友希那の頬からつるりと新しい涙が溢れ出た。男はそれを受け取るように拭った。友希那は至近距離で男の親指の先端を視ていた。親指は下方向から少しずつ視界を埋め尽くし、その指先は押し入るように眼窩の中へめり込んだ。

 頭部内側でゼリー状の何かわからないものが勢いよく弾け崩れる感覚があった。それは硝子体だった。男は友希那の眼窩へ親指を進入させ、その指先は硝子体を圧し潰しているようだった。男の腕力は凄まじかった。友希那がどれだけくぐもった声を出して身体を痙攣させたとしても、その両手が離れることはなかった。友希那は赤色の涙を流していた。眼窩に指を入れる男の爪先が粘膜を引っ掻き、そこから流血したものが溢れて頬を伝っているようだった。

 間もなくして、男の親指の根本までが友希那の眼窩にみっちり挿入された。何も視えず、友希那はただ脳裡の奥まで響く痛みだけを感じていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。