※この作品はR-18です。

ヤン・デ・レ・エロス   作:ヤン・デ・レェ

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逢瀬 ココ・ヘクマティアル

ココ。ココ・ヘクマティアル。

 

彼女が私を買った。私が彼女を買ったのではない。私を、彼女が買ったのだ。

 

一日で1万フラン。もれなくスイスの専用銀行口座がついてくる。

 

どうして?さぁ、私にもわからない。だが、嫌ではない。お互いに嫌ではない。寧ろ好いてさえいるのだ。だが、同時に恐れ合っている。彼女は私が誰かに執着することを、私は彼女が命を散らすことを。だからお互いに好き合おうが、決して一所にじっとはしておられないのだ。

 

私は目の前で彼女が死ぬところを視ることに耐えられないから。彼女は目の前で私を何者かに…それが誰か自分に親しいものならば尚更…盗られることに耐えられないから。

 

私達は遊侠と現実の狭間で生きている。その狭間で私たちは愛なるものを囁き合う。しかし、そこには如何程の重みもない。もしもそこに重みをもたせてしまったら、その瞬間から互いの翼をもぎ、或いはその手足に枷を嵌めることになるのだから。

 

愛ゆえに、我々は孤独を継続する。何時か、本当に最後の時が来るまで。最期の時間が来るまで。互いに海月のように、この不安定で渾沌とした世界を遊泳するのだ。

 

ただ、この一時だけは。彼女が私を買い、或いは私が彼女を誘うこの時だけは、私達は一つの核となる。それはまるで不発弾の様なもので、グラグラと煮立った灼熱と極寒の氷塊を抱えながらも、互いを触れ合わせない様に、互いを守り庇い合う様に必死に隠しているのだ。だが、その隠しこそに意味がある。

 

僕たちが彼女と共にあるためには、その薄い隠し、軽妙なる意識のカーテン、朝靄に混ぜ込まれた夜の死に吐息、その薄らぼやけた正体不明の遮蔽物が、僕と彼女に互いの体温を伝える唯一の答えになっていた。

 

これは快楽なのか。快楽だ。だが、快楽だけではない。そこには、快楽という一時的な何かでは説明のつかない、火傷の痛みの様な、気まぐれな不安の様な、抱えるに余りある余韻が隠れている。熱の余韻だ。体温の余韻が互いを守り、その骨子を成し、時に逃避の角としてその頼りない細身を受け止める役目を託されているのだ。

 

私と彼女の関係性に名前はない。規定事項はない。私達は本能で頑迷なまでに固く結ばれている。逃れられず、また贖い得ない共犯関係にある。原罪への嘲弄こそが彼女の誉であるならば、貞淑ならざる敬虔者こそ私だ。

 

彼女は人を殺し続ける。死を量産する。金を湯水のごとく平らげ、また蓄財しながら。

 

私は誰かの逃げ場所になり続ける。赫熱の愛執を生産する。一つ一つ丁寧に、喉元にナイフと銃口を突きつけられながら彼女達の肉体と精神を救済するためのシステムに零落れる。時に抱き、時に抱かれながら。

 

私は彼女に売った。彼女は私に売られた。彼女に私を、売ったのだ。彼女は世界を買ったのだ。私は世界を売ったのだ。彼女がその私兵に与えた様に。

 

 

 

◇

 

 

選んだ部屋はセキュリティを重視してココがよく泊るホテルを選んだ。二人ともアブノーマルの趣向はないから、静かに抱き合うくらいなら此処がちょうどいい、とはココの談だ。清掃員には追加ボーナスが決まった瞬間だった。

 

室内は殺風景だった。家具にもアメニティにも特に注文は付けなかった。必要なものは持ち込むし、何より僕たちが一晩一緒に居る為だけの部屋だから。大きなベッドが二つ。でも使うのは片方だけ。勿体ないから、使わなかったベッドの上で並んで食事をするがお決まりだ。

 

そうお決まりなんだ。僕たちは何時だって同じことを同じ順序でなぞるのだ。何度も。何度でも。

 

僕たちは部屋に入るとまず初めにお決まりの会話をした。

 

ココが私の方を見て言う。

 

「ちゃんと視ててね。」

 

何を?だなんて聞かない。だから僕もいつものように返した。

 

「僕の方はそんなに視なくていいよ。」

 

ココは狐のように目を細めて微笑んだ。どこか抜き身のナイフのような危険な香りを放つ彼女も魅力的だ。そして、その香りの正体を僕だけが知っている。これはココが興奮している時の香りだ。澄んだ毒の香りだ。

 

「君は、照れ屋だもんね。」

 

小首を傾げると様になる。見惚れちゃいそうだけれど、それ以上に口が先を急かす。贅沢に時間を使いたいのに…私はいつもこうだ。

 

「君のように美しくない。」

 

私の正直な心境だった。平凡よりは美しいかもしれないが、絶世の美男子ではない。対して彼女は絶世の美女だろう。少なくとも私にとってはその通りだ。

 

だが、いつも通り、彼女は私の言葉に不服を申し立てる。頬を膨らませる稚気に満ちた愛らしい不満の表明ではない。スッと目を細めて、今度は獲物を狙う時の狐の瞳だ。捕食者の瞳に変質すると同時、彼女の美しい白金の髪が意志をもった様に波うって見えた。あぁ、やっぱり君は美しい。

 

「美しさを決めるのは私だ。価値を決めるのも私だ。だから君のこともよく見せて?」

 

ココは何方がエスコートする側なのか分からなくなるくらい優雅な所作で、私に手を差し出した。私は彼女の手を取るしかない。例え垂死の際に在ろうとも、僕はそうする。

 

「ふふ…いつも同じ会話をしているね。」

 

可笑しくて笑うと、彼女も同じだったみたいだ。

 

「フフーフ…確かにそうだ。私達は今日も進歩がない。だが同時に退化もない。私達はずっとこのままなのだよ。なんてね?」

 

可笑しくて笑ってしまう。けれど違うのは彼女の笑みは、余りにも自信と慈愛に満ちているということ。

 

 

◇

 

 

私達は互いが服を脱ぐのを注意深く見守った。私が一足先にいそいそと脱ぎ…それでも彼女は満足げだった…次は彼女の番だった。

 

今日も白尽くめのココはまず初めにスーツをベッドの上に脱ぎ捨てて、スカートをゆっくりと降ろした。ハリのある白い肌と丸みを帯びた腰つきに、私は目を奪われた。彼女の肉体に対して、或いはそのオリジナリティ溢れる身体の内と外で醸成されたアウラとも呼ぶべき美。その美に対する耐性などと言うモノを私は知らなかった。霊気すら満ちていよう、その美しい両半身の独特の美貌には。

 

彼女はその場で一度ひらりと回転して見せた。あぁ、いじらしい。どんな形容句も今この瞬間に齎された情報量を超えることはないだろう。艶やかしくも妖しげな美を、誘惑の極致を体現して見せたのだ。ほのかに起きた風が運んできた甘い香りを口腔鼻腔で噛みしめ、眼球を以て須臾の間ふわりと波形を描いたシャツの演舞を賞味すれば、頼りないシャツの奥でキュッと締まったココの眩しい臀部が詠い、そこから生えるすらりと伸びる瀟洒なる小脚の勇躍を視よ。純白の新雪を磨いても尚、彼女の二脚の放つ潔癖と清純の前には無力なのだ。シャツ越しにもう一度垣間見れば、そこには何が見える?そこには僅かに黒い闇のコントラストが見える。体表の凹凸、その最たるもの、即ち二つの谷間である。胸元と尻たぶの谷間である。前者は僅かに汗を吸った黒い生地に精緻な刺繡で飾られ、後者は胸元と揃いの黒い下着で雪よりも尚白い肌であるが故の、豊満な印象を引き締めると共に適度な色を添加している。

 

美しい垣間見を名残惜しくも乗り越えて、彼女は次に青と白のレジメンタルタイを緩めて首に掛けたまま、白いシャツのボタンを首元から一つ一つ丁寧に外していく。

 

プツ…プツ…プツ…と彼女の手入れされた艶やかな爪とボタンが触れ合う音だけが暫し響いた。なんて甘美な時間だろう。

 

胸元に差し掛かる頃、彼女は俯きがちに顔を伏せてしまう。ほんのわずかな時間だと言うのに、彼女の表情が分からないこの僅かな時間が狂おしいほどにもどかしくも愛おしく感じる。彼女は今、どんな感情の渦中にいるのだろう。僕と同じだろうか?期待と愛情と執着と…醜くも澄み切った感情を抱いているのだろうか。

 

一番下のボタンが外れると、するりとタイが床に滑り落ちた。毛足の長い絨毯に軟着陸したタイに想いを馳せれば、その降下業は正に蛇が木を這い降りる様子に似たものだった。湿度を纏ったタイの降下は、最早隠し難いココの発情を私に教えていた。

 

さぁ、次はなんだ。私の問いは彼女の口から直接に告げられた。

 

「シャツは君が脱がしてよ。」

 

私はもうすっかり絆されてしまって、興奮してしまって、言われるがままに口数も少なく後ろから彼女のシャツに手を掛けた。

 

「ふふふ…興奮してるの?今日はいつになく下手だよ?」

 

赤面せざるを得ない。だが、同時に嬉しくもあった。ココは俺の隣に居るんだと、はっきりと理解できるから。

 

誰しもそうだが、人によって態度は変わるものだ。ココ・ヘクマティアルともなれば尚更、商売柄仲間にと言えども本心を伝えきれない焦燥感は常日頃彼女が晒されている過酷な現実の極一部に過ぎないのだろう。

 

そんな彼女だから、こうして私に少しでもはにかんで見せてくれることがこの上なく嬉しいのだ。彼女の弱さを享受できるのだから。これは心酔とも崇敬とも違うのだ。これは、この情は、繋がりはもっと根深く、何処までも独善的なものなのだ。互いに互い自身を救うために、相手を愛しているのだ。本当の本当に愛しているが故に、理解しているが故に、私も彼女も愛してるとは口に出さないのだ。出せないのだ。

 

 

◇

 

 

シャツを脱ぎ、最早彼女の秘部を覆い隠すものは下着だけになった。ここまで長い道のりだった。膨れ上がる欲望の熱を前にして、好くも耐えたと自分を褒めるべきだろう。

 

だが、その我慢ももう必要がない。

 

「フフーフ…お待たせ。もう好いよ。おいで、私も好くから。」

 

ココはそれ迄が緩急の緩であったことを証明する様に、一思いに胸元を外気に晒した。黒の砦の奥から現れたのは形の好い乳房だ。ほんのり桜色に色付いた乳首はややしこり、ぷっくりと愛らしくも精一杯その興奮を主張している。

 

心和む光景の後で、彼女はその無毛の女の聖域を私の前に無防備にも晒して見せた。ふわりと甘酸っぱく儚い薫りが舞い立ち、私の鼻先を撫でた。眼が血走ってはいないだろうか。

 

私は然るべき本能の要請をくらつけて黙らせ、より深部に眠るより濃密な本能の核を抽出する。快楽を貪るだけなら自慰で事足りるのだ。これは寧ろ官能の対極にある。一種神聖な儀式を行うに等しい。分厚い意識の雲をかき分けて、無意識に沈殿した脅迫感と『救い』のテーゼのみを掬い上げる。胸に掻き抱き、脈打つ心臓に同期させる。

 

あぁ、永かった。いつもそうだ、欠けたものを満たすための単純な儀式だと言うのに、そこに辿り着くにはいくつもの夜を越え朝を置き去りにしなければならない。

 

あぁ、永かった。彼女の傍に行く。互いに自然と鼻先が交わり合った。濡れそぼった性器より先に、官能の唇よりも先に、共振の合図が鼻先で交わされた。間髪入れず抱きしめ合い、その体温を、生たる性の熱を己の秘部から感応し合う。鼻先を重ね、擦り合わせ、額を重ねて熱を伝え合い、譲り合い、奪い合った。それからようやく、彷徨う様に差し出された舌を絡ませ合い、その唾液の甘露たる所以を知った。唾液が直接に甘い訳ではない。甘いのは互いの吐息なのだ。吐き出される呼気を交わし合い、入換えてを繰り返した。

 

一分の隙も無いほどに密着した二人の人間の交合は、交合と呼ぶには淫靡に過ぎる物だった。だが、一方でその愛交はセックスと呼ぶには余りにも純に過ぎた。二人は一つになるために交わっている訳ではない。二人は一人になるために交わっているのだ。そう、考えた方がいいくらいに、交わりは官能と神秘に充ちていた。

 

 

◇

 

 

唇を重ね、唾液を飲ませ合い、思う存分に瞳を重ねた。青い深淵に吸い込まれながら、どろりと甘ったるい眼交に耽溺した。それからようやく、互いの獣欲の蠢動に思い至ったのだ。視線を互いの秘部に向けるのはほぼ同時だった。

 

「寂しかったよ。」

 

「僕も。」

 

「寒かった。凍えるみたいだった。」

 

「私もだよ。」

 

「おかえりなさい。はやく、来て。」

 

「ただいま、今往くよ。」

 

切なげな言葉の応酬と共に、立ったまま二人はゆっくりと一人になっていく。ココの聖洞は潤い充血していた。男のファルスもまた、想い人との逢瀬に感涙を禁じ得なかった。十分に滑りを帯びた性なる依り代は、二人がより深く互いを抱きしめる度に少しずつ近づいて行った。相手を更に深く己の中に沈めるように、埋め込む様に、迎え入れるように鬩ぎあった。本能の軋みは最早音をも伴い、最後は男の方が忍耐叶わずに、腰を突き入れた。

 

もしも擬音を与えるならば、ぐじゅり、というのが適当だろう。濡れそぼった肉と肉の間をかき分ける快感に腰砕けになりながらも、或いは熱と鼓動を伝えながら自らの極地にその生涯唯一の雄の分身を迎え入れたことによる充足と迫りくる絶頂への焦燥に身を捩りながらも、男とココは固く抱き合って離れようとはしなかった。口づけ合い、背中を優しく摩り合い、髪に鼻を埋め、耳の裏を嗅ぎ、耳たぶを食み、耳と瞼に唇を落し合った。

 

曇りガラスの向こうで揺らめく光のように、あどけなく頼りない実感だ。だが、だからこそ離すまいと男とココは快楽にではなく、快楽を前にしてなお、目の前の温もりに支えられて立っていた。立って抱き合い、それから男の抽送が激しくなるとベッドに辿り着き、男がココに伸し掛かるように倒れ込んだ。絶頂が近づけば近づく程、二人はきつく抱き合った。胸の鼓動を搔き集め、互いの涙と唾液を舌で舐めとり、鼻の頭にもキスを贈った。頬を寄せて、互いの首筋に顔を沈ませる。がっちりと固定してしまうために、どこへも飛んで行かないために。

 

二人の交わりは激しくも静かだった。人には淡白に見えるかもしれないが、男もココもただ快楽を貪るセックスの為に一晩の契約を屡々結んでいる訳ではなかった。そこには純粋な互いへの回帰願望と、それから刹那的な、いっそ自暴自棄的なまでの生殖本能が隠されていた。

 

二人は避妊具を使わなかった。否、使えなかった。男が一度だけ用意した時は、ココを泣かせてしまったからだ。ココもどうして泣いてしまったのか理解できない。自分が子供を愛せるとも思えない。自分が男以上に子供を愛することはないと断言できる。だが、それでも男の全てを受け入れないみたいで「絶対に嫌だ」と彼女は言った。淡々と涙を流し、仄暗い瞳に軋んだ笑みを浮かべるココを、男が否定できるはずもなかった。

 

もうすぐ絶頂が近かった。男の腰はそれまでの勢いのまま、淡々と見える腰振りでココを愛し続けた。ココも、声を殺す様に…いいや、男の耳元でだけ聞こえるように睦言をとくと流し込んだ。

 

 

◇

 

 

子種が放たれる瞬間、二人の影は一人分に換わった。小さく小さく、皮膚の壁越しに限界まで密着して二人は同時に果てた。

 

どろりと重たい白濁液を腹に抱えたまま、男のファルスも納めたままで二人は眠った。眠るときはココが上だ。男の体に子コアラのように必死と抱き着いて眠る様子は愛らしくも悲壮だ。あどけなさを忘れた子供らしい、と評するのは憚られたが否めなかった。

 

茫洋とした意識の中、ゆっくりと呼吸を戻した二人は寝る直前、再び鼻先を重ねてから、互いの唇に小さく舌を預けた。

 

 

◇

 

 

翌日、男とココはホテルで分かれた。次の逢瀬は何時になるのだろうか。きっと何かが溢れてしまった時、再び二人はどちらからともなく出逢うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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