ほどなくして悟はアルベドの部屋へと転がり込む。アルベドは生来の面倒見の良さで甲斐甲斐しく悟の世話をしたし、悟もアルベドをとても大切にしていた。
悟は子供向けの絵画教室で講師をしながら、わずかな賃金を得ていた。その一方で時間を作ってはアルベドをヌードモデルとした絵を描き、展覧会へ応募を行う。
アルベドは元々お金に興味がなかったことから、糊口を凌げるだけの給金しかタブラからは受け取らず、ニグレドとルベドの給金を多く渡す事で善しとしていた。
だから二人は貧しかった。それでもそこに確かに愛はあった。ささやかな生活。ささやかな幸せ。ささやかだからこそ充実した毎日を送っていた。
偶に悟が来店しては、カウンターでアルベドの出すウィスキーをちびちびとやる。タブラと悟がアルベドの良さについて熱く語り合った日は、終始顔を真っ赤にしたアルベドという、大変珍しい姿を見ることができた事もあった。
一方で、アルベドは食生活が一変し、更に美しさに磨きがかかった。
毎晩、悟に抱かれることで吸精を行い、身も心も満たされる。偶に空腹を覚えた時のみ蕎麦のような簡単なものをお腹に入れるだけ。それで十分に満たされたし他に望むこともなかった。だから食事の用意は悟の分だけでほとんどが完結したし、アルベドの給金でも破綻することはなく小さなささやかな生活は続けられていた。
アルベドにとっては十分だった。今の生活が全てだった。これ以上の事を望むつもりもなければ願う事もなかった。
ただ、幸せはそう長く続くものではなかった。
悟の絵が、賞を受けたのだった。無論、題材はアルベドのヌードである。
アルベドとしては嬉しいやら恥ずかしいやらであったのに対し、悟はこれ以上ないほど喜びを爆発させていた。ナザリックにもアルベドを一目見ようと多くのお客が押し寄せた。
悟の描くアルベドの絵は一点、数百万円で取引され、いきなり懐に大金が転がり込んだ。すると悟は子供向けの絵画教室で講師をあっさりと辞めて、富裕層向けの絵画の個人レッスンを行うようになった。
そして悟は……一変してしまった。
悟の才能……なのだろう。世に認められてこその画家だとアルベドは何度も自分に言い聞かせた。
一変した悟は、家にほとんど帰ることがなくなってしまった。悟用の食事を作ってから出勤しても食べてもらえない悲しさ。帰宅している形跡はあるのに、認めてもらえない悲しさ。
夜遊びだけならば、アルベドも大目に見た。お酒を飲みたい夜もあるし、一人になりたい夜もある。絵を買ってくれる富裕層の方々との会食なんて事もあるのだろう。
アルベド自身、夜の店で働いていることもあって、悟を追求することに対しての後ろめたさがあった。
しかしある日、アルベドは見てしまった。見かけてしまった。
悟と出会った日の様に暑い日だった。いつもの市場での仕入れを終えて、店での仕込みを終える。本当に些細なミスでアルベドはドレスの裾を引っ掛けて破いてしまったのだ。
もともと高級店ではないナザリックで着るドレスなど、安っぽい造りの物が多かった。しかしそれをアルベドは、大事に手洗いすることで長持ちさせてきた。
それなりに思い出の詰まった一品ではあったが、破れてしまっては元も子もない。
致し方なく、ドレスの仕入に夕方の街を歩くアルベド。日も暮れてアルベドの目も幾分よく見える時間帯。映画館からどっと人が出てくる。上映がちょうど終わったのだろう、自分には縁のないラブロマンス映画。
そこから出てきたのは悟の姿。最愛の人の姿を間違いようもない。アルベドは声をかけようとしたが、すぐ隣に悟と手を繋ぎ、仲睦まじく歩く、アルベドとは正反対の、小柄な色白のヴァンパイアの姿を見てしまった。
アルベドは、雷に打たれたようなショックを受けた。ガーンという音が耳の奥で反響する。鼓動が早くなる。
ヴァンパイアの始祖一族と言えば、先の戦争でいち早く異形の物を裏切り、日本軍へサキュバスの弱点を漏洩した戦犯である。一方で日本国内では伯爵の地位を手に入れ、英雄としてもてはやされている。混血とはいえ、サキュバスの血を色濃く受け継ぐアルベドにとっては天敵ともいえる相手なのである。
ふと正面を見据えた悟とアルベドは目が合う。『これも仕事だ』と言わんばかりの突き刺すような視線。そしてそのままアルベドの横を通り過ぎる。
「悟様、どうかされんしたかえ?」
ヴァンパイアが悟に尋ねる。
「シャルティア様、なんともありませんよ」
そういって悟はシャルティアと呼んだ少女に微笑みかける。
「様づけなんて仰々しい呼び方はやめておくんなまし。シャルティアと呼んでほしいでありんす」
そういってシャルティアは悟にしな垂れる。
「ごめんよ、シャルティア」
そういって悟はシャルティアの肩を抱く。その二人の後姿をアルベドはただ茫然と見ている事しかできなかった。
二人の姿がもう遠く、はるか遠くに行ってしまった頃にぽろりと一筋の涙がアルベドの頬を伝う。
知りたくなかった。知らなかった。もう戻れないと思った。
アルベドを絶望感が包む。悟が人間の女に手を出すこともあるだろうとは思っていた。しかしサキュバスとしての夜の生活で一日の長がある以上、最終的にはアルベドのもとに帰ってくると信じていた。
しかし、しかしである。ヴァンパイアに手を出すことは想定の範囲外だった。ヴァンパイアにはサキュバスにはない『魅了』の特技がある。あれだけはサキュバスでも敵わない。
方法は……ある。あるにはある。『魅了』は解除しても何度でもかけられる。ヴァンパイア側に『魅了』を実施することのリスクは皆無と言ってもいい。
ではどうするか、悟自身を『魅了の効かない身体』へと造り変えるしかない。
その秘薬は大変高価であるし、使用タイミングもシビアなものとなっている。
それでもやるしかない。私の、私だけの悟を手に入れるためには他の何を投げうってでも。
痛いくらいにこぶしを握りこみ、悟とヴァンパイアの去った方向を見つめるアルベド。
こんなことは望んでいなかった。こんなはずではなかった。
そんな思いがアルベドの中を駆け巡り、只々悲しさと喪失感で胸は溢れてしまいそうだった。
やるしかない……強い覚悟を決めてアルベドは悟の去った方向とは反対方向へと歩みを進める。
ただ、脳裏をよぎるのはきっと恩人のタブラは嫌がるだろうなという思いだけだった。