※この作品はR-18です。

神楽敗北記   作:gajun

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※初掲載時のあらすじ部分

桜姫の元へ一つの依頼が送られてきた。
それはとある村の近くの森の地脈の浄化するというものだった。
なんの前触れもなく突如、地脈を護っていた封印が解かれ、さらに妖気によって地脈そのものも汚染されてしまったという。
その結果妖気による浸食は森だけに留まらず村にまで迫りつつあり、すでに妖怪の目撃や霊障と思われる被害まで出始めている。
桜姫からの任を受け、弥生は事件解決のためその村へ向かうのだった。



葛城弥生編
弥生×なりすまし(探索~戦闘)


「退魔士様、どうかお気をつけて。この村に今一度平和を取り戻してください」

「はい。お任せください。きっと私が解決してみせます」

 

 深々と頭を下げ懇願する神主の言葉に、葛城弥生は力強く応えて見せた。

 そして神主に背中を見送られるようにしながら、鬱蒼とした森の中へと足を踏み入れて行ったのだった。

 

「こんな人里近くまで妖怪たちの気配を感じるなんて……。あまり猶予はないようですね」

 

 弥生は森の中に入ってすぐに森の至る所から妖気が滲み出ていることに気づく。

 中でも一際強い妖気がまるで自分を誘っているかのうように放たれていた。

 この土地の地脈を浄化するためにも、この相手と一戦交える必要があるようだと気を引き締める。

 

「いざっ。参りますっ!」

 

 自分の得物である大切な愛刀を強く握りしめ、森の奥へと向かって駆け出す。

 

 そんな弥生の常人離れした膨大な霊力と雌の匂いに誘き寄せられるように一匹の大蜘蛛が樹上から彼女の前に飛び出してきた。

 

『キィィィイィィィィ!!』

「――ヤァッ!!」

 

 すでに敵の存在を察知していた弥生は気合と共に刀を居合抜き一閃。

 聴いた者に嫌悪感を与える耳障りな鳴き声を上げながら飛び掛かって来た大蜘蛛は一刀両断され空中で体液を撒き散らしながらあっさりと絶命した。

 振り抜かれた刀には体液が一切付着しておらず、今も刀身からは眩い輝きが放たれていることから、まさに神速の一撃だったのだろう。

 

 そして、この一瞬の戦闘が本格的な開戦の合図となったようだ。

 周囲にいた妖怪たちが一斉に弥生の存在に気づき、四方から徐々に近づく様に移動を始めていた。

 

「……まずは、この辺りの掃除からですね」

 

 弥生は接近してくる妖怪たちの気配に怯むことなく、その場で刀を構え直すと一層気合を込めて待ち受けるのだった。

 

 今、彼女の元へ我先と向かってくる妖怪は言ってしまえば、彼女にとってはただの雑魚だ。

 力の差を判断できず、ただ雌の気配に発情し向かって来ているだけの碌な知性すら持ち得ない低級の妖怪共にすぎない。

 もちろんただの一般人からすれば、それでも十分に脅威となり得ることだろう。だが、弥生は対妖怪戦闘に特化した存在――退魔巫女だ。

 雑魚妖怪が霊力と雌の気配を察して自分に向かってくると言うのであれば、その逆も然り。

 いくら森全体が妖気に包まれているとはいえ、騒がしく物音や奇声を上げながら、自分に近づいてくる妖気の気配に気づかないわけがない。

 取り囲んでから一斉に襲い掛かってくるならまだしも、そんな知恵もなくただ早い者勝ちと言わんばかりに走力も位置もバラバラに近い物から順に近づいては一太刀で絶命するような存在に弥生が負けるはずはなかった。

 

「――セイッ!!」

『グギャッ』

 

 最後に胴斬りにされ醜い断末魔を上げた餓鬼を確実に仕留めたのを確認すると、一度刀を素早く振り抜き、戦闘中に刀に付着してしまった妖怪の体液を振り払ってから鞘に納めた。

 

「はぁ……」

 

 弥生は自分の周囲に近づいてくる気配がなくなったのを確認し、戦闘で昂ぶった精神を鎮めるために一息つく。

 今の戦闘だけで蜘蛛や餓鬼、枝や蔦を伸ばしてくる妖怪たちを十体近く討伐したが、彼女は息一つ乱れていなかった。

 弥生の周囲には、彼女が切り捨てた妖怪たちの残骸はすでになく、最後に切り伏せた餓鬼の死骸もまた空気中に溶けて行くかのように消えていく。

 おそらくこの森の中で息絶えた妖怪は、存在そのものが森全体を覆っている妖気に還元されているのだろう。もしかしたら、いずれまた別の場所に発生してくるのかもしれない。

 妖気で満たされてしまった土地は、一刻も早くその土地の地脈を浄化しなくてはならない。

 妖怪が異界から現世へと流れ込み、そのテリトリーを広げていってしまうのだ。

 

 まだ十分に余力を残し戦闘が可能な事を確認すると、弥生はすぐに移動を開始した。

 

 

「――タアッ! セイッ! まだまだですっ!!」

 

 奥へと進んでいく度に戦いも苛烈な物へとなっていく。

 入口付近の虫や小型の動植物の妖怪は淘汰されているのか、サイズも徐々に大きな個体が姿を現し始めていた。

 弥生は今、『火車』と呼ばれる全身に火を纏っている猫と同じく燃え盛っている車輪が一体化したような姿を持つ妖怪と激闘を繰り広げていた。

 大型化していくことで自然と発する妖気も身体能力も上がっているのだろう。そして、妖怪の戦い方もただ近づいて自分の手足を振り回すという単調な物から、特徴的な物へと変化もしていく者も増えてきていた。

 相対している『火車』もまた猫のような敏捷性と機動力を持って、岩や壁を蹴り、回り込み、弥生の側面や死角から攻め込もうとしていた。

 しかし、弥生は変則的な戦い方をしてくる『火車』の動きをしっかり見切り、繰り出される爪や牙を刀の刃で受け、返す刀で致命的な一撃は与えられないものの、徐々にダメージを与え続けていた。

 互いの刀と爪と牙をぶつけ合わせていると、不利を悟ったのか火車が大きく後退した。

 距離が離れた後も弥生が構えを崩さないのを見るや否や、

 

『フギャアアアアァァァァッ!!』

 

 おぞましい鳴き声と共に妖気塗れの炎を吐き出してきた。

 サッカーボール程の大きさの火球が弥生めがけて一直線に飛んでくる。

 

「……虚を突いたつもりでしょうが、その手は知っていますっ」

 

 弥生は動じることなく懐から一枚の護符を取り出すと、その護符に込められていた能力を解放する。

 彼女の手から流れ込んだ霊力に護符の印字が輝き出すと同時に、極小規模の吹雪が発生し凍てつく冷気と火球がぶつかり相殺した。

 

 その様子を目の当たりにした火車の方が逆に虚を突かれる形となった。

 多少の手傷を負わせ戦意を失わせてから、歯向かってきた雌にじっくりと立場を分からせてやろうという浅ましい奸計が打ち砕かれ、もはや自分に勝ち目がないと悟ってしまったのだ。

 火車の奥の手を相殺すると同時に弥生はすでに火車に向かって駆け出していた。

 呆然としてしまった火車がハッと意識を取り戻すがもはや手遅れ。最後に見た光景は、目前に迫る白刃となるのだった。

 頭を真っ二つに切られた火車はそのまま全身の炎が全てを燃やし尽くすようにあっという間に焼失していった。

 

「はー……はー……。この程度の相手には、負けるわけにはいきませんからね……」

 

 一対一で戦えたのは幸いだった。

 いくら実力的に相手より勝っているとはいえ、目の前の相手だけでなく常に第二、第三の乱入者に警戒をし続けながら戦い続けなくてはいけないのだ。

 乱れた呼吸を整えながら、弥生は頭の中で浮かんだ二つの選択のどちらを取るかを自身に迫っていた。

 

 このまま先へ進むか、一度撤退するべきか。

 運が良かったのか、今までに遭遇した妖怪の中に強力な個体はいなかったため、戦闘に支障が出るほどの手傷を負ってはいない。まだ戦闘能力は十分にある。

 しかし連戦に次ぐ連戦でさすがに身体も多少の疲労や空腹を感じ始めているのも事実。

 呼吸を整えると、ゆっくりと顔を上げ、森の奥へと鋭い眼光を向けた。

 

「……行きますっ」

 

 結果、弥生は探索の続行を選択した。

 気の焦りがあったのかもしれないと自覚しつつも、妖怪の数が少ない今が地脈を浄化するチャンスかもしれないとも感じていた。

 一刻も早く自分を頼ってくれた村の方々や神主さんの穏やかな生活を取り戻してあげたい。

 そして、兄や桜姫に無事仕事を終えた報告をして褒められたいという、年相応の少女のささやかな願望も。

 

 

 どんどん濃くなる妖気に対して、周囲は不気味なほどに静かだった。

 ここまで妖気で満たされた空間であれば、火車と同等かそれ以上の妖怪と一戦どころか二戦でも三戦でも交えていてもおかしくなかった。

 だというのに、火車との戦闘を最後に、すっかり妖怪を息を潜めてしまっているようだった。

 まるでここが何者かの縄張りであるかのように。

 

「ここが、終着点のようですね」

 

 木々に囲まれた細く狭い道を抜けると不意に開けた場所に出た。

 先には小さな祠も見える。が、おそらく今は妖気で汚染され尽くしてしまっているだろうことが窺えた。

 

「……さしずめ嵐の前の静けさ、といったところでしょうか?」

 

 鯉口を切り、いつでも抜刀できるように刀に手を添えながら祠へとゆっくりと近づく。

 周囲からは変わらず妖怪の気配は感じない。むしろ正面の祠に妖気が収束してきているようだった。

 あと数歩で祠に辿り着く、というところで弥生は足を止める。濃密な妖気の塊を完全に自分の間合いに捕らえたからだ。

 これで奇襲があったとしても、射程外から一方的に攻撃されることはない。

 地脈の浄化が最終目標ではあるが、こうも露骨に強い妖気を発されている以上、まずはそれから対処しなくてはならない。

 

「いい加減に姿を現したらどうですか? それとも、このまま大人しく払われてくれるのでしょうか?」

 

 弥生は最後通牒を告げると同時に腰をわずかに落とし、右手をそっと愛刀の柄に添える。

 刀全体に自身の霊力を染み込ませていく。

 まだ妖気の塊でしか存在できず、妖怪として具現化できないのであれば好都合。このまま一刀で切り払うのみ。

 消滅させられるだけの霊力が溜まる直前、弥生の目の前の空間が歪み始めた。

 

「――っ!! セイッ!!」

 

 妖怪の出現を察知した瞬間、弥生は半ば反射的に居合斬りを放った。

 妖気を祓える程の霊力は溜まっていなかったが、それでも先の先を取り、わずかにでも手傷を負わせることができればという目論見が込められた一撃。

 しかしそれは金属同士の衝突音という形で阻まれてしまったことを弥生は悟り、直後驚きの表情を浮かべた。

 

『おっと。危ない危ない。ギリギリまで出し惜しむのは俺の悪い癖だな』

 

 突然弥生の目の前に出現した男は、彼女が放った居合抜きとまったく同じ立ち回り、太刀筋で奇襲の一撃を防いでみせた。

 

「――なっ!? お兄さ、……ちがうっ!!」

 

 弥生は現れた男の姿に一瞬激しく動揺してしまったが、すぐにかぶりを振り冷静さを取り戻す。

 ここに彼女が最愛の兄として慕っている『葛城誠一郎』がいるわけがないのだ。

 いま目の前にいる男は妖怪『なりすまし』。

 対峙した者の記憶を読み取り、家族や友人、あるいは想い人など、その者にとって近しい存在の姿を模して油断した獲物を捕らえるという姑息な手段を用いてくる妖怪だ。

 

 

『よくここまで来れたな。さすが俺の自慢の妹だ』

「黙りなさいっ! 私はあなたの様な偽物の妹になった覚えなどありませんっ! 私の兄はお兄様だけです!!」

 

 ぬけぬけと嘯く『なりすまし』の言葉に大切な自分達の関係を侮辱されたと感じ、怒りが込み上げた。

 激昂のままに放った言葉すらも、まるで拗ねた自分をあやしている時のような本物の兄の様な態度を取りながら受け流しているのが、より弥生の怒りに拍車をかける。

 

『お察しの通り、俺はお前の記憶の中にいる『葛城誠一郎』という人間らしいな。それで、どうする?』

「……っ、決まっていますっ。あなたを滅し、この地脈を浄化して村の平和を取り戻すだけですっ!!」

 

 あっさりと自身を偽物と認め、それでもなお動揺することも、襲い掛かってくることもなくこちらに問い掛けてくる。

 落ち着き払った様子の相手に弥生は一瞬戸惑いを感じてしまったが、すぐに自身を奮い立たせるために力強く目的を告げる。

 今までにも『なりすまし』とは何度も戦ったことがある。

 初めて対峙した時はその姿に激しく動揺し、刃を向けることに躊躇してしまったこともある。

 今の状況と同様に兄の姿と取る者、戦友(梓紗)やその姉の姿を模した『なりすまし』が振るう凶刃に動きを止めてしまいそうになったり、退治される瞬間放たれた断末魔に目を逸らしそうになったり、耳を塞ぎそうになったこともある。

 しかし、戦友(梓紗)が側にいたおかげで惑わされることはなかった。

 互いに叱咤激励を掛け合い、強く手を握り合い、心と霊力を通じ合わせてくれる存在が偽りの罪悪感から自分たちの心を守ってくれていたからだ。

 

 今はかつて共に戦ってくれていた仲間はいないが、それでもやることは変わらない。

 たとえ誠一郎や梓紗の姿をしていようと……いや、だからこそ弥生は許せなかった。

 自分にとって大切な存在の紛い物が妖気を放つことなど、あってはならないのだ。

 迷いを断ち切った弥生はさらに眼光を鋭くし、敵と認識した目の前の相手に全力で刃を向ける。

 

「ヤァッ!!」

『そうだ。いいぞ弥生。遠慮も容赦もするな』

 

 自身を偽物と認めながらも、なおも『誠一郎』の様な振る舞いを続け斬撃を受け止めてみせる。

 弥生はその姿に心を揺さぶられそうになるも、必死に自制し、ただ淡々と攻撃に徹する。

 例え偽物であろうと『葛城誠一郎』は自分が心を乱した状態で勝てる様な相手ではないのだ。

 だが、いくら彼の体術や太刀捌きを模倣できたとしても所詮は紛い物に過ぎないということも、これまでの戦いで何度も証明している。

 

 『なりすまし』は戦い方を模倣しているだけで、理解していない。

 なぜこの踏み込みや体捌きをしているのか、この太刀筋で打ち込んでいるのかを分かっていないのだ。

 ほんの数合ほど剣を交えるだけで、すぐにボロを出す。

 互いに日々研鑽し切磋琢磨し合っている相手の動きなど熟知している。仮にそんな相手からは考えられないレベルのあるまじきミスなど出ようものなら、もはやその時点で勝敗が決してしまうだろう。

 

『ふふ。こうやって本気で打ち合うのも随分と久しぶりだったな。ますます腕を上げたな、弥生』

「くっ!!」

 

 しかし今回対峙している『なりすまし』は例外中の例外だったようだ。地脈を占拠していただけあり強力な妖気を持ち、さらにかなり特徴的な個体だったのだろう。

 所謂通常個体のように姿とわずかな記憶だけを模する表面だけの薄っぺらい『なりすまし』ではなく、標的とした相手に最も有効な存在に文字通り『なりすまし』てくるのだ。

 事実この特異個体の『なりすまし』は、『葛城弥生が知っている葛城誠一郎』という存在に限りなく精巧な模倣として具現化してしまっていた。

 今も葛城弥生が葛城誠一郎と剣を交えた時の記憶を元に辛うじて剣を打ち合えているにすぎないが、これまでに討ち倒してきた『なりすまし』とは比べ物にならないくらい正確に刃を打ち返してくる相手に、弥生は少なからず動揺していた。

 

 加えて、

 

『どうしたっ。もっともっと打ってこい。その程度の腕では、妖怪は倒せないぞっ!』

『わ、わかっていま……っ!? くっ。ハァァアァッ!!」

 

 まるで稽古を付けられている時の様な感覚に陥り、思わず兄に対しての返事をしかけてしまった自分に気づく。

 すぐさまそれを否定するように気合を込めた一撃を放つも、踏み込みも太刀筋も狂った一撃は簡単に相手に防がれる。

 

『ふっ。そんなに俺を倒したいか?』

「当然ですっ。妖怪を滅することが私の、退魔士としての責務ですからっ!!」

 

 本物の誠一郎ならば決して弥生に対して見せることのないような、嘲笑うような表情を浮かべながら語りかけてきた。

 その表情に弥生はさらに怒りを燃え上がらせかけるが、この行動が明確に自身が慕っている誠一郎と目の前の偽りの存在との決定的な違いと自覚し冷静さを取り戻すことになった。

 

『……いいだろう。ならば斬れ』

 

 その言葉と同時に打ち合っていた刀を下ろす。

 

「え?」

 

 突然棒立ちになり、覚悟を決めたように静かに目を閉じてしまった誠一郎の姿に困惑しながらも、すでに弥生は刀を振り下ろしている最中だ。

 まともに受ければ右肩口から入って左脇腹へと抜けて行くであろう致命の一撃が迫ってきているというのにまるで微動だにしていない。

 

――今にして思えば、これが分岐点だったのだろう。弥生は無防備を晒した相手の姿に動揺しあるまじきミスを犯してしまった。

 

「……くぅっ」

『がっ!?』

 

 本来、『なりすまし』にとって致命傷となるはずの一撃は、その肩口をわずかに斬りつけるだけで止まってしまった。弥生が止めてしまったのだ。

 無抵抗の兄を斬るという行為に心理的なブレーキがかかり、斬撃を止めるという愚行を犯してしまった。

 しかし、弥生はこの一撃が致命傷に至らなかったことに一瞬安堵してしまう。

 

「――はっ!?」

 

 我に返ると同時に、すぐに大きく後退しながら、自身の愚行に後悔とおぞましさを感じてしまっていた。

 目の前の妖怪が自分にしてきたことと同じく、自分も相手に無防備を晒してしまったのだ。

 相手には何かしらの目論見があったのかもしれないが、こちらには何の意図もない。

 もはや『なりすまし』が、反撃してこなかったのは幸運以外の何物でもなかった。普通の妖怪同様に絶好のチャンスに反撃されたら、殺されこそはしないだろうが、無力化され、そのまま犯されていたであろうことは考えるまでもない。

 

「はー……はー……」

『どうした? 俺を斬るんじゃなかったのか?』

 

 自身の精神的な動揺と相手の不可解な行為に大きく肩で息をしている弥生に向かって、淡々とした様子で『なりすまし』は語りかける。

 葛城誠一郎の精神を模した『なりすまし』は、斬られても構わないとも思ってはいたが、十中八九自分の策が成功したことを予感していた。

 弥生が自分を斬ることは絶対にないとタカを括っているわけではないし、今も危ない橋を渡っていることを自覚している。

 その橋を渡り切った末に辿り着ける、雌を孕ませることができるという妖怪の本能のために目の前にいる雌――葛城弥生が記憶する理想の葛城誠一郎を演じ切ることに徹していた。

 

 斬られた右肩を抑えていた左手を離し、再び両手を下にだらりと下ろす。

 肩から流れる血が伝っている右手にはまだしっかりと刀は握られていた。刀という戦う力をまだ離すわけにはいかなかった。

 得物を手放してしまえば、悩んだ末に自分を見逃す選択を選んでしまいかねない。その隙に不意を打てば、それはもはや『葛城誠一郎』ではない、ただの浅ましい妖怪畜生の行為としか弥生には映らないだろう。

 そして、なまじまだ戦える相手に手心を加えれば、それが油断や敗北に繋がることを何度も誠一郎は弥生に強く説き続けていたからだ。

 

「すぅ……はー……。あなたが観念すれば……いえ。お兄様の姿をしている時点で私はあなたを許すことができません。次で、終わらせますっ!!」

 

 今もなお頭の中では様々な想いに悩み続け続けているであろう。しかし、あらゆる葛藤を今この時だけはと、全てを脳の片隅に追いやる。

 半ば強引に精神統一を成し、刀を強く握り直しながら、左半身をやや前に出して突きの構えを取る。

 弥生が飛び出すのと同時だった。

 

『……もっと強くなれ。弥生』

「――っ!?」

 

 呟かれた言葉と薄く微笑む誠一郎と目が合った瞬間、正中線ど真ん中へと向かっていた突きの軌道は大きく逸れてしまった。

 結果、脇腹を深く切り裂いていくも、再び致命傷には至らなかった。

 

『つぅ……くっ、なぁ弥生。あまりいたぶらないで、殺すなら一思いに殺してはくれないか?』

「……な、うぅ……ち、ちがっ……そんなつもりじゃ、わ、わたしは……」

『まぁいいか。この勝負、俺の勝ちだ』

 

 またしても妖怪相手に無防備な隙を晒してしまったことに気づき、素早く身構えようとするが、それよりも『なりすまし』が動く方が速かった。

 今まで強く握っていた刀からあっさりと手を離す。

 

「えっ!? な、なぜ、刀を捨てるんですかっ!?」

『何を言っているんだ。弥生を斬れるわけがないだろ』

 

 地面にガチャリと乾いた音が響くと同時に、あまりにも予想外の行動に弥生は目を大きく見開き驚愕の表情となった。

 もはや弥生には葛城誠一郎の仮面を被ながら嘯く『なりすまし』の真意には気づくことはできなくなってしまっていた。

 退魔士との勝負は終わった。あとはこの姿で雌を篭絡させるだけだという思惑を。

 

 一方弥生は軽い錯乱状態に陥ってしまっていた。今までに対峙してきた妖怪とは全く違う反応や言動に気づいてしまい、退魔士として取るべき行動に迷いが生じた。

 こちらだけが武器を向けているだけで、相手からは戦闘の意志が感じられなかった。人間の女を犯そうという下劣な意志さえも。

 何かしらの思惑があるのだろうことは警戒もしているが、それでもまるで真意が見えない。

 今もこうしてほぼ密着状態と言ってもいいくらいの至近距離で自分だけが得物を手にしているというのに、まったく動じていないのだ。

 

『ふっ』

「……なっ、くっ。 はっ、離しなさいっ!!」

 

 自身から発せられている妖気をその身に受けつつも動けずにいる弥生。『なりすまし』は、そんな彼女の肩を妖気に塗れた両手で抱いた。

 弥生は妖気が自分の身を焦がし、全身を汚辱されるようなおぞましい感覚に、反射的に身をよじらせ振り払おうとするも、その抵抗もどこか弱々しいものだった。

 

『なら、その手に握ってる物で俺を斬れ。俺の正体が妖怪だとわかっているんだろう』

「くっ……!!」

 

 今一度刀を握り、誠一郎の姿をした『なりすまし』に刃を向ける覚悟を決めようとするが、その直前に弥生は唇を奪われた。

 

「んっ……!? んん、んむぅ……っ!? ぷはっ……な、なにをっ!?」

『なかなか可愛らしい反応だったぞ、弥生』

 

 弥生はまたしても攻撃のタイミングを逸してしまったが、これも『なりすまし』の目論見通りだろう。

 まだ無理やり口腔内を犯し妖気を流し込む段階ではない。ましてそんな方法を取ればいずれ浄化されてしまう可能性があることも弥生の記憶を通じて理解していた。

 恋人たちが行為を始める前の前戯。そのもう一つ前の互いの気持ちを確かめ合うようなキスを交わし、さらに精神的に揺さぶりを掛けたのだった。

 

「よ、よくもっ」

 

 唇を奪われたことと、キスを通じて流れ込んできたわずかな妖気を受け入れてしまった嫌悪感と罪悪感に目元に涙を浮かべながら、涼しい顔をしている誠一郎を睨みつけた。だが、その怒りにはもはや殺気が込められてはいなかった。

 予想以上の好感触の反応に『なりすまし』は、さらに弥生の心へと踏み込むように慎重に言葉を選んでいく。

 

『禁忌を犯すのは怖いか?』

「――っ」

 

 弥生は『禁忌』という言葉に『妖怪との性行為』とは別の意味を見出してしまい、言葉を詰まらせてしまった。

 たとえ血の繋がりが薄くとも自分と誠一郎は『兄妹』という関係なのだ。

 厳密には違う。しかし、幼少期から互いの両親を失い、ずっと実の兄の様に慕い想いを寄せ続けていた存在ではあるが、当の誠一郎本人は自分の事を妹としか見ていない。

 

『俺と禁忌を犯してくれないか?』

「なっ、で、でもあなたはっ」

 

 もはや弥生には目の前の人物が妖怪とは思えなくなってしまっていた。元より、片思いの存在と同じ姿で雰囲気を纏っている相手に、強く拒絶の意志を示せる人間も少ないだろう。

 

『あぁ、そうだ。俺は『葛城誠一郎』の姿を持っている妖怪だ。だが、俺は弥生を愛し、弥生が欲している物を授けてやることができるぞ』

「……くっ」

 

 一人の女として想い人から最も望み求めている甘美な言葉。

 本物の誠一郎からは決して自分には向けられないことを自覚している。

 きっと目の前の妖怪に犯されたとあらば、誠一郎は浄化のために自分と性行為は行ってくれるのは間違いない。しかし、それはあくまで治療目的。

 恋愛対象としての愛情もなく、子を成すための目的でもない。

 気づいたときには弥生は手に握り締めていた最後の退魔師の誇りたる刀を滑り落としてしまっていた。

 

 もしこの場に本物の誠一郎が、あるいは弥生と『なりすまし』以外の誰かがいれば結果は変わっていたかもしれない。

 弥生も誠一郎も薄々と互いの想いのすれ違いに気づきつつも、あえて口にするのを避けていたことが原因だったのだろう。

 もっと真剣に向き合うべきだったのかもしれない。

 

「ぐすっ……ひ、卑怯です。こんなの……私がどれだけお兄様を……ぐすっ……」

『俺が気に食わないのなら、あとで本物の誠一郎にしっかりと浄化してもらうんだな』

 

 そんなことできるわけがない。

 反射的に顔を上げて、そう叫ぼうとしてしまった弥生は退魔士としてあるまじき発言をしかけた口を皮肉にも妖怪に塞がれた。

 熱い抱擁と口付けから流れ込んでくる全身を燃え上がらせるような妖気に弥生は抗えることができなくなってしまった。

 

「ん……んん……ぐすっ……んむっ……」

 

 頭ではいけないことだと理解しつつも、触れている誠一郎の唇に自分からも押し付け、より積極的に誠一郎を求める。

 嫌悪の象徴であったはずの妖気すら、身体を火照らせる刺激的な快楽物質として感じられるようになっていた。

 今だけはいい夢を見させてもらっていることにしよう。

 弥生はそう思い込むことで思考を止め、葛藤に壊れそうな精神を守る選択をしてしまうのだった。

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