「……それは真の事ですかな?」
「うん。そう簡単に信じてもらえないのはわかってるけど、いま話した通り」
「左様でございますか。愛莉様がそう仰られるのでしたら……きっとそうなのでございましょうな。……森の妖気が晴れ、土地神様のお力もこの地に再び宿られたのですから、それが何よりの証拠でございましょう」
依頼を果たした愛莉の働きを認めつつも、境内では緊迫した空気が張り詰めていた。
神主は愛莉と会話をしている間も彼女が連れて来た存在の動向に厳しく目を光らせている。
愛莉も間違いなくこの空気を作ってしまったのは自分が原因だと自覚していたが、まさかここまで一触即発の空気になるとまでは思っていなかったのだろう。
とはいえ、険しい表情を浮かべているのは神主だけで、彼の嫌悪や侮蔑さえ感じられる視線を向けられても天狗は最初こそ神主の姿を一瞥したがすぐに興味を失っているようだった。
今は大人しく愛莉の隣に立っているが、神主の敵意や害意の込められた視線の一切を無視し物珍しそうに辺りを見回している。
「……しかし愛莉様。事情はわかりましたが、些か軽率が過ぎませぬか? まさか神聖な境内にこの様な邪悪な妖怪を連れ込むなど、失礼ながら愛莉様の正気を疑い兼ねない行いですぞ」
「それは、ごめんなさい。……でも、彼が他の妖怪からワタシを助けてくれて協力してくれたのも本当なのっ」
まさかここまで露骨に嫌悪されるとは思わなかったことにショックを感じつつも愛莉はただ頭を下げることしかできなかった。
自分も逆の立場だったら従属、隷属化されていない妖怪を恩人だからと連れ込んでくる相手がいたら、同じような対応をしていたかもしれないのだから。
だからこそ、一から事情を説明し頭を下げ、必死に天狗の潔白を証明しようと愛莉は必死だった。
――しかし、神主からすれば目の前の妖怪の善悪などもはや何の問題でもなかった。
「妖怪よ。貴様いったい何が目的だっ」
『なんじゃ、キサマ? この娘の話を何も聞いておらんかったのか?』
神主は毅然とした態度で天狗に問い掛けるが、ギロリと鋭い眼光で睨み返しての返答に冷や汗を流しながら思わず一歩後退りする。
「神主さんも変な探りを入れるようなことは言わないでっ。アンタもややこしくなるから神主さんを威圧しないでっ!」
慌てて愛莉が二人の仲裁に入るが、険悪な空気が変わることはなかった。
その様子にようやく彼女も自身の考えの甘さに気づき始めていた。
天狗も神主も自分に対して従順な言動をとってはいるが、そもそも自分の言葉は彼らに何の強制力もないのだ。
こうなってしまっては早々に二人を引き離して改めて天狗に頭を下げるべきだろう。
しかし、愛莉がそう判断するよりも早く二人は、まるで示し合わせていたかのように会話を続け出す。
「ですが愛莉様はこの妖怪に代償の確認をせずに助力を請うてしまっているのですぞっ。言うなれば白紙の小切手を渡してしまったにも等しい行い」
『カッカッカッ。確かに貴様らの価値観ではそうなる。儂は貴様らにニンゲン共に対して一つ貸しを作ってやった。褒美があるというのなら、貰ってやろうぞ? ククク』
「妖怪。貴様の目的は愛莉様であろう」
『いかにも。……もしやこの女子を頂いてしまっても良いのか?』
忌々し気な表情を浮かべながら、発せられた神主の言葉に愛莉は耳を疑う。
そして薄笑いを浮かべながら、それに応じた天狗の態度に、全身から寒気がした。
「ちょっと待ってよっ!? なに勝手に決めてんのよっ!? そもそもコイツは褒美を要求してるわけじゃないんでしょっ!?」
「わかりませぬか、愛莉様? 確かにこの村を狙っていた妖怪はこの者の手によって退けられたのでしょう。……ですが、今度はその妖怪を凌ぐ力を持った妖怪に目をつけられてしまっているのですぞっ!!」
「別にコイツはそんな事をするつもりはないって言ってたじゃないっ」
「所詮妖怪との口約束など到底信用するに値しませぬ。もしほんの少し彼奴が気まぐれを起こせば、たったそれだけでこの村は……」
神主の言葉に愛莉は心の底から落胆してしまっていた。
結局自分の必死の説得は彼の心を欠片も動かしてなどいなかったのだと悟ってしまったからだ。
『ククク。仮初とは言え平穏を取り戻すのに骨を折ってやったというのに、とんだ言い草よのう』
天狗自身もまるで最初からわかっていたと言わんばかりに、どこか嘲笑を込めながら発せられたこの言葉に愛莉は心を痛める事しかできなかった。
思惑はどうあれ彼は間違いなくこの村の危機を救った存在だというのに、その当事者からは感謝の言葉一つ出ることがなかったのだから。
その上で愛莉は自身の今後の身を案じていた。
もちろん天狗への同情もあったが、だからといって自分の意志を無視して天狗に自分の身柄を引き渡されそうになっている現状に納得できるはずもない。
とはいえ、どうすればいいのかすらもわからない。
いっそ、全てを保留して……。と、愛莉は花杜神社の判断を仰ごうかとも考えたが、一瞬嫌な考えが頭を過ってしまう。
さすがにこの神主と違って自分を妖怪に引き渡すことはしないと思うが、総力を挙げてこの天狗を滅するという判断が下されてしまったら……。
思考の沼に囚われ自分の考えを決めきれずにいる愛莉の姿に、妖怪の術中に嵌りあわや人身御供にされかけてしまっている事に怯えている様に見えた神主は、ここぞとばかりに彼女に助け舟を出す。
「……時に妖怪よ。もしや貴様、大分妖力を消耗しているのではないか?」
『ほぅ? なぜそう思う?』
「なに。愛莉様の話によると、貴様一人で森の霊脈を穢した云わば元凶とも言うべき大妖怪と争ったのであろう? しかもその後は妖気を回復することなく愛莉様に結界の修復もさせて、ここまで来た……と。であれば、相当に妖力を失っているのではないかとな?」
『なるほど。その考えが正しければ、確かに今の儂は万全とはほど遠い状態じゃのぅ』
「加えて、この境内の神聖な霊力の結界内にいる以上、弱っている貴様の力はさらに抑え込まれていると思うんだがの」
『……試してみるか?』
「ははは。生憎と儂は妖怪と戦う力を持ち得ておらんのでな。何より自身の不始末は自身の手で付けてもらう方が良いでしょう、愛莉様っ」
不穏な気配に困惑し胸をざわめかせていると、急に名前を呼ばれ二人の視線が彼女に向けられる。
「……え?」
「何を呆けておるのですかっ。このままでは此度の愛莉様の背信の行いが全て明るみになってしまうのですぞ、そうなってしまっては愛莉様だけでなく、花杜神社の威信や品格にも影を落とすものになりましょうぞっ」
「だからって、そんな……っ」
「では、このままあの妖怪の慰み物として一生を終えるおつもりか?」
「――っ!?」
神主から脅すように告げられた言葉に愛莉はビクリと身体を震わせる。
しかしそれだけだった。
褒美がもらえると馬鹿正直に付いてきた手負いの妖怪に刃を向けようとすらしない愛莉の姿に、自身の立場を自覚してもらうべきだろうと、神主は頷く。
「ふむ。やはり愛莉様はご自分でも気づかぬ内に大分あの妖怪の妖気に冒されてしまっておりますな。ご安心ください、愛莉様。今この妖怪を滅してしまえば愛莉様の不祥事もこの神主が不問と致しましょう。無論愛莉様の体内を隅々まで調べて妖気を完全に浄化できたのを確認してからの話になりますがな」
愛莉が無自覚に自白してしまった背信行為を秘匿する代わりに、言外に再び身体を要求してきた神主の言葉に彼女が激昂するよりも早く――
『――くだらんっ』
静かに、だが明確な怒気が込められた天狗の声が空気を震わせる。
『キサマのくだらぬ悪知恵のせいで全て台無しになったではないかっ!!』
「ひぃぃーーーーっ!?」
激しい怒声に神主はその場で尻もちをつくように倒れてしまう。
そのまま天狗は睨み殺してしまいそうな程に鋭い眼光で神主を射抜き続ける。
『良かろう。望み通りこの場で相手をしてやろうぞ』
直後、天狗の内側から爆発するように妖気が放出する。
内側から結界を弾き飛ばしてしまいそうな程の膨大な妖気が完全に境内を覆われていく。
「なっ、ななっ!? ば、ばかな……こ、これほど強大な妖怪が、なぜ……っ」
「……あ~あ。ま、なんとなくそんな気はしてたけど……。もう強いとか怖いとか、そういう風に感じられる次元超えちゃってるよ……」
神主は自身が天狗の実力を完全に見誤ってしまっていた事に気づいたが、もはや手遅れだった。
腰を抜かし恐れ慄いている、そんな彼の姿に愛莉は姑息な奸計を巡らされていた事に沸き上がらせていたはずの怒りを忘れ、達観したような表情で呆然と成り行きを見ていた。
もはや自分には彼に怒りを鎮めてもらえるよう懇願する資格はないと悟ってしまったからだ。
人間と争うつもりがないと言っていた彼に対して、神主が幾度となく挑発し、あろうことかこちら側から刃を向けさせてしまうのを止めることができなかったのだからこれは当然の報いだろう。
「め、めぐりさまっ!? 早くあの邪悪な妖怪を祓ってくださいませっ!! 愛莉様しか戦える者はおらぬのですぞっ!?」
自身の愚かな行いを棚に上げて好き勝手に喚き散らす神主の声を受けても愛莉の反応はどこか鈍い。
決して怯んだわけでも怖気づいたわけでもない。それでも未だに彼女は天狗に穂先を向ける気が起きなかった。
「……せめて初任務くらいはちゃんと達成させたかったなぁ」
それでも例え敵わないとわかっていても『退魔巫女』として害意と妖気を放つ妖怪相手に逃げるわけにはいかない。
―――その僅かな逡巡が彼女の明暗を分ける結果となった。
『キサマっ!! ……この期に及んで女子の背に隠れ震えるだけとはな。もうよいっ。今すぐ消え失せろっ!!』
愛莉が臨戦態勢に入るより一瞬早く天狗が妖術を解き放つ。
「――っ、ぁ……」
棒立ち状態の愛莉のすぐ横を、後ろを、頭上を、目の前をと凄まじい轟音を伴う衝撃が何度も通り過ぎていく。
一瞬でかき消された神主の断末魔を認識することすらできないままその場から動けずに、全身から赤黒い妖気を発しながら妖術を操る天狗の姿をただ茫然と見続けることしかできなかった。
『クソ坊主めがっ。本当につまらぬ邪魔をしおって」
そして気づいた時には全て終わってしまっていた。
愛莉の背後にいたはずの神主の姿はすでに跡形もなく消えてしまっており、境内もまるで爆撃を受けたかのような惨状となっていた。
所々地面は深く抉れ、各施設や建物も半壊から今にも崩落してしまう寸前まで破壊されてしまっているものさえあった。
それなのに――
「ねぇ……なんで……なんで、ワタシだけ…………」
愛莉は崩れ落ちるようにその場に膝をついてしまう。
あの破壊の力に巻き込まれてそのまま命を落とすことも、死なないまでも動けなくなる程のダメージを負うことも覚悟していたというのに、術の余波を受けるどころか、かすり傷一つ負う事すらなく全くの無傷でその場に残されてしまっていた事にただただショックを受けてしまっていた。
泣きそうな顔で縋るように愛莉に問い掛けられた天狗は淡々と答える。
『ふん。ずいぶん迷っていたようじゃが、儂に刃を向ける恩知らずではなかったようじゃからの。ただの気まぐれよ』
そう愛莉に告げた天狗の目は、すでに彼女への興味を失いかけていた。
『して、どうした? 目の前に人間を手にかけた妖怪がいるのに戦わぬのか?』
「……ワタシを妻にしたいんじゃなかったの?」
『カッ! 今更何を言っておる。もはやキサマが儂の妻になるなど永劫ありえぬ事ではないかっ』
過去の出来事ならいざ知らず、今まさに人間に害を為した自分の妻になりたい退魔士がいるというならば、それはもはや退魔士ではないだろうと嘲笑する。
『それともなんだ? この地の結界を破壊し村を妖怪共の住む異界に堕とされたくなくば儂のモノになれ。とでも脅せばよいのか? ふんっ。くだらんっ』
「……え?」
天狗の言葉に愛莉は、驚いたように顔を上げ気づく。
建物の被害は甚大だが、神社を覆う結界も自分が修復し貼り直された森の結界も未だに健在だったということに。
あれほど凄まじく境内を暴れまわった妖気の奔流を抑え込めるわけもなく、あっさり消し飛んでしまっていてもおかしくないのに。
「……ワタシが構えなかったからなの……?」
『カッ。まぁそういうことじゃな。さすがにここまですれば儂に牙を向くと思っておったのに、まったく本当に読めん女子よ』
「違うっ! 絶対無理だってわかってたけど、ワタシはあんたを止めないといけなかったっ。わかってたし、そうするつもりだったっ!! でもっ」
『クハハッ。あの身勝手な坊主に心を乱されておったか』
「……うん」
すっかり意気消沈し小さく頷いた愛莉の様子に天狗は心底おかしそうに笑うと、不意に目を細めると試すような視線を彼女に向ける。
『ならば今からでも儂に刃を向けてみるか?』
「――っ」
もはや彼に感じている恩義を超えて、それ以上に退魔巫女としての義務と誇りという戦う理由もある。
「……もう、やめてよ。せっかく平和になったのに、どうしてまだ争わないといけないのよ……」
『ちっ。なんじゃ。どうせ妻にならぬのならば、せいぜい飽きるまで犯して捨ておこうと思っておったのに、それすら叶わんとはのぅ』
「……………………ほんっとーに最低っ」
天狗のあまりにも場違いな物言いに、愛莉は落胆していた感情以上に侮蔑の思いが込み上げてきてしまっていた。
そして、少しでも彼に自分の気持ちに同情し寄り添ってくれることを期待してしまっていたことに気づき、激しく後悔すると同時に馬鹿馬鹿しくなる。
『カッカッカッ。当然であろう。儂は妻を求めておるだけじゃ。斬り掛かってくる様な女子を口説く気はないからの』
「はぁ~……。本当にアンタを連れてくるべきじゃなかったんだね」
『だから儂はちゃんと忠告したであろう』
「まさかここまで酷い事になるなんて思わなかったわよ。もしかしたら、これからはアンタが村を守るようになってくれるんじゃ。なんて、考えてたし」
愛莉にとっては、まさにそれが思い描いていた理想の形だったろう。
自分の実力不足があったとは言え、元凶も討伐しさらに今後は救った村を守る頼りがいのある用心棒まで居ついてくれる。
『随分と浅はかな考えよの』
それを天狗は一蹴した。
「うん。さすがに虫が良すぎる話だったよね。そこは反省」
彼が人間側に対して好意的な行動を取っているのは、あくまでも自分が絡んでいる時だけであり、その姿勢は一貫しており決して崩れることはなかった。
「……背信者、か」
『なんじゃ、今更あの男の戯言を真に受けたわけではあるまいな?』
「別にそういうわけじゃないけど……あまりよく考えずにアンタをここに連れてきちゃったり、結局神主さんを見殺しにしちゃった時点で、ワタシはもう『退魔巫女』失格なんじゃないかなって思って」
『あの男の死如きに愛莉がそこまで気負う必要があるとは思えんのだがの』
「うぅ~、それは……って、さすがに頷くわけにはいかないんだけど……」
『何より、どこまで本心かは知らぬがあの男は村のその後を気に掛けておったようじゃが……まぁ、別に儂が直接手を下さずとも、そう遠くない内にこの村の結界は再び力を失ってしまうぞ?』
「え!? なんでっ!?」
天狗の口から出た思いもよらぬ言葉に愛莉は驚きの声を上げる。
『当然であろう。もとよりこの地は治めていた土地神との繋がりが非常に希薄になっておったんじゃからのぅ』
「そんな……どうして……」
『ふんっ。おおかた儀式や神事をサボっておったか、そもそも執り行えんくなって久しかったのではないか? 舞を捧げる巫女すらおらんようだしの』
言われて愛莉は気づく。この神社は神主しか従事していなかったことに。
もちろん天狗の言葉が全て事実だったという確証があるわけではなかったが、巫女がいないことと、自身が身をもって味合うことになってしまった神主の悪行は無関係ではないのでは? と顔を顰めながら邪推せずにはいられなかった。
『カカッ。もはや退魔巫女ではないと言うのであれば、意趣返しに今すぐ結界を解いてみるか? たちまち村は妖怪共で溢れかえるであろうな』
「冗談でもそんなこと言わないでっ。確かに退魔巫女を名乗る資格はなくなったかもしれないけど……それでも、ワタシは絶対にそんなことはしないんだからっ」
『うむうむ。良いのぉ、良いのぉ。自身の立場が地に落ちようとも気高き誇りは失わぬか。お主を妻に迎え入れる事が叶わなくなってしまったことが実に惜しい……っ』
「なんとかできないの? 妖怪のアンタにこんなこと聞くのは筋違いなのはわかるけど……」
『うーむ……儂が土地神からこの地を貰い受ければマシにはなるじゃろうが……はっきり言って儂はこんな地にも人間にも興味はない。わざわざ他の妖怪が流れて来ぬようにこの地を囲う義理もないからのぅ』
「……正直、あんまり自分の口からは言いたくはなんだけど…………もし、もしもの話だけど、例えばワタシがアンタの物になるって言ったら?」
どこまでも冷たく無関心を貫く天狗の態度に、愛莉はまるでこれまでの自身の行動すらも否定されたような悲しさを感じ、思わずそんなことを口走ってしまった。
その言葉に天狗がギロリと彼女へ視線を向ける。
『本気で言っておるのか?』
「……多分アンタの変な拘りか主義に反することなんだろうなって言うのは……なんとなくだけど、わかるよ」
『ほほぅ。儂の意を無視してでも儂の物になりたいと申すか』
「――っ!? そ、そこまでは言ってないでしょっ!!」
相変わらず揶揄い交じりに嘯く天狗の言葉に愛莉は反射的に言い返してしまう。
『なぜそこまでこの村に固執しておる? 所縁があるわけでもなかろうに』
「……この地で暮らす人たちが理不尽な恐怖に怯えずに平和に暮らせるようにするため。なーんて言えれば、ちょっとはカッコいいんだろうけどね。まぁ、ちょっとくらいはそういう気持ちもあるんだけど……」
愛莉は気恥ずかしさと後ろめたさのために一瞬言い淀むが、すぐに続きの言葉を天狗に告げる。
「……先に初任務を受けたアイツが無事に依頼を達成して、勝ち誇ったような顔を見せて来たのに、すぐ後に初任務を受けたワタシは失敗で終わり。ってのは、なんかムカついたから」
『ブホッ!? クククっ。カ、カカッ。クッハッハハハーーーーっ!!』
彼女の口から退魔士として、どれだけ崇高で高潔な信念と使命感溢れる言葉を聴かせられ、それをどう一蹴してやろうかと思っていた天狗は、ただライバルに負けたと思われるのが癪だからという理由が飛び出てきたことに堪え切れず噴出した。
「――なっ!? そっ、そんなに笑わないでよっ! う、うぅ……わ、笑うなぁーっ!」
自身でも子供っぽいとは感じつつも、まさか天狗にここまで大笑いされてしまうとは思っていなかったのだろう。
羞恥心と怒りで顔を真っ赤にしながら天狗に抗議するが、彼の笑い声が収まるのはそれからしばらく笑い倒されてしまってからだった。
『なるほどなるほど。自分の目的のために儂を利用したいと。そうかそうか、儂を頼りたいか。確かにそれでは退魔巫女とは言えなくなってしまうのぉ』
「……わかってるわよ」
自分で自分の負けを認めてしまうのは、悔しく屈辱的であった。
ただ、それでも自分一人で、この目の前の恐ろしく強大な力を持つ妖怪が人に牙を向くことを防げると言うのならば……きっと十分すぎるほどの成果だろう。
「だから、この村の安全はもちろん、二度と人に危害を加えないことを約束してくれる? それなら――」
『それは儂を狙う退魔士共が現れたら大人しく首を差し出せという事か? それとも弱い人間につけ狙われるたびに住処を捨てて尻尾を巻いて逃げ続けろと言っておるのか?』
「――なっ!?」
ただ人と争うことはしないで欲しい。そんな想いを込めて持ち掛けた契約は妖怪側からしたら安易に頷けない文言だったということに天狗の厳しい言葉によって愛莉は気づかされた。
「ワタシはそんなつもりじゃ……」
『じゃが、少なくとも儂を縛るつもりではおったであろう?』
「……………………うん。そこは認めるし、謝る。ごめん」
『ふむ。まぁ試しにしばらく共に暮らして何か不便が出てからでも問題あるまい」
「……え?」
『なんじゃ? 儂に身も心も捧げると言ったのは偽りか?』
「ちょっ!? そこまで言ってな……か、身体はともかく、心までアンタの物になるなんて言ってないわよっ!?」
『カッカッカッ。その言葉、果たしていつまで保つか見物じゃのぅ』
「――って、そうじゃなくて、本気で言ってるの?」
愛莉に浅い考えだと指摘してきた本人が、彼女の求めた要求そのままに契約を飲もうとしている事に驚きを隠せなかった。
人間側にとって有利どころか、天狗が負うリスクがあまりにも大きすぎるのだから。
もしかしたら何か裏があるのかもしれないと考えつつも、結局それが何なのか、そもそも裏があるのかもわからなかったが。
『儂が起こした悪事に目を瞑ってくれるというのであれば、これくらいの器のデカさを見せねば、惚れる女子も惚れてくれんじゃろうての』
「くすっ。ほんと妖怪って何考えてんだかわかんないね。一回失敗しちゃったから信用ないかもだけど……今度こそ、絶対にアンタに刃を向けさせないからっ」
『おおっ、そうかそうか。信じておるぞ』
――この日、一人の退魔巫女が退魔機関との決別を誓った。
『ならば、さっそく始めるとするかのう。愛莉よ』
「え? いきなり、そういうこと要求する? 妖怪相手に無理かもしれないけど、できればもう少し空気とか、ムードとか……」
『何を言っておる。まずは儂がこの地を貰い受けねばお主との契約が成立せんであろう』
「あっ、そっか」
『まったくいきなり発情して儂を誘惑するというのであれば、いつでも自慢の魔羅をくれてやろうぞ』
「ちがっ!? アンタが誤解するような言い方するからでしょっ!?」
もはや自分を妖怪ではなく男として認識し始めている愛莉の変化に確かな手応えを感じた天狗は、上機嫌に豪快な笑いを上げながら本殿を目指すように歩き出すと、愛莉も怒りながらも、その後に続く。
『……うむ。愛莉よ、これに着替えるのじゃ』
「え、これって……」
途中で立ち寄った宝物殿で目当ての物を見つけると、手渡された愛莉は困惑の表情を浮かべる。
それは舞衣、或いは千早と呼ばれる極薄の装束と扇舞用の扇子だった。
「巫女舞なんてワタシできないよ?」
『別に構わんぞ? 神ではなく儂のために舞えば良いのじゃからの。好きに踊れ』
天狗の乱暴な物言いに神聖な儀式を何だと思っているんだと、愛莉は一瞬ムッとした表情を浮かべるも、すぐに思い直す。
妖怪からしたら、興味も関心もなくて当然の事に仕方なくとは付き合ってくれているのだ。
まして自分はもう巫女舞を踊る資格もない背信者なのだから。
「はぁー。上手くできなくても笑わないでよね」
まだどこか胸がざわめくのを感じつつも、心に折り合いをつけた愛莉が舞衣を羽織ろうと片袖を通すと――
『何をしておる?』
「は? だから舞をするんでしょ」
『なぜ装束の上から着ようとしておるのじゃ? 儂は着替えろといったはずじゃぞ?』
「はああぁっ!?」
『むぅ……仕方ない。下着を付けることも認めよう。だから早く着替えるのじゃ』
「バッカじゃないのっ!? もともとこれはこの格好の上に羽織る物なのよっ! 服を脱ぐ必要なんてどこにもないんだからねっ」
『それは神に向けて舞う時の話であろう。儂に舞う時は不要じゃ。言っておくが、儂がこれまでどれだけお主の言い分に歩み寄ったと思っておるっ。これ以上の譲歩は決してできんぞっ!』
頑なに自身の主張を捻じ曲げずに凄んできた天狗の迫力に愛莉は遂に根負けしてしまう。
「くっ……き、着替えてくるっ」
『ここで脱いでしまえば、すぐで……おおっ、そうか。言われてみれば、お主は今『のーぶら』に『のーぱん』であったなっ!』
「……………………変態」
せめてもの反撃にと冷ややかな視線で罵声を浴びせながら愛莉は一度本殿から出ていき、言われた通り儀式用ではあるが、なぜか通常よりも異様に面積の小さい下着と舞衣のみを身に着け天狗の前に姿を現す。
その後、天狗主導で儀式を行うのだった。
『ムホホホホ。絶景かな絶景かな』
「…………………………っ」
扇情的な格好で舞を踊らされ、さらにそれを天狗の全く隠す気のない厭らしい視線が向けられる。
その屈辱と羞恥心に必死に耐えながら、愛莉はこの男に自分の心が傾くことなど絶対にないと強く確信するのだった。
二人が儀式を執り行ってしばらくしたある日、二人が不在だった時に神社に一人の小柄な退魔巫女が訪れる。
「ここで間違いなさそうなのです」
彼女の探し人があまり村に顔を出していなかったのか目撃情報は少なかったが、それでも得られた情報から間違いなくこの村に訪れていた事の確認はできた。
そして、おそらく神社で凄まじい戦闘があったのだろう。
突然、局地的に発生した突風とも竜巻とも言える災害に神社が半壊し、神主様は巻き込まれてしまったのか行方不明になっているという。
神社が不幸に見舞われてしまったものの、その日を境に村を覆っていたどこか薄気味悪さを感じる空気が完全に消え去り、森で起きていた不可解な出来事や不気味な生物を見かけることもなくなったと村人達が話していた。
「……篠宮愛莉。なんで、なんで帰って来ないのですっ。いくら妖怪を退治したからって、お務めを果たしたからって……花杜神社に帰還できなければ意味なんてないのですよっ」
涙を堪えながら呟かれた少女の悲し気な声が境内に響くが、それに応えるものは誰もいなかった。