一
あたたかな日差しに見事にしてやられたのか、朱里が馬上で船を漕いでいる。背中でふらふらと揺れる『万事始末請負』の旗。これは本格的に眠りこけてしまう前に、起こしてやるべきなのかもしれない、と馬を曳く一刀は優しくほほえんでいる。
数日前に辻斬りの始末をしたとは思えないくらい、のんびりとした旅路だった。思春は相変わらず後ろをついて歩いていて、基本的には他人のふりをしている。だからといって食事の誘いは断らないのだから、年頃の娘にかわいらしい反抗をされているようにも思えてくる。
あれから、剣丞と久遠はどうしているのだろうか。どんな理論でやってきたのか知らない世界だけに、二人のその後など確かめようがない。それでも、睦まじく暮らしていることだけは間違いないのだろう。剣だけに生きた自分のような男でさえも、ともに過ごしていて心地いいと思える誰かと出逢うことができている。それだけでも、この常識外れの世界に紛れこんだ意味があるのではないか。辛うじて手綱を握っている朱里が、もごもごと何事かを呟いている。あえて聞き耳を立てるような真似はしない。地面を叩く蹄の音。寝言をかき消すには、十分な大きさだった。
「そこの御仁。おお、あなたのことだ」
街道を歩く途中、外套を着た女に呼び止められた。女と判断したのは、よく響く声と長い髪を見たからである。それによく観察してみると、大きめの外套を押し上げるくらい豊かな乳房がある。眼つきはいかにも気が強そうで、なんとなく興味をそそられた。
馬の足をゆっくりと止めさせ、外套の女に近づく。見るかぎり危険はなさそうだった。思春の舌打ちがここまで届いてきそうだったが、そんなことを気にしていてはなにもはじまりはしない。
「私になにか用かな」
「いやはや……。この涼やかな立ち居振る舞い、直感した通りの素晴らしい御仁だったようだ。私はこのあたりで占いをしている者でして、少しお手を拝借」
「おっと。ははっ、なんだかくすぐったいな。こうした類のこととは、これまであまり関わってこなかったのでな。どうかな、なにが見える」
女の左右の指が、右手のひらの皺をなぞるように動く。きれいな肌をしているが、指の表面には隠しきれない苦労の跡がある。
馬体の揺れがなくなったことで眠気がさめてきたのか、朱里がしきりに眼をこすっていた。
「む、むむむっ……。いや、これは……」
「なんだ。勿体ぶるような真似をしなくてもいいだろう。結果がでたのなら、早く教えてもらいたいものだ」
「見える……。途方もない数の星が、あなたさまの背後で煌めいている様子が。類稀なる天命。よもや、その持ち主とこのような場所で巡り合うことになろうとは……」
搾り出すような声で女が言った。
具体的な話はなにひとつない。それでも相手を悪い気にさせないところが、女の占いの肝なのかもしれなかった。朱里の琥珀色の瞳が、自分たちのやり取りをぼんやりと見つめている。軍師諸葛亮といえども、睡魔に打ち勝つのは簡単ではないらしい。
「それで、私はこの地でなにをなすことができる。数多の星は、なにを求め輝いている」
せっかくの機会だからと、少し占いに踏みこんでみる。結果をあてにしようというわけではない。ただ、心の指標になりそうなものを、ひとつでも得られればそれでいいと思ったのだ。
「はあ? 私が知るか、そのようなこと。いいから、金だ、金。きっちり占ってやったのだから、金をよこせ。それともなにか、ああ? 貴様はひとに仕事をさせておいて、対価を払わずともよいと申すのではなかろうな?」
「はふう……。これって詐欺師の言い分ですよ、一刀さん。乗ってあげる必要なんてありません。無視してさっさと行きましょう、むにゅ……」
「な、なんだこの寝ぼけ小娘は。まったく、人聞きの悪いことを言いおって……。教育がなっておらんぞ、教育が」
朱里のうわ言に女が目くじらを立てている。右目の下にある泣きぼくろ。怒りと連動してひくついているのが、ちょっと印象的である。
「なあ、たのむよ。病気の妹が、いまも私を寝床で待っているんだ。そんなかわいそうな女を、貴様は文無しで帰すというのか? なあ、できるわけないよなあ、なあ?」
「いつまで油を売っているつもりだ、痴れ者。押し売りの相手をまともにしていたのでは、日が暮れる。いいから行くぞ、一刀」
「げっ……。また、おかしな女が増えたではないか。気が弱そうでちょうどいいと思ったのに、私としたことが、面倒なやつに声をかけてしまったか……」
不機嫌丸出しの思春が参戦してきたことで、女はおのれが不利になったことを悟ったようだ。
正直、どちらでもいいと一刀は思っていた。強引だったとはいえ、女には占いをしてもらっている。だから一応、道理としてはかなっているともいえるのだ。
朱里の背中をぽんぽんと二度叩き、眼を醒まさせる。懐の具合は、そこまで逼迫していないはずだった。始末料の無駄遣いはしていないし、大金がすぐに入り用になることもない。だとすると、これも流れだといえるのか。
常識的な額を出すように言い、朱里から数枚の銭を受け取った。渋々といった様子だが、舌打ちの止まらない思春に比べればこちらはひどく穏便である。
「お、おおっ。い、いいのか、ほんとうに」
「金が欲しいと言ってきたのは、そちらだろうに。情けは人のためならず、だ。そろそろ、昼飯にしようと思っていたところでな。どうだ、一緒に食っていくか、女」
「ちっ……。正気の沙汰とは思えんぞ、一刀。押し売り女に金をやったばかりか、飯まで食わせるなどと……」
「はははっ。旅の縁ではないか、これも。おまえとの出逢いも、褒められたものではなかった。それが、いまとなっては」
「い、言うな、それ以上……っ。もういい、勝手にしろ。痴れ者の気まぐれにいちいち腹を立てていたのでは、こちらの身が持たん。先に進ませてもらうぞ、私は」
「いい野営地を見つけておいてもらえると助かる。またあとでな、思春」
早足で去っていく思春の背中を見送る。たまには、順序が逆転することがあってもいい。常に同じであることは安心につながるが、変化なくして物事に進歩はなかった。
道端の木に馬をつなぎ、脇を抱えて朱里を降ろす。普段はこうすると子供っぽいからと嫌がるのだが、眠気の残る今日はそのかぎりではないらしい。
女が草の上に腰を落ち着ける。器量はいいし、そこそこ弁も立つ。なのにまともな職につかないのには、女なりの理由があるのか。
火を熾し、塩を振って干した川魚をそこで炙る。腹が減っていたのか、余計な脂が落ちていく様子を女がかじりつくようにして見つめている。
「傾だ。私のことは、傾と呼んでくれていい」
「北郷一刀。こっちで居眠りをしている子は、諸葛亮という」
「ふわあ……。ぜったいいま、子供あつかいしましたよねぇ……? はふ、すぅ……」
「うむ。北郷よ、口からでまかせにした占いだったが、意外といい線をいっていたのかもしれんぞ、私は」
焼き上がった魚を渡してやると、傾がざっくばらんに笑った。
少し日に焼けた肌が、健康的な美しさを放っている。豪放で裏表を感じさせないところなど、どこかあの炎蓮を想起させるものがある、と一刀は思っていた。
「見たところ結構な年下のようだが、貴様はなにをして稼ぎを得ているのだ、北郷?」
「なにと問われると難しいが、強いて言えば始末屋をしている。くだけた言い方をすれば、なんでも屋だな。そのうち占いが必要になった時には、おまえの言葉を参考にさせてもらうよ、傾」
「くははっ。やめておけ、北郷。貴様の面はお人好しがすぎる。胡散臭い占い師など、やれたものではないだろうよ」
いつの間にか、朱里の頭が肩に乗っている。心地のいい重み。軽く頭を撫でてやると、眼尻がだらしなく下がった。
傾は多くを語ろうとはしない。ただし、妹がいるというのはほんとうのことのようだった。病気というのはでたらめなのだろうが、日々の生活に苦労しているのは嘘ではないのだと思う。どこからきて、なにをしていたのか。いまは自分たちと同じで、各地を放浪しているのだという。どこかに定着する気にはなれず、だからまともな職もない。そうした輪の中でも、傾とその妹は強く生きている。
「ふう、食った食った。もう一匹は土産としてもらっていくぞ、始末屋。妹も、きっとよろこぶ」
「好きにしてくれていい。もう、行くのか?」
「ああ。奇特な縁で結ばれたが、おそらく二度と会うことはあるまい。では、さらばだ」
焼き魚の刺さった串を片手に、傾が颯爽と外套を翻す。
風に舞う茶色がかった長髪を、記憶に焼き付けておこうと一刀は思った。人生は一期一会。思春のように後々のつながりになることもあれば、ならないことだってある。それもすべて、流れの中にしかないことだった。
†
見知らぬ街に到着すると、やはり気分が昂揚する。家屋のつくりや人々の服装。もっと別の地域にまで足を伸ばせば、よりそこには差異が生まれてくるのだろう。
とりあえず、大通りを行ってみる。はぐれてしまわないようにと、右手はずっと朱里と重ねたままだ。
「あっ、いたっ……」
「ああ、すまなかった。私も、ぼんやりとしていたようだな」
前から歩いてきた誰かとぶつかる。というか、感覚的にはぶつかられたと思いが強かった。
女の顔がすぐ近くにある。記憶とは合致しない髪色。醸し出す雰囲気も、まったく別なもののはずなのである。なのに、思い出してしまう顔がある。それはこのぶつかってきたと思わしき女の眼の下にも、左右は違うが泣きぼくろがあるからなのか。
「んあっ……。こ、困ります、そんなことをされては……♡ みなさん見ていますし、んっ、うあっ……♡」
「か、一刀さん……?」
気づいた時には、もう手遅れだった。手のひらから伝わる柔らかな感触。どうしてか、自分の左手が女の胸の上にある。
触れられている。そのことを大げさに表現するかのように、女が身体を艶めかしく動かしている。間近にいる朱里にはもちろん、周辺を歩く通行人からも厳しい視線が浴びせられている。
人垣を割って飛び出してくる影。女の表情は余裕そのもので、痴漢にあったという悲壮感は正直どこにもなかった。
「おいおいそこの兄さん。私のかわいい妹の身体に、なんてことをしてくれたんだ。ああ、許せよ
「か、一刀さん。ここはお姉さんに、誠意を見せるほかありません。天の御遣いさまが痴漢で獄門だなんて、絶対にだめなんですから!」
動揺のせいか、あるいは当時寝ぼけていたからやり取りを覚えていないだけなのか、朱里は慌てて言葉を捲し立てている。
不思議なくらい冷静にしている自分に対し、瑞姫と呼ばれた女が睨むような視線を向けてくる。そして、人垣から出てきたあの女。悪い商売は長続きしないな、と一刀は笑っている。
腰より下まで伸びた長髪。そして、相変わらず強気でいる二つの眼。今日は外套を着ておらず、豊かな谷間を見せつけるような格好をしていた。
「うげっ……。し、始末屋ではないか、貴様は」
「数日ぶりだな、傾。おまえとの縁、案外切れずに結ばれていたようで、うれしく思う」
「ちょっと姉さま。私、いつまでこの男に胸を触らせていればいいのよ。これだってタダじゃないのよ、まったく」
計画が頓挫したことを即座に理解したのか、傾の顔色が明らかに悪い。
姉妹揃ってたちの悪い当たり屋をするくらいなら、占いの押し売りをしていたほうがまだましだったのではないか。傾はげんなりした様子で膝に手をついているが、一刀はこの再会を素直によろこんでいた。