シャーレ執務室の机にぶら下がっていた鍵によって、壁の奥に空間があることが分かった。地下に続く謎の空間を探索する間、ウイルス構造を含んだナノマシン「KINVID-22」が発見された。感染した生徒は理性を失い、先生に襲い掛かってくる。
Case 01:一之瀬アスナ
壁の奥を探索するもすぐに行き止まりに突き当たってしまい、捜索を中断。「キャラメルのような匂いがする」と話した直後、一之瀬アスナが豹変して先生に襲い掛かる。KINVID-22の感染者第一号となり、傷心のアスナはひとまず医務室で様子を見ることになったが、後に精密検査のためにキヴォトス総合病院へ運ばれることが決まった。
Case 02:羽川ハスミ
一之瀬アスナの一件から、異変の答えはまだ見つからず。壁の奥ではエレベーターが稼働していた。不気味な空間を探索する先生に謎めいたオートマタが狙いを定める。羽川ハスミが合流して地下探索を進めると、開けた空間に出た。ハスミの異変を感じ取って引き返すも、執務室へ続くエレベーターの中で先生は再び襲われてしまう。強姦のようなひと時を経てハスミは落ち着きを取り戻すも、KVバイオサイエンスラボへ送られて、アスナ共々隔離されてしまうことになった。
Case 03:豊見コトリ
壁の奥を発見して二週間。KINVID-22防御マスクの開発をエンジニア部に要請し、試作品が完成した。性能試験とより精緻な地下探索のために豊見コトリが執務室を訪れる。最深部から無事に執務室へ帰還するも、整備不良から濃縮したウイルスを浴び、コトリは三人目の感染者となる。知的好奇心が暴走し、三度先生は生徒に襲われてしまうこととなった。例の地下空間が地下鉄駅の近くであることが示唆される中、「セミナーへの不審な領収書」を問い詰めるために、早瀬ユウカが翌日シャーレを訪れると連絡を入れてきた。
Case 04:早瀬ユウカ
ミレニアムに届いた不審な請求書を携え、先生に食って掛かるセミナー会計。彼女の抗議も最もだと受け入れ、事の次第を話すことに。突如、封鎖したはずの壁を破って、地下にしかいなかったオートマタが襲ってくる。たった一人で先生を守り抜いたユウカだったが、ナノウイルスの魔の手にかかってしまう。ギリギリまで理性の糸を握り締めていたが、とうとうユウカにも限界が訪れた。先生は我慢を止めるよう彼女に伝え、自らの身を差し出した。
Mission Lasts
シャーレの執務室を封鎖して三日後。連邦生徒会の権限で指示を出してもらい、特殊作戦行動のためにD.U.地区の地下鉄は午後から夕方まで運休となっている。日没までには作戦行動が終わる予定だが、運休が延長される可能性も否定できない。
日頃からあまり人がいないけれど、シャーレのオフィスフロアは封鎖継続中。なにしろ、事の発端は地下迷宮の奥にあり、その入口には執務室から出ないとしか辿り着けないのだ。
「よし、みんな揃ったね。じゃあ、作戦会議を始めよう」
作戦会議と称しつつも、場所はシャーレ居住区のロビーの一角だ。折り畳み式のパイプ椅子を引っ張り出して、集まった生徒達に腰を下ろしてもらった。本当はカフェで集まれればよかったのだけど、これから全員が、KINVID-22濃度の高いと思われる領域へ踏み込む都合上、マスクを外してもらうわけにはいかない。
各自のスマートフォンに送った作戦概要を元に、説明を進める。そうしながら私は、メールボックスに届いていた、トリニティの古関ウイからのメールを思い出していた。「調査の件につきまして」と題されていた。
『お疲れ様です、先生。口頭で伝えるには刺激の強い内容ゆえ、文書での報告となることを、はじめにお詫びいたします……』
ウイからの報告は要点を読みやすくまとめてあった。
一つ。あのメモは、歴史の闇に忽然と姿を消した幻の言語である。
二つ。現在のD.U.地区の下には、数百年前に都市が存在した。
三つ。あのメモの文字を「呪い」であると解釈すれば、同時代の同じ場所にまつわる記録が古書館に残っていた。
恐るべきことに、ウイが調べ上げた記録は、現状確認されている事項と酷似していた。つまり、KINVID-22は過去にも存在した脅威であったということだ。呪いに蝕まれた者は子宝に恵まれなくなる――かつてこの地に存在した都市国家は、極端な少子化に数年見舞われた末に、内戦が頻発したことで滅びてしまったそうだ。
KINVID-22はかなり古い時代に存在したオーパーツの一種だという可能性がある。執務室の扉を開いてしまったことが引き鉄になって、再稼働を始めてしまったのかもしれない。もしくは、ずっと動き続けていたものが、外界と繋がるきっかけを見つけたことで現在のキヴォトスへ侵食を試みているのかもしれない。いずれにしたって、阻止しなければ恐るべき事態に繋がってしまう。何としても、ケリをつけなくては。
「……説明については以上。何か質問はあるかな?」
チヒロが手を挙げた。
「シャーレ地下は電波が届かないって、送られてきたデータにあったけど、そうなるとAチームとの通信はどうするの? 先生はAチームに随伴するんでしょ?」
「あっ、それなら、進軍しながら私がアクセスポイントを順次設置していくので、それでなんとか」
コトリが、小脇に抱えたクーラーボックスを掲げて見せた。エンジニア部の言うことなら、とチヒロもそれ以上口を挟む様子はなかった。
「この、目元に何か乗ってる感じ……どうも慣れないわね」
「度は入れてないから、伊達眼鏡だと思ってくれればいいよ」
「……まぁ、最前に立つのが私だから、カメラを持たせるのは合理的ですけど」
ホワイトボード前に立つ私に向かい合うように、ユウカは一番前に陣取って座っていた。セルフレームの眼鏡は、ハレ主導で開発した眼鏡型カメラの試作品だそうだ。ピント調節のオンオフも搭載されているので、着ける人を選ばないのが通常の眼鏡を超えた強みだとか。
「じゃあみんな、作戦開始だ。感染防止のため、作戦終了までマスクは取らないでね」
Aチームに合図を送る。ユウカを先頭に、ハスミ、アスナ、コトリが続いた。まずは執務室を奪還しなければならない。
「……ところで、みんな体操服だね」
「汚れてもいい服装ということだと、やはり運動着になるかと」
「あはっ、コトリちゃんはスカートなんだね、可愛いっ!」
「ああっ、あの、これには事情がありまして! 中に着るシャツとブルマをうっかり洗濯していなかったので、さすがにそれはと思い、借り物のチア衣装をやむなく着てきたんです。ジャージは無事だったので、見た目はこうして先輩方と大差ないのですが……っ」
揶揄うように笑うアスナに、コトリが捲し立てる。水色ジャージが三人に、青みがかったグレーのジャージが一人。みんな生脚がつるんと剥き出しで、汚れよりも玉の肌に傷がつかないか心配になってしまう。
オフィスフロアは、人の少ないシャーレビルにあって不気味に静まりかえっていた。前方に何かがいる様子は無いが、最前列のユウカが安全確認したのを確かめてから、慎重に前進する。
「ハスミは唯一トリニティからの参加だけど、雰囲気に馴染んでるね」
「ええ、ラボでの隔離中に親交を深めましたので。ミレニアムの方々は活気がありますね」
インカム越しの落ち着いた声色は少し弾んでいた。
隔壁が完全に開いて、四人が戦闘体勢に入った……が、執務室は空っぽだった。ユウカの眼鏡で索敵をしてもらっても、熱源反応は確認されない。
「……先生も、こちらにいらして大丈夫そうです。執務室が後から荒らされた様子は特にありません」
「了解、私も合流するね」
ユウカの言った通り、執務室には粉砕された敵の残骸がそのままになっていたぐらいだった。飲みかけのまま放り出したマグカップには、破砕された壁の破片が浮いている。ソケットやケーブル類が生きていることを確認して、Bチームに合流を促した。
「ポジションをもう一度確認しよう。ユウカは前衛ね。斥候も兼ねてるけど、先行しすぎないように」
「了解です」
「アスナは遊撃担当。基本的にはその場の状況に合わせて動いて欲しいけど、味方の射線には入っちゃダメだよ」
「はーい、ご主人様っ」
ご主人様、なんて言い方で私を呼ぶアスナに、三人とも特に動じていない。数日間で取ったコミュニケーションの密度が窺えた。
「ハスミも、こっちから特別に指示が無い限りはお任せかな。前衛の撃ち漏らしを処理してもらうことになると思う」
「了解」
「コトリは最後尾ね。アクセスポイントを設置しながらの前進になるから、忙しくなるはずだよ。ミニガンで一斉射するタイミングはこっちで知らせるけど、必ずコトリからも声をかけてね」
「はい、分かりましたっ!」
「先生、絶対にコトリより前に出ちゃダメですからね。いつものシャーレの任務と違って、先生も伴っての進軍になるので」
「うん、分かってる」
私達が作戦行動を確認している間に、Bチームも執務室に到着した。ウタハとヒビキがすぐさま配線を整えて、数分もしない内にヴェリタス各位が席についてラップトップを立ち上げる。
「相手方にハッキングを仕掛けられるかどうか、ヴェリタスと協同して探りを入れていきます。この『全知』の学位を持つ眉目秀麗な乙女であり、そしてミレニアムに咲く一輪の高嶺の花である「特異現象捜査部」部長――」
「頼りにしてるよ、ヒマリ」
「先生! 口上に割り込むのはマナー違反です!」
「既読メッセージはスキップするのが効率的だもんね」
「エイミも! ……全くもう」
ヒマリはプリプリしているが、特異現象捜査部コンビは今日も平常運転だ。冷房の温度を下げようとするエイミを牽制しつつ、全員へ号令をかけた。ことの成り行き次第ではD.U.どころかキヴォトス全域に影響が出かねない事態だが、どことなくワクワクした様子の生徒達を見ていると、その若さに救われる気がした。
* * * * *
エレベーターから先には、私達の到着を待ち受けるかのように、ゴーレムとドローンが配備されていた。幸い、一体一体の強さは大したことがなく、生徒達にも目立った被弾は無かった。役割分担が上手く機能している証拠であるとも言えた。
足音を反響させながら、Aチームは地下通路を前進する。曲がり角を幾つか進んでいると、突然、チヒロから立ち止まるように通信が入った。
『先生、壁の突き当りに赤外線センサーがあるよ。何かのトリガーかもしれない』
「どこ?」
『今ユウカの眼鏡に投影するね。破壊した方がいいと思う』
「あっ……見えたけど、私のSMGじゃ射程距離外ね……そうだ、ハスミ副委員長にこれを」
「ええ、お任せください」
眼鏡を受け取り、ハスミがしゃがんで狙撃姿勢を取った。数秒後、数十メートル離れた通路の壁に着弾すると、天井から黒い物が落ちてきて、小爆発を起こした。スコープ無しで的を撃ち抜くハスミの職人芸に、拍手が上がった。薬莢の転がる音が、なんだか得意気だ。
「センサーに検知されたら不意打ちの榴弾でドカン、か……小賢しいわね~……」
「以前訪れた時よりも構造が複雑になっているような気がします。気を付けて進みましょう」
「一気に突っ切っちゃわない? 罠が作動しても全部避ければいいし!」
「そ、それをやって大丈夫なのはアスナ先輩ぐらいなのでは……」
コトリの持ってきたアクセスポイントが、残り半分になったようだ。最奥部までの距離から算出して個数を調整しているから、つまりこの辺りで道程の半分を過ぎることになる。宝箱でもあれば本格的なダンジョン探索の気分にもなろうものだが、生憎落ちているのは敵の残骸と生徒達の薬莢ぐらいだ。
以前辿った道の通り、奥へ進む。空気の様子をモニターしているマキに尋ねてみると、温度、湿度に比例して、KINVID-22の濃度も徐々に上がっているらしかった。マスク無しで踏み込むのは自殺行為だし、もしものことを考えると抗体持ちの四人でなければ危険過ぎる。突入メンバーを絞った判断は間違っていなかったと信じたい。
「ヒマリ、どう? 何か傍受できてる?」
『感知した電波を解析している所ですが……あのオートマタは、キヴォトスで一般的に使われているのと異なる無線
「うん、頼むね」
私とハスミ、そしてコトリの持っている情報を統合する限り、この地下通路は無人だ。ヒト、もしくはそれに準ずる有機生物は長い事出入りしていないようだ。壁、床、天井をユウカの眼鏡でスキャンしても、どうも生物がここで暮らした痕跡が見られないらしい。トンネル内のポイント
件のウイルスがナノマシンであることを考えると、この奥に潜んでいるのは、デカ・グラマトンの預言者のような存在なのだろうか。
高まる不安を四人の姿に和らげてもらいながら、私はコトリの後ろについていく。コタマからの通信が入り、全員へ回線を開いた。
『曲がり角の先、一直線の通路に、熱源反応を多数確認。ユウカさん、軽く目視できますか?』
「覗き込む程度で大丈夫?」
『ええ。映像をスキャンして数を割り出します……ふむ、四十体という所でしょうか』
最奥部の空間まであと少し。これまでで最大規模の戦力が配備されている辺り、向こうにとってもあそこは重要な場所であるらしい。
「一網打尽にしたいね。ここはコトリに頑張ってもらおうか」
「ええっ、私ですかっ?」
「そうだね。ファイアレートも一番高いし。徹甲弾を詰めてきてるんでしょ?」
「まぁ、本来なら炸裂弾を製造する予定だったのですが、爆発物は禁止とのことだったので、次善策をと思いまして!」
「エンジニア部からまた高額の領収書が来てたんだけど、まさか……」
「……てへっ☆」
「てへペロで誤魔化さないの! ミニガンなんて弾薬の量が膨大じゃない! ただでさえミレニアムの財政だいぶヤバいのに!」
「ふふ……ユウカは大変ですね。とはいえ、ツルギがしょっちゅう建造物を破壊するので、正義実現委員会も修繕費の請求がきつくて……」
「アスナ先輩の前で言っちゃうのもアレだけど、まるでC&Cみたいね。どこもそういう苦労は同じなのね……」
「えー、私はあんまり壊してないんだけどなー」
談笑に盛り上がりつつも、一同が定位置に付いた。まずはユウカがシールドを展開しながら敵を引きつけ、アスナとハスミは敵が中央に寄るよう牽制弾を放つ。そうして一箇所にまとまった所で、コトリのミニガンが全てを粉砕する。そういう段取りになった。
私が合図を送ると、ユウカが果敢に曲がり角から飛び出した。瞬間、アスナが後を追って駆け出し、ハスミは角を出てすぐの所で狙撃姿勢を取った。
「……もう少し待ってね、コトリ」
シッテムの箱に表示した熱源はまだ散開している。
「アスナは左から、ハスミは右からプレッシャーをかけて。外側に膨らませないようにね」
「オッケー!」
「了解。ゴーレムの脚を破壊して、壁を作ります」
「ユウカ、もう少し中央に寄って。アスナの射線に入ってる」
「えっ、ウソっ!? 2メートル後退します!」
――よし……
敵影が直線状に固まり始めた。撃破された外側の敵の残骸が都合よく障害物になっている。
「コトリ、八秒後、用意」
「は、はいっ!」
カウント2までに射線から離れるよう、三人に通達する。6、5、4……ハスミは既に退避済みで、ユウカが通路脇に素早く退いた。
「アスナ先輩、そこにいると当たっちゃいます!」
「大丈夫! ちゃんと避けるから、そのまま撃っちゃって!」
「……って言ってますけど……」
アスナ本人が大丈夫と言っているなら、回避手段は確保しているはず。心配はいらないだろう。指で〇を作ってゴーサインを出すと、コトリは一瞬ギョッとしたが、すぐに発射準備に入った。3、2――
「アスナ先輩! ちゃんと避けて下さいねっ!」
重厚なミニガンのモーターが回転を始めた。その瞬間、アスナはゴーレムの肩を足場にして跳躍し、天井の岩に掴まってぶら下がった。振り上げた足でも岩に掴まり、ボルダリングで回避姿勢を取った。「いいよ、やっちゃって!」と弾んだ声がインカム越しに聞こえてきた。
「リミッター解除! これは痛いですよーーー!!」
私は咄嗟に片耳を塞いだ。工事現場のような発射音はともかく、夥しい量の薬莢が地面に落ちる音で、耳鳴りが起こってしまうためだ。現に、塞いでいない方の耳は、もうキンキンと痛み始めている。
…………
時間にすればほんの数秒だっただろう。スクリーンから敵影が一つ残らず消えていた。作戦本部からの通信でも、敵の殲滅が知らされる。
「すごーい! まともに浴びたらミートボールになっちゃうね!」
「このファイアレートの徹甲弾なんて、考えただけでもゾッとするわね……」
前衛の二人が、硝煙の立ち込める中で向こうで言葉を交わし合っている。まだ煙でよく見えないが、この様子なら敵は粉々にされていることだろう。銃身を真っ赤に発熱させて空気を歪ませるミニガンを地面に横たえ、コトリはアクセスポイントの設置作業に入り始めた。
「先生、この奥は開けた空間になっているみたいです」
「そこが終点だよ。もう敵はいないと思うけど、警戒は怠らないでね」
「了解」
ここまで立ちふさがったゴーレムは、元々ここに配備されていたものというよりも、新たに生成されたものと言った方が正しいかもしれない。装甲の材質がここの岸壁に酷似しているのだ。やはり、この奥にいる存在に生み出されたものなのだろうか。
『先生、ちょっと大変なことになったよ』
まだ調査の不十分な最深部へようやく突入できると思ったその時、ハレから通信が入った。
* * * * *
『地下鉄線路のカメラ映像をハックしたんだけど……戦車と、重機? こっちに向かってきてる』
トンネル内に重機とはまるで工事だ。
――まさか……!
頭に思い浮かんだ組織に、嫌な予感がした。
『音声を傍受。"デッカい鉱脈を掘るぞ"、"温泉掘って大儲け!"とはしゃいでいます。戦車側面にゲヘナ学園の校章を確認。道中でスケバンやヘルメット団も合流してお祭り騒ぎみたいです。数はおおよそ、二百人程度の中隊規模』
私の予想そのままに、コタマが淡々と告げた。嫌な予感は連続するもので、地下洞窟と壁越しに繋がると思われるポイント
地下洞窟の最奥から立ち上っていた湯気は確かに温泉を思わせたが、一体どこからそれを嗅ぎつけたのか、それともただの直感なのか――ともかく、止めなければ。だが、作戦本部とは通信できても、外部にはスマホの電波が届かない。
『待機させた雷ちゃん達の反対側から来る形になるね。待っていたらポイントΖに辿り着かれる。チーちゃん、すぐシャーレを出て、少しでも遠い所で食い止めよう』
『でも、ウタハ。私達はもやしっ子のミレニアム。電脳戦には圧倒的優位があるけど、ヴェリタスもエンジニア部も、ガチンコの白兵戦になると分が悪い。エイミがいるのは有難いけど、一人で対処できる数にも限度がある』
ウタハの進言にチヒロが続いた。声色に焦りが窺えた。相手がゲヘナと知って、ハスミが眉間に皺を寄せつつ正義実現委員会の派遣を申し出てきたが、却下せざるを得なかった。政治的軋轢を抱える両校の武力衝突は、後にどんな尾を引くか読めないのだ。
『先生、どこかに増援を頼めない?』
「……そうだね……」
多くの生徒は地下鉄経由でシャーレにやってくるのに、その地下鉄は現在運休中だ。アビドスの対策委員会は、ここへ呼ぶには遠すぎる。D.U.へ急げる距離にあるのはゲヘナ学園だが、各学園の治安維持組織でも一際多忙を極める風紀委員会の手を借りられるかどうか。だが、考える時間も惜しい。ひとまず連絡するだけでも。
「地下鉄側から壁を破壊されたら取り返しのつかない事態になる。チヒロ、シャーレの固定電話から空崎ヒナに支援を要請して欲しい。短縮031で」
『……この番号とメモ、もしかして
「うん。各学園の生徒会、及び警察組織のリーダーに直接繋がるんだ」
『…………』
呆れた溜息が聞こえてきた。
『先生、帰ってきたらお説教だよ。こんな重大なものを見える所に置いておくなんて……』
チヒロの呆れた溜息が、通話越しに耳を刺した。
『まぁ、とにかくかけるよ。ゲヘナの風紀委員長って話したことないけど……』
「大丈夫。そこからかければシャーレからの緊急だって分かるから」
『チーちゃん、先に出るよ。シャーレ地下鉄駅から東に直進だからね。さぁ、いくよみんな、出撃!』
ウタハの掛け声に一同が答え、慌ただしい足音がした。執務室が静かになってから一分もしない内に、チヒロの電話も済んだようだった。
『ゲヘナの風紀委員長、今から急いで向かうって。私達宛の資料を転送したから、目を通しておいてもらう。合流したらマスクを渡しておくから』
「よかった。ヒナが来るなら数の心配はしなくて大丈夫だよ」
『"ゲヘナの魔王"ってそこまで強いの……? ともかく、私も行ってくる』
「分かった。気を付けてね」
「……先生もね」
それを最後に、チヒロも作戦本部を後にしていった。後は彼女達に任せるとして、こちらはこちらの責務を果たそう。繋いだ通信を切ろうとした所で、ヒマリの声が聞こえてきた。
『そういうことで、作戦本部には私が残ります』
「ありがとう。でも、一人じゃ手が足りないんじゃない?」
『こんなこともあろうかと、映像データ解析のプログラムを組み上げておきました。私の元へ解析済データが回ってくるので、集まってきたものを統合して分析結果をお伝えします』
「……さすがだね」
『ええ、そうでしょう。もっと褒めていいのですよ? このミレニアム最高の天才清楚系美少女ハッカーであり、雲の上に咲く――』
「よし、行こうか。発生源を調査しないと」
『先生! 人の話は最後まで――』
ヒマリの口上を遮りつつ、Aチーム一同は最深部へ足を踏み入れた。
* * * * *
Bチームに有事を任せて三十分程が経過した。Aチームは洞窟最深部のドーム空間をあらかた探索し終えた所だった。残すはモクモクと湯気の立つ穴の奥だけだ。コトリを潜らせた時もここは放置するよう指示していたから、湯気の向こうに足を踏み入れるのは私も初めてだ。
「先生、これの裏に身を隠して下さい」
コトリが鞄から手のひら大の何かを取り出すと、空気を吸って畳サイズまで膨らみ、即席の防弾ウレタン壁になった。遮蔽物に身を隠しながら、センサーの数値を確認する。湯気の温度は人が触れても問題ないレベルらしい。ナノウイルス濃度はかなりのものだが、皆は大丈夫そうだ。
「では、中に入ります……って、行き止まりじゃない!」
ユウカの眼鏡型カメラの捉えた映像が共有された。窪みの奥は、天井の低い部屋だ。湯気を立てる泉に、ルビーみたいな赤い結晶が浸かっている。映像にアスナが映り込んだことで、その横幅や奥行きが自動車サイズであるのが見て取れた。
『先生、それです! そこからKINVID-22が
「この結晶から?」
『ええ。水面と水晶の接点で化学反応が起こっています。ユウカさん、もう少し近寄ってくれますか。その眼鏡から超音波を出して、ソナーで地形を分析します』
「この眼鏡、そんな機能まで付いてるの?」
訝しげにユウカが泉の縁に近寄り、底を覗き込む。人間の可聴域の外側にあって何も聞こえないが、ヒマリにはきちんと情報が伝わっているようだ。「少々お待ちください」と言われた通りにAチーム一同が待機する中、私は次に取るべき策を考えていた。
見た目は鉱物。見るからに硬そうな結晶だ。果たして手持ちの銃器で破壊することはできるか? お湯と反応することでナノウイルスが産生されてしまうのなら、そこに溜まっている水を蒸発させるなりして枯渇させる、という手段も考えられる。
だが、そのどちらの手段も実現の見込みが薄いことが、集積されたデータから明らかになってしまった。
「……遥か深くまで続いているんだね、これが」
『この結晶自体、全高が数十~数百メートル規模あると考えられます。天然物か人工物かの判別はこの場ではつきかねますが……。ちなみに、その泉は地下水脈と繋がっているようです』
「長い間渇いたままになっていた所へ地下水が流れ込み、それがきっかけで結晶が水に反応して、ウイルス産生が再稼働してしまった……ということかもしれないね」
結論づけるつもりはなかったが、そう考えると腑に落ちる気がした。設備を整え、機材をもっと持ち込めば精密な調査ができるかもしれないが、ヒマリの口ぶりからするに、今掴める情報から分かることはこれ以上無いようだった。
「あれ、ボンベがある。何かしら……?」
アパートの一室程度の広さしかない部屋を(部屋と言っていいものかどうか)探索していたユウカが、錆びついたボンベを発見した。三人が後に続いて、しげしげと眺める。
「うーん、ガスが入っているみたいですよ。だいぶ古いようですし、どこにも接続されていません。バルブは……固くて動きそうにないですね……」
「何かが印字されていますが……掠れていて、何と書いてあるのか……」
トラップの類が無さそうなことを確かめてもらってから、私も足を踏み入れた。湿気の濃度が違う。服を着たまま浴室に立ち入るような感覚が肌にまとわりつく。ヒマリのラジコンと化したユウカが、面倒臭そうに歩き回っていた。
"コツン"
私が歩いた拍子に、小さな石ころが転がり、ボンベにぶつかって高い金属音を鳴らした。
その時、水蒸気のような白い煙が一気に噴き上がった。
「わ……何、煙――」
バァン、と何かが破裂する音がして、一瞬視界が真っ白になった。
……………………
…………
……
* * * * *
『――丈夫ですか、先生……先生……!』
「……アロナ……?」
シッテムの箱から呼びかけてくる声に応える。
『
湿った煙で辺りが覆いつくされていて、泉の縁すらも見えない。アロナの声も途切れ途切れだ。
『一度にバッテリーを――すぎて、もう――! お願い――す、先生、シャーレまで撤――てください――』
「……分かった、アロナ」
モニターの隅では、バッテリー残量を示すアイコンが赤く点滅していた。執務室を出る時に満タンにしておいたのに。このままではアロナとも交信できなくなってしまう――とその瞬間、シッテムの箱がダウンしてしまった。
Case Final A、またはBへ続く
この後は、Aルート、Bルートに分岐します。
お好みの方で読み進めて下さい。